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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

向井潤吉と麻生三郎の挿絵と装幀の仕事をみる

今回のハイカイでは挿絵を見ることも大きな目標だった。
それも普段は見ない作家の仕事としての挿絵である。
挿絵専門の弥生美術館とは違った場所での楽しみ。

まずは民家を描くことをライフワークにした向井潤吉から。
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向井は今東光「悪名」の挿絵を描いていたのだ。
わたしは勝新太郎の三大シリーズの「座頭市」「悪名」「兵隊やくざ」をよく見た。(TV放映でですよ、もちろん)
特に「悪名」は河内が舞台で今東光の原作だから痛快で面白かった。最初と続編の「悪名」はカメラが宮川一夫だから、凄い巧い。
本宮ひろ志「男一匹ガキ大将」は「悪名」からヒントを得たと言うが、あれも小学生の私に強烈なイメージを植え付けてくれた。今も本宮御大のファンなのは言うまでもない。

さて原作の「悪名」。
とにかく朝吉(実在の八尾の侠客をモデル)と弟分の「モートルの貞やん」の二人がめちゃくちゃエエのである。
モッチャリした所もあるが、とにかくトッパでカッコええ。
それを向井はすっきりした筆で描いた。
このチラシは「悪名」の一部。#69「闇夜のつぶて」の挿絵。
今東光は週刊朝日で1961年にこの連載を続けていたのだ。
半世紀前の挿絵、イキイキしてとてもいい。
これはあれかな、松島の店先か?ちょっと調べようと思う。
松島というても「松島や、ああ、松島や」の松島やのうて、もちろん歌舞伎役者の「松島屋」でもなく、大阪の松島、九条の方の松島である。色町ね。
女を足抜けさせた話があった。

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これは#61「果たし状」。大衆的な飲み屋・喰いもん屋が並ぶ。これもまぁ三業地の・・・どこらへんかはわからない。
絵の手前の店屋は提灯・看板・暖簾ら「かんとう煮」とある。かんとう煮は「関東煮」つまり全国語でいう「おでん」である。
どう読むかというと「カントだき」くらいの発音である。
今は大体大阪のどこでも「おでん」というが、今も一部や昔からの大阪人は「カントだき」と言う。
高名な「常夜灯」さんはあまりの美味さに「カントだき」ならぬ「かんさいだき」にせぇと森繁久弥に言われてそれをカンバンにしているが、大抵はやっぱり「カントだき」である。
元々は京都育ちの向井潤吉だけに、こうしたところにヤラカイ(柔らかいの訛り)情緒が見える。

出ていたのは「対決」「土生の港」「対面」「身の振り方」「果たし状」「落ち行く先」「仮住まい」「闇夜のつぶて」「箱枕」「夢のような話」「椿の花」である。
中でも「対決」は3シーンが出ていて、・ピストルの絵・階段から転げ落ちる男二人・貞やん、女、朝吉の三人並び。
その三人の姿がホンマによろしい。
貞やんは「モートル」の(motorの意)、とあだ名がつくくらいの「エエ身体」の男なのでちょっと背ェも高いし男前、女は丸顔できりっ。朝吉は角刈りというより1960年当時の慎太郎刈りかスポーツ刈りみたいなアタマをしているが、目がキラキラしてみんなとてもイキイキしている。
やっぱり挿絵はこうでなくてはいかん。
わたしはこの絵の三人見て、ドキドキしましたわ。

「悪名」は家にあるが、同じ今東光の小説なら「春泥尼抄」が大好きなのでそっち読んでばかりで、「悪名」は小説より映画の方が親しみがある。またきちんと読もう。そして向井の挿絵を思うのだ。

治承四年の大仏炎上、別府の坊主地獄などの絵も入り、それらもいいし、鹿に囲まれる朝吉、トランクに荷物詰め込むところ、歩くところなどなど、「読みたい」とそそられるそそられる。
ああ、ええもん見せてもらいました。


