FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

遊行寺とおぐり

遊行寺に初めて出かけた。
もう随分前からいつか行かなくてはと思いつつ、今日まで延びに延びた。
なにしろお正月の恒例行事「箱根駅伝」で遊行寺の坂を走るランナーがいかに苦しいかを、実況は熱く語るのだ。
わたしは中学の時から坂とずーーーッと縁があり、今も毎日しんどい坂を上り下りしているので、これ以上もう…というキモチがある。
(だから野間記念館に行くときはびーぐるバスを利用。来るまでに10分以上かかるときは涙を飲んで坂を上る)
(もう一つ言うと、弥生美術館へ行くのも出来る限り東大前から向かう。暗闇坂を登りたくない)
しかし今回は覚悟を決めて、すぐれた先達ともども遊行寺の坂に挑んだ。

遊行寺といえば小栗判官の物語が思い浮かぶ。
そしてその小栗判官を、説経節を原典として描いたのが近藤ようこさん「説経 小栗判官」である。
名著である。
しかし現在は出版元がなく、しかし名作であるため図書館などで読めるようだ。
後世に残すべき名著である。復刊をただただ望む。
その小栗判官を描いた近藤ようこさんと共に遊行寺へ出かけた。

遊行寺の佇まいなどに関しては先般挙げたハイカイ録に詳しい。
今回は宝物館で見た「遊行寺とおぐり」展の感想である。
イメージ (32)

遊行寺に伝わる小栗判官の物語と説経節の小栗の物語とは大きな違いがある。
説経節では小栗は京の烏丸二条の大納言家の跡取りだが、小栗満重の話となると足利家とのトラブルが発端となる。
寺では後者の物語を伝えている。
これら種々の比較は福田晃「中世語り物文芸―その系譜と展開」(三弥井書店刊)で大きく取り上げられてもいる。

肉体を持って「おぐり」の物語を描いたのは先代市川猿之助が最も多いのではなかろうか。
かれは1983年の「當世流小栗判官」をはじめ、説経節に準拠した梅原猛の「オグリ」を演じている。
横浜ボートシアター、宝塚歌劇での小栗判官の物語もまた心に残るものだろう。

物語の前半部分に差異はあれ、要するに小栗判官と10人の家来は横山大膳により毒殺され、上野原に捨てられなければならない。それから照手は姫または遊女であってもどのみち罪を問われ、殺されかけねばならない。
そこから先はどの物語でもほぼ同じである。

共通するのは以下の話である。
小栗は横山家にて毒殺される。主原因は小栗が勝手に照手姫と密通したことである。
小栗と10人の家来たちは上野原に埋葬される。家来たちは火葬、小栗は土葬である。
小栗は閻魔大王に訴えてくれた家来たちのおかげでこの世に蘇生する。
しかし餓鬼阿弥の姿で口を利くことはおろか歩行もままならない。
本復するには熊野の湯の峯温泉につかるしかない。
そこで餓鬼阿弥の旅が始まるのだ。

一方何とか生き延びた照手姫は親切な老人に養われるが、その邪な老妻により虐待され、人買いの手に委ねられる。
売られ売られて美濃青墓のよろづ屋に落ち着き、そこで常陸小萩と呼ばれて下働きをする。
三年後、餓鬼阿弥の乗る土車がよろづ屋の前に止まり、照手姫がそれを夫と知らずに、許しをもらって供養のために数日間の旅に出る。

照手姫は旅を三日間続け、別れがたい思いに涙しつつ、餓鬼阿弥を置いてよろづ屋へ戻る。
その後の餓鬼阿弥は人々の情けにすがってどうにか熊野の湯の峯につき、やがて本復し、元の小栗判官に戻る。
小栗は都に上り所領も戻してもらい、照手姫のいる青墓へ向かう。
再会した二人は夫婦となり幸せに暮らす。
そして小栗は83歳の長寿を保ち、祀られる。

イメージ (37)

展示されている作品は浮世絵が多く、人喰い馬・鬼鹿毛を乗りこなす小栗、松燻しされる照手姫、病み呆けた小栗を載せた土車を引く照手姫の絵が多い。

鬼鹿毛を乗りこなす小栗はカッコいい。これは明治になってからも松本楓湖が碁盤乗りの図を描いている。
スーパー歌舞伎「オグリ」でも、ここの鬼鹿毛を演じた二人の役者はえらかった。
前半の最大の見せ場でもある。

そして松燻しされる照手姫は幕末頃の絵が多く、嗜虐と被虐の嗜好をくすぐり、悦ばせる構図となっていた。
三世田之助を思わせる容姿で描かれた照手姫の絵も少なくない。
嗜虐の美、それ味わわせてくれる。

無惨美というものがそこにある。
日本人が実は好んでならないものだとわたしは思っている。
恥と非道の記憶。
懺悔しても罪は消えない。

か弱い女が男の乗る土車を引く、というのはこの他にも「箱根霊験躄仇討」の初花と勝五郎がいる。
タイトルにいざりというのが入り、今では差別用語となるので演じられなくなったが、随分人気のあった芝居である。
絵も多い。

展示の中で国芳のは小栗というより箱根の話に見える。
照手姫の前で立ち上がり、箱車を頭上高く持ち上げる姿なのである。背後にある瀧はどの瀧なのか。那智ではなく箱根の瀧ではなかろうか。
もしかすると転用したのかもしれない。

国芳は武者絵の中で「小栗小次郎助重」を馬術の達人として描く。助重は満重の子である。
前述の国芳の復活する小栗は小次郎助重であり、横山に毒殺されるが、二人は離ればなれにもならず旅を続けたようである。
これは「小栗判官一代記」がベースとなっているためらしい。

珍しいのは小栗の家来・十勇士を描いた連作。さすがは国芳である。
上方浮世絵も小栗を描くが、ここでは一点のみ出ていた。

木版の一代略記もある。
これは以前に金沢文庫でみている。
小栗主従が上野原で捨てられている陰惨な風景がある。
その陰惨さにこそ実は深く魅了されるのだが。
zen457-1.jpg

読み物では「小栗実記」がわりに読みやすかった。仮名交じりだからだと思う。
湯の峰のあたりのことが書かれていた。

#3豊国の五十三次絵はその宿場を背景に、その地と関わりのある人物を前面に描いている。
広重や英泉は風景画を描くが、国貞は人物画がメインなのである。師匠の名を継いでもそれは変わらない。師匠の初代もそうで、ライバルの一人・北斎のような多彩さはないが、徹底して役者を描き、人物画を通した。

ここでは藤沢に小栗を、平塚に「小栗外伝」に現れる萬長の娘おこまを描く。
このおこまは「當世流」で重要な役目を担い、その世界では小栗の足腰が立たなくなるのは、小栗にひたすらな慕情を寄せたおこまの祟りという設定である。

外伝のおこまの祟りにより小栗が足萎えになり、照手姫が車を引くことになるのだが、この系統では照手姫も無意識ではなく意識を持って、夫の小栗の車を引くのだった。

それで思い出した。
石森章太郎「変身忍者嵐」原作の中で、小栗と照手の話がある。原本を描いたのではなく、主人公嵐の敵キャラの過去という設定である。
小栗は嵐にその話をするのだが、そこでは病み呆けた自分を車で引いた照手が、一旦仮死した小栗を本当に死んだと思いこみ、埋葬し、その前で自害したというのである。
墓から這いでた小栗の絶望を石森は描く。

また、人形劇「新八犬伝」にも小栗と照手は登場し、犬阪毛野とともに旅をする。
思えば「小栗満重・助重」は八犬伝のその二世代前の話なのである。
毛野の盟友・犬塚信乃の父は結城合戦に参戦し、足を悪くしたのだが、小栗親子はその結城合戦の前の戦の人なのである。
なんとなく面白い。

イメージ (36)

ほかに寺の宝なども展示されていて、一遍上人の絵やコロタイプの模本だが、一代記もあり、「熊野成道図」もあった。
そして歴代遊行上人像や、古刹たるこの寺を描いた絵などなど。

とても充実した展示だった。たいへん面白く眺めた。
自分のような小栗判官の話が好きなものには楽しくてならなかった。
また、近藤ようこさんの熊野探訪の話が興味深く、これは「熊野」だからこその面白味を含んだ話だと思った。
ほかの地域ではなかなかその味わいは生まれないのではないか。

10/6まで。 
関連記事
スポンサーサイト



最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア