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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

映画「夕日と拳銃」をみる

子供の頃、横山光輝「狼の星座」で馬族を知り、伊達順之助を知った。
よく読めばそこに「夕日と拳銃のモデル」とあるのがわかるが、まだ幼かったわたしはそこまで覚えられなかった。

檀一雄の「夕日と拳銃」を読んだのは82年頃かと思う。
わたしは「LaLa 」で森川久美「南京路に花吹雪」に出逢い、1920~1940年代の上海にのめりこんだのだ。
そしてそこからあの懐かしい「狼の星座」を思い出し、さらに生島治郎「夢なきものの掟」を知り、次いで「夕日と拳銃」を手に入れたのだった。
この三つの作品は今も手元にある。

当時のわたしは檀一雄は「火宅の人」「リツ子」ものの人だと思っていたが、「夕日と拳銃」を知ってからは読める限りの本を手に入れていった。
「燃える砂」「長恨歌」「青春放浪」などの大陸ものがやはり好きで仕方ない。
近年になり「ペンギン記」をやっと読むことが出来た。
これは立原あゆみの作中にも引用されていて、いよいよ檀一雄の「カッコよさ」にシビレることになった。

その「夕日と拳銃」。
11年前にフィルムセンターが日本映画界の物故者追悼上映会で「夕日と拳銃」を上映することを知り、わたしは万難を排して出かけた。
檀一雄のファンだというだけでなく、主演の東千代之助にその数年前からときめきがあり、どうしても見たかったのだ。
東千代之助になぜ急に熱中したのかも自分ではわからない。
だいたいわたしは時代の流行とは離れたところに生きているので、いきなり何がどうなるのかわからないのだ。
その日は昼間に東千代之助の出演した「笛吹童子」全作をみて、夜から「夕日と拳銃」を見たのだった。

今回は3時からの上映である。126分の作品は「日本篇」「大陸篇」と分かれた構成である。インターミッションなしの作品で、弛みもなく、ドキドキしながら見た。

映画は東映のイーストマン東映カラーで、今日のカラー作品とは全く違う色彩感覚で構築されている。
なおスタッフ・キャスティングについてはこちらに詳しい。

日本篇、大正六年から物語は始まる。
華族会館で今しも華燭の典が執り行われている。
そこへ突然放浪の旅に出ていた新婦の弟が乗り込んでくる。
彼はまだ二十歳の伊達麟之助である。
彼は満州を流浪していたところ当局に捕まり、「伊達家の御曹司」ということで<穏便に>強制送還されたのだ。
自邸に戻ると植木職人の松源と娘のお千代から姉の結婚を聴き、満州浪人の姿のまま、騎馬で出向いたのである。
いきなりの登場で「放蕩息子の帰還」とはいかず、祖父母から叱咤される。
だが両家と縁の深い、今回も仲人をする山岡厳山とその娘・綾子からは温かく迎えられる。
美しい綾子は三歳下の麟之助を「坊や」と呼び、豪胆な厳山は笑い飛ばすが、丸く収まるはずもない。

伊達家の両親は既にないらしいことが次のシーンでわかる。
醍醐家との式が台無しになったと嘆く姉、体面重視の祖父母が、麟之助の養育係である鹿児島男児の逸見を呼びつけて叱り続けている。
祖父母は加藤嘉と村瀬幸子である。祖父は激昂しているが、祖母はひんやりと憤っている。
ここの老夫婦は圧倒的に妻の方が厳しいようである。
家風に合わない嫁を実家に追い返したが、さすがに幼児が憐れまれると夫が麟之助を母のもとに遣ったのがそもそもの間違いだと今さらながらに妻は言うのである。
細かいことに気を遣わぬ田舎者への怒りが今またフツフツと沸き立ったか、とうとう逸見も出入り禁止と相成る。

加藤嘉はエキセントリックな老人役が巧いと思う。「神々の深い欲望」でも妾がその兄と秘かに会うたことに嫉妬して折檻するところや、晩年のTVドラマ「家政婦は見た」でもそうだった。万葉学者で認知症の老人役で出て、なにやらとんでもないことをやらかしたり。

華族の邸宅の素晴らしさにも感心する。セットではなくロケもあるようで、今はもう失われた近代建築の名品が作中にしばしば現れるのが、見ていてもせつなく、また興味深い。

逸見は山岡家に挨拶に向かうが、麟之助の満州の雄大さを聴くにつれ自分もまたかの地へ向かうことを思う。
麟之助のそんなところを面白がる厳山。演ずる小澤栄(まだこの時は栄太郎ではなかった)がカカカカカカと笑う。
わたしはこの人の華族の役と言えば「悪魔が来たりて笛を吹く」の玉蟲男爵を思い出すのだが、あのときもこんな風に笑っていた。

一方、綾子はヨーロッパ帰りの才女で、満州にはあまり関心はない。
麟之助に「おば様」「坊や」と呼び合うことを禁じあい、「おあねさん」「麟之助」と呼び合うことを決める。
彼女は新婚旅行に出た先のポーランドでベージュ色のルバシカを夫のために買うが、パリで離婚していた。一度も袖を通されなかったルバシカを麟之助に着せ掛ける。
麟之助はルバシカよりむしろパリで綾子が購入した拳銃に関心がゆく。
彼は満州放浪の時に既に拳銃の魅力に憑りつかれていたのだ。
伊達家の庭で松源父娘の前で腕前を示した時には、銃口の煙をフィーと口笛のように吹くことをして見せてもいる。

綾子にねだられ、隅田川に遊びに行く二人。
麟之助は激情に駆られ、綾子に「結婚してください」と強く言い募る。
が、事態は急変する。
隅田川へは綾子の弟で麟之助の学習院時代の友人・慎太郎らのボート部の様子を見に行ったのだが、その慎太郎らが地回りに絡まれて逃げ出すのに遭遇する。
麟之助は慎太郎ら坊ちゃん連中を逃がす。

この色白のおとなしそうな青年を演じているのが、実は高倉健(新人)なのだった。
健さんも新人の頃は色白のお坊ちゃま君を演じていたのだ。
話は飛ぶが、高倉健は檀一雄の大ファンで、嵐山光三郎「口笛の歌が聴こえる」によると、平凡社の「太陽」誌上で対談が組まれようとして、健さんは大乗り気だったが、檀に逃げられてしまう。
後年、健さんは檀の娘・ふみと対談する中、延々と檀一雄への憧れを口にしていたという。
檀ふみのエッセイの中でその模様が明るく描かれている。
健さんは檀ふみをもてなそうと、一時間になんと6杯も自慢のコーヒーをたてたそうだ。
檀ふみもその好意に応えようとがんばって6杯飲んだそうだ。
わたしなら、二杯目に行く前にもう目が回っている。

さて地回りの日傘の団蔵ともめるうち、麟之助は団蔵を拳銃で撃つ。極めて冷静な目をして、何の昂揚もないまま彼はヒトを射殺する。
団蔵は花沢徳衛である。若い頃から晩年まで一貫して下町の兄哥、親父を演じてきている。
わたしなんぞは今でも東京の下町をふらふら歩くとき、「こういうところに花沢徳衛とかおりそうやなあ」と思うのである。

射殺した罪から逃れる気のない麟之助は警察に行く前にライスカレーを食べたいと綾子にねだる。二人はどこかのホテルのレストランに入り、カレーを食べる。さすがに綾子は食欲がないが、麟之助はお代わりを注文する。
なお、ある時代までは「カレーライス」ではなく「ライスカレー」が主流だったことを、この場面から思いだした。
麟之助は悠々とライスカレーを食うが、彼はもう死刑をも覚悟していた。さらに殺した相手に遺族がいればその者に殺されるがいいとも言う。
結婚どころの話ではなくなる。それが却って綾子の執着を生むが、麟之助は警察への電話を頼む。

結局地回り団蔵の殺され損になる。
少々自暴自棄になっていた麟之助は差し入れのルバシカを着ることも拒んでいたが、逸見の諭しを聞き入れ、防寒具としてルバシカを着る。
釈放されたその日、山岡家ではパーティの準備がなされている。
父の厳山は綾子に麟之助を連れて、やかましい国外を出て、外国で結婚しろと笑って勧める。綾子もその気になり、弟も喜んでいるが、肝心の主役が来ない。
結局パーティはお流れになり、逸見と綾子だけが麟之助を待ち続ける。

その頃の麟之助は殺した団蔵の家に行き、妹のおこうに自分を殺してくれと迫るが、そうはいかず、結局おこうの誘惑に負ける。

翌朝おこうはニコニコしているが、麟之助は後悔とどうしていいかわからない状況でぐすぐすしている。そこへ逸見を伴った綾子が現れる。
おこうは知らないと押し切るが、その手にあるルバシカを見てすべてを悟る綾子。

彼女はショックと腹立ちから麟之助の満州行きの見送りに出ず、ピアノを弾き続ける。
事情を知らない慎太郎は姉の気まぐれに呆れながら横浜港へ向かう。
帰宅した慎太郎は門前でうろつくおこうに「何の用?」と訊くが彼女と麟之助の関係に気付くことはないままである。
そしておこうは麟之助の満州行きを知りこちらも頭に血が上る。

伊達麟之助、女難の人だというところで「日本篇」は終わる。

大陸篇。張作霖と戦う馬賊の一群の中に麟之助がいる。
騎乗での射撃の腕も高い。
横山「狼の星座」によると馬賊の射撃法は独特の様式があるそうだが、ここではそうは描かない。
しかし麟之助の弾丸は張の頭をかすめ、張は撤退する。

政治的状況の推移は画面での説明による。
大陸浪人から馬賊になった麟之助の姿があるのもその説明による。
彼は義侠心から弱い立場の側に立ち、戦い続ける。
盟友の遺児チチクを逸見に預け、また遠い大地を駈け巡る。
やっと会いに来た綾子とも新しい関係を築くが、彼は女の元にとどまることはできない。
綾子手製の黒いルバシカを大事にする麟之助。

一方逸見は満州まで麟之助を追ってきて、今や雇われ女将として立ち働くおこうと再会し、チチクを養女として同棲する。
逸見は逸見で「王道楽土」建設を本気で夢見ているのだ。

王道楽土という言葉を当時どれほどの日本人が信じていたのだろうか。
そのことを考える。
わたしが最初に「王道楽土」「満州」という単語を知ったのは、TVドラマ「赤い運命」からだったと思う。
満蒙開拓団に参加し、命辛々日本に逃げ帰ったことを恨み続ける男(三國連太郎)の台詞からだったはずだ。
後年、安彦良和「虹色のトロッキー」が建国大学を描いたことで「王道楽土」を信じた側とそうでない側との温度差を見せてもらったように思う。
結果として、この世に「王道楽土」などは存在しないことは歴史が示してしまった。

馬賊としても高名になった麟之助だが、今度は綾子への愛を隠せなくなる。
綾子が奉天に来たことを知り会いに行こうとするが、馬賊の九蓮山に止められ、ここへ連れてきてあげると言われる。
その言葉を信じ、綾子が来るのを待つことになる麟之助。

九蓮山を演じる南原伸二(後に南原宏治)の独特の魅力にときめく。
わたしは前々から南原の特異な風貌と声にシビレているので、わくわくした。
その彼があの九蓮山なのである。
原作を読めば読むほど九蓮山のねじれ・よじれた愛情にときめく。
九蓮山の妹アロンにそのことを言わせている。
「兄さんは好きになった人を敵視して倒そうと熱中する。でも倒した後に激しく落ち込む」
傾いた愛情にゾクゾクする。
その九蓮山を南原が演じるのだ。
ときめきの度合いが高まるのも当然ではないか。

