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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

伊藤彦造

弥生美術館での伊藤彦造の展覧会は三度目か四度目かになる。
一番最初の展覧会は行けなかった。
二度目から行くようになり、その都度その鮮烈さに打ち震えている。

凄艶な、という言葉が絵を見た瞬間に浮かぶ。
しかしそれは彦造が意図したものではないのである。
彦造は後の「魔粧仏身」「砂絵呪縛」などや戦後すぐのカストリ時代の挿絵以外では、絵に官能性をにじませはしない。
彼は意図せずして自身の描いた人間たちに、壮絶なばかりの艶やかさを与えてしまっている。
描かれた絵、そこには「確実な」あるいは「決定的な」、死の予感が満ち満ちており、誰もそこから逃れようとはしない。それが凄艶さになる。
そして、観る者は死と紙一重の官能性に、勝手に反応してしまうのだった。

2006年の伊藤彦造展についてはこちらに挙げている。

今回の展覧会ではこれまで知らなかったいくつもの事実が挙げられている。
・片目を幼い頃に失明していること
・剣戟シーンや極めポーズや対峙の構図などを弟子たちにモデルをさせたのを基にしていたこと
などなど、時に応じてそれらについても触れてゆきたい。


今回の展示は行友李風「修羅八荒」から始まる。
初めて知ったのだが、この小説は彦造から行友に書くよう強く勧めたそうだ。
大阪朝日新聞につながりのある彦造は、朝日がライバルの大阪毎日新聞に水をあけられているのは連載小説の出来の良さ・悪さにあると看破した。
実際、その時代では掲載の連載もので読者数が変わるのだ。同時代の画家・伊藤小ハの「つづきもの」は毎朝の新聞連載が気になって仕方ない女を描いている。

さて大阪朝日のエライさん方から「たのむぞ」と頼られた彦造は「上品な」大阪朝日新聞に大衆小説を入れようと思いつき、それを書けそうな作家として行友李風を選んだのだった。

ハズしたら切腹覚悟で短刀を懐に飲み込んでいた彦造だが、結果は大成功し、「修羅八荒」は映画化もされ、ヒロインを当時人気絶頂の酒井米子が演じている。
それも一度二度ではない人気ぶりである。

ペン画の挿絵を得意とする彦造は、ペンや画材でも苦労したそうで、そのことについても話を残している。
ペンによるモノクロの凄艶な作品が並ぶのをみる。

鳥目の老人・金兵衛が無明の中、陰火とも鬼火ともわからぬ炎に身を焦がされそうになりながら、やせ衰えた体を必死で立たせている。

本もでていた。箱はタイトル文字だけだが本体表紙には主人公・浅香恵之助が剣を構える絵がある。

その主人公とヒロインとを対にした便箋がある。
鳥追姿の江戸節お駒が柳の下で笑う。恵之助は美剣士だが暗い顔をしている。

便箋はほかにもある。便箋ブームがあり、そのときにたくさん描いたそうだ。

ギヤマン灯籠 胸をはだけた遊女がいる室内。窓の向こうにはフェリーの停まる港。・・・明治かと思ったら昭和初期くらいまでくるか。

叙情画便箋もある。
バラの行方 ピアノの前の少女
幼き頃 仲良しの二人幼女が楽しそうな様子。

サタイア街頭 足が汚れたチャイナ服の女と背後に立つ和服の女。日本が進出していた時代。

キャバレエ きらびやかな姿の女が笑う。額から王冠のようなサークレットをつけている。大正から昭和初期の映画やポスターなどにはこれに類似した洋装の女が現れる。
ポアレのデザインしたような膝あたりのドレスを着て。

ほかの挿絵がある。
黎明 番匠谷英一 大正四年 まだそんなに売れてもいない頃なのに既に艶めかしく厳しい。

踊る白刃 土師清二 刀のやりとり。

獣心 三上於兎吉 流し髪の遊女と向かい合う、だらけた男。いかにも於兎吉らしい色模様を感じさせる。

土橋合戦・伊藤彦之進奮戦図 大正15年 この彦之進は彦造のオジに当たる人だそうだ。馬上で戦う肉弾戦。

万花地獄 吉川英治 昭和二年 いかにも吉川らしい入り組んだ憎愛を、彦造は絵にしている。

吉川英治は彦造の絵を高く買っていた。
少年小説「天兵童子」も指名して彦造に描かせ、後の選集を出すときも彦造の仕事を願うている。

花の頃 角兵衛獅子の姉弟。もたれる壁にはいろんな落書きがある。彦造にもこんなせつないような絵があるのだ。

しかし絵の多くは戦うものなのだ。
そしてその戦う情景の何という凄まじさ、妖艶さだろうか。そこには確かに「絶対的な死の予感」が存在するのだ。

「絶対的な死の予感」とは今回の展覧会でのキーワードである。わたしは展示作品のための解説文の中にこの言葉を見て、深く胸を衝かれた。
その通り、彦造の絵には絶対的な死の予感がある。

「豹の眼」「鞍馬天狗」の「角兵衛獅子」、この二作からはその絶対的な死の予感が隠しようもなく露わになっている。どの絵からもそれは感じられる。
 
わたしは講談社少年倶楽部文庫「豹の眼」を手に入れたときの歓喜と興奮を今も手放してはいない。
今、数々の名場面を目の当たりにしては、背筋の寒気と心の火照りとに震え続けている。

