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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

江戸の食文化

だいたいが生まれついての「イヤシ」である。
「イヤシ」とは「癒し」=ヒーリングのソレとは違う。
標準語では「食いしん坊」くらいの意味になるが、そこにまた少々ヤヤコシイようなニュアンスが加わる。
要するに、おいしいものに執着するだけでなく、食べること自体に積極的で、深入りしやすく、何より食い意地が張っている、そんな意味合いの言葉だといっていい。

大阪は「なにわ」の昔からそんな「イヤシ」の人間が多い。
ただし、この「イヤシ」と言う言葉をほめ言葉のつもりで使うと、それこそ「えらいこと」=なんぎなこと・とんでもないこと、になる。
仲良しの同輩同士で「ジブン(あんた~おまえの中間くらいの呼び方で、<親しい>同輩もしくは下位のものへの呼びかけ方の一つ)、イヤシやな」と言うのはよろしいが、親しくない人や目上の人などに向かって「アナタサマはイヤシなのですね」などと言おうものなら、もぉ明日からアナタの席はなくなる。
明るい軽侮・揶揄がそこに含まれ、しかもそれはニュアンスの通じるもの同士でないと決して使うてはならぬ言葉でもある。

だから自分で(この場合の自分とはまさに本人=わたし自身の意味である)、「ちょっとイヤシで」と言うのは謙遜+ある種の自慢+愛嬌の交じり合った宣言なのである。

延々と何を言うかと言えば、このたび石神井公園ふるさと文化館での「江戸の食文化」展を見に行って、本や絵や作り物の(要するに実物ではない)食べ物を見て、ヨダレたーらたらになった自分を「ああ、ウチはホンマにイヤシやな~~!!」と改めて強く実感したからである。
この展覧会は「江戸の」「食文化」と銘打たれているが、「江戸時代の」ではなく、「お江戸の町の」「食文化」展だから、<ぜーろく>=贅六たるわたしが見に行って、ヨダレたらしておるのは、本当のところどうなのだろう、とちょっと反省もしている。
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江戸時代の、まさにお江戸の食生活についてのなんだかんだを集めた展覧会で、以前に味の素の資料室でも2010年に「錦絵に見るパロディーと食」といったこんな展示を見たり、深川江戸資料館の常設展示で稲荷の屋台やてんぷらの屋台を見てきたとはいえ、やっぱりこの展覧会は面白いものだった。
行った日には随分多くのお客さんも来ていて、皆さんやっぱりヨダレをたらしそうなお顔で見て歩いていた。

江戸時代の料理・食生活については、細かいこと・詳しいことはそれこそ江戸料理研究家の永山さんの著作辺りに詳しいし、小説家の池波正太郎の「仕掛人梅安」「剣客商売」「鬼平犯科帳」などで学ぶのもよろしかろう。
今はまた「みおつくし」という江戸料理小説もあるか。
上方は歴史が古いのとイヤシの人間が多かったのとで、大昔から料理法に血道をあげて、おいしいものを発見・発明し、それを惜しみなく輸出していった。
輸出先の一つにお江戸がある。
「上方くだり」の酒や調味料がお江戸にも行き渡り、そこから新たな工夫も生まれ、土地に合う味付けや調理法が開発されていった。
この展覧会は、そうした時代から明治初期までのおいしいものばかりをチョイスした内容で構成されている。

最初に寿司の屋台が出ている。これは半田市にルーツをもつ酢メーカー「ミツカン」の所蔵品。お寿司の模型もあるが、それがまたとびきりおいしそうに出来てやがる。
このお寿司は今で言う「握り寿司」で、アナゴ、コハダ、白魚、海老、赤貝、タイ、イカなどで、ちょっと一回りほど大きい。模型だから誇張と言うのではなく、この頃のお寿司は今より一回りご飯が多かったそうだ。
ああ~~おいしそう。ナマザカナではなく酢で締めたのが当時の拵え方だったとか。
化政期の話。それまでは押し寿司、その以前は熟れ寿司。
見てるだけでヨダレが湧いてくる~~

実はこの展示を見る前に、館内のうどん屋さん「エン座」で武蔵野に根付くうどん文化を体験したのだった。
わたしは蕎麦はダメだが、うどんは本当は毎日でも食べていたいと思っている。
それも今流行の讃岐系ではなく、昔ながらの大阪のうどんがいい。それやつるつるの稲庭うどんもいい。ただしダシはあくまでも昆布だしでないといやや。
まぁそれはともかく、ここでいただいたうどんは硬いコシのある麺でズルズル食べることになったが、おいしかったなあ。地元の人気なのも納得した。
こういうので大満足・大満腹になったから、展示見ててもヨダレたらたらくらいですんだのである。
もし空腹のまま展示を見てたら、噛み付いてた可能性もナキニシモアラズ。ああ、おいしそう。

