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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

藤井達吉の全貌  野に咲く工芸 宙をみる絵画

松濤美術館で「藤井達吉の全貌」展が開催されている。
「全貌」とはまた思い切った言葉ではあるが、実際藤井には多面性があるので、それぞれの顔を追うと、どうしても「全貌」ということになるのだ。
副題は「野に咲く工芸 宙をみる絵画」である。
工芸家としての藤井達吉の才能の高さはこれまでにも他で見ることが出来たが、彼の絵画はあまり見る機会がない。
今回、工芸品と絵画とがいい具合に出ていて、共に堪能できた。
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2008年に碧南市に彼の名を冠した現代美術館が開館した。
「藤井達吉のいた大正」というのがオープニング展のタイトルである。
その時の感想はこちら
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そこで藤井の作品を初めてみたのはいつだったかなどを書いているので、ここではもう書かない。
そして去年の芝川コレクション展の感想はこちら

大阪市美には芝川コレクションの絵画が収められているが、工芸品は京近美に入っている。
散逸せず本当に良かった。

展覧会は前後期に分かれていた。あいにくなことに後期の終盤にしか行けなかった。
しかしそれでもその素晴らしさにうなるのだから、「半貌」しか見なくてもその凄さに、それこそ感服仕る、という状況なのである。
とりあえず、何のかの言う前に見に行こう。

特に偏愛したい工芸品を先に挙げる。
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蜻蛉文箱 大きな箱である。三色のトンボたちがそれぞれ飛んでいる。
蜻蛉と言うよりこの大きさはもうドラゴンフライと言う方がふさわしい。
それでいて情緒がある。
フタバアオイ、トンボ、それらが交差し合う図柄は、「彫刻・七宝・螺鈿・鉛象嵌」という技法で木の表面を彩る。刻み・嵌め込み・綺羅を装う。素晴らしい仕事である。

梅花文文箱 表面には梅花文だが、蓋を開けて分けてみると中はそれぞれ荒磯文様になっている。梅花と波とは珍しい組み合わせではなかろうか。
三段とも荒磯である。七宝と鉛象嵌で彩られているが、中の図柄は鉛象嵌だという。そして白梅は不透明な釉薬を使っている。それが白梅にもっちりした柔らかさを与えていた。

蜻蛉鬼百合文乱れ箱 これが去年京近美に入った芝川コレクションの一つ。

大胆で楽しい図柄。

工芸品は後世に残そうとすれば、未使用で、しかも丹念な管理の下に置かねばならない。
が、そうなれば死んだ工芸品となり、容の美はあっても用の美は失われる。
ある種のやきものなどは人の手から手へ渡ることで美貌が弥増しもする。
工芸品の美と言うものはどう保つか。それが難しい。

パトロン芝川照吉のために拵えた工芸品がいくつかある。
郵便箱などは人の手あかがはっきりと残る。しかしそれで藤井作品の価値が落ちたかと言えばそうでもない。
工芸家である藤井は使ってもらった嬉しさを隠さない。折角<使ってもらおうと>拵えたのに、使ってもらえなければ作り甲斐がない。
手あかが付くことで汚れたり破損することもあるが、それでも工芸品は使われるべく生まれてきている。
そのジレンマについても考える。

鷹狩図手筥、電気スタンド、椿文時計箱、秋の山書棚…藤井の意匠を楽しめる工芸品たち。
古風な鷹狩、奈良時代の寺院の杉戸にみるような絵柄のある棚、大正時代に流行したシンプルな椿の造形…様々な様相を藤井の工芸は見せる。
中でも秋の棚には飾り釦として小さな花柄の七宝飾りがテンポよく連続している。
むしりたくなるような可愛らしさである。

姪の藤井房子の作品も出ていた。
草花図/紅白梅図 七宝、銅が使われている。
手作業の細かさ、濃密な愛情、そういったものを感じる。

切透七宝白鳳瑞雲文御手箱とその下図 実物もとても手が込んでいるが、この下図がまた凄い。下図には螺鈿が使われているのだった。びっくりした。それも戦時中の昭和17年の作なのである。

草花文漆手筥 漆に着色している。密陀絵のような趣がある。

小間物をみる。
草花文銘々皿 これも草花を表現するのに七宝、螺鈿、鉛象嵌と様々な技法を使う。
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素晴らしいというより、その技法の凄さに唖然。こうしたものが作り出される手と頭にただただ感心するばかり。
そのくせ絵柄は素朴な表現の草花図なのである。
また、いかにも大正時代らしい草花が選択されている。
おきなぐさなどである。
こうした草花は宮沢賢治の作品で知った。
大正時代の草花への愛・萌えとでもいうべきもの。
板谷波山の作品にも共通するものを感じる。

札入れ・半襟などにも濃密な手が入っている。きらきら石も埋め込まれていた。

藤井はなんでも出来る・なんでも作れる工芸家なのだ。

野点茶箱 一閑張りの可愛いもの。こんなのをみると、一人で千家十職の仕事も出来るのではないか、とちょっと妄想してみる。
ちなみに陶磁器は河合卯之助の力を借りている。

以前碧南市でみた中で感銘を受けたのは壁掛けだった。
今回も臈纈染の花鳥図や海草文の壁掛けを楽しく眺めた。

繊維ではほかに別珍の胴服、袋帯、名古屋帯、着物などが出ている。

藤井は別な技法を一つの素材に同時に盛り込む。
素材の表層でそれらがきらびやかな輝きをみせて、人を魅了する。

草花図屏風 彫刻に螺鈿、七宝、鉛象嵌などで表現する。ほかにだれもこんな手の込んだことはしていない。

大島風物図屏風 代表作の一つ。これには刺繍などが使われている。
大島ブームが来ていた時代の作品。

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岡崎でのチラシ。

芍薬文鳥毛屏風 虎毛な鳥の羽が使われている。間近で眺めるほどに面白くて仕方なくなってくる。

やはり藤井達吉の真価は工芸にあるように思う。
これは方向性は全く違うが、同時代に生きた神坂雪佳も同じで、絵はやはり工芸に比べると多少「余技」的な様相を呈しているように思われる。
とはいえ、藤井も神坂もその「余技」たる絵画にも目を見張る作品が多くあるのだが。

絵画を観る。

藤井は日本画を描いている。
草花の絵が多く、どこか大正ロマンを感じさせるところもある。

椿 ぼたぼた落ちてゐる、と言うしかない。それが落ちているのはどうやら神社の一隅らしい。菰で覆った中に舟を描いた絵馬もある。ご神木の椿に捧げられた絵馬なのか。そして椿はぼたぼた落ちてゐる。

日光の朝・昼・夜を描いた連作がいい。
朝は白く、昼は赤く、夜は青く。

紫サンゴ 今回のチケットにも選ばれている。プチプチが可愛い。
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斑鳩の里 夜空に突き刺さるようにまっすぐ伸びる水煙。そして下弦の細い二日月。こうした構図は後世の平山郁夫、杉山寧くらいしか描かないと思っていた。昭和20年代に既にこのような構図を描いていたのだ。

山芍薬 切り株と蔦の絡み合う、うっそうとした林の奥底。見ていると湿気までが肺に入ってきそうである。

山草図 コゴミから草ソテツへと変貌を遂げる。たくましいシダ。

どちらも草花への深い愛情が感じられる。

土星 正直、こうした絵が出てくるとは思いもしなかった。本気でびっくりした。すごい。なんなんだろう、この感性は。


藤井の絵を「余技」と言い切ったことを変えなくてはならないかもしれない。
しかしそうはいっても藤井の絵を見る限り、かれの日本画は誰とも共通するものがない絵なのだ。
凄い感性が活きていた。
そしてそれがために却って藤井の絵は工芸品ほどには知られていないのかもしれない。
そんなことを勝手に考えている。

7/27まで。
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