実際の絵とモデルたちの写真が並んで展示されているのも面白い。
運命の剣 岩の上で空を見る男。凄すぎるかっこよさ、リアリズムと凄艶さの融合感じる。
(写真)藁束の上でポーズをとる青少年たち。

飛沫 ぐっ と息をつめてみなければならない緊張感が隅々にまで行き渡る。
(写真)みんなまじめな顔つきなのが却っておもしろい。

杜鵑一声 タブローとして素晴らしい一枚だと思う。
(写真)実際の位置よりは低い構えに見える。
img233.jpg
この「杜鵑一声」は昭和四年の作だが、その当時、昭和天皇の天覧の栄に浴したそうだ。

炎の柱 痺れて何も言うことは出来なくなる。ただただうなるばかり。

やがて憂国の志士としての意識が彦造の作品にも表れ始める。

昭和七年、彦造は神武天皇図を自らの血を交えて描いた。
当人曰く右手を切ると痺れて描けなくなるので、腿などをよく切ってその血を使ったそうだ。全身55カ所である。
しかしその絵は現在は失われてしまった。
もし今見ることが出来るのなら、わたしはたぶん恐怖に震え上がっていたかもしれない。

彦造は他者の絵を見なかったそうだ。
それも一つの見識だと思うが、一方で他者の絵を全く見ず、全く関わらず、全くの孤高の画家というのも、非常に怖いものだとも思った。

憂国の絵師として動くようになったあたりのことはわたしにはよくわからない。
しかしこの頃から絵が変わり始めている。
黒が減り白が増えているように思う。そして動きが描き込まれるようになったと思う。

天兵童子 天兵とその敵たる車之助が刃を交わしあう。鍔迫り合いの凄い迫力がある。どちらも美少年なだけに見るこちらも気合いが入る。
天兵が高い場所で跳ぶシーンもいい。

有田ドラッグという会社のバックアップをうけて、教育美談挿絵というものを描いているが、これがなんだか妙で、笑ってしまった。

彦造は昭和三年に二階建ての自宅を建てた。
昭和13年に小石川へ移るまではここで暮らし、弟子も取った。わたしの祖父も彦造の塾に学びに行ったそうだ。
彦造の家の場所はだいたい想像がつくが、80年近い前の場所は今とは全く違う。
後に出てくるのだが、この家にいるときに撮ったらしき写真があった。
長女の朝子さんがまだ二歳の頃で、空を見上げながら「お父ちゃん、飛行機やでー」と言うているスナップ写真。
現在は少しばかりルートも変わったが、たしかに彦造の家辺りからだと、伊丹空港がよく見える。
わたしもよく見ていた。実感がある。なんとなく嬉しい。

真ん中のガラスケースでは彦造が陸軍と深まっていた時代の絵がでていた。
ぐっ と息を詰めて見続ける。
隣のガラスケースには同時代の作家たちの絵が並んでいた。そのことを知らずに見ていたところ、不意にグニャッときた。
華宵「馬族の唄」の絵が出ていたのだ。
息を詰めて緊迫感にヒリヒリしていたところへいきなり甘美な絵が来たのだ。
華宵は好きな画家だが、並べるのはよくないと思う。
次には樺島の船の絵がある。ここでまた緊迫感が戻ってきたが、次には同じ樺島の「正チャン」が現れ、またもやグニャッとなってしまった。
正チャンは大好きなのだが、手に汗握るといった風はないので、やはりあのヒリヒリがある間はどうも見ない方がよさそうだった。
そして次には将吉郎の「神州天馬侠」が現れ、また緊迫感が戻ってきた。とはいえ、やはり彦造の緊迫感とは異種なので、ある種の和みもまた感じられる。
つくづく彦造の異端性・特異性を実感する。
彼は別に他者の絵を見ていたとしても、決して影響されることもなかったに違いない。

二階に上がる。そこでは戦後の作品などがある。
敗戦直後、米軍キャンプで日本人リーダーに選ばれた彦造はキリスト像を描いている。
ただしこれは進駐軍が持っていた絵を手本に描いたものらしい。
かれはそこでガブリエルという名でもって絵を描いていた。人気者だったらしい。

釈放後は活発に仕事をしている。
下母沢寛 弥太郎笠 ああ、かっこいい。
砂絵呪縛もあるが、これは元からの仕事ではないと思う。
丸橋忠弥召し取り図がある。これもまた往年の「鞍馬天狗」などに通じる「絶対的な死の予感」に満ち満ちていた。
他に五郎時宗などの絵もあり、最後の光芒はいよいよ白熱化していた。

しかし彦造の仕事は児童向けのものが増えてゆく。
世界名作全集などである。美女と野獣、ポンペイ最後の日、八犬伝、クォ・ヴァディスなどなど。その頃は文のほうも柴田錬三郎、壺井栄ら錚々たる作家たちが担当していた。

やがて66歳で筆をおくと、彦造は以後ほんとうに絵を描かなくなり、百歳の長寿を保って往生した。
見事な一生だったと思う。晩年になり回顧展が開催されたときも彦造はなんだかんだと思い出話をして、新しい発見への道をつけてくれたのだ。

ヒリヒリする緊迫感に満たされつつ、その凄艶さに溺れきる時間だった。
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