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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

バルテュス展

東京都美術館の「バルテュス」展内覧会に出かけた。
凄まじい混雑の中、わたしはイヤホンガイドで外の音声を遮断し、時折こちらに語りかけてこられる節子夫人のお話を聞きながら、作品をみつめた。
イメージ (9)

バルテュスの展覧会は93年の東京ステーションギャラリー以来だそうだが、わたしはその展覧会を知らない。
それ以前は84年の京都での回顧展があったそうで、そちらは見てはいないが、90年に金子國義の画集の中のエッセイでそのことを知った。
当時わたしは金子國義に熱狂していた。
主に彼の青年たちを熱愛していたのだが、金子の世界には燦然と輝く「少女」という存在がある。
少女を美の極限だとみなすのは金子だけでなかった。
バルテュスが金子の先人としてその道にいた。
金子とバルテュスとの共通点を思う。
スタイリッシュな美を生み出す画家。
そのことをまず思った。

少女を描く、そのことを思う。
少女を無垢なものとして描くか(たとえば水彩の名手いわさきちひろ、カラーインクの魔術師たる永田萌の少女は永遠に無垢である)、少女の持つ美から放たれる冷酷さをとどめ、官能性を隠すことなく描くか。
そして描かれる対象たる少女は両極端なものを同時に存在させている。
しかし画家はどちらを選ぶかを強いられる。

わたしはバルテュスの描く少女を見るのが怖かった。
かつて自分もまた「少女」だったが、バルテュスや金子の描いたような美を持つとも思えず、ちひろや萌さんの少女のような健気さも思い悩むさまも持っていたかどうか忘れている。
なんという遠さだろう。今や完全なる他者として、わたしは「少女」を見なくてはならず、バルテュスに描かれた蠱惑的な少女たちを憎む可能性もそこにはあるのだった。


初期の作品を見る。
まだ幼かったバルテュスと彼が愛した猫のミツとの物語を描いた作品。
猫との別れを描いた少年のせつない物語が展開する。
この作品は誰もいないときに一人でじっ と見ていたいと思う。
やさしく、せつない物語を。

1920年代のバルテュスは戸棚や木材に中国風な人物を描いている。
清朝崩壊後の中国は混迷時代を迎え、列強の思惑に翻弄されている時代だったが、若きバルテュスは政治も歴史も離れ、自身の好むものとして描いている。

この絵が描かれた頃、バルテュスは家族と共に暮らしていたのだろう、とそんなことを想像する。
わたしはバルテュスより先に彼の兄で、神学者でありサドの研究家であるピエール・クロソフスキーに熱中していた。
それは89年の3月につかしんホールで開催されたクロソフスキー展から始まった。
老境に入ったピエール・クロソフスキーはどういうわけか少年愛に惹かれ、そうした作品を色鉛筆で描いた。
中村真一郎もそうだが、老境に入った作家が少年の美しさに惹かれるようになる、というのはとても興味深い。

兄はそんな風だがバルテュスは生涯にわたって少女の美と猫の魅力とを追求した。
この展覧会での展示品の内、最も後年のものは風景画だったが、そうそう簡単に愛したものは変わるわけもない。

初期から中期、そして晩年に至るまでの、ひどく気になるものばかりを挙げてゆきたい。

「嵐が丘」のための14枚の挿絵 1933-1935  この初期作品に後年の構図などが活きている、という解説を聞いた。
そうなのか、と思いながら見てゆくと、確かに腕ののばし方・人と人の距離感などにわたしたちのイメージするバルテュスの構図、というものが存在する。
ヒースクリフは若き日のバルテュス自身の肖像でもあるらしく、彼の眼は非常に鋭い。
キャシーの不機嫌さというものが画面に横溢していて、ある種の緊迫感が常に満ちている。
物語の非情な展開、激情と執念とがバルテュスの絵により、明らかな形となって表れている。
物語絵が好きなわたしとしては「ミツ」とこの「嵐が丘」を手元に置きたいと思った。


