美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

鬼才の画人 谷中安規 1930年代の夢と現実

町田市立国際版画美術館で谷中安規の回顧展が開かれている。
このくらいの規模の大きさでの回顧展を見るのは、わたしは奈良そごう以来だった。
あれは96年の7月だったが、その直前の6月に今は休止中のDO!FAMILY美術館で「谷中安規と創作版画」展を見て、それで彼の存在を知った。
名前もヤナカ・アンキではなくタニナカ・ヤスノリだと教わった。
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創作版画も棟方志功以外の作家を知るようになったのはDO!FAMILY美術館からだったから、その意味では本当にわたしの版画鑑賞の学び先だったのだ。
今でもとても感謝している。

さて「風船画伯」とも呼ばれた谷中は気の毒に、敗戦後のもののない時代に栄養失調であっさりあの世に行ってしまう。
仕事があるのを楽しみにしていたのにそれである。
気の毒である。

作品自体はグロテスクさと、ある種の哄笑に近いバカバカしさとを感じさせるところから始まり、晩年に近づくにつれ、どこか静謐で愛らしい楽しい世界が広がり始めてゆく。
これは彼の思想的な変遷ともあいまった変容だった。

わたしは晩年の佛の庭で遊ぶような作風が好きで、子供らと虎が楽しげにしている作品などに惹かれている。猛禽であるワシたちも空を飛ばず、なんとなく缶けりでもしてそうな風情をみせ、仏も偉そうなことは言わずに保母さんのようにそこにいて、子供らやどうぶつたちを見守る。

96年のそごうの図録は論文も面白いのが何本か載り、今回引っ張り出して再読すると、今回の展覧会で「初めて知ってびっくりしたこと」が既にここで解説されていた。
谷中のモダンダンスへの傾倒の話である。
深く読みこめていなかったことを今さらながらに反省する。
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こうしたところからもわかる。

今の眼で見てゆけば、なるほど谷中の若い頃の作品にはモダンダンスの影響も感じられるし納得も行く。
表現主義に影響を受けていたのは、いくつかの作品に顕著に表れている。
しかしそれはこの時代の若い芸術家に多く見受けられた。
夢二なども「カリガリ博士」に感化され、そのまま「カリガリ博士」を絵物語にしている。
溝口健二も「血と霊」で表現主義が日本でも可能だと示した。

先達の版画家・永瀬義郎に見せた作品などは本人曰く「腐ったはらわた」なのだが、昭和初期のエログロナンセンス、悪魔主義、日夏耿之介への傾倒から考えたら、これもごく普通に納得できる。マヴォへの共感、などなど。

妄想シリーズも背景を想うと、そんなに突飛なものではなくなる。
一枚だけ見て気持ち悪いとかグロだというのは当たらないのである。
この時代の作品は総じてグロ、というくらいでないといけない。

バケモノ世界へのときめきがあるのは何も谷中だけではない。
同時代の宮沢賢治も武井武雄もそれを言葉や絵にした。
ただし彼らはそこにきらきら輝くものを振りかけた。
宮沢賢治は「ペンネンネンネン・ネネム」でバケモノ世界を開き、武井は童画でバケモノの国を知らしめた。

谷中のタイトルの付け方にはある種のときめきがある。
「眩」シリーズのタイトルに現れたそれをみる。
こちらはペン画。
「失情の二方向」「見世物づくし」「人魚売店団」…
こういうタイトルにどきどきする。構図にもまた。

1930年代に入り、仏教との関わりが現れた作品も出てくる。
この時代は「サロメからロボットまで」と題されて作品が並べられているが、ロボットへの偏愛が強い時代だったそうだ。
わたしなぞは70年代以降のロボットアニメしか知らないから、この時代のその感性に興味がわく。
そしてこの頃の作品にモダンダンスの影響をも見る。

葬送行進曲 瓶詰の棺。なんだかそれだけでもどきりとする。見るこちらの妄想が広がってゆく。ある時期・ある死に方により、瓶詰にされるされないが決まるとか、そんなことを考えたり。

田中貢太郎の怪談も懐かしい。あれは世界教養文庫で読んだんだったかな。そのときの表紙は別人なので谷中のではなかったと思う。
ここらあたりはペン画の面白味がよく出ていた。
ロボットとオバケと動物とが入り混じる空間、杉浦茂の先達のようだった。
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そういえば谷中は長谷川巳之吉に紹介されて佐藤春夫らを知ったと言うが、長谷川は戸板康二「ぜいたく列伝」にも一章さかれていたな。
出版の贅沢を堪能…。

