FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

細見美術館の「デミタス コスモス」/泉屋博古館の「茶の湯釜の美」…

いくつか工芸関連のいいものを見たので挙げたい。

細見美術館の「デミタス コスモス ―宝石のきらめき★カップ&ソーサー―」展は素敵な展覧会だった。
イメージ (24)
内容がいいのは当然のことながら、その集められた「動機」がまずいい。
鈴木夫妻というコレクターが結婚当初から毎月1点ずつ買い集めたというコレクションなのだ。
夫妻は昭和40年に結婚されたそうで、共通の趣味はない。しかしコーヒーを飲むのがお互いに好きだということで、それならコーヒーを入れるデミタスカップを集めようということになったようだ。
それも必ず一緒に見て、話しあい、合意のもとで、無理をせず、購入という条件を付けて。
これは素晴らしいことだと思う。
夫と妻との対等な共同作業ではないか。
こんないい話、めったに聞かない。
互いが互いを思うあまりに自己の不利益を生み出してプレゼントを贈りあう「賢者の贈り物」もいい話だが、そこには愚かさがある。愛しい愚かさだが、やはり無駄を感じる。
その点、この夫妻の在り方は理想的だった。

10年余で大指輪コレクションを築いて妻への愛情を語る橋本コレクションも悪くはないが、わたしはこの鈴木夫妻や、佐賀県立九州陶磁文化館の中核をなす柴田夫妻コレクションにこそ、「うらやましさ」と「憧れ」を感じる。

その鈴木夫妻コレクションを堪能した。
集められたデミタスカップは夫妻の審美眼に適うものでなくてはならず、さらに7cm以下であること、必ずカップ&ソーサーのセットでなくてはならないこと、という制約がある。
その制約と前述の条件とをクリヤーしたのがこの一大コレクション、夫妻の精華なのだ。
イメージ (25)

闇雲に可愛いもの・いいものばかりを集めたわけではないことも知る。
コンセプトを決めて揃えたものもあるようで、そこに夫妻の『年月』を感じる。
いいなあ、素晴らしい。

わたしが特に好ましく思ったのは、実用には向いていないが、網目状の不思議な構造を持つカップだった。これは製作者も他の者にはその作り方を伝えなかったために、今日まで誰も再現できないらしい。
笊のカップのような存在で、しかしデミタスカップとしては成立しているのだ。
すごい構造だと思った。

18世紀から20世紀初頭のマイセン、セーヴル、ロイヤルウースター、ミントン、KPMベルリン…欧州の名だたる名窯から生まれた可愛らしいカップ。
花柄・美人の顔のついたもの・色のきれいなもの・表現の良いもの…
小さいからこそ美と愛嬌が凝縮されているのかもしれない。

いい心持で見て歩いた展覧会だった。
9/28まで。

次は泉屋博古館の「茶の湯釜の美」展について。
イメージ (27)

釜と言えば三条釜座の大西清右衛門美術館がまず第一に思い浮かぶが、それはわたしが関西人だからで、九州の芦屋釜の存在の大きさを忘れることは出来ない。
住友春翠さんは素晴らしい文化人であり、この人が住友家に迎えられてから住友家の文化的貢献度が一気に上昇したと思う。
春翠さんがいた頃に集められた釜がかなりたくさん出ていた。それから賛助として「芦屋釜の里」ミュージアムからも出てきている。

茶の湯の釜は専用は南北朝室町の頃からだが、釜そのものはもっと昔からあったそうだ。
それはそうだ。ご飯を炊くのもお釜である。
そういえば茶の湯も何も知らなかった頃、釜と言えば「文福茶釜」だった。
あれは茶釜と最初から名乗っている。
京都で茶の湯が完成を極めた頃、遠方の芦屋釜、天明釜から地元の京都の釜に人気がスライドしていったのは仕方ないことだが、しかしそれでも今日に至るまで「芦屋釜」「天明釜」の美をたたえる声は消えない。

近年、大西清右衛門美術館に行くようになった頃から、段々と釜の美というものがわかりかけてきたように思う。完全な形のままの美を愛でるのではなく、使うことで生じたヒビや朽ちてゆく様子にさえも美を感じる。
いや、むしろ「やつれの美」にこそ釜の美はあるのではないかと思うことがある。
釜は鉄である。鋳鉄製品が壊れてゆくのは本当はむさくるしいものだが、釜の場合、そこに不可思議な美が生じる。
以前、朽ちた釜ばかりを集めた展示があり、わたしはそれを見て「九相詩図」を想った。
侘びの美ではなく、多分もっと頽廃的な悦びを見出したのだと思う。

今は尾垂れが可愛くてならないが、今回は自分好みのものはなく、鎹で継がれたものが一つ見受けられただけだった。

海老鐶付網千鳥地紋釜 大西浄清  チラシの釜。全体に網がかかり綺麗。こういうのがやはり江戸時代の美意識なのだとも思う。エビの髭が長い。
イメージ (26)

又玄斎好老松唐犬釜 大西浄玄  文福茶釜はタヌキだが、別にこの釜が唐犬(洋犬ですね)というわけではない。鐶付の姿が犬の耳に似てるからそう言われたそうで、元々の始まりは宗旦の好みから。又玄斎は8代目。
ピロンとした耳。これはドーベルマンとかあんな感じか。
よく洋犬の耳と言えば、垂れ耳というかべろんとした耳というか、そういうのも多いが、やっぱりわたしは日本の天然記念物の犬たちの△△の耳がいい。シェパードも△△耳。

千本松地紋富士釜 大西浄雪  形は富士山で模様に千本松。模様と造形で富士山と松原とを表現。かっこいいなあ。

裏甲釜 西村道也  わたしはついつい違う使い方も出来るな、と考えてしまった。なんとなく楽しい。

ところでわたしはあんまり霰手が好きではない。
手間のかかる作業で技術的にも凄いと思うが、好みではないのだ。

大正12年という比較的新しい釜とその下絵や画帖などがでていた。
これは春翠さんの別業が有馬にもあり、その景観の良さを愛でてこしらえさせたもの。
有馬六景釜 大西浄長  岩場や紅葉などもいい。夏の涼やかさ、春の桜の喜び、冬の豊かな白。
絵は望月玉泉の息子・玉渓、その息子玉成の仕事。

釜以外に少しばかりほかのものもある。
古銅象耳花入 銘 キネナリ あれ、ここのだったかな・・・
追記:後で調べたら、ここのだった。観るのは4年ぶり。
その時の感想はこちら
tou194-1.jpg



小井戸茶碗 銘 六地蔵 目跡が六あるからかな。

東方朔釜 大西浄長 大正13年 原画は春翠さん。中国美術の造詣の深い人。さらりとした線がいい。

ここではつい大西家の釜ばかり挙げてしまったが、やはり自分が好きなのは大西家歴代の人々の釜なのだと思い知らされた。

大西家以外の家の釜も並び、その由緒も知る。
最後には芦屋釜の里から復元品、鋳型、釜の断面と内面などがきていた。
とても面白く思った。

浜松図真形釜 銘 末の松山 八木孝弘 復元品。しかし真新しさを感じない、良い古びがついているように見えた。

10/19まで。その後は六本木に巡回。

最後に少しばかり金沢文庫「仏教美術逍遙」展の感想。
イメージ (28)

阿弥陀三尊立像(善光寺式) 銅造 鎌倉時代  左右の菩薩が胸の前で手を合わせている。そのスタイルをいうみたい。

十一面観音菩薩立像 木造 鎌倉時代  冠の顔たちの中にお釈迦様もいる。そこだけで11の顔。メインの顔もあわせると12。青銅のような顔。木造なのに。

天王立像 木造 平安時代 元は堺の西福寺旧蔵。腹ベルトにマグマ大使のゴアそっくりなのがついている。

イメージ (29)

絵を見る。
仏涅槃図 南北朝ー室町  斑猫らしきもの、カニ、耳の長いミミズクも参加。

騎獅文殊菩薩像 鎌倉時代  きりっとしたかっこいい文殊。五髷というが、そこまで数え切れなかった。

大黒天像 南北朝時代  黒大黒。赤ベロ、走る。袋の中にはダキニ天と15童子。

最後に木造の幡頭をみる。猛禽の頭部つき。つまりモーキンズ・ヘッド。二口のアウンの猛禽。
モウしわけない、このギャグが言いたかったのかもしれない。

9/28まで。
なお、金沢文庫からレプリカだが独鈷が盗まれたそうで、お気の毒なので、早く見つかればいいと思う。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア