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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

板谷波山の夢みたもの

綺麗なものを見て、なんのてらいも曲がりもなしに素直に「綺麗だ」と言えるのは幸せなことだと思う。
出光美術館の『板谷波山』展ではその幸せを味わい続けた。

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1/7から3/23までの展示期間、わたしは既に二度ばかり出かけている。
最終までにもう一度行く。展示替えは波山のドローイングくらいで、後は変わらない。
しかし二度でも本当は足りないようにも思う。
綺麗なものを見続けることが精神の高揚を招き、歓びを生み出す。
あまりに見つめ続けると、飽きるということがあるかもしれないが、見る度に新しい発見がある以上、どうやって飽きればよいのだろう。
それに、とわたしはひとりごちる。
残像が目を通して意識に刻まれるほどになれば、わたしの中には常に波山の綺麗な宇宙が活きることになる。
これは何物にも代えがたい喜びではないか。

波山は生涯にわたり、一つの道をたゆむことなく歩み続けたが、その中で表現の異なる美を生み出していた。
基礎はどちらも一つだが、装いを変えることで表情を変えた。
そのことについては、サイトから引用した文章をご紹介したい。
「彫刻の技を生かした「薄肉彫(うすにくぼり)」で文様を精緻に浮彫し、そのうえに色を与え、きらめく釉薬をかけた「彩磁(さいじ)」や、光を柔らかく包む艶消し釉をかけた「葆光彩(ほこうさい)」など、独創的な陶芸世界を切りひらいてゆきました。」
とてもわかりやすい説明を受けて、わたしは安心して作品の前に向かう。

この先はいつものように特に好きなものに目を向けて、好きなことを、好きな言葉で綴ろうと思う。
なお、2009年に泉屋分館で見たときの感想はこちら

序章 <波山>誕生 生命主義の時代と夢みる力

彩磁アマリリス文花瓶  大正時代中期  きらきらした背景にアマリリスが大きく咲いている。
アマリリスという花は百合に似ているが本当は彼岸花の仲間らしい。
波山の意匠によりアールヌーヴォー風な様相でそこにある。官能的な花である。
時代に愛された姿がここにある。

彩磁桔梗文水差 昭和28年(1953)  これは面白い構造で構成されていた。
桔梗が咲くのは蓮の花びらの開いた場なのである。実は二種の花が咲いていたのだ。夏と秋の花との同居。
蓮の白い花弁には無数の貫入が走る。まるで花の神経細胞のように。
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葆光彩磁鸚鵡唐草彫篏模様花瓶 大正3年(1914) 解説に道しるべがあった。
「津田青楓による漱石『道草』」その文様と共通の土壌がある、という。
わたしの頭の中にあの花唐草に憩う鳥の姿が浮かんできた。
『道草』は神奈川県立近代文学館で絵葉書が売られている。手に入れたとき、嬉しかったことを忘れない。
ここには大きな鸚鵡が静かに葉に止まっている。
艶消しの静かな釉薬により、鳥は強い主張をせず、黙ってそこにいる。
花も咲き乱れてはいても、口を開けたまま止まっている。
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葆光彩磁細口菊花帯模様花瓶 大正8年(1919) 細い瓶である。首と胴の下部と裾とに、青のベルトをしめている。胴には火焔が渦を巻いている。青のベルトで抑えきれなかった情炎が、出口を求めて上り始めた様子を見せる。艶消しの釉薬でその火焔の臙脂色は鎮められてはいるが、もう決して火は止められなくなっている。
誰もきづかぬうちに、きっと炎は外へもあふれ出すだろう。

葆光彩磁葡萄文香爐 大正時代後期 
彩磁葡萄文香爐 大正時代末期~昭和時代初期
文様は等しく粒の豊かな葡萄である。しかし掛けられた釉薬により、全く違う表情を見せている。
沈んだ美と飛び出そうとする美と。
抑制と解放(あるいは開放)、そんなことを思う。