第2章 バルテュスの神秘
少女たちが、いる。

鏡の中のアリス 1933 知人なのである。その奥さんをこのように描く。モデルもそれを面白く思っていたのか、それとも完成作を見て機嫌が悪くなったのか、そのあたりのことを知りたい気がする。
何故白目をむくのか。白目をむいて片足を椅子に上げ、片胸をはだけている。そして短いスカートからははっきりと性器がみえる。それも他の作品に描かれたそれらとは違い、暗褐色で表現される。
いやなものを見た、と思うわたしは芸術に不寛容なのかもしれない。

キャシーの化粧 1933 先の「嵐が丘」のキャシーなのである。彼女は素肌にそのままガウンをひっかけただけで、しかも前を完全に開いている。老女中はお嬢さんのそんな様子に慣れているのか、特に気にすることもない。
白大理石の彫像のようなキャシー。そしてそのそばで男が足を組んで椅子に座るが、三者は全く視線を交わさないままである。
このキャシーはまだ少女のようにも大人のようにも見える。
キャシーの性器は幼い少女のような様相を呈している。
しかしこの絵は「嵐が丘」そのものではないという。
若い男はヒースクリフではなく、バルテュスでもあり、そしてこの情景そのものも男の見た過去の情景だという。
二重構造の面白さがあった。


わたしはこの時代のヒースクリフはじめバルテュス自身の肖像画、自身をモデルにした若い男の絵全てにどこかアラン・ドロンに似たものを感じる。
それはバルテュス自身の自己愛から来ているのかもしれず、それをそんな風に感じ取っただけかもしれないが。

猫たちの王 1935 やたらと長い足を延ばした若い男がいる。その長い脚にすりすりする大きなキジネコ。そう、彼こそが「猫たちの王」なのである。
そしてその宣言は傍らのボードにも書かれている。ボードを立て掛けた椅子には鞭が置かれている。その鞭はいつ振るわれるのか。
自分の下僕である猫たちに振るうようなことは、しないでほしい。

実はこの絵、むかしむかし何かの雑誌で紹介されたとき、わたしはついつい猫を中心にトリミング・カットしてしまい、今も手元に残しているのだった。

<山(夏)>のための習作 1935 これは習作ということだが、完成品というのか、そちらを随分前に見ていると思う。今もその時と同じ感想が胸に浮かんでくる。
「なぜここで倒れているのか」
気にしても仕方ないことを延々と考えている。

夢みるテレーズ 1938 少女が美しい横顔を見せている。無防備な足は立膝によって下着がはっきりと見えている。白いシャツ・白い下着・オレンジ系のスカート・オレンジ系の靴。そばで一心にミルクを飲む大きな白ネコ。壁はオレンジに泥を混ぜたような色。
あらわな下着を見ると、影としてか煉瓦色が三角形の形に塗られている。そんなところにそんな色を使うのか。
洗いたい、と思ってしまった。

ピエール・マティスの肖像 1938 画家のマティスの息子でニューヨークの画商。彼の画廊でバルテュスの絵が「アメリカ」に紹介され続けたのだ。
そのマティスさんのダンディな姿。この人は服をきちんと着こなして、「椅子に片足をおいて」いる。
このポーズは少女や女にだけ許されたものではないらしい。この人のこのポーズからのぞくものは赤い靴下だけである。

おやつの時間 1940 第二次大戦に動員されたがすぐに帰還したバルテュスが、妻と共に各地を転々としていた時代、一時期住んでいた農家の娘がモデルだと言う。
こうした背景を知らずとも、絵からはたいへん不安なものが感じられる。塊のパンに突き刺さったままのナイフ、皿から飛び出してきそうなリンゴ、眉宇になにかしら重さをみせる少女の顔。
不安さに動悸がする。

美しい日々 1946-1948 赤々と燃え盛る暖炉のある部屋で立て膝をしながら片胸をはだけつつ、手鏡に見入る少女。少女の持つ手鏡、履くスリッパ、傍らの洗面器のみが白である。汚れることはあっても白は白であり続ける、そんな白色である。
そしてこの少女はまるで聖母のような顔をしている。大きく足を開きながら。
暖炉に木をくべ続ける男はバルテュス自身だと解説はいう。燃え続ける炎は彼を赤く照らしだしている。

