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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

天神万華鏡

松濤美術館で常盤山文庫所蔵の天神さんコレクション展が開催されている。
タイトルは「天神万華鏡」
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なるほど、確かに天神様は色々な面を見せてはります。
・学問の神様。
・御霊信仰の方の親玉。
・梅好きなひと。
・大歌人。
・ちゃんとした席でなく急ごしらえの綱シートに座らされて怒ってるひと。
・神様に訴えるひと。
・速攻で中国にわたりまた速攻で帰国したらしいひと。
・牛と縁のあるひと。
……チラシにもある通り「天神様にもいろいろあります」のよ。

いつもながらの長い前置きをすると、わたしは天神様の氏子です。
それもほんまに天神様がおいでになったさる神社の氏子。
大宰府に行かされる前にいややなー、と菅公がうだうだ思いながら「足の神様」にお参りに行きますわ、と立ち寄った藤原魚名公をお祭りしている神社で、ここが後に天神になり、またえびす講も請来している。
今もガンバ大阪の選手たちが足の祈願に来たりしてはる古い神社です。

そういうわけで、自分から喜んで拝みに行くのは天神様と商売繁盛のえべっさんとお稲荷さんと言う感じかな。神様系では。
ただ、あんまり熱心ではない。
真剣になると、自分の行動に規制がかかるから、避けてます。
つまりそれだけ畏れを感じている、と言うことでもある…

先般鎌倉国宝館で、この常盤山文庫の天神様の資料をメインにした「荏柄天神」展があった。その時の感想はこちら

なお、2001年の暮れに大阪市立美術館で「天神様の美術 北野天満宮1100年」展が開催された。
ところで当然のことながら常盤山文庫は菅原通済とその父のコレクション。
かれらは菅公の子孫を自称していた。
それで思い出したが、今東光「春泥尼抄」のご附弟さん・春鏡尼は菅原家の子孫という設定で、それだから尼門跡のご附弟になったという設定だった。

序章 天神の居ます処 北野天満宮

北野社頭図 狩野松栄 一幅 紙本墨画 室町~桃山時代 16世紀  松並木がある。人々は総じて小さく描かれている。腰の曲がった老人なども参詣に来る。水墨のみだが明るい。土佐派の血を受けた松栄。狩野派の経営もよく、永徳につなげる。
リアルな北野の様子。五百五十年前ではあるが実感がある。

天神像 三浦乾也 一躯 木造彩色 明治時代 明治12年(1879) マトリョーシカ風な感じがする。

第一章 人から神へ 菅原道真、天神となる
ここでは様々な束帯天神像がずらりと並び、壮観。
老人に描くものもあれば壮年に描くものもあり、静かに端坐するものもあれば、憤りをこらえようとするものもある。
前歯で唇をかみしめる絵もある一方、庭の紅梅を見上げる温和な絵もある。

その庭の紅梅を見上げる、という動きのある絵は土佐光信の娘で狩野元信の妻となった千代女の手によるもの。
狩野松栄の天神は非常に怖い目をしている。
幕末の水戸藩藩主・徳川斉昭は不敵な面構えで、これだと菅公ではなく自画像だった。
抱一の天神は白梅と一緒で、白梅がいかにも抱一の絵。
室町から幕末までの束帯天神像。

天神像 竹沢養溪 一幅 絹本著色 江戸時代 18~19世紀  これだけ天拝山の菅公。この絵はまだ静か、嵐の前の静けさというやつよ。蓆に座して祈願中。強風今だ吹かず。

大体この天拝山の図は近代になるほど過激かつ過剰なものになるのよね。
「ギョッとする日本絵画」だったっけ、いや「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」か。
あの時のチラシは過激な天神さんで、今度4月に「ダブルインパクト」展に出る。
そう、どちらにしろ二つの「ギョッとする」展覧会に出る。
ちなみに「揺らぐ近代」の感想はこちら


第二章 海を渡った天神 渡唐天神
九州の禅宗から発生した「渡唐天神」。

道服のようなものを着て梅を手にする、と言うのが一般的な渡唐天神像。
たくさんある絵の内から紅梅or白梅のチェックをしてみたり、そんな方向でも楽しめた。

多くの渡唐天神のうち、近衛信尹のがやはり面白い。
絵の概線が「てんじん」を示しているのだ。
大和和紀「イシュタルの娘」は小野のお通を主人公にした作品だが、作中で信尹が秀吉との確執の中でついに関白になることを決めた気持ちを示すのに、この絵を使ったという描写がある。
お通は彼の絵を見てその思いを察するのだが、信尹を監視する石田三成はその書き物を見ても彼の本意を読み取れず、この暗号は成功する。
三成自身も優れた教養の人だが、公家のこうしたやり取りは見過ごしてしまうのだった。

