美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

生誕120記念 川西英回顧展

昨日で終了したが、小磯良平記念美術館で「生誕120年 川西英回顧展」が開催されていた。
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99年に「川西英と三紅会」という展覧会がここで開催され、そのときもいいものをたくさん見せてもらったが、15年も経つと全く新しい気持ちで展覧会を見ることになった。
無論その間にも神戸市立博物館で展覧会もあったし、神戸市のHPに「神戸百景」のサイトが作られ、見たいと思う人は手軽に見に行けるようになった。
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そして悲しいことが一つ。展覧会の最中にご子息の版画家・祐三郎さんが亡くなられた。
この方の作品も父上同様すばらしく、戦前戦後の神戸・阪神間は父上、昭和後半から平成の現代は息子さん、と二代に渡って描き続けてこられた。

よく風景を描くのに「東京は版画、京都は日本画、大阪は洋画」で表現するのが最適だというが、神戸から阪神間はやはり版画と洋画だと思うのだ。
洋画は小磯、田村孝之助らがいるし、版画はこの川西父子が代表なのだ。
(大阪を版画で描いたのは川瀬巴水と織田一磨くらいか)

ああ、いいなあ、としみじみ眺める風景。
ノスタルジイとモダンさとハイカラさとがその版画にはある。
神戸大空襲と阪神大震災で本当にかつての姿は失われてしまったが、それでも川西英の作品の中には古き良き時代の神戸と阪神間が活きている。

なお、このささやかなブログを読まれる方の内、京阪神以外の方はわたしの言う「神戸と阪神間」という表現がわかりにくいかもしれない。
関西はそんなに大きい土地でもないが、非常に県民性が違い、地域性が異なる。
大まかに言えば大阪は「摂河泉」と「浪花」の4つ、兵庫は「播州」と「丹波」と「淡路」と「神戸」と「阪神間」とに分けられると思う。
その阪神間もまた大阪の北摂と密接な関係を持つ地域もあるので、このニュアンスは地元のものでなければやはり伝わりにくいと思う。

展覧会は前後期に分かれていた。わたしは後期に出向いた。

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銭湯図 1920 女湯の脱衣場のシーン。この時代だと確かにこの賑わいがあったろう。
今ではお客も少なくなった。

曲馬(チャリネ) 1924 川西英はサーカスが好きだったか、サーカスというか曲馬を描いた作品が多い。華やかなサーカスを描く川西英。

曲馬道具集 1927 ロシア語がついている。これは可愛くて好きだ。もうこの頃はイタリアではなくロシア、いや、ソ連のボリショイが日本でも人気が出ていたのだろうか。

軽業 1930 これは京近美で見たのが最初だった。色合いも黄色と赤と緑の派手な配色で、可愛いお姉ちゃんが脚を挙げている。
この絵葉書は自分のファイルの中で、木版画時代の長谷川潔のそれと背中合わせにしている。ちょっとしたこだわりのある取り合わせ。
好きな一枚。

ハムレット 1929 赤色がよく出ている。父王の死体を見るところ・手前では母后と語り合うところ。異時同時図か。

神戸十二か月風景 1931 六月から後が出ていた。1931年の神戸の魅力を味わう。
実際にもうこんな風景はないのだが、途轍もなく魅力的で、じっ と見ていると、自分もこの風景の中に入り込んでゆくような心持になる。
それはやはり川西英の作品の良さもさることながら、描かれた場所が(現在ではかなり違ったとはいうものの)自分が知った場所だから、より親しみがあるからではないか、と思いもする。

九月の諏訪山満月、十月の布引紅葉。この二つが特に好きだ。後者には水兵さんもいる。
ああ、楽しいなあ。

甲子園球場 1931 あっ!!蔦がないねー。

お蝶夫人 1933 第一幕・第二幕が出ている。妙に中国風な背景。スズキに至っては完全にチャイナドレス着てますがなw
川西英はあえてそのままにしたのだろうな。

前記には「カルメン」が出ていたようだ。あれも好きな連作。

襟巻裸婦 1933 うむ、つまりハダカマフラー。

曲馬(ハーゲンベック) 1933 これはドイツの曲馬団。このときの公演が日本人に大きな感銘を与えたのは有名。六代目菊五郎はハーゲンベックのライオンの動きを見て、それを「鏡獅子」に取り入れた。そしてその「鏡獅子」を見たジャン・コクトーは映画「美女と野獣」を創造したのだった。

阪神パーク 1935 泣ける。あった時代を知るからこそ、泣ける。
ところで思い出のよすがにというかなんというか、廃園直前の阪神パークの写真を撮って記事にしているので、よければどうぞ。
こちら