決してこない時 1949
猫と裸婦 1948-1950
どちらの絵もイスにもたれた女が頭の上あたりにいる猫に手をさしのべている構図をとっている。
そしてもう一人の女が背を向けて窓のところに立つ。
習作も併せて数点が並ぶが、猫たちがそれぞれ違う様子を見せるのが面白い。
猫との関係性がひどく好ましい。

地中海の猫 1949 ファンタジックな絵。これはパリのシーフードレストランのために制作されたものだという。
地中海から虹が立ち、その虹の色それぞれが魚になって、猫頭の男の皿へ飛び込んでゆく。ナイフとフォークを持って赤い口を開ける猫男。テーブルの横には大皿からはみでる伊勢エビも乗る。ボートには少女がいて、こちらに手を振っている。魚は一旦は猫の皿に載るのだが、どうやら再び海へ向かいそうな気配がある。
果たして猫は魚を食べることができるのか?

第3章 シャシー 田舎の日々

横顔のコレット 1954 ぼんやりしつつ、とてもきれい。
薄青色のセーター、赤い背もたれ、黄土色のテーブルやスカート。静かな横顔。深く惹かれた。

この章ではバルテュスの義理の姪をモデルにしたものが現れるのだが、義理の姪というのでわたしはピエール・クロソフスキーの妻「ロベルトは今夜」のロベルトを思い、更にトマス・ハリスの生み出したモンスター「ハンニバル・レクター」を思い出した。
レクター博士はトマス・ハリスの世界では「ピエール・クロソフスキーとバルテュス兄弟の従兄弟」に当たるそうだ。

第4章 ローマとロシニエール

トランプ遊びをする人々 1966-73 目つきの悪い二人の男がいる。これは歌舞伎の見得を取り入れたとか。
暗闘(だんまり)を思わせもする。

ここで節子さんの若い頃を描いた素描が何点か現れる。
いずれも二十歳の節子さんである。60年代初頭の和風な面立ちの美人。深い知性を感じさせるが、やはりどこか機嫌の悪さが漂うようである。しかしそれでこの若い娘の魅力が半減するかといえば逆である。
そこにこそ味わいがある。
魅力的な素描だった。

やがて節子さんがモデルになった作品が現れる。

朱色の机と日本の女 1967-76 白い肢体、東洋的な体つき、静かな顔、柔らかな腹、朱唇。
鉢巻と腰紐。屏風の縁と殆ど脱げた着物の縁。朱塗りの机。それまでの西洋人の少女に見いだせた官能性は全く形容を変えてしまっている。

わたしは節子夫人がモデルになって以後の作品の魅力に、深く突き刺された。

習作の中では日本の女の性器は柔らかなフクラミを見せていた。そんなところにも魅力を感じる。


たくさんの素描があった。
<ギターのレッスン>のための習作 1934 これは意図的にエロティックに描いた作品のための習作。わたしがこの絵を知ったのはたぶん澁澤龍彦の著作からだったと思う。

<トルコ風の部屋>のための習作 これも不思議な魅力を感じる作品。春信、クラナッハの女たちの系譜に乗ってもいいのではないか。

最後に資料と写真と愛用品などがある。
そして展示の中程、都美のあの空間にはバルテュスのアトリエ再現があった。そこに佇んだときに聞いた音声ガイドでの節子夫人のお話、バルテュスの愛した音楽、とても心地よかった。

居城の庭でか、家族写真がある。みんな和装。バルテュスもとてもよく似合っていた。
バルテュスはお嬢さんのためにアニメの「ハイジ」やおそらくは「クマゴロー(ヨギ・ベア)」を一緒に眺め、話し合ったそうだ。
若い頃から大人な雰囲気のある節子夫人はそれらに興味がなかったとはなす。
バルテュスは孫のような我が子のために熱心にその世界にも入ったのだ。
とてもほほえましい。

里見浩太朗、勝新太郎らから贈られた着物も展示されていた。これらもいいエピソードだと思う。
バルテュスのご機嫌な様子、楽しい生活、そんなものがこのあたりからはっきりと浮かび上がる。

バルテュス展は6/22まで。
わたしもまた再度訪ねる予定である。 
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