美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

ディスカバー、ディスカバー、ジャパン 『遠く』へ行きたい

こちらも昨日で終了した展覧会だが、東京ステーションギャラリーで開催されていた「ディスカバー、ディスカバー、ジャパン 『遠く』へ行きたい」展も面白い展覧会だった。

わたしは阪急宝塚沿線の住人で、子供のころから国鉄・JRとはほぼ無縁で来た。
今でこそ東奔西走するようになったからJRに乗るが、まぁその気になれば全く乗らなくても過ごせるのである。

これはスルッと関西システムが使える圏内を動くだけでも存分に楽しめるから、と言う前提がある。
もっとはっきりいうと、生存中のころから阪急の創始者・小林一三が国鉄を敵だとみなしていて、社歌でもそんな歌詞を入れたりするくらいなのが、沿線住民のわたしにもインプットされているのだった。

だからと言うのではないが、本当に「国鉄の旅」を知らないままで来た。

1970年、万博の年である。
既に生まれてはいたが、本当に万博を知らない。
だからバレイを重ねていても、その熱狂を知らぬものだから、ある種の鬱屈がある。
とはいえ万博とは無縁ではない。通学の時は毎日太陽の塔を見ていた。
あれがいきなり動き出したらこの電車壊れるな、くらいのことを考えていた。
全然関係ないが、中学の時熱狂していた「リングにかけろ」でも万博が舞台になり、ここでわたしの大好きなキャラが主人公のニューブローにヤラレて太陽の塔に激突しておった。
そういうことで太陽の塔を意識する、と言うのはやっぱり、万博の後の世代という無念さがあるからだろう。

さて話を本題に戻し、「ディスカバージャパン」である。
万博終了翌月から国鉄が大々的なキャンペーンを張ったのが、その「ディスカバージャパン」だという。
今回集められた一連のポスターを見て、初めて「あっあのポスターは!」となったものも少なくない。
当時としては画期的なポスターだったそうだ。
特定のどこかではなく、心に浮かぶどこか。
そこへ出かけよう、わたしの日本をみつけよう、という趣旨の広告らしい。
それは「美しい日本と私」という、現代においては非常に胡散臭いテーマなのだった。(胡散臭いのは、今の政権のせいである)
当時の人々はそのポスターに心揺さぶられ、どこかへでかけのだろう。

ここでわたしは谷川俊太郎の詩を思い出す。
  どっかに行こうと私が言う どこに行こうかとあなたが言う
  ここもいいなと私が言う ここでもいいねとあなたが言う
  言ってるうちに日が暮れて ここがどこかになっていく
わたしが覚えていたものとは少し違うが、こんな詩である。

激しいブレをわざと取り込んだポスター。
元気そうな女たち。70年代ファッションに身を包んで、大口をあけて笑っている。
アンアン、ノンノの生まれた時代なのである。

1972年のポスターで見覚えのある場所が出ていた。倉敷アイビースクエアだった。
わたしが学生の頃も大変人気だったが、倉敷に泊まったことがないわたしはずっと憧れるだけで終わっていた。
それが先月初めてここに泊まった。高校のころからの憧れが叶ったが、そんなに跳ね上がる気持ちもなかったのは、あの時の気持ちから遠くへ行きすぎていたからかもしれない。

祖谷渓のかずら橋のポスターもあった。
ここも実は90年ころに行こうとして旅行社にお金も振り込んだのに、ダメになった場所だった。そういうことがあるとわたしは妙な捻じ曲がり方をし、行くものか、という気持ちになる。
今はなきオリエント・エクスプレスもキャンセル待ちがうまくいかず、残念だと思ううちに終わってしまった。
その意味では旅行運がないのかもしれない。

いまのわたしは「どこかへ行きたい」と思いつつも、その「どこか」が確定されてしまっている。未定ではない予定の場所。
だからもうその意味ではこうしたポスターを見てもそそられないのだ。
そこへ行く時間が捻出できない、というのが最大の理由なのだった。