模型といえば、深川からは八百屋に並ぶ野菜模型が来ていた。
練馬大根などは今でも知られているが、砂村大根、砂村南瓜、砂村茄子、滝野川人参、滝野川牛蒡などは初めて知った。
砂村は現在の砂町で、「砂町銀座」の商店街は都下有数の繁盛する商店街。
砂村といえばこんなにたくさん野菜が出来るくらいの農地を抱えるくらいだから、まぁ当時は人の姿も少なかったろう。
芝居の「四谷怪談」にも「砂村隠坊堀」が出てくる。本当にそんな地名があったかどうか前は覚えていたが、今は忘れている。深川三角屋敷はあったから、隠坊堀もあったろう。

そういえば「御宿かわせみ」では江戸川や荒川の向こう、どうかすると行徳の辺りから野菜の行商の船が来ていて、丸々肥った野菜が安くて、「かわせみ」の女中頭お吉が喜んで購入していた。その船ではついでに農家のおかみさんが拵えたあんころ餅や紫蘇餅も販売していたが、幕末だとそんなものもあったろうね。

江戸の八百屋といえばすぐに「八百屋お七」を思い出すが、わたしはもう一つ横山光輝のマンガを思い出す。忍者の中でも特に極秘任務の「草」たる夫婦が八百屋を営んでいたという設定の作品があった。ちょっと今はタイトルが思い出せないが、江戸の八百屋か~と子供心に興味を持ったのだった。

その八百屋から出発して料亭として名を成したのが「八百善」である。
ここには八百善の立版古(江戸では組み立て絵と言うた)が展示されていた。
いや~素晴らしい。料亭文化については浮世絵の美人画とタイアップしたものも見てきたが、こういうおもちゃ絵にもなるところが見事。
現在、八百善は鎌倉に移転している。鎌倉は歌舞伎では江戸に見立てられた土地なので、決してその場に移転したことをおかしいとはおもわない。
それに明治初期の東京下町に生まれ育った鏑木清方も東京を捨てて、鎌倉住まいを愉しんだ。そのことから考えても、やっぱり鎌倉へ転居したのはむしろ正しい気がする。

柴田錬三郎の「御家人斬九郎」はTVドラマにもなり、主人公の松平斬九郎を渡辺謙が、母の麻佐女を岸田今日子が演じていたが、この母上が大グルメで、原作では八百善の料理にもいちいち口を出していた。実においしそうだったなあ。

四世鶴屋南北いわゆる大南北の人気作「櫻姫東文章」終盤に、櫻姫と同棲する、もとは忍ぶの惣太といった武士で、途中「折助」にもなった悪者の権助が、いまや借家を持つ大家さんとして近所の講のつきあいに呼ばれる。
八百善の仕出しだと聞いた権助は将にヨダレを垂らさんばかりにホイホイと出かけてゆく。
やがて権助はご馳走を食べ、酒も楽しく飲んでへべれけで帰宅して、実名の忍ぶの惣太のときに犯した犯罪を口走り、櫻姫に討たれてしまう。
悪い男だが、櫻姫とは案外仲良く暮らしていたので可哀想に思うのだが、まぁ八百善のおごっつぉをたらふく食べて、散々飲んでええ気持ちのところでコロされるのだから、それはそれでまぁちょっとばかり可哀想さが薄れるのであった。

南北は作中に実際のお店や商品名を入れたりするのが得意な作家だった。
権助が喜んでコロコンデ出かけるのも「八百善」だからだというのは、リアルな実感があったろう。
わたしだって△△や○○の仕出しだと聞けば、ホクホクしながら出かけるのは間違いない。

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江戸は長屋が多く、食生活も現代の中華系の人々のように、外食が多かった。
屋台がたくさん出ていたので、みんな喜んでいたのだ。
シンガポール、マカオ、台湾、香港、上海、そのあたりに出かけた人なら、わたしの意見に納得してくれるだろう。屋台で安価においしいものがすぐに食べられるのだ。
タイは行ってないが、こっちもそうだと聞くし、ベトナムもよかったなあ。
屋台はアジアの食文化の特徴だといっていいと思う。どこのもたいていおいしい。

幕末の「守貞謾稿」にも当然ながら屋台の紹介がある。
そば、すし、いなり、てんぷら・・・
当初はお江戸もうどん文化圏だったことを知る。武蔵野にうどん文化が残る理由もこの展示から教わった。そうやったんか~~~
やがて江戸市中では蕎麦が大人気になり、うどんは輪の外で残る。