第一章 波山の<眼>と<手> 陶芸を彫る、陶芸を染める

若い頃の波山作品を見る。
彩磁紅葉雀文カップ 明治時代末期 可愛いなあ。呉須手の雀が紅葉をみている。
形もよいので、使ってみたい気がする。

葆光磁梅花文瓢形花瓶 明治45年(1912) 青で表現された夜の梅。大胆な筆致で梅の幹の形の良さに惹かれる。綺麗な色。濃い青の上に白混じりの青で描く。瓢形という枠から開放して、布地に移し、それをまとってみたい。

れんげ草一輪生 明治時代末期~大正時代初期 こういうのがほしい。

蔬菜煎茶具 明治41年(1908) たいてい煎茶道具は小さくて可愛いものだが、これはまた愛らしい。お湯呑みと急須はふっくら茄子、瓜をくり貫いたものもある。小人さんのパーティに使われそうなものばかり。掌で撫で回してみたくもある。

彩磁蕪小花瓶 明治時代末期~大正時代初期 このカブラはつやつやしているが、実は葛あんをかけたものなのだ。すっかり味は染みとおっているが形は崩れず、葉もまた柔らかにおいしく出来上がっている。
波山はおいしそうなカブラを拵えたのだ。

彩磁玉葱形花瓶 明治30年代 ピンクと薄抹茶色と白と薄茶色とが奇妙に仲良く隣合いながらねじれてゆく。タマネギの繊維を色彩で構成する波山。じっ と見るうちに気がついた。この色合い・・・そう、名古屋名物「ういろう」ではないか。なんとおいしそうな配色だろう。わたしは涎が湧くのをとめられない。


第二章 波山の夢みたもの1 色彩と白、そして光

紫金磁葡萄文花瓶 大正時代末期~昭和時代初期 花瓶の形としてはとても好ましい。
褐色に輝く肌には葡萄が浮き上がり、盛り上がっている。
 
窯変磁花瓶 昭和16年(1941) 釉薬の配合のためか焼成のためか、真っ赤ではなくところどころに黄色みをみせている。これはリンゴを思わせる花瓶だった。それもワックスなど塗られていない、木の実としてのシンプルなリンゴ。

辰砂磁延壽文花瓶 昭和15年(1940) 
辰砂磁延壽文花瓶 昭和15年(1940) 
辰砂磁延壽文花瓶 昭和13年(1938)
三つの綺麗な赤い花瓶が並ぶ。形や装飾はほぼ同じものだが、色が少しずつ異なる。
一つはつやつやしたリンゴ飴の色を、
一つは今また流行りそうな口紅の色を、
一つは何かの予感をはらんだような暗赤色を、見せている。
艶やかな赤たち。

倣均磁唐華文花瓶 昭和36年(1961) こんな色合いも面白い。

昭和に入ると青磁が現れる。
鯉耳、鳳耳、蓮花口、柑子口…
青磁鎬文鳳耳花瓶 昭和38年(1963)  これは楯縞がとても綺麗。
青磁竹節花瓶 昭和時代前期  こちらは貫入が本当に綺麗。
青磁瓢花瓶 昭和33年(1958) もう、ただただ綺麗。

菊茶盌 昭和33年(1958) 縁取りが可愛い。教会のステンドグラスに夕日が差して、それが反映したような景色。

氷裂磁瑞果文花瓶 昭和時代前期 青白磁に近い色。冴え冴えとした意識を感じる。

乳白ガラスを磁器で再現すればこうなるだろう、というのが葆光白磁か。
清朝末期の鼻煙壷を想ったり。大正末から昭和初期の美品がいくつか。

葆光彩磁紅禽唐草小花瓶 大正時代前期  可愛らしいな。時代の求める文様。

第三章 波山の夢みたもの2 鉱物・天体・植物・動物

朝陽磁鶴首花瓶 昭和13年(1938) 
窯変磁花瓶 昭和時代前期 
窯変磁鶴首花瓶 昭和時代前期 
この3つの鶴首花瓶が並ぶ様を見ると、わたしは世田谷美術館所蔵の小堀四郎「無限静寂」三部作を思わずにいられない。
時間の移り変わりをあらわした三部作と違い、こちらは形が似ている・時期も似ているということで並べられている。
しかしなによりも「この並べ方こそがいちばん綺麗に見える」それがこの配置の最大の理由だということを、わたしたち観客は知るべきなのだった。
この美しさを味わってほしい、という学芸員さんの想いをわたしたちはストレートに受け止め、思うが儘にその美を深く味わおう。

