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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

森田りえ子 花らんまん

御影の香雪美術館で森田りえ子の展覧会が開催されている。
近年いよいよ彼女の世界は広まり、美は一層の深みを増している。

チラシの舞妓さんのたおやかな姿。枝垂桜の花の中に佇み、白い手で細枝を掴む。髪にも花簪、着物にも春の花、襦袢にも花。
可愛いこっぽりの踏む地には花びらが散らばり、すぐそばには白椿が豊かに咲く。桜の根元には菫。
絵のタイトルは「花の下」だが、彼女のいるこの枠の内こそが展覧会タイトル「花らんまん」そのものなのだった。


森田りえ子の描く題材のうち、最も魅力的なものは椿だと思う。
2007年製作の金閣寺本堂の杉戸絵や客殿の天井絵などを見る機会があったが、やはり惹かれたのは椿だった。

柊野五色椿
イメージ (8)
ここの画像では鬱屈するほど小さくしか挙げられないが、ガラス越しとはいえ間近で見たときの喜びは、これは同じ体験を共有した人でないとわかってもらえないかもしれない。
素晴らしく立派な、大きな椿花だった。
一つの花自体がわたしの拳くらいあった。
こんなに大きな椿の花の絵はほかに見たことがない。
なんて立派なのだろう、そしてなんと美麗なのか。
金屏風に豊麗に咲きこぼれる椿。
同じ木から生まれた花は、さまざまな装いを見せる。
紅、白、斑、薄紅、遺伝子の不思議を感じさせる花びらの色彩。DNAの螺旋の曲線から生まれる花の文様。
間近に見ることのできる喜びに満ちながら、絵を「鑑賞」した。

森田りえ子の椿や桜の良さばかりを綴っているが、彼女自身は糸菊を描くことを喜びとしているようだった。
「白日」と題された絵は彼女を世に出した。
まるで白い花火のような菊たち。
この綿密で繊細な仕事を完遂したことでどんな絵も描けるようになったのかもしれない。

イメージ (6)

雨後 花菖蒲を描く。ひっそりと咲く花菖蒲。目を見開かされるような鮮やかさ・艶やかさはないものの、しっとりした風情がある。枠に収められた空間の外はどのような状況なのか。もしかすると大きな蛙がいるかもしれないし、夜の闇が忍び込み始めた空間が広がるのかもしれない。

ゆく夏 朝顔とススキと芙蓉とが同居する。夏の終わり、高い温度を保ちつつも少しずつ秋が近づいている。
ゆっくりと倒れかかりゆく花。そこにこそ「ゆく」夏がある。

秋華 丸い菊、糸菊。華やかな秋の喜び。わたしはこの絵を見て、相楽園に展示される菊の品評会を思い出した。

建仁寺茶碑「春うらら」 栄西禅師が茶を日本に紹介したということで、顕彰碑が建てられている。
ちょうど今、東京国立博物館で「栄西と建仁寺」展が開催されているので、嬉しい気がする。
碑に枝垂桜が優しく落ちかかる。

熱国彩夢・日 ハイビスカスと蝶々
熱国彩夢・月 ブーゲンビリヤとダチュラとカマキリ。
心地よい熱がじわじわと肌に広がるような空間で、花と虫とに逢う。

イメージ (7)

月次行事を扇面に描いた連作がある。2009年の作品。
お正月 モチ花の下に駒玩具と紅梅
上巳 桃の花を眺めるような犬筥二つ。菱餅が供えられている。
端午 卵色地に菖蒲。
七夕 笹の葉飾りに蛍たち。宵すぎの頃。
重陽 糸菊の優美な姿。

小襖のための絵
日 金銀砂子を刷いた上に様々な蝶たち。色とりどりの美。
月 満月になりきれぬ月にかかるように、クモの糸とブドウ。
これらは森田の好きな題材なのかしばしば変奏曲をみかける。

山茶花 白地にほのぼのと薄い紅色がさしている。近年になりわたしもようやく山茶花の良さがわかるようになった来たように思う。

風薫る 藤にモンシロチョウとアブとがくる。五月のある日の午後。

生きる こういう状態の咲き方を「百合咲の椿」というそうな。うつむきつつも却って話し声はやかましく喧々囂々、そんなイメージがある。
イメージ (5)

バリの踊り子 絢爛豪華な女がいる。とてもかっこいい。

東大寺の絵馬を長く続けているとか。
2007年の子年から2014年、今年の午年まで半周まで来たところ。
可愛く向き合うネズミ、賢そうな牛、奴凧でトラ、蛇のカラオケ…

薬師寺の散華も森田だった。
限られた枠の中でも表現力は高い。
いとしい花たち。

素描も出ていた。鉛筆で肥痩と濃淡とを描き分け、花の影を捉える。
素敵な素描だった。

毎年新作がとても楽しみな、数少ない画家の仕事を楽しんだ。
5/11まで。
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