やがて「影絵芝居」が現れる。連作物。アンデルセンの話をモチーフにしているが、全くその通りではない。ラストが痛切でもある。
鬼たちを「情鬼」と呼ぶ辺りにも仏教観のあり方がみえる。

それにしてもこの時代を「同時代人」として活きていたのが武井武雄、宮沢賢治、夢野久作、杉浦茂、石川淳、だというのが何やらとても納得できる。

谷中と蝶との関係については論文も読んだが、やがて時代を経るにつれその蝶の出番が少なくなってきたと思う。
理由はわからない。
しかし1933年の「蝶を吐く人」は一目見ると忘れられない作品ではある。
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版画はモノクロに固執しなければ、色の変化で時間の推移を表せもする。
特にそこに力を入れたのが吉田博だった。
かれは版木ひとつで朝・昼・夕がた・夜を美麗に演出した。
川瀬巴水も配色の変化で季節を変えてみせた。
自刻自摺の谷中もそれをする。
「街の本」シリーズはいずれも手彩色により、時間の変化を示してみせた。
裏彩色での美しい色彩である。
渋谷、ムーランルージュ、動坂といった「場所」にはこれらの変化がとてもいい
描かれているものは、鳥の剥製店、遠景にお寺の塔などである。
東京のどこかの景色から、少しずつ道を外し始めて、異界へと至る…
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可愛い龍 1933.11 これなどは極楽アイランドの様子を描いたように見える。
仏画めいた作品は続く。
半鳥身と子供たち ああ、確かにその範疇に入るかもしれない。表現は違っても。

内田百閒の著作の表紙などを担当するようになると、そのあたりの作品は初期のようなグロテスクさをうしない、どこかしっとりした風情を見せるようにもなる。

1934年の童話「王様の背中」のための仕事を見る。
浅草風な町並みと、「猫のいる丸い街」と。後者は中世風。そして花札サイズのカットが楽しい。様々な絵柄から逆に物語を想像する楽しみがここにある。

やがて世間では本格的に戦争の時代に入り始めるが、谷中の描く世界はますますある種の平安さを見せ始めていく。
佛の世界を背景にしたユートピアである。

にこやかな童子たちが楽しげに虎や象に乗り鷲とも戯れる。みんな仲良くして、噛んだり突いたり叩いたりなどしない。
優しい色彩が天から降ってきて、彼らを染め上げる。

内田百閒「冥途」の装幀がある。怖そうな雰囲気がそこにある。虎だか豹だかの恐ろしい顔である。
しかしグロテスクさはすっかり失われている。
「狐の裁判」などもたいへん細かい作画になっていた。
尤も児童向けと大人向けと言う違いを考えてのことかもしれないが。

珍しいものがあった。
1940年の「新日本百景」に参加して「大川端」を描いている。
浜町からの眺めで、遠くに蔵前国技館も見える。
彼も他の版画家たちと同じ仕事をしていたのだ。それが何となく嬉しい。

子供たちのための作品がある。
つきあいのある大橋家の長女のために色鉛筆で楽しい動物絵を描いていた。
かれは子供好きで、子供らも彼に親しんだ。

この時代には「若き文殊と友達」という作品があり、獅子に乗る文殊と山羊に乗る子供らを描いているが、文殊を谷中だとみなすと、興味深い絵にも見える。

子供に好かれる男と、老人に好かれる女は共にリア充から遠ざかるのだ。
そんなことを考えた。

パステル画も増えている。しかしこれは版画が作れない時代になったということかもしれない。
びっくりしたことがある。
岩下俊作「富島松五郎伝」表紙。これは映画「無法松の一生」の原作なのだ。
わたしは戦前のバンツマが演じたのを見て、泣けて泣けて苦しかった。
無償の愛情を捧げた男の寡黙な、そして哀れな生涯。もう本当にせつなかった。

そうか、その原作本の表紙を担当したのか。人力車が描かれていた。

ほかにも「次郎物語」や「花のき村と盗人たち」もある。
ホフマン「クルミ割り人形」の扉絵も可愛い。
少女クララと三角帽のクルミ割りとがいる室内、そこには敵のネズミもいっぱい集まってきていて・・・
外国を舞台にしたものの絵が案外いい感じだと思った。

とても見応えのある展覧会だった。
しかし谷中の最期を思うと、やはり胸が暗くなる。
時代が悪かった、というだけではすまない最期だった。

11/24まで。
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