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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900

三菱一号館美術館で、英国19世紀半ばに生まれた「唯美主義」を堪能する機会に恵まれた。
国際巡回展ということで、既に本拠地たるヴィクトリア&アルバート博物館、パリのオルセー美術館などで開催されたものが新たに構築されて、日本へ来た。
このように「唯、美しく」あることを望んだ芸術作品を展示するには、やはりその「環境」は強く考慮されねばならない。
19世紀の大英帝国の栄光、その残照を見出せる空間は、日本には多くはない。
1894年、丸の内に誕生した三菱一号館。その再現が完璧に成された空間でこそ、この展覧会はふさわしい。

19世紀英国の美意識また、芸術においてのムーヴメントのありようを知ったのは、おそらく坂田靖子の作品からだったと思う。
彼女の初期の作品「青絹の嵐」は「チャタートンの死」をモティーフにした作品で、物語の中にその絵が完全に入り込んでいた。
また同時期に描かれた森川久美「青色廃園」もまた19世紀英国の芸術の方向性を示していた。
1970年代後半から1980年代初頭、日本の少女たちはこうした先達により、洗礼或いは教育を受けたのだ。

1989年6月、大丸梅田で「ヴィクトリア朝の絵画」展が開催された。
そのときに初めて本物のレイトン、ウォーターハウス、バーン・ジョーンズ、ロセッティ、ワッツ、シメオン・ソロモンらの絵を見た。
今もしばしばその図録を読みふける時間が長い。
それらの絵は同時代の、明治の日本人の心にも深い歓びを刻みつけた。
文学者では漱石を、画家では青木繁を虜囚にして、英国の絵画は奔放な美しさをみせつけた。

同時代の日本人から間を開けて、現代のわたしたちもまた、19世紀英国美術への偏愛は深い。
美への耽溺の深度は計り知れないものがある。
極東の端に住まう、同時代を生きた先達同様、わたしたちもまた、その美に深く酔いしれる。
そしていま、同時期にこの三菱一号館で「唯美主義」展を、森美術館で「ラファエル前派」展を見る機会が与えられている。
雪の降る前夜、わたしはでかけた。14021803.jpg

第一章 芸術のための芸術
・序 
まずは工芸品から。
トマス・ジュキル 柵の部品 ひまわり形でかなり大きい。 この鉄のひまわりが家の周囲に延々と並び、衛兵のように守る情景は楽しそうだと思う。

ウィリアム・ド・モーガン 大皿 孔雀が花咲く地をゆく。隙間のない絵皿。
ド・モーガンは近年に展覧会が開催され、それから見るようになった。

・「美術職人集団」
バーン=ジョーンズ ヘスペリデスの園  浅浮き彫り。地上の楽園をモティーフにする。さる邸宅の食堂の暖炉を飾るための作品。真ん中の木に絡みつく、青い生き物は何か。翼のある蛇のようにもみえる。むろんドラゴンにも。木を挟んで左右にいる女たち。一人は青い生き物に器を差しだし、一人は竪琴を弾く。

ロセッティ ボルジア家の人々 「悪徳」と「背徳」の代名詞のように長く言い伝えられてきたボルジア家。
美女のルクレツィアをはさんで左右に父の法王、兄のチェーザレが、見るからに背徳的な空気を振りまいて、その場にいる。実力者たる父や兄を虜にしていることを知り尽くし、高慢な微笑を浮かべる妹。そして彼らの前で踊る子供たち。無邪気な表情が背後の人々と対照的。不穏な状況が描かれている。

モリス 壁紙「ひなぎく」 わたしの前にいた奥さんが「これはキッチンのタイルによさそう」と言った。
わたしも同意した。150年後の極東でも実生活に向いている、モリスの仕事。

・新たな美の探究
ワッツ 孔雀の羽を手にする習作 ああ、こうした作品こそが「唯、美しい」ということなのだろう・・・
絵の前に立つと、その美しさに陶然となる。
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ロセッティ 愛の杯 西洋美術館でなじんでいる作品ではあるが、ここに並ぶのを見ると、音楽が聞こえてくる。クラブサンやリュートといった古楽器のアンサンブル。
この絵の魅力がいよいよ深まっているのを感じる。

レイトン パヴォニア 黒髪の美女が首をねじて見返る。孔雀扇に映える黒髪。異国の美女のまなざしは遠い。

この空間にはほかにも多くの美女の絵があるが、皆、ここにいることを満足しているように見えた。

ピクトリアリズム的というのではないが、絵画的な手法での肖像写真もあり、そちらも魅力的だった。

・攻撃「詩の肉体派」論争
敵の言わんとすることもわかるが、しかし魅力は否定できないだろうに。

シメオン・ソロモン 花嫁、花婿、悲しき愛 新たな関係を結ぶ男女の幸せそうな接触。男の背後に立つ羽根を持つ青年(悲しき愛)の切ない表情。不実で浮気ものな男は花嫁とくちづけしつつも、悲しき愛たる青年にも後ろ手をのばす。
三人の顔が新田たつお描く人々に似ている。

