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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ラファエル前派 英国ヴィクトリア朝絵画の夢 1

ラファエル前派に惹かれるようになったのは、やはり少女マンガが機縁となってのことだと思う。
先日三菱一号館美術館の「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」での感想でもそのことは挙げている。

思えば80年代後半に実際のラファエル前派の作品を目にして以降、手に入る限りの本を集めてきた。
その道のりを思うと、今回森アーツセンターでこのように大がかりな「ラファエル前派展」が開催されるのは、本当に夢のようだった。
この展覧会は「テート美術館の至宝」と銘打たれているように、英国のテート美術館からの作品群で構成されている。
(実際、図録で見ていた作品や折々の貴重な展覧会で見てきた作品が多い。)
英国ヴィクトリア朝絵画の夢。
まさにその通りなのだ。
わたしは先に唯美主義に耽溺してから、こちらへ向かった。

1.歴史
ジョン・エヴァレット・ミレイ マティルダ王妃の墓暴き  ペン画による戯画風なタッチが面白い。

フォード・マドックス・ブラウン リア王とコーディリア  王の死。ボロもボロな。テントの中へ集まる人々。演奏はついてくるが、シケている。指さし手つきの杖は指南杖にもならず、王の死のみじめを感じさせるばかり。

フォード・マドックス・ブラウン 黒太子45歳の誕生日にシーン宮殿で父エドワード三世と廷臣たちに「クスタンス姫の伝説」を読んで聞かせるジェフリー・チョーサー
(エドワード三世の宮廷に参内したチョーサー)  やたらと長いタイトルだが、状況説明になっていて、納得する。話を真面目に聞く人々もいれば、他のことに興ずる人もあり、大人だけでなく子供もいたりする。犬を抱っこする少年もいた。

ウィリアム・ホルマン・ハント クローディオとイザベラ  死刑囚になった兄のために命乞いをした尼僧の妹に自分と寝ることを条件にする敵方。妹は信仰心の硬さから、兄に死んでくれと覚悟を求めに来た、その状況。
シェイクスピアの「尺には尺を」から。
いかにもシェイクスピア的な人間関係で、わたしは好まない。
兄の顔つきを見てても、うむ早く神の身元へ行け、と言いたくなるな。

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ジョン・エヴァレット・ミレイ マリアナ  こちらも前述「尺には尺を」のキャラ。フィアンセに捨てられ、しょんぼりと刺繍中。うーん、とばかりに腰を伸ばす。綺麗な絵のガラスがある。物語を別としてもこの絵は以前からとても好きだ。
ガラスの絵は受胎告知だろうか。壁は金皮唐紙風な。マリアナの群青色のドレスはベルベットのような質感を感じさせる。床に枯れ葉が落ちているのがせつない。

ジョン・エヴァレット・ミレイ オフィーリア  20年前だったが、日本に来た時見ている。色んなオフィーリアがあるが、やはりこのオフィーリアがいちばん有名だとも思う。公開当時、田渕由美子「桃子の場合」にこの絵を見に行く話がある。大混雑の中で見ているとき、隣の奥さんが「あら死んでるわ」と言うのを桃子が聞き、なんとなくうんざりする。その様子を今も忘れない。
とはいえ、わたしはこのオフィーリアに死体を感じないのだったが。
2008年、ブンカムラでミレイ展が開催された。当時の感想はこちら
あのときもチラシのメインは彼女だった。そのときのチラシを挙げる。
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ジョン・エヴァレット・ミレイ 釈放令1746年  ジャコバン派の関連の絵。政治的背景はあまり知らない。夫の釈放令を持って現れる凛々しい妻。赤ん坊を抱きながらきりっとして、腕を釣ったキルトスタイルの夫を請け出す。犬も大喜び。

ヘンリー・ウォリス シェイクスピアが生まれた部屋  がらーーん… これはしかし、今もあるのだろうか。

アーサー・ヒューズ 四月の恋  薔薇の咲く辺りに立つ娘。幸せそうな頬。ストールが素敵。

アーサー・ヒューズ 聖アグネス祭前夜  トリプティクのようになっている。なんとなく世俗的で面白い。右はカップルと犬や猫。中はベッドの女のもとへ来る吟遊詩人。左は建物の灯りを眺める男。
それぞれの事情を想うのも楽しい。
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フィリップ・ハーモジニーズ・コールデロン 破られた誓い  喪服の女が哀しく塀の内にいるが、塀の外では幸せそうな新しい恋が実っている。小さなバラの花が咲くが、彼女の慰めにもならない。