芝居で蕎麦屋といえば浦里にひそかに会いに行く時次郎が蕎麦をかっこよくすするシーンがある。かっこよさを際立たせるために、その直前に岡っ引きたちがずるずると食べるシーンを出す。
皆さんそれにソソラレて蕎麦を食べるわけだが、わたしなんぞは岡っ引きたちの食べっぷりにゾワゾワして「ああ、早よ大阪帰ってうどん食べたろ」と思うばかりだった。

落語ではもちろん「時蕎麦」がある。小説では「御宿かわせみ」の深川・長寿庵のそばが高名。わたしは蕎麦は食べないのでこれ以上は知らない。
あ、井上ひさしの戯曲「薮原検校」のラストに蕎麦が痛切な使われ方をしていた。
こればかりは説明するのが痛々しい。

てんぷらの屋台やそれらを描いた本もある。
お江戸のてんぷらはごま油を使う。わたしは完全にそれがダメで、サラダ油でないといや。
だいぶ前に浅草橋から屋形船に乗って隅田川を遊んだが、揚げたてのてんぷらを食べたものの、全部ごま油で、しかもてんつゆに生姜を大量に摩り下ろしたものが入っていて、わたしはアウト。生姜も好きだが、この取り合わせは絶対に受け入れられない。
それはやはりわたしが関西人だからだ。
今思い出しても胸焼けする。しかし船のお兄さんたちは皆さん親切で、苦しむわたしを介抱してくれた。あのときはありがとうございました。
最近は東京でもサラダ油や綿実油を使うてんぷら屋が出てきたのでたいへん助かる。

蒲焼。嘉永五年の江戸前蒲焼番付が出ていた。
関西風と関東風のうなぎの調理法の違いは大きい。
関西住まいだから普段は関西風だが、関東や信州に行くと、関東風の蒲焼を「むまいむまい」と食べてしまう。名古屋に行ったら「ひつまぶし」を食べてやっぱり「むまいむまい」
・・・要するにうなぎは美味いのだ。がんばって月一回くらいは食べれる身分になりたいものよの~~

蒲焼の調理法の変遷については、池波正太郎「剣客商売」に詳しい。それにしても番付を見ると、現在も続く店がいくつかあって、思い出すだけでヨダレが湧いてくる。

近年、母がとうとう「うなぎもてんぷらもおでんも食べたくないし作りたくないから、あんた、食べたいなら外で食べて」ということになり、キッチン権を持たないわたしは東京ハイカイ中に、喜んでうなぎにてんぷらにおでんを食べているのだった。
料理自慢で手作りにこだわる母と暮らすと、普段はなかなか外食が出来ないので、東京でしかこれらを食べることが出来ない。
人と会食するのも昼に決めているので、わたしの食生活と言うのはある意味幅がせまいのであった。

いろんな看板があった。看板は蕎麦に味噌に酢に海苔に餅など。国文学研究資料館から出てきたものたち。わたしは2006年に旧東海道の道沿いにある、昔の看板ばかり集めた看板ミュージアムに行ったが、ここにある展示品のお仲間がたくさんあった。平日だけの開館だが、今も元気な展示をされているのだろうか。
その看板を錦絵にしたものが明治18年に出ている。小林永濯の絵。江戸時代から同じ看板もあれば、明治らしいものもある。牛乳、西洋料理、パン、めりやすなどがそう。
とても面白かった。

グルメガイドブックもある。いいねえ。それで思い出したが、白石次郎「十時半睡」事件簿シリーズの中で「包丁ざむらい」という一篇があった。
グルメで腕も確かな侍が新しい上司と衝突し、長崎奉行として飛ばされるのを、黒田藩の総目付けである半睡老人が慰労しようとすると、その侍は卓袱料理の楽しみについて熱意を持って語り、帰藩の折には必ずやご老体をうならせる美味な料理を、と言うのだった。
あのシリーズは原作もよし・TVドラマになったときの島田正吾がまた特によしで、忘れられない名作となった。
「包丁侍」とはうまいタイトルだと思っている。
(関係ないが「猫侍」もおもしろかったな)

江戸の人は相撲番付と同じ様式で他のものにもランキング付けをするのが大好きだった。
わたしもそうした資料を見るのがとても楽しくて、熱心に眺めた。
扇屋のたまご焼き、笹の雪のとうふ、山本山の海苔・・・
いいなあ~字面を見ているだけでわくわくしてくる。

ああ、実においしそうな展覧会だった。
なお、無料スペースではモースのグルメ日記のようなものがパネル展示されていた。
モースも日本が好きになって、食生活もスライドしたらしい。

明日までの会期。
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