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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

世紀の日本画 前期

日本美術院再興100年特別展「世紀の日本画」前期を見た。
「世紀の日本画」とは大きな名乗りを挙げたと思ったが、これは院展再興百年ということでの名乗りだった。
まだ21世紀もほんの十数年で残りの歳月をどうするのだと思ったのは、ただの勘違いだったのだ。

前期と後期と完全に入れ替えということで、まずは前期を見た。

第一章 名作で辿る日本美術院の歩み

狩野芳崖 不動明王 1887年 色がけっこうはっきりしている。土気色ボディでも力強い。完璧な逆三角形な体。足の指が長い。逆立つ髪に金の蓮の止めがつく。サークリットのようなもの。旧弊な画術から大きく踏み出したのを感じる。

橋本雅邦 白雲紅樹 1890年 上に紅葉がみえる。滝にかかる。木そのものは中国の宋あたりのような描き方に見える。少しずつ目を下げるとそこに背中合わせに座る猿が二匹いる。白と黒の猿。川には紅葉が流れている。

菱田春草 四季山水 1910年 巻物仕立て。松の山から桜の丘へ、ひばりが鳴いて、川には小舟を操る人もいる。ツバメも飛び、馬に乗る人もいる。ほくほく歩いている。のんびりした風景。淡い色が優しい。日本のどこかにあった風景。

下村観山 弱法師 1915年 先般の横浜美術館での回顧展の前期に出たので、一休み後すぐにここに来ている。
改めて彼を見ると、リリー・フランキーに似ていると思った。
巨大な夕日は既に沈みかかっている。見えぬ目で夕日を見ようとする。間もなく日は沈み、彼は梅林に一人取り残されるだろう。梅の香りは闇に強く漂い、彼の行く道を示してくれるかもしれない。
しかしふと見れば、数歩先に卒塔婆がある。そこに仏画が掛かっていた。三尊図。祈る仏がそこにあることを彼は気づいているのだろうか。

安田靫彦 飛鳥の春の額田王 1964年 滋賀近美にあるので特に親しい気がする一枚。ああ梅も咲いているか。
額田女王を描いた絵と言えば上村松篁さんの挿絵を思う。全く違う絵なのに、今ここでユキ彦の額田を見て、井上靖の小説世界が蘇る。

小林古径 楊貴妃 1951年 能のそれを描く。この絵にも親しみがある。たいへん静かな手の動きを感じる。
「動かぬ故に能と言う」という言葉を思い出す。

前田青邨 京名所八題(都八題) 1916年 リアルタイムの京のあちこち。墨絵に近い連作。雪の清水、雨の本願寺、巨大な林の中の上賀茂と青い川、祇園会の御輿が橋の上を行く・・・前期はこの四枚。近年東博で並んでいるのを見たが、百年前の風景とはいえどこか親しい感じのある風景だと感じるのは、わたしが関西人だからだろうか。

平櫛田中 鏡獅子 1940年 これは芸大所蔵分。野間、国立劇場の兄弟。平櫛は六代目菊五郎が元気なときにポーズを取ったそうだが、確かにエネルギッシュで素敵だ。よくよく見れば爪がピンク色だった。

奥村土牛 閑日 1974年 緋毛氈にペルシャ猫。こちらをじっと見る鼻の低い猫。小さな緊迫感がある。

第二章 院展再興の時代 大正期の名作

横山大観 游刃有余地 1914年 これもつい最近東博で見た。人物の顔が小杉ホウアン風なのはこの時期の特徴か。左に青服で顔の黒い丁が立ち、右幅に文恵王と侍女が立つが、こちらは黄色・薄紅のいでたち。配色もいい。
王冠は新聞紙風。どうしてもこの丁と王の二人を見ると横山光輝「戦国獅子伝」を思い出す。

観山 白狐 1914年 林の中の金柏の下にススキが伸びる。そこに狐がいる。遠い目をする狐。干からびた熊笹。狐は稲をくわえている。ただの狐ではなく、お稲荷さんのケンゾクの狐だろうか。

靫彦 二少女 1922年 あやとりをする二人。絣の子と白地に青花柄の子と。そばには宋の掻き落とし壷にスィートピーがナデシコとともにいけてある。

川端龍子 佳人好在 1925年 この絵は実に好きな絵で、京近美の所蔵品の中でも特に好きな一つ。朝の瓢亭の一室をモデルに描いている。ああ、気持ちよい空間。現実とは左右などを多少変えているが、それでいよいよ絵画として気持ちよいものになっている。すばらしい情景。
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ここで洋画と彫刻が少し並ぶ。

小杉未醒 飲馬 1914年 横長のもので朝のもやっとした中で少年と、水を飲む馬と、金色の岩とがある。
舞台の一場面のような魅力がある。

足立源一郎 チューリップ 1918/1920年 セザニズムな一枚。しおれた花がそこにある。

平櫛 酔吟行 1914年 遠目からでもこの彫像が酔っぱらいで迷惑な奴よのうな感じがしたが、李白なので文句は言えない。

橋本平八 猫 1924年 耳を張って後ろにピン!背中を掻む噛む舐める。耳の位置から鼻筋にかけて仮面ライダーに似ているように思えた。

第三章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ

靫彦 卑弥呼 1968年 これも滋賀近美で親しくみている。つまりこの卑弥呼と先の額田とは滋賀近美の古代二大美女なのでした。

古径 竹取物語 1917年 全巻が出ている。もしかすると全部をみるのは1993年の文化の日以来かもしれない。
やはりたくさんのシーンをみるのは嬉しいし、新しいことに気づいたりもする。月よりの使者たちの周囲に散る花はすべてクラゲ風な花だとかそんなことだが。

羽石光志 飛鳥の太子 1971年 黒駒に乗る太子。オサダノミヤへ。薄紅灰の衣に濃いグレーの馬とがいい。
理知的な太子がかっこいい。

平山郁夫 祇園精舎 1981年 一本の木、釈迦と弟子たち。薄く刻まれたような顔立ちに個性はない。等しい顔。弟子の間に差別化をはからないようにすることで、平等性を見せているのかもしれない。

小山硬 天草(礼拝) 1971年 先般もこの人の隠れキリシタン図を見たが、それをテーマにしているのだろうか。ほかの絵は知らない。

福井爽人 古陽 1982年 飛鳥白鳳の大仏が。なにやら怖いような。

第四章 花。鳥。そして命をみつめて

大観 紅葉 1931年 これもよくよく見るが、やはりいい。足立美術館人気の一作。

小茂田青樹 虫魚画巻 1931年 カエル池がなかなか見る機会がないのでよかった。妙にぞわっとしつつ。

第五章 風景の中で

今村紫紅 熱国之巻 1914年 熱国の朝をみる。きらきら波、ゴムの木、船・・・いいなあ。描かれた百年前、原三溪から「どうもイマイチ」と言われたとはなあ。
わたしはこの絵が東博に出る度についつい撮影してしまうくらい好きだ。

速水御舟 洛北修学院村 1918年 群青中毒時代の絵だが、群青の良さもさることながら、実は緑青が魅力的なのだった。

小松均 雪の最上川 1979年 二曲二双12面に延々とその大きな情景を描いている。遠くから見る方がいい作品。

宮廻正明 天写田 1993年 バリ島の棚田の様子。畝を歩く二人はもっこを担いでいる。棚田も日本と違う、妙な魅力のある形に見えた。

第六章 幻想の世界

中村岳陵 婉膩水韻 1931年 誰もいない森の中、和装美人が長い髪を流しながら気持ちよく全裸で泳ぐ。着物やバッグはすぐそばにまとめてある。
その着物やバッグがその時代のリアルなものでなくば、羽衣天女、または水妖にも見える。ときめきの一枚。

岩橋永遠 神々とファラオ 1967年 トキ、ハヤブサ、ジャッカル、カバといったエジプトの神々とホルスが巨大な影を浮かび上がらせる。その下には砂漠の塵風に揺れながらラクダがゆく。

郷倉和子 真昼 1957年 色とりどり、たくさんの芥子が咲き乱れる。モーリス・ドニを思わせる。象徴主義的な雰囲気がある。

第七章 靫彦 風神雷神 1929年 少年の形で描かれる風神雷神。
二人はそれぞれの職能の道具を持たず、ただその神の形を示す。
阿吽をなす風神雷神。手もパーとグーである。
少年の静かな力強さにときめいた。

古径 異端(踏絵) 1914年 この絵は清方「続こしかたの記」で知り、見たいものだと思っていたところ、ようやく十年ほど前の近美での回顧展で見た。蓮のプールのそぎにいる女たち。どこか異様な魅力が強い。

御舟 京の舞妓 1920年 リアリズムも行き過ぎるとこうなる、みたいな・・・

小倉遊亀 径 1966年 夏の日のお買い物のお母さん・幼女・犬。いい感じ。トリミングされたような画面構成がおもしろい。

菊川多賀 文楽 1975年 出待ち。人形たちがやたらと大きい。阿波の人形かもしれない。一つ自分に似たような人形を見た気がする・・・

日本画はまだまだ生き続けることが可能だということを改めて知ることもできた。
来期も楽しみ。

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