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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

人間国宝展 その2

昨昨日の続き。

ここからは旧い世に生まれたものはなく、完全に近現代のものばかり。

瀬戸黒金彩木の葉文茶碗 荒川豊蔵 1口 1965年 荒川豊蔵資料館  やっぱりわたしは唐九郎より豊蔵が好きだな。
黒に生きる金の木の葉。その表現は劇画調にもみえる。


梨皮紫泥茶注 山田常山(三代) 1合 1998年 東京国立博物館  遠くからでもその愛らしさに目がひかれる。可愛い可愛い急須ちゃん。
二年前の出光美術館での展覧会(感想はこちら
を思い出す。ほんの最近までご存命で、せっせと愛らしい急須ちゃんたちを拵えていたのだ。こんな急須で淹れられたお茶はさぞや美味しいことだろう。

色絵金銀彩羊歯模様八角飾筥 富本憲吉 1959年  東京国立近代美術館  文様を古きに求めず、完全オリジナルで製作し、とうとうその文様パターンが今の世のスタンダードになっている。
わたしは憲吉の仕事ではこうした飾り筥がいちばん好ましい。

草白釉釉描加彩翡翠図四角隅切筥 藤本能道 1985年 東京芸術大学大学美術館  この人の作品を最初に見たのはもしかすると菊池寛実記念智美術館だったかもしれない。
目を刺激しないキラキラが心地よい。可愛い川蝉がいい。

色絵吹重ね草花文鉢 今泉今右衛門(十三代) 1枚 1996年 東京国立博物館  綺麗、実に綺麗。古様の手で新しい世界が開いている。

濁手つつじ草花地文蓋物 酒井田柿右衛門(十四代) 1合 2005年  伝統に則りつつ新しい感性がある。立ち止まることなく進み、進みつつも過去ともつながる。

青磁豆彩花瓶「インド文」 三浦小平二 1口 1993年  東京芸術大学大学美術館 これは面白い文様だった。

染付岩文壺 近藤悠三 1口 昭和35年(1960) 東京国立近代美術館  荒々しい筆致の岩は深い青に染まる。この力強さこそが近藤の魅力だと思う。清水の記念館に行ったとき、その強靱さに感銘を受けたことを忘れない。

鉄釉あやめ文大皿 田村耕一 1枚 昭和36年(1961) 京都国立近代美術館   可愛いあやめの並び。黒地に茶褐色のあやめたち。花の影のような風情がある。

着物だけは完全に趣味がものをいうので、どんな名工のものであっても、わたしは好き・苦手がはっきりと分かれる。伝統工芸技術保持という眼で見るしかない。
いずれも当然ながら、見事な出来映えのものばかりである。


赤とんぼ蒔絵箱 松田権六 1合 昭和44年(1969) 京都国立近代美術館 途轍もなく綺麗なものを見た。遠目からでも松田権六の作品だと気づく。もふぁーっとした植物の上を煌めく翅の赤トンボが飛びゆく。まるで海を渡るトンボの群にも見える。
そしてこの箱の側面にはチリリリリ と青い宇宙塵が広がっている。トンボたちは宇宙の彼方にまで向かうようだ。
箱の中にはどんな景色が隠されているのだろう。
興味の尽きない美麗な箱。ああ、見ることが出来て幸せだ。
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群蝶木地蒔絵手箱 高野松山 1合 昭和38年(1963) 東京国立近代美術館   わたしは蝶々が大好きだ。だからこの箱を見ただけでドキドキした。したが、非常にわたしにとっては無念なことがあった。
木地蒔絵という技法である。
素材を出来る限り生かして素に文様を、というのが好みに合わないのだ。
わたしは技巧に技巧を重ねたものが好きで、自然さが消えるくらいの方が好ましい。このように下地が見えるのはニガテなのだ。
しかしこれはあくまでもわたし一人の趣味の問題・嗜好のあり方なので、作品自体は本当に立派なのである。

このブログがあくまでも「感想」にすぎないのは、こういうことを書くからなのだ。
そしてわたしは公正な目を持たない・持てない。
それはもう到底変えることは出来ないし、変えるつもりもない。


柳文銀壺 内藤四郎 1口 昭和39年(1964) 東京芸術大学大学美術館 ああ、綺麗。本当に綺麗。銀鍛造・象嵌。やはりキラキラ綺麗なものをみると嬉しくなる。
汐留で見たものを思い出す。(後述)

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布目象嵌露草文銀四分一接合水指 鹿島一谷 1口 昭和52年(1977) 東京国立近代美術館 可愛いなあ~可憐な露草たち。文様もイキイキして見える。色の変化がまた魅力的。露草たちの語らい。
 
抱擁 平田郷陽 1軀 昭和41年(1966)   これは平田の娘さんがお孫さんを生んだときのものだという。本当に見るからに幸せな様子で、しかも母親になったばかりのひとの気持ちが背筋に表れている。
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わたしは人形が好きで、多くの作家に好きな人がいる。
伝統的な雛人形、御所人形、衣裳人形、そして紙塑人形、ほかにもたくさんの技法によって生まれた人形を見るのは、とても楽しい。

截金彩色飾筥「花風有韻」 江里佐代子 1合 平成3年(1991) 文化庁   江里さんの作品がある。それだけで嬉しい。
江里さんは若くして人間国宝になられたが、まさかの客死をとげられ、もう新作を見ることはできなくなった。
伝統工芸の基礎に立ち、新しい世界を開く。
江里さんの仕事はそのことを教えてくれたのだ。nec784-3.jpg


第3章 広がる伝統の可能性

練上嘯裂茜手大壺「深山紅」 松井康成 1口 昭和56年(1981) 茨城県陶芸美術館 つるつるした練り上げの方が好きだが、ここにあるのはざらざらの練り上げ。ざらざらのはどうも・・・はっきり言うか、ある種の和菓子を思い出させて、やたらとおいしそうに見えて仕方ないのだった。

耀彩壺「恒河」 徳田八十吉(三代) 1口 平成15年(2003) 石川・小松市立博物館   東北の大震災直前に初めて見た。とても綺麗だった。なにか、新世界への扉、とでもいうものを見た気がした。今もそう思っている。
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朱漆捩紐文火鉢 黒田辰秋 1口 昭和37年(1962)頃 愛知・豊田市美術館  これまたいかにも黒田だーっという存在感のある置物。火鉢なのか。もう本当に黒田だとしか言いようがない、黒田の意匠。
ちょうど今、横浜そごうで黒田の展覧会があるから、いってみようと思っている。

志賀島幻想箕立事 鹿児島壽蔵 1躯 昭和42年(1967)  初めて見たのが97年の大丸での回顧展だったか、それからずっと好きで、手に入れられる限りの絵はがきや資料を集めている。近年も旧新橋停車場で展覧会があり、嬉しかったなあ。
どの人形も表情がとてもいい。そして体のありようがとても魅力的。ここにあるのは人魚だが、隅々に至るまで、本当に綺麗だ。紙塑ではあるが、薄い内蔵を想像させるようなところがあり、それにどきどきしている。

竹華器「怒濤」 生野祥雲齋 1口 昭和31年(1956) 東京国立近代美術館  ピカピカ光る竹、といえば「かぐや姫」のいた竹を思い出すが、これは竹を切って・割いて・曲げて・折ってこしらえたオブジェである。
なぜかピカピカ光って見えるのは照明の力だけではないと思う。
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心臓の鼓動が高まるものが多い展覧会だった。まだドキドキする。

そして特別展からほど近いところでは「人間国宝の現在」展がある。
そちらにも少しばかり。

井上萬二 青白磁彫文鉢 ああ、ため息が出るほどの清冽さ。見込みに咲き乱れる花。薄い薄い青白磁の美を愉しむ。

太田ひさし らん胎蒟醤文箱「双鳥」 可愛い青と黄色のインコが向かい合う木。周囲には花が舞う。静かな闇の森。
どこか高山辰雄の世界を思わせる静けさ。やさしい空間。
 

少し前に汐留ミュージアムで「松下幸之助と伝統工芸」展が開催され、そのとき近代以降の工芸品の良さと言うものを味わった。
今回もその時と同じ新鮮な感動を受けている。
その時の感想はこちら。
前期
中期
後期

日本の工芸はまだまだ活きている。
しかしそのことに安心していてはいけない。
伝統工芸を守る人々を守ることが文化を守ることになるのだ。
それは伝統芸能も同じである。
そしてこれは為政者のエエ加減なサジ加減でどうこうしてはならない。
わたしたちは為政者たちの暴走を止め、文化を守るために動かなくてはならないのだ。
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