ヘンリー・ウォリス チャタートンの死  むかし、千露さん、lapisさんと好きな絵ばかりを集めたネット上のギャラリーバトンを開催したことがある。
わたしはそのとき「チ」にこの絵を挙げた。
ミレイのオフィーリアに死を感じないわたしでも、チャタートンのこの様子には明らかな死を感じた。解説ではわりと破滅的な生の果ての死を予想させたが、わたしにとってはあくまでも坂田靖子「青絹の嵐」のそれを思い出させてくれるのだった。
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ウィリアム・モリス 麗しのイズー  わたしが見た最初のモリスの仕事はこの絵で、だからわたしは彼が美人画が本分ではないことを知ったのは、ちょっと時間が経ってからだった。改めて眺めると、みかん、犬、歌う人がみえた。

ウィリアム・ホルマン・ハント シャロットの姫君  これは印刷の方なのでモノクロ。カラー版しか知らない。

アーサー・ヒューズ ロムニーを退けるオーロラ・リー(逢引き) 百合の咲く傍らに立つ男。薄い青緑色の服を着た女は本を手にして立つ。足下の草花も同じ色。

2.宗教

フォード・マックス・ブラウン よき子らの母 二組の母子がいる。手前に聖母子、奥にヨハネとエリザベツ。静かな情景。そしてこんなに幼いのにもう将来の一部が示顕している。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 画家の家のキリスト(大工の仕事場) この絵が発表当時批判されたというのは英国社会のありようが見えてくる話でもある。神の子をリアリズムを以て描いてはいかん、ということ。
「聖☆おにいさん」でイエスが履歴書に「ヨセフ建設入社、ヨセフ建設自己都合で退社」とか書いてたのがあったが、あのマンガが大英博物館で展示されてたことを思うと、本当に時代の流れというのを感じるなあ。

ジョン・エヴァレット・ミレイ 両親の家のキリストの習作  羊たちがいっぱいのぞいているのが可愛い。ストレイ・シープたちに見守られている聖なる幼子なのか。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)  「えっどうして、わたしなの??
」という初々しいマリア。本当に少女という感じがある。

フォード・マドックス・ブラウン ペテロの足を洗うキリスト  ナマナマしい実感のある、足を洗う図。ユダもいる。わたしはこのシーンを見ると必ず太宰治「駆け込み訴え」を思い出す。

チャールズ・オールストン・コリンズ 修道院の思索  手に花一つ摘む尼僧。二種類の百合が咲いている。池には睡蓮。初夏のある日。どことなく伊藤潤二えがく美少女を思わせる尼僧。

ロセッティの描く聖女二人がある。「聖カタリナ」「ナザレのマリア」。洋画には「美人画」という分類はないが、ロセッティの描く女たちは悉く「美人画」の範疇に入れてよいかと思う。
聖カタリナはアイテムとして車輪を持ち、ナザレのマリアは野で働く姿を見せるが、どちらも「宗教画」<「美人画」である。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 礼拝  トリプティク型で、東方の三博士がきて、窓の外には天使もきて、屋根の隙間からもいろいろ、枠の向こうには多分馬もいて牛もいて、というにぎやかな場。

ウィリアム・ベル・スコット 大洪水の前夜  戯れ・戯け・楽しそうな王と女たち。ノアたちは箱船へ。豹ファミリーもいて、特に子供が可愛い。鶴か朱鷺かも飛ぶ。
洪水なんか来るかい、と思うてる王にすれば、この船は極東の紀伊の国の補陀落渡海船となんら変わることのないものだったかもしれない。(渡海船はもっともっと後年だが)

3.風景

ウィリアム・ホルマン・ハント 幽霊屋敷  水が流れている。奥に屋敷が見える。林もある。近・中・遠景が一つの場に収まり、不気味な効果を上げている。

トマス・セドン 謀略の丘から望むエルサレムとヨシャファトの谷  山羊か羊かがいっぱいいる。ふつうに風景として見るべきなのか、物語を思うべきなのか。

ジョン・ブレット ローゼンラウイ氷河  油彩ではあるが、この氷河の冷たさはウィリアム・ブレイクの霊の世界のようにも見える。

ウィリアム・ダイス ペグウェル・ベイ、ケント州 1858年10月5日の思い出  ドナーティ彗星が来たらしい。上空になにやらそのような気配。下では人々が。

長くなりすぎるので一旦ここで終わる。
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