気の毒な兄妹は麟之助に深い恋情を抱くが、どちらも彼の心を捉えることはできない。
アロンは当初小汚いかっこで現れたが、麟之助に愛されたくて綺麗にやつしてその前にでる。
しかし麟之助はアロンの気持ちを読みとることはない。

やがてもつれた愛情は頂点に達する。
麟之助は彼らを置いてとうとう綾子に会いに出ようとする。そのとき綾子からの手紙を忘れた麟之助は取りに戻るが、小屋は炎上している。それでもなお火の中に飛び込もうとする麟之助に向けて、アロンの嫉妬の拳銃が火を噴く。

女難の相はとうとう暴力まで伴うようになったのだ。
結局それで綾子とも再会することになるのだが、彼はいよいよ旅立たずにいられなくなる。

一方「桃源郷」としての王道楽土を経営する逸見の家庭ではおこうがみごもり、逸見を有頂天にさせる。チチクも今や可愛らしい少女に育っている。
しかし麟之助の噂を聞いて、おこうは今更の手遅れ感を抱くのも事実だった。

満州から離れてヨーロッパに行きましょうと誘う綾子を振りきり、麟之助はさらに抜き差しならぬ状況に踏み込んで行く。

馬賊の王とその妻子が関東軍により処刑される。
王を演じるのは千田是也だった。
東映の映画にも出ていたのか。
そしてその件で関東軍ともめた麟之助は山東省へトバされることになる。
さらに桃源郷が襲撃され、チチクを守るためにおこうは敵前で自殺し、逸見の王道楽土は崩壊する。
だが、逸見の活動はスパイによって金日成にも伝わっており、けがをした逸見を助けてくれる。そして好意を持って対される。
ところで軍の司令部はどうも山下啓次郎の設計した刑務所の門前によく似ているように思う。

昭和九年。
生き残った人々の暮らす村では今しも宴会中であり、チチクが歌を歌っている。大喝采の後に「馬賊の唄」の合唱がある。
松源の娘お千代も満州にやってきていた。彼女は麟之助の身の回りの世話をしたい、おそばにいたいと切望するが、それは決して叶えられない。
逸見からもお千代と婚姻することを勧められたがきっぱりと断る麟之助。

ふとお千代は子供の頃によくしたことをしようと麟之助に言う。
まだ少年だった麟之助の拳銃の稽古に、頭上にリンゴを置いて狙わせるあの行為である。
ただしあの頃は言えば「エア」銃撃だったが、今回は本当の銃撃をしろとお千代は言う。
度胸を決めてお千代のリンゴを狙う麟之助。
見事にリンゴに命中する。
お千代はこれで心の痛手を振り切れたのだろうか。

そこへ真打ち登場である。
綾子が弟らと共に現れた。山東省へ行くのを止めさせるためにである。
しかし聞くはずもない。
どうにもならないので結局は途中まで見送ることになる。
その見送りに金日成ら朝鮮独立に燃える一団も立ち並ぶ。
そのことを告げにきたのは今や金日成の手元で戦うアロンだった。

綾子と並んで馬を進める麟之助。彼は時間を尋ねる。
綾子は言う。「あなたが時間を聞くといつもお別れね」
道は続くが、もう共に進むことはないのである。

映画はここで終わる。
原作では麟之助の死、綾子の再婚、生き延びた九蓮山の麟之助への追慕の台詞、逸見が今も大地と共存し続けていることの報告、そこまでが描かれる。

大正六年から昭和九年までの麟之助の生涯に絞ったのはよかったと思う。彼の死を見たくはないからだ。
東千代之助の端麗な美貌は時代劇の方が映えるが、この「現代劇」も本当によかった。
わたしは二度もこの映画を見ることができて嬉しかった。

深い感銘を胸に刻みながらフィルムセンターを出た。
11年前、ここで見た後聞こえてきたおじいさんの会話が耳に蘇る。
「前に見たときより面白かったなあ」
わたしも言おう。
「前に見たときよりずっとずっと面白かったなあ」

この後いつか見ることがあればまたここへ見に行きたいと思っている。
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