悪名 (新潮文庫 こ 5-3)悪名 (新潮文庫 こ 5-3)
(1964/12)
今 東光




こちらは佐多稲子「体の中を風が吹く」。1956-1957の朝日新聞夕刊小説の挿絵。
タイトル聞いて「ひゅ~~」やなと思ったら、やはりそんな虚しさを描いた作品のようだ。
シングルマザーとして働く女が同僚と隠れた付き合いをするが、男に縁談が持ち上がり・・・というような展開らしい。
わたしは佐多は読んでないので知らないが、これも端正な絵だった。
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そしてこれは女の家の前庭。彼氏とわが子が何やら立ち話。
この家の在り方を見て、関西人のわたしは「ああ、関東の民家やな」と思ったのだった。
つまり関西は木を見せたりはしない。木造でも必ずモルタルを塗るのだ。
今も残る古い民家を見ながら、この絵と同じだと思いもする。

場所により建物の違いが大きい。
民家を描く向井は決しておろそかにはしない。


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情緒のある民家とその周辺。

挿絵ではほかに1945年の久生十蘭「をがむ」を第3回目くらいからしている。
これは本来柳瀬正夢が担当していたのだが、開始が1945年の5/23で、柳瀬が空襲を受けて亡くなったのが5/25.
・・・戦争は本当にアカン。

その戦争の惨禍の痕を描いたこの絵は新潮文庫版ヘミングウェイ「武器よさらば」の装幀。
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イタリア戦線。第一次大戦か…。

向井が手掛けた週刊誌表紙絵も並んでいた。
週刊朝日、週刊サンケイ、サンデー毎日・・・主婦の友もある。
ほかに吉川英治「梅里先生行状記」の装幀も向井。

3/22まで。


次に神奈川県立近代美術館鎌倉館別館で開催していた麻生三郎の挿絵と装幀。
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向井もそうだが、麻生も本業のタブローより挿絵やちょっとしたカットの方がずっと好きだ。
申し訳ないが、二人ともそちらの方ならいつでも「大ファンです」と言いたい。
洋画家の挿絵は日本画家のそれとはまた違う魅力があり、面白い。
日本画家の挿絵は本業と地続きな魅力があるが、洋画家の挿絵は時により全く別な顔を見せるからだ。
特に麻生三郎は小出楢重、中川一政、木村荘八と並ぶ挿絵の大家でもある洋画家だとわたしは思っている。

麻生三郎のタブローには殆ど関心が向かない。
彼の仲間の松本竣介は絵も好きだし本人も「フルポン」と呼ばれた美青年だし(ここらが重要)で大好きなのだが、麻生三郎はニガテだった。
ところが今回の挿絵などを見て、いっぺんに麻生三郎ファンになった。
尤もこのチラシ中央の「真空地帯」などは怖いのだが。
いや、そもそも野間宏「真空地帯」は怖い話なのだ。可愛い絵というわけにはいかない。

国家というものと対峙する個人、国家による暴力・不条理な仕打ちに抵抗しようとして圧殺される個人。
読むことができないほど苦しい。
わたしは戦争文学がつらいのだ。

チラシ最下の正方形の「帖面」は蓬莱印刷所が刊行している読み物で、麻生は表紙絵だけでなく編集にも携わっていたそうだ。1958-1982年まで続いた季刊誌。小さなカットも可愛い。

雑誌ではほかに小金井カントリークラブの会員誌「小金井」の表紙、「囲碁クラブ」が可愛い。
太い線と細い線とで描かれた作品。
細いペン画はどちらかと言えば無惨なシーンが多く、太い線のものはほのぼのしている。
イメージ (13) イメージ (14)

野間「怨霊対談」の挿絵にカニが描かれている。無数のカニと人らしきものと太陽と。
なにを意味するのかはわからないが、この絵を見て小説を読みたくなったのは確かだ。

野間「文章入門」表紙は横顔と指と本とが描かれている。
シンプルなふるえるような線で描かれた作品がいい。

野間「顔の中の赤い月」目を言うのか。顔の中に人の姿がある。怖いような挿絵である。

わたしは文学少女だった頃から野間宏、椎名麟三を読む人は根性があるなと思っていた。
本当にわたしなどはどうしても読めない。
同じように戦後から登場した作家のうち、武田泰淳、埴谷雄高は好きなのだが、野間も椎名も大岡昇平もニガテなのだ。
海外でもソルジェニーツィンなどは全くムリだ・・・

さてその椎名もソルジェニーツィンも麻生三郎の絵が活かされている。
「煉獄の中で」「ガン病棟」の表紙が麻生の仕事だった。
胃が痛くなるような内容だった。
表紙も決して優しいものではない。

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伊東光晴、倉橋由美子などの作品もある。
芹沢光治良「人間の運命」も並ぶ。
これを見ると必ず思い出すマンガがある。
「花とゆめ」に出ていた、作品名も作者名もわからない作品だが、作中のメガネの物静かな少年が「人間の運命」が面白すぎて夢中で読みふけり、視力が落ちた、という設定があった。
(2017.3.2追記 戸田のりえさんのまんがだ。タイトルまでは思い出せない。「ぴとぴとぴっとん」の作者の人。)
それでわたしも読もうかと思ったのだが、とうとう読まなかった。
本の存在はすでに知っていたが、当時小学生から中学生あたりのわたしはほかに興味があり、こちらへ向かうことがなかったのだ。

文芸誌の「海」「新潮」のカットなども担当している。
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上二つは雑誌では黄色が赤く変えられていたが、原画はこのように黄色。
様々な人々の様子を距離を置いて描いている。
下のは「新潮」68年3月号目次だが、よくよく見れば不穏な絵である。左には首ナシ裸婦、包丁を持っているかのような人物、右端には人の首らしきもの。
・・・なんなんだろう。

描かれた情景が謎なものであってもいい。それはそれで物語性を感じて、妄想が広がるからだ。
しかし抽象表現は理解できない。
挿絵は好きだ。物語の一部を描くだけでなく、その情景から様々な妄想が湧き立ってくるからだ。
物語そのものを読みとれもするし、逆に全く違う話をこちらで紡ぐこともあるからだ。

麻生の挿絵仕事はリアルタイムの連載時のものではなく連載終了後に作られたものが多かった。
日本文学全集などの為の仕事。

リアルタイムのものではないが、実感を共有しているからか、麻生の挿絵は野間のも椎名のにも実によく合う。
どちらもわたしはニガテなのだが。

わたしが好ましいと思うのはこちら。
福永武彦「夢みる少年の昼と夜」。

夢みる少年の昼と夜 (新潮文庫 ふ 4-5)夢みる少年の昼と夜 (新潮文庫 ふ 4-5)
(1972/11)
福永 武彦


これは実はわたしも持っている。そしてわたしはこの表紙がとても好きなのだが、どういうわけか、この表紙が麻生三郎だと展覧会を見るまで全く知らなかったのだ。

つい先月、弥生美術館で高荷義之展を見て、彼が「気分はもう戦争」の表紙絵を担当していることを知り仰天したが、今回もそうだった。
見返しを見ても「カバー 麻生三郎」とあるのに、あの洋画家・麻生三郎とは一致しなかった。
びっくりしたなあ。

この「夢みる少年の昼と夜」は日本の短編幻想小説のベスト10に入れたいと思う。
タイトルに惹かれ、表紙の美しさに惹かれ、そして作品に溺れた。
今もこの文庫本を大事にしている。この先もずっと。

麻生はほかに「イワン・デニーソヴィチの一日」の表紙も描いていた。
これも重かったなあ。

カットで「花」「あるぺーじゅ」と題されたものがあるが、もそれぞれ白猫・黒猫を描いている。リアルな動きを見せる、シンプルな描線の猫たち。

芸術新潮の1950年の五月号、六月号の表紙も担当しているが、どちらも顔の見えない裸婦だった。しかし全く違う体つきの女たちを描き分けている。やや細い五月、迫力のある六月。面白く眺めた。

辻邦生「背教者ユリアヌス」も麻生だった。1968年。
そしてその雑誌掲載時の「海」の目次カットが前掲の首ナシ裸婦。ほかの連載をみると、石川淳「天馬賦」があった。ちょっと嬉しくなる。←石川淳のファンなので。

最後に前述の「帖面」のコーナーがあった。
蓬莱印刷所のPR誌とはいえ、大変良質な雑誌だったようだ。
麻生はそこで「桜の園」のカットなどを描いている。
「ダダイスト新吉」の高橋新吉「猩々」もある。
「イェイツと能」やクローデル、木喰などなど。
仏画も可愛いカレンダーもここから出ている。
読者カードは千社札と呼ばれていたようだ。
福永、串田孫一、向井良吉、森、山室静らの言葉が載っていた。

非常に面白い展覧会だった。
もう終了したが、これはいい展覧会だった。
麻生三郎のこの方面の仕事、わたしはとても好きになった。またいつかほかのも見てみたい。
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