曜変天目の美を波山世界でも愉しめるとは思っていなかった。
波山は完全な制御・調和・調律をこそ自身の作品に求める作家だと思っていたので、ある種の偶発性(事故性と言ってもいい)を伴う(可能性のある)曜変・窯変に取り組むとは思わなかった。
それだけにここにあるいくつかの茶盌は珍しくも、また尊くも思われた。
それぞれに銘も「天の川」「黎明」「星月夜」とつけられている。
曜変天目茶盌 銘 天の川 昭和4年(1929) 
天目茶碗 銘 黎明 昭和7年(1932)頃 
曜変天目茶盌 銘 星月夜 昭和34年(1959) 

紫金磁保布良文花瓶 大正時代末期~昭和時代初期  飴色のポプラ。黄金糖の濃い色を思い出す。そこにポプラが沈められていたのが、浮かび上がってきた。

菩提樹葉彫紋花瓶 大正時代後期 菩提樹も不思議な木である。日本人にとって菩提樹は長らく仏陀の木であったが、西洋の波が押し寄せた後、シューベルトの「菩提樹」を想う人が現れるようになった。波山には仏教的な趣はどの作品にも薄いが、彼にとっての菩提樹はどのような存在だったのだろう。
わたしは菩提樹を初めて本当に見たのは、澳門でだった。
熱国に生きる木が何故シューベルトの「冬の旅」に歌われるのだろうと思った。
(後にその木が実は熱国の菩提樹そのものではないことを知ったが、あの歌曲はやはり「菩提樹」でなくてはならない)

チューリップ文様がとても印象的だった。
一つの形に執着するのではなく、様々なチューリップを描いている。
連続するものもあれば一輪だけのものもある。
咲き誇るもの・つつましく俯くもの・楽しそうに口を開けるもの・原種に近すぎてパブリックイメージから遠のいてしまったものなどなど…
いずれも素敵な文様として器の表面を飾る。
大正時代からか、チューリップは着物や帯の文様にもなり、多くの少女から娘を喜ばせた。
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チューリップだけでなく、古くから日本に伝わる花もまた文様として刻まれる。
葆光彩磁椿模様香爐 大正時代前期 しっとりした風情がある。
彩磁紫陽花香爐 昭和30年代 あでやかな様子を見せる。
彩磁牡丹紋様香爐 大正10年(1921) ふくよかな喜びを感じる。

仲良しさんのいる風景。それをみる。
うさぎ組、とり組、さかな組…思えば花も二輪あれば仲良しさん仲間に含まれるか。
ぴかぴかきらきらよりも、しっとり艶消しの釉薬に多く守られて、仲良しさんたちの幸せは永遠に続く。
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葆光彩磁呉洲模様鉢 大正5年(1916) 
呉須絵花瓶 昭和27年(1952) 
彩磁花禽文水差 昭和33年(1958) 

随分前に戦前の「講談社の絵本」で「偉人・板谷波山」を見た。絵は確か梁川剛一あたりだったと思う。そこで波山がご老人たちのために白磁の鳩を拵えて、杖のカシラにつけて使ってください、というのを見た。
梁川の端正な人物造形で、波山はとてもハンサムでしかも立派なおじさまに描かれ、絵本原画を見ながらわたしは秘かにドキドキしていたのだった。
その現物がある。長寿と安全とを願う波山の親切な心が現れた作品だった。

観音聖像 昭和36年(1961) どことなく中国の艶めかしい観音を想った。そしてご禁教の頃のマリア観音を想った。が、この観音は決して芥川の書いた「黒衣聖母」にはならぬだろうと思っている。 

第四章 あふれる、夢の痕跡 図案と写生

器物図集 明治33年(1900)~39年(1906)
模様集 明治時代後期
泰西新古模様集 明治時代後期
花果粉本  昭和時代前期
素描 明治時代後期~昭和時代前期

工芸家の意匠ノートを見るのは楽しい。
展示換えがあるので何度でも行きたくなる。
最近は画家の下絵を見るのが本当に好きになってきて、それを目的に出かけることも増えてきた。
波山の美意識、波山のセンス、波山の関心の向き方、そしてその時代の流行までが見えてくる。
非常に興味深い器物図集だった。



終章 至福の陶芸

淡黄磁扶桑延壽文花瓶 昭和10年(1935)頃 古代からのめでたい木にめでたい花が咲いている。
(ハイビスカスなのである)
木を中に二匹の犬が向かい合う。ぴんとした耳にくるんとした尻尾の立派な犬である。
生命の木ということを考える。
そうするとこの犬は犬の形をした「ケルビム」かもしれない。
また生命の木の化身ともいえる「花咲か爺」の犬ポチとその兄弟かもしれない。
さらに面白いことに、裏面の文様は花の開き具合が違い、しかも犬たちはそっぽ向き合い、違うものをみつめている。
何を見ているのだろうか。
実際には波山の飼う道犬兄弟なのだが、そんなことを考える。

天目茶碗 銘 命乞い 昭和19年(1944) この茶碗にまつわるエピソードが興味深い。
どこがどう波山の憤りを買ったのかさっぱりわからないが、出光佐三の手に入って本当によかった。
禾目とグラデーションの美麗な茶碗。
叩き割られていれば、この美しさを味わうことはできなかったのだ。
そのことを思うと、生み出した当人にむけて恨みの心がわくだろう。

最後に二つの椿茶碗をみる。
日に煌めきつやつや輝く椿と、薄い乳白色の靄の向こうに咲く椿とである。
展示された作品を見始めた最初の時と大きく心持ちが変わって、今は艶消しされた椿の茶碗に深く心惹かれている。
輝きを抑制されたような気がしていたが、それはわたしの浅い考えにすぎない。
日本人の心の底に流れる美意識、それに沿うのがこの茶碗なのだ。 
椿文茶碗 昭和38年(1963) 1392820883275.jpg

十年以前、大阪に出光美術館があった頃、波山展が開催された。わたしはそのとき、この椿文茶碗の絵はがきを購入した。
何でそうなったか忘れたが、わたしは仲良くつきあっていた昔の師匠のもとへ、そのはがきを見せに行った。
先生は「ほしい」と言うたが、わたしはあげなかった。
先生は無念そうな顔をした。
やがてそれから間をおかず、先生は急死された。
今となっては、やはりこの絵はがきをあげなくてよかったと思っている。
先生が「ほしい」と執着を見せた絵はがきを、わたしはもっている。先生の執着の一部をわたしは自分の内に取り込んでいるのだ。
先生はなくなったが、わたしという弟子が生きている限り、この記憶は消えない。
わたしはその絵はがきを自室に飾っている。
波山の生み出した美に、先生の執着、そしてわたしの偏愛と追想とを含んで、今も椿の茶碗は大きく花開いているのだった。

わたしが見て、特に心惹かれた作品についてあれこれ書いてみた。
いつものように好きなことばかり書いている。

今回、展覧会の各章ごとに学芸員で詩人の柏木さんの言葉がある。
数多の展覧会の中でも、このように非常に深い魅力のある解説文を読めることは少ない。
わたしはselfishな感想しか書けないから、このブログに柏木さんの文章を紹介することができなかった。

どうか図録を手にしていただきたい。
全編にわたって続く、柏木さんの平明で、そして優美な文章に目が開かれる。
紡ぎ出された言葉から、新たな波山の魅力が、彼の活きた時代の精神性と空気とが、まっすぐに伝わってくる。
これは詩人である柏木さんでなければ、なされぬ仕事だと思う。
綺麗な波山作品の画像と、柏木さんの文章と。
この図録には二つの魅力があふれている。
展覧会は3/23まで。



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