伝・祥啓の渡唐天神は珍しく横向きでしかも素足である。こういうのも面白い。

そういえば梅はうめ、むめ、ばいの読み方があるが、北京官話では「めい」であり、「うめ」と日本語で言うてもそのまま通じるそうな。
京劇の名優・梅蘭芳は大正時代からきちんと「めいらんふぁん」と発音されてもいる。

天神さんの梅とのかかわりは周知のとおり。
梅のエピソードがいくつかが思い浮かんでくる。

第三章 流される天神 綱敷天神
左遷される旅の途中、座るものがないところについたとき、現地の人らはあわてて綱をほどいて座りものに変えたとか。
しかしそんなものに座らされる身としては、呪うよりほかにない。

綱敷天神像 武田信廉 一幅 紙本著色 室町時代 16世紀  あぁ寂しいなあという顔つきの天神さん。描いたものは信玄の弟。

綱敷天神像 狩野探一 一幅 紙本著色 江戸時代 19世紀  おとなしい顔つき。
あきらめたようにも見える。大抵は怒っているのだが。

第四章 天神のパートナー
取り合わせの妙。

人麿・天神像 一幅 絹本著色 室町時代 16世紀  どちらも詩歌の達人。和歌と漢詩。そして思わぬところで生を終えている。

騎牛天神像 一幅 絹本著色 江戸時代 18~19世紀  松と梅の木の下で。
牛と天神さんの深い関係。

天神・文殊像などもあるがこれは知恵の神様ということ。

第五章 菅原道真の生涯 誕生から天神になるまで 
奈良の菅原神社が生誕地だというが、生まれたときから多くの謎と言うか奇瑞も色々あったとか。

北野天神縁起絵巻 三巻 紙本著色 室町時代 15~16世紀 1巻 2・3巻
わたしが見たときは中巻が開かれ、菅公の死後に牛が止まってその地を埋葬地にするとかなんとかというあたり。
ざくろの粒を焔にしたり、時平のもとへ祟りがあったり、浄蔵の祈祷とかそんなシーンが見える。

天神さんは天慶五年に、七条に住まう多治比文子(奇子)に右近馬場(北野あたり)に社を作れと託宣をしたりしていたが、経済的事情でポシャったりした。
関係ないが、この「奇子」であやこは手塚治虫「奇子」しか知らなかった。
先輩がいたのだなあ。

さて清涼殿に雷神が出たり円融帝の頃に虫食いの和歌が出たりというデモンストレーションがあり、天神さんにとうとう官位を追贈することになった。

待賢門院の女房が盗衣の濡れ衣を着せられ北野に参籠したところ、冤罪を着せた相手が裸で回廊を走りまくる珍事が起こったり。

こうした神罰覿面やご利益の話が出てきて、天神さんは完全に神になった。

さまざまな天神像を見る。
幻之天神御影 一枚 札 19~20世紀  怖いお顔。
渡唐天神像 一枚 大々判墨摺絵 江戸時代  墨絵で塗り絵可能な絵。
束帯天神像 河鍋暁斎 一枚 大判錦絵二枚続(1858~70)  真っ向の天神さん。

大坂新町ねりもの 柳川重信 一枚 大判錦絵 文政5年(1822) 一種のコスプレ。新町のお姐さんたちの年に一回のコスプレ行列を取材。

騎牛天神像 二枚 大判錦絵二枚続 江戸時代末期~明治時代初期19世紀  牛が見上げると読書中の天神さん。牛の舌が大きい。タンですなw

月百姿 菅原道真 月岡芳年 一枚 大判錦絵 明治19年(1886)  連作の一。稚児輪の若き菅公。

菅公配所之図 小林清親 三枚 大判錦絵三枚続 明治17年(1884)  三日月の下の浜辺。千鳥が飛ぶ。根上がり松がいい。

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第七章 芝居になった天神様
「菅原伝授手習鑑」である。
まず文楽で大成功。次いで歌舞伎になった。
今もしばしば上演される。とはいえ不思議なことに菅公の出ない幕「車引」「寺子屋」が特に愛されていて、菅公の出る「道明寺」などは通し狂言の時くらいしか見れないように思う。
昨年の文楽公演の通しでは牛に乗った菅公と三つ子の父親・白太夫ののんびりした対話の場も出ていて、なんとなく心慰められもした。
タイトルロールであっても主役ではないところは「義経千本桜」の義経の存在と同じである。

