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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

忌野清志郎 手塚治虫ユーモアの遺伝子

清志郎の油彩画や衣裳が手塚治虫記念館に集まっていた。

イメージ (87)
中学の時に「雨上がりの夜空に」を知り、それから長くファンでいた。
少しばかり離れていたこともあったが、宇宙の彼方に清志郎が行ってから、却ってまた昔のように好きでいる。

最初に清志郎のライブ映像が流れていた。
ここだけ撮影可能。
いつの時代のどこのライブかは問題ではない。
清志郎は永遠だ。
永遠にキモチEヤツだ。
清志郎の衣裳や靴がある。


ちょっと泣いてしまったが、清志郎の映像を見ていると、やっぱり元気になる。

清志郎は手塚ファンだった。
それで特にブラックジャックが好きだったそうで、見ないで描いてたそうだ。
ただしブラックジャックには髭がある。
これは清志郎だけのブラックジャック。

マンガを読んでドキドキしていた清志郎は手塚の出した漫画の描き方という本を見て、これは無理だと感じて筆を折ったそうだが、後年、手塚の生原稿を見て、その修正の多さに感銘を受けている。
清志郎はペンで描くのをやめて油彩画を始めた。
ここにあるのは人物画がメインで、幼い子供らもいる。清志郎の自画像とよく似ているのは自分の子供さんを描いたからだと思う。

愛情のある絵が多い。
清志郎は対象物を突き放して描く、と言うことをせず、近い距離で愛をこめて描いていた。
巧いとかどうとかではなく、いい絵が多い。

清志郎の初期の歌に「僕の好きな先生」というのがある。
高校の美術の先生を歌った歌だった。
その先生は清志郎の宇宙旅立ちの後始末の日、思い出話をしていた。
音楽がなければ清志郎は絵を描いていたのだろうなとそのときも思った。

清志郎のなかよしさん三浦友和とは高校の文化祭か何かに、毎年必ず一緒に出掛けていたそうだ。
お揃いのアロハか何かを着て、高校卒業生の作品コーナーに自身の作品を出していたそうだ。
今、その話の出典が見つけられないがそんなことを読んだ。

展覧会では清志郎の曲が流れる中、彼の油絵を見るのがメインになった。
そうそう、清志郎の蔵書も紹介されていた。
COM版の「火の鳥」と「奇子」などである。
わたしも「奇子」は本当に好きだ。

イメージ (88)

清志郎、やっぱり最高だったなあ。
もう活きてる人間のもとに新曲は届かないけど、永遠に清志郎の歌は生き続ける。
それは確かな話だった。

2/20まで。
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