次に別車博資コレクションの「神戸百景」がずらりと並ぶ。1933-1936年の木版色摺。
これは冒頭のそれとは違う。戦前の神戸。ハイカラでモダンな神戸。
なお1960年代の「神戸百景」のサイトはこちら

清盛塚、松風村雨堂、湊川公園…今もあるねえ。旧い昔をしのぶ場所。
敏馬ボートハウス みぬめ、と読む。これは今の岩屋辺り。兵庫県美術館のほんネキ。
税関、栄町、南京街、元居留地…その時代の新しい場所。
瓦せんべい屋 神戸の銘菓。二社あるようだが、わたしはどちらも大好き。美味しいよ。
突堤、六甲ロープウェイ、浮ドック、ガソリンタンク…明るい未来を信じようとしていた時代に生まれた最先端の場所。

ああ、80年以上昔のモダンさにときめく。

川西英もたまには神戸・阪神間以外の地へも行く。
自宅を描いたものもあれば、静物画もある。
京都へも九州へも上海へも出かける。戦時下だからこそのツアーとも言える。

日向青島 1939 凄い熱帯。植物が凄い成長。これはわたしも行ったが、川西英の青島は亜熱帯ではなく熱帯雨林になっていた。

宝塚温泉 1940 のんびりして見える風景。
この時代の宝塚を描いたのはほかに手塚治虫がいる。
晩年の傑作「アドルフに告ぐ」の事件の発端はまさにその時代の宝塚温泉であり、物語は神戸で始まるのだ。

街1(中国街) 1944 映画「上海グランド」を思い出す!!ドキドキする。なんと魅力的なのだろう。色んな妄想が湧きおこる。

もう決して行くことのできない場所というものがある。
それは、距離が離れすぎた場所、心が拒絶する場所、行くことを許されない場所、そして失われた場所である。
川西英の描く場所でもう決して行くことのできない場所とは、失われた場所なのである。
失われたからこそ、昔日の輝きはいよよ増して、想う者の胸を痛めつける。

川西英の植物をみる。

斑入り椿 1944 青花の綺麗なのに入っている。色鮮やか。

山茶花の庭 1946 戦後になったが、戦前と変わらず穏やかな時間がそこにある。華やかな花々。蹲の美しさ。いいなあ。

六月の庭 1945 ウィリアム・モリス風なカラフルさがある。

かけひ 1950 おばしま(欄干)の交差する美しさ。竹床、蹲、ヤツデの緑。なんとも素晴らしい。谷崎潤一郎「夢の浮橋」の庭を想う。
あの庭の実景はこちら。以前に挙げている。

睡蓮の頃 1958 和の庭の美。
現在では木版画で和の美を表現するのはジュディ・オングだけになってしまったが、この時代は川西英の艶やかで明るい作品があったのだ。

菊 1912 随分古いものだとはいえ、この作品はイメージ的に「菊」ではなく「クリサンテーム」と表記したい。そんなイメージのある「菊」だった。花瓶の花。

若い頃の川西英のエピソードが興味深い。
気の毒に船に乗って遠出をするとやたらと難に遭う。大時化にあったり予定変更を余儀なくされたり。
1914年の上海―漢口ツアーも大変だったようだ。
そのツアーの水彩画がいい。

若い頃の水彩画の良さは木版画とはまた趣を異にする。
神戸栄町之図 1920 表現主義風な市電と郵便局など。
トーアホテル 赤いドーム屋根。ヒマラヤ杉が林立。
どちらも素敵。

1963年の「兵庫百景」はまさかのポスターカラー製作で、これがまたたいへん面白い。
こちらは神戸市立博物館でそれだけ集めた展覧会を見ている。
「神戸と兵庫のモダニズム 川西英えがく「兵庫百景」を中心に」
感想はこちら
いい展覧会でしかも200円という安価。小冊子も同額。嬉しかったなあ。

宝塚ファミリーランドのお城が見えるよ…(涙)。
舞子の月は変わらぬ月だが…

川西英の仕事は多岐にわたる。
1937年には布に版画のカレンダーが出ている。かなりおしゃれなカレンダーだった。
カルメン、ひまわり、曲馬団、海、買い出しなどなど。

ああ、神戸に行きたくなってきた。
30分ほどで行ける場所だが、わたしとっては神戸はキモチ的には決して近くはない地なのだ。
今度はぜひ神戸を愛する人と神戸をめぐりたい。
それをしてこなかったから、わたしは神戸に疎遠なのかもしれない。

じっくり味わいたい川西英の仕事だった。
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