ロセッティの装丁した本が二冊あるが、ともにたいへん綺麗な造本だった。

<遠い過去、遙かなる場所>
・ジャポニスム 

エドワード・ウィリアム・ゴドウィン 生地見本帳 金糸に赤や紺糸で和風な文様が寄せられている。こうして見てみると、小さなお菓子を寄せ集めた「吹き寄せ」のようで、とも可愛い。

壷や植木鉢、ティーポットなど、現代の日本人から見れば十分に異国的なデザインの工芸品が並ぶ。不思議な面白さがある。

・古代文化という理想

アルマ=タデマとほかの作家による共同デザインの腕輪がある。金色の細く長いリングが何重にも続き、どちらの先端にも蛇がいる。これは少し後のパリでミュシャがデザインしたものを簡略化したようにも見えた。

フレデリック・サンズ メディア 毒薬を製造中のメディァ。背後には彼女がその呪わしい運命を最初に歩み始めることになったきっかけの、アルゴー船が描かれている。
鈴をいくつも繋いで綴った耳飾りは、彼女の本分が巫女だったことを思い出させる。

ムーア 黄色いマーガレット 遠目には薄黄色い画面に見えたが、近づくにつれて様々な色に気づく。黒いアゲハがいて、花柄レースには茶色いクッションがおかれて女の頭を乗せている。
ガラスの花瓶に黄色いマーガレットが生けられていることを知るのは、たぶんかなり後。

・ホイッスラーとゴドウィン
ゴドウィンの建築設計図がたくさんでていた。建物の構造がよくわかる魅力的な設計図だった。
中には立版古を思わせるものもある。

ゴドウィン 飾り戸棚(フォーシーズンズ・キャビネット) 四季を表す四人の人物の様子が描かれたパネルがはめ込まれた戸棚。この四人はどうも帝政ロシア末期の画家の絵に仲間がいるように思われる。
中央の戸棚には観音開きのドアがついているが、そこには日本の花頭窓を思わせる窓があった。

ビアズリー サロメの化粧 高校の頃、ようやくの思いでビアズリー画集を見つけだし、学校で「サロメ」と「アーサー王の死」とを複写してもらった。そのときにこの図を初めて知った。それ以前といえば例の「クライマックス」「サロメとヨカナーン」の二枚しか知らず、それもリアルタイムに読んでいた、手塚治虫「MW」で見たのが最初だった。子供の頃に受けた衝撃の大きさは今も消えない。

ホイッスラー ノクターン:黒と金 輪転花火 シュールだが、そんなラスキンが罵る理由がわからない。むしろこの絵は光線絵師・小林清親の作品に似ている。

・ホイッスラーのエッチング
働くホイッスラー。

ノクターン:バターシー地区からみたテムズ川 グレーの変容だけで構成されたような、魅力的な作品。
ロンドンの市街地は青灰色で描かれ、川もその同型色の濃淡で表現される。真ん中に浮かぶ小舟、そこに立つ人影がなにやら怪しい。

ホイッスラーの版画による都市風景が続く。どこか織田一磨の大阪風景にも似ている。

第二章 唯美主義の流行
・唯美主義とグローヴナー・ギャラリー

愛と死 巨大な白衣の人物が家に入ろうとするのを、ちびっこ少年天使が必死で抑えようとする。バラと鳩の家。
顔の見えぬ白衣の大きな人はベックリン「死の島」から来たのかもしれない。

ワッツ プシュケ ベッドの前で全裸で立つプシュケ。床、ベッド、カーテン。配色も沈んでいて、どこか悲痛なものを感じる。
このプシュケはまだアモールを知らないのかもしれない。プシュケを「見る」わたしたちの眼はアモールのそれと同じ色をしているかもしれない。

ムーア 花 20年くらい前かテート美術館展があったときに見たように思う。薄紅色の衣装と背景の小さな花が深く心に残る。綺麗だった。

レイトン 母と子(さくらんぼ) 寝そべる母に幼い娘がさくらんぼをあげる。美しい母の顔。白百合が満開を誇る。背景にある屏風は日本のものか。鶴の絵。
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装身具の実物とデザイン図がいろいろある。
紫水晶をはめ込んだ金鎖の豪華なネックレスがとても綺麗だった。

・ハウス・ビューティフル
この時代、家を可愛くするのに人々は心を砕いた。先般LIXILギャラリーで開催された「ヴィクトリア時代のインテリア」を思い出しながら見てみると、理解がいっそう進む。

ウォルター・クレイン 奥方の部屋 絵本画家として著名なクレインのインテリア系挿絵はいずれも魅力的で、ここでもとても惹かれた。タイル、やきもの、戸棚、いす、暖炉。そしてミルクを飲む猫。くつろぐ部屋なのだった。
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トマス・ジェキル ビリヤード室のデザイン これは客船インテリア図のカラー・スキームを思わせる、実にすてきなデザイン画だった。

ジョージ・エイスチン 客間の装飾デザイン 孔雀のいる装飾欄間、茶色の腰板、薄紅の壁面。とてもいい。

・「美術産業製品」唯美主義のデザイナーと営利企業
美しいものが工業製品になって、手に入れやすくなるのは嬉しい。一般化されるのが惜しい気もあるけれど。

クレイン  腰羽目用壁紙「白鳥、藺草、アイリス」 対称的な構図で構成されている。これはステンドグラスにしてもいいと思う。

ケイト・グリーナウェイ タイル「秋」 グリーナウェイの人気の高さについては、90年代の展覧会以降よく理解できた。やっぱり「可愛い」がいちばんなのである。

ジェフリー社 壁紙 葡萄畑に天使たち。これは日本に来ると金皮唐紙になると思う。エンボス加工されて作られた壁紙。

クレイン イグニス(火)が古典的な姿で描かれたタイル 炎を手にした女が宙を飛ぶ。鬼火とも陰火ともつかぬものをお供にしつつ。

トマス・ジュキル 炉棚の上の装飾 浅浮き彫りの大理石パネル二枚にそれぞれ少年の横顔が刻まれ、それが向かい合うように設置されている。真ん中には凸面鏡。周囲には染付皿。向き合う少年というモティーフを見て北川健次の作品を思った。

第三章 世紀末芸術に向かって

・オスカー・ワイルド、唯美主義運動と諷刺
戯画というか諷刺画ばかり。

・美しい書物(ブック・ビューティフル)

クレイン 幼子の花束 古い詩曲の新鮮な束 挿絵原画集 ペンと水彩で描かれた優しい絵本原画。とても丁寧。

ビアズリー イェロー・ブック 第一号表紙 本当にビアズリーは早熟すぎて、夭折したのも仕方ない、そんな気がする。

・唯美主義におけるデカダンス

ビアズリー アーサー王が吠える獣を見たこと この絵は線が多い、描き込みすぎだと前々から(つまり初めて見た高校の時から)思っていた。これは確か習作ではなかったか。

ビアズリー ヨカナーンとサロメ この二人の対立図を1975年に手塚治虫の「MW」で見たのだった。主人公・結城美知夫がサロメ、彼に翻弄される賀来巌がヨカナーンであり、結局このヨカナーン・賀来はサロメ・結城の誘惑に負けるのだった。
そのころからある種の退廃と耽美への嗜好が、わたしの中で生きている。

サロメのクライマックス、その先行的な「ヨカナーン、私はおまえの口にくちづけしたよ」の二枚も並ぶ。描き込みすぎるところから一年で変容したビアズリー。

チャールズ・リケッツ オイディプスとスフィンクス 旅人に謎かけをして、間違えれば殺してしまうスフィンクス。世紀末芸術ではスフィンクスもまた「ファム・ファタール」であった。
この絵を見ると、スフィンクスにより接触しようとするオイディプスには将来の不吉さがいまだ感じない。
スフィンクスニヨり破滅さしめられたのは、竪琴を持つ詩人、花冠に杯を持つ酒神、そして円い双丘をみせる何者ともしれぬ者。オイディプスもまたスフィンクスの愛を、歓心を買おうとするほかの若者たちと変わりはないのである。

シメオン・ソロモン 月と眠り いかにも彼らしい図。そろそろ彼の回顧展を見てみたい。

ヴィルヘルム・バロン・フォン・グローデン シチリア人の少年の頭部 この写真を撮ったグローデン男爵については、久世光彦「昭和幻灯館」で知ったと思う。昭和の末頃の話。ドイツ人の男爵は本国を離れ、異国の少年たちの姿態を当時最新のメカたるカメラで撮り倒した。
男爵の嗜好を露わにした写真集を、いつかじっくり見てみたいと長らく思っている。
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・輝かしい落日 唯美主義後期の絵画と「ニュー・スカルプチャー」

フレデリック・エヴァンス 階段の海 非常に魅力的な写真。わたしは階段への愛着が深いので、この「階段の海」に溺れたいと思った。どこに存在するのだろう、この階段は。どこに存在したのだろう、この「階段の海」は。溺れながらそんなことを考える。

ワッツ 内奥の世界の住人 羽を持つ女は物思いに耽る。手には吹かぬままのラッパがある。そこには赤い糸が何本も絡みつく。
ワッツの「希望」を思い出す。目隠しの女がもつ竪琴の糸は切れていて、しかし一本だけはなんとか残る。
ワッツにとって残された糸とはどんな意味を持つのだろう。ずっとその理由を知らないままでいる。

ムーア 真夏 今回のチラシにもなった。まさに「唯美主義」の最たるものかと思う。

唯美主義の本質は、日本の「やおい」にも通じるものなのではないかと思った。
深いときめきに溺れながら、至福感がふつふつと沸き立ってくる。
十代・二十代の頃のように、英国芸術の虜囚になるかもしれない。そんな予感がある。

もっと、溺れたい。
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