菅原三ノ口 歌川豊国 二枚 細判錦絵二枚続 享和年間(1801~04) 「車引」の場である。三つ子と時平がいる。

九百五十年忌天満宮開帳 三代歌川豊国 三枚 大判錦絵三枚続 嘉永5年(1852)  見立て絵。三人の女たち。亀戸の御開帳。着物に梅柄など。

菅原伝授手習鑑 歌川国芳 三枚 大判錦絵三枚続文化12~天保13年(1815~42)  藍メインで染まる。隈のみタイシャを少し使う。

浮絵菅原四段目 栄松斎長喜 一枚 大判錦絵 寛政年間(1789~1801)  寺子屋の最後のあたり、源蔵が「小太郎を迎えに」来た千代を殺そうとするところ。このすぐ後に「我が子小太郎は役に立ったか」と訊く千代、少し離れたところに服を着替えた松王丸が立ち尽くしている。
言葉をなくす源蔵に替わり「女房喜べ、倅はお役に立ったぞ」と沈痛な答えを出すのだ。

連作もの。絵の縁には梅文様。幕末の絵だからわりとナマナマしいものが多い。
歌川貞秀 大判錦絵 文政~天保年間(1818~44)
大序 紫宸殿の時平
伝授場 紙をくわえる源蔵
道明寺の段 立田の前を殺し箱詰めにして池に。照国らが悲痛な様子。菅公と伯母・覚寿と娘の苅屋姫とのせつない別れ。
車引の段 時平出現。三つ子のみんな固まってますわ。
寺子屋 松王丸が子供らの首実験中
牛の講釈場 白太夫と暇な現地の子供らがいる。遠くで戦う梅王丸。
大切  雷電で木が裂ける。たたりじゃー

せうぜう尾上菊五郎 白太夫中村芝翫 歌川豊国 二枚 大判錦絵二枚続 文化年間(1804~18) 髪を垂らしそれを一つにくくる。これを見ると「ああ、菅公はもぉ中央には帰れないのだなあ」という感じがする。そして人形でこの首はほかに景清かなと。
蝶々が飛んでいる。

当世押絵羽子板 尾上菊五郎の桜丸 歌川国貞 一枚 大判錦絵 文政年間(1818~30) 三世菊五郎のすっきりした桜丸。綺麗。

役者はんじもの 中村歌右衛門の松王丸 歌川国貞 一枚 大判錦絵 文化9年(1812)頃 三世歌右衛門。ぐいっとした個性の強い顔。
 
名優四君子 豊原国周 一枚 大判錦絵 明治27年(1894)  水色の隈の時平。この時代の時平役者は芝翫だったか。似せたかどうかはわからない。

菅原道真天拝山祈之図 尾上菊五郎 豊原国周 三枚 大判錦絵三枚続 明治24年(1891) 雷鳴轟く中、御幣ならぬ梅枝に手紙をたばさんで天帝に訴える菅公。ざんばら髪で叫ぶ。

第八章 名所になった天神さま
お江戸の天神さんね。

浮絵亀井戸天神社地之図 澤雪嵩 一枚 大判錦絵 文化年間(1804~18) ピンクだなあ。いいところです。藤もいいなあ。

亀戸藤の景 三代歌川豊国 三枚 大判錦絵三枚続 天保14~弘化3年(1843~46) 茶店からの眺め。よく咲いたなあ。遊び心がわくね。

江都梅屋舗臥龍梅之図 渓斎英泉 一枚 大判錦絵 天保年間(1830~44) ぞろぞろと歩く。梅も藤もいいところ。

亀戸梅屋敷 小林清親 一枚 大判錦絵 明治12年(1879) にぎやかでいい感じ。のほほんとしていたい。そういえばわたしは藤は見たけど梅は見に行ってないな。

江戸名所 湯島天満宮 歌川広重 一枚 大判錦絵  安政元年(1854) 女坂から男坂から登ってくる人。「湯島の白梅」か。

名所江戸百景 湯しま天神坂上眺望 歌川広重 一枚 大判錦絵 安政3年(1856)  雪の屋根屋根。

さすが松濤美術館、中国絵画が並べられていた。梅の水墨画が並ぶのはやはり天神様へのささげもののような感じがする。

1/25まで。なお天神様の誕生日は25日です。
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