個人的な痛みを振り返りながらポスターを見て歩く。
70年代は本当にどこにも行かなかった。
旅行で行った先と言えば東京と熱海くらいだったか。
そもそも親が出かけないので子も出かけられない。
今でこそ月に一回は東京へ出かけるが、これはもう「旅」ではなく、「出張」だといってもいい。定宿があり、そこでくつろいで、ホテルの顔なじみの従業員の皆さんとおしゃべりする。近所のスーパーで買い物をする。ポイントを使う。
「最近見えませんね」と言われ「実はわたし、大阪の人間なのですよ」と笑う。
もうこれは「旅」ではない。
わたしはただただ東京をハイカイするばかりなのだ。
目的地があるから漂流しているわけでもないのだが。

新聞広告がある。いずれも1970年の毎日新聞である。
「人間と文明」という連載で、文も絵もそれぞれ当代一流の人が担当していた。
テーマは「万博に寄せて」。
ふと見ると、8/18の挿絵は金子國義のアストロノーツ少女二人だった。
とても繊細で大胆な美少女たちである。
ほかにも横尾忠則、林静一、菅井汲らの作品があった。

「ディスカバージャパン」のスタンプが大量に貼ってあった。
凄い数である。わたしもこんなスタンプは大好きなので、見かけるたびにペタペタ押印する。
思えばこれは聖地巡礼で始まったことではないか。
三十三か所のご朱印帖である。スタンプラリーで神仏の世界に近づき、苦しい道のりを歩くことで修業気分も味わえる。

これを見て思い出したことがある。
妹の高校卒業を記念して、わたしが妹を連れて萩・津和野に一泊旅行した時のことである。
ツアー参加したのだが、中に知的障がい者のひとがいた。わりとわがままでおばあさん(に見えたが)をよく困らせていた。
わたしが喜んでスタンプを押印していると、いきなりその人が話しかけてきた。
なにかいいことあるんですか。
わたしは言った。楽しいからしてます。
その人は黙ってスタンプを押した。
わたしは言った。なんか楽しくないですか。
その人は少し考えていたようだが、わからないと言った。
一生忘れない対話だと思う。

「でいすかばあ・じゃぱん」という冊子があった。つげ義春の表紙絵が二点ばかり。つげは貧乏旅行の達人だった。絵はのんびりした情景を描いていた。
「リアリズムの宿」でも「ゲンセンカン主人」でもない旅があるようだった。
びっくりしたのは原田維夫の表紙絵。あの古代中国や江戸時代の絵を得意とする原田さんが、70年代女子旅を描いていた。びっくりしたな~~~

「季刊ウィズ」という冊子は本願寺系の冊子で、こちらは林静一の表紙だった。
中にはわざと夢二調に描いた絵もあった。

大量の観光絵葉書があった。うわー、という感じ。中にはわたしの持ってるものもあった。鬼押し出しとか、レトロな蔵前国技館の手彩色とか。
京都、宮島、菊人形、話の見えない丸顔人形たちの虐待ものとか何でもアリである。
このコレクターさんの気持、わかるなあ。
わたしは観光絵葉書は集めていないが、展覧会絵葉書を…枚ばかり持っているのだ……(あまりに大量すぎて人に信じてもらえないから書かない)

「遠くへ行きたい」の番組が上映されていた。
これはヤラセの一本だった。なんでも村人自身がノリノリになって盛大に演じたそうな。こうした虚実が面白くもあった。

それで思い出したのが手塚治虫の短編サスペンス。ある田舎の村に殺人犯らしき男がきたと情報が入り、排他的な村人はその男を集団でぶちのめす。
意気揚々と警察の連絡を待っているところへ、犯人が捕まったと連絡が来る。
あわてた村人たちはその男を崖下に落とすか何か工作をして、知らん顔をする。
やがて警察が来る、村人たちは胸を張って出迎えるが、そこには村人から集団暴行を受けて瀕死になった男が警察に支えられて立っていた。

手塚は田舎の排他性を極めて冷徹に描いた作家だとも思う。最後の作品の一つ「グリンゴ」がその集大成だともいえた。

時代がいきなり70年代から飛んで、2006年のポスターが現れた。
北陸の宣伝ポスターである。治郎八飴をなめる娘たち。
それから大震災を乗り越えようとしたキャンペーン「行くぜ、東北。」ポスターもあった。
ああ、そうだ、これも旅の誘いのポスターだったのだ。
改めてそのことに思い至り、わたしは声を出して言ってみた。
「行くぜ、東北」
本当に行かなくてはいけない気がしてきた。

面白い展覧会だった。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア