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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ヴァロットン 冷たい炎の画家

ヴァロットンの展覧会が世界巡回していて、日本では三菱一号館に来ている。
チラシは一見和やかで明るそうなのだが、よくよく見ればどこかおかしい。
不穏な空気もはらみつつ、<状況>がそこに活きている。
イメージ (8)

大体、女の後姿というものは気になるものだ。
ここには幼女の後姿が見えるが、幼女だからと言って決して安穏な背を見せているわけではない。

ヴァロットンの作品はこれまでブリヂストン美術館などでモノクロ木版画を見てきたくらいだから、カラー作品は殆ど知らない。
「冷たい炎の画家」という言葉も、美術評論家クロード・ロジェ=マルクスが1955年に「フェリックス・ヴァロットン、あるいは氷の下の炎」と題したところから取ったそうだ。
それを聞いて思いだしたのが、三島由紀夫が六世中村歌右衛門を評して「氷結した火事」だったか、そんな表現をつかったこと。
歌右衛門の非常に抑制のきいた表面と、内面の尋常ではない激しさとを指した巧い言葉だと思う。

近年、西洋絵画の人々の作品について、何かしら感想を書こうとすると筆がもつれてまともなことが書けなくなってきている。(元々あまりマトモでもないが)
この感想を読まれる奇特な方は、そんな奴だわなと思いながら、緩い目で読んでいただきたいと思っている。
なお版画のみ技法を記す。

1.線の純粋さと理想主義
濃いピンクの室内に肖像画が集められている。
そこに立つと、上からの照明が意図的にか、こちらの影を一つでなく、複数に映し出してきた。

眠る画家の母、横顔 1887 ドライポイント  白の中に黒く浮かび上がる女。母という存在ではあるが、絵のモデルとして冷徹な目で見ると、何かしら不気味ささえ浮かび上がってくる。

ベレー帽をかぶる子供 1889 ドライポイント  空間処理は一色だけ。静けさがある。しかし子供らしい生命力も感じられはしない。

化粧台の前のミシア 1898  彼女は「ナビ派のミューズ」だったという。ピンク色が目に残る。
「外国人のナビ派」と呼ばれたヴァロットンも他のナビ派のように彼女を描く。

マルト・メロ 黒服の女 チューリッヒ美術館  もうすぐ来るんだったかな、展覧会。

身づくろいをする女たち 1897  配色がとてもいい。盥の中に立ち、髪を拭く女。顔は分からない。向こうには鏡を見る女。爪先を触る女。
この絵がパリのオルセーにあることに、どこか背徳的な悦びを感じる。

休息 1911  薄ピンクの膚。しかしセメントで造られたかのようにも見える。そんな女。
レンピッカの女たちにも通じるような表面。あちらは青銅色を帯びた肉色だったが。

4つのトルソ 1916  ああ、そうかと納得したのがこの絵。ツイッターでヴァロットンが尻フェチだと評判になっていたので「どこら辺がだろう」と思っていて、納得。

トルコ風呂 1907  湯の中に立って背中にタオルを斜め掛けする女、縁にも女たち。
硬い膚の記憶。アングルの同題の円い絵と、青木繁の「享楽」とを思い出す。
しかしここにいる女たちはみんなどこかよそよそしい。


2.平坦な空間表現
マン・ウォッチャーだと思う。そうでないとこうは描かないし、描けない。

洗濯女 1895  職業としての洗濯女。小走りにゆく。

プードルと婦人 1895  都会の片隅で。

ワルツ 1893  ふわ~と、まるでオバケたちのよう。手前右の女の顔はナマナマしいが。

肘掛椅子に座る裸婦 1897  黄緑の壁、赤い椅子と絨毯、肌色の裸婦。はっ となった。

公園、夕暮れ 1895  セーラー服が一般化していた時代、坊やたちが着ている。人々が点在している。

リュクサンブール公園 1895  大人気スポット。金の輪で遊ぶ坊やがこっちを向いている。キリコの金の輪で遊ぶ子供、小川未明の「金の輪」は不吉だが、この坊やには死の影は見当たらない。

健全さというものはあまり感じないが、一方で不穏さはあっても不吉さ・死の影というものは見あたらない。
決して明るくはないが、完全なる闇もないのだ。
そのあたりが画家の、市民生活を描く視線の在り方なのかもしれない。

ユングフラウ 1892 木版  夜景。和風な風情がある。スイス人の描くユングフラウ。

月光 1894  金の雲が空と水面にある。水面は河か。二つの月光が美しい。


3.抑圧と嘘
「アンティミテ」連作がとてもよかった。
モノクロ木版で繰り広げられる物語。小さな葛藤とエゴと。全体に醒めた官能性がある。
一枚一枚を1コマにして集めた「版木破棄証明のための刷り」などは大人向けの台詞なしのマンガのようだった。
いちゃつく二人、しかし楽しそうな様子でもない。都会的な男と女の醒めた表情。
イメージ (7)

夕食、ランプの光 1899  ランプシェードがとてもいい。これは素敵。
しかしテーブルを囲む人々のこの様子。この表現。深い鬱屈を感じる。
結婚した女の連れ子二人。息子と幼い娘と。影を見せるのは自分。
他者の家庭に入り込んだヨソモノのような男。
そのことを自覚して描いたような絵。

赤い部屋、エトルタ(ヴァロットン夫人と姪のジェルメーヌ・アキオン) 1899  臙脂色に近い赤壁がひどく魅力的だった。重苦しくもあり、蠱惑的でもあり。

ヴァロットンのアトリエにいるマックス・ロドリーグ=アンリーク 1900  暖炉がいい、そこにはストーブを置いていて、実用性を感じる。絵ではなく部屋の状況がいい。

貞節なシュザンヌ 1922  帽子の女がこちらを向いて黙ってにやにやと笑っている。はげの男二人を前にして。
見るからにパリの女。旧約に現れる女ではなく、この時代のシュザンヌは欲望に満ちた目で笑う。娼婦シュザンヌ。


4.「黒い染みが生む悲痛な激しさ」
ここは全て木版画である。

アナーキスト 1892  捕まるところである。「なになに、どうしたの?!」と声が聞こえてきそう。町中での騒ぎ。この時代、アナーキストによる王室や政治家の暗殺事件が多発していた。

「息づく街パリ」の挿絵 1893~1894 ジンコグラフィ この技法は日本語で訳すと「亜鉛製版法」となるが、それがどのようなものかは、シロートのわたしにはわかりかねる。

・口絵 色んな人間が信号待ちでもしているのか横並び。中にはいかにもパリらしい<千鳥たち>もいる。
・切符売り場 群衆わらわら。
・学生たちのデモ行進 白・黒・白の棒並びが面白い。

これとは別ものらしいが、関連性を感じるような構図のものが続く。

街頭デモ 1893 木版  逃げ出す人々。左端には倒れそうな爺さんがいる。

暗殺 1893 木版  ベッドで殺人。手だけ見えるというのもなかなか臨場感がある。
暗殺される絵と言えば、革命の頃のマラーを思い出すが、これは政治的暗殺なのか個人的なものなのかはわからない。「暗殺」もさまざま。

ベルエポックの時代と謳われた一方で、暗殺やアナーキストの跋扈もあるパリ。
都市には必ず二面性がある。

「小さな浴女たち」1893 木版 エクスリブリス(蔵書票)である。
あっさりほんわかモードの可愛い絵が続く。

再び「悲痛な激しさ」を見る。

自殺 1894  橋の下に流れる水量豊かな川。そこを捜索する。引っ掛け用の棒を持って。
こういうのを見るとドレの銅版画を思い出す。1世代前のパリも栄光と悲惨がある。

夜 1895  森の中のホテル?別荘?がある。窓は微妙に歪んでいる。その妙な揺らぎがとても気になる。

警戒 1895  水遊びの場なのか、それともなんなのか、ハクチョウたちが寄ってきて、一人の女のドレス状の水着のお尻を破く。
ヴァロットンが「おしり大好き」なのがよーくわかる気がする。
水から上がった人々はそれを見ている。

ルッジェーロとアンジェリカ 1896  キタイの王妃(と説明されているが、姫とも聞いている)アンジェリカが海の生贄にされている。それを救おうとする。
この画題はアングル、ルドンも手掛けている。特にアングルのそれは有名な一枚。

怠惰 1896  ヴァロットンの作品中、いちばんよく見ているのがこれだと思う。
というか、わたしはこの作品でヴァロットンを知ったのだ。
なかなか凝った柄(市松模様やチェックや花柄も含む)の敷物の上で裸の女がうつぶせになりながら、白ネコを撫でる。
「耽美・頽廃・怠惰」に溺れていた頃、この作品に出逢い、非常に好きになった。
今でもやはりとても好きな一枚。

「楽器」1896  様々な楽器演奏者の1ショットと交響曲というまとめがある。
チェロ、フルート、ヴァイオリン、ピアノ、ギター、コルネット…
いずれもかっこいい。背景がまたおしゃれである。
白ネコがのぞくフルート、観葉植物の影と実物に侵食されるギターなどなど。


5.冷たいエロティシズム
むしろシュールな趣があるように思う。
そういえば村上もとか「龍 RON」で、溝口健二と思しき映画監督が「冷たい官能性」を女優に求めるエピソードがある。女優はその研究に苦心するわけだが、究極の官能性とはやはり冷たいものかもしれない、とその当時思ったことがある。

猫と娼婦 1897-1898  娼館の一室での情景。奥にバスタブがある。二人の裸婦が三毛猫らと遊んでいる。客の来ない時間の楽しみ。

チェッカーをする女たち 1897  これは「オセロ」かと思う。裸婦二人のオセロ。

それにしてもパリの女たちは男とも楽しみ、女とも楽しみ、ほかにもまだ楽しみを知っているように思えてならない…
ヴァロットンの絵を見ながらそんなことを想う。


6.マティエールの豊かさ

臀部の習作 1884  やっぱりフェティストやなあ。足フェチの谷崎とどっちが深いだろうか。ううーむ…

ここでは何か妙につらかった。

7.神話と戦争
ナマナマしいおっちゃんとおばちゃんとの対立・対峙。
綺麗なものはない。ペルセウスとアンドロメダならかっこいいと思ってはいけない。ヴァロットンは何を描くか知れたものではない。

竜の概念についてここでは書かないが。西洋の竜と東洋の竜とは違う。
とはいえなんぼなんでもひどいのがペルセウスと戦う竜。どう見てもワニですな。ううむ、ひどい。

憎悪 1908  男と女の。

引き裂かれるオルフェウス 1914  6人の女が石や木や自らの爪でオルフェウスを引き裂く。
解説にはこうある。
「冥界の秘密に関する秘儀を男たちにしか開示しなかったから」
うふふ。ここにいる女たちは決して「フジョシ」などではない、リア充を求める肉食女子だったのですよ。
なのにオルフェウスは妻の死後は「冥界の秘儀」として同性にしか目を向けなかったから…
イキイキしているように見えたなあ、女たち。

「これが戦争だ!」1915 木版
戯画風でありながらも悲惨極まりない情景を描き続けている。
悲惨でありながら妙に滑稽でもある。それはきっと我々が「見ているだけの側」だからそう思ってしまうのだ。
そんなことを思いつつ、眺めた。


ヴァロットンという画家が結局どういう意図で作品を生み出し続けてきたかはわからないままだった。
しかしそれでいいと思う。
わたしは終始ある種の息苦しさに悩まされながら見ていたのだ。
それがたぶん、ヴァロットンの心情だったのかもしれない。

9/23まで。
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