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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

チェンバレンとアーネスト・サトウ 近代日本学のパイオニア/八雲の熊本の家

もう終了したが、横浜開港資料館で「チェンバレンとアーネスト・サトウ 近代日本学のパイオニア」展をみた。
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その一年前にはここで「宣教師ヘボン」展があったから、年末年始は日本と関係の深い外国人を特集しているのかもしれない。
いやそもそもここは「横浜開港資料館」だから、彼らを紹介し、取り上げるのは当然のことか。
同時期にはちょうど江戸博で「明治のこころ -モースが見た庶民のくらし-」展があり、どちらも楽しく眺めている。
二つの展覧会をまとめたものはこちら

二人はいわゆる「ジャパノロジスト」即ち日本研究者と呼ばれた。
親日家であり知日家である二人の資料を見た。

ところでわたしはチェンバレンはともかく、アーネスト・サトウはてっきり日系人・佐藤さんの末裔かと思っていたが、さにあらず、かれはドイツ系の移民だったのだ。このことを知ったのは20年ほど前だから長いこと勝手な思い込みをしていたものだ。
黒船のサスケハナ号が「佐助花号」ではなく、”How much dollar”が「浜千鳥」でないのと同じである。

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アーネスト・サトウは英国の通訳として来日し、読み書きも自在にこなし、28歳で武田兼と家庭を持った。長男はアメリカに移住し現地でなくなり、跡を継いだのは次男で、彼は植物学者・日本山岳会創立メンバーとして名を馳せた。
サトウは英国に帰国後も便りや子供らへの贈り物を続け、次男も英国に留学している。

サトウの友人であるチェンバレンはお雇い外国人として海軍兵学校で英語を教えたが、彼は戸田家に10年にわたって住まった。
その戸田家と武田家との交流も深く、資料を見ると武田兼と長男、そして戸田家の女主人・欣子とが共に写るものもいくつかあった。

展示資料はその武田家と戸田家に伝わる品々だった。
英国からサトウが息子たちに贈ったチェスのセットやトランプ、使った食器などなど。

サトウは英国から日本に残した妻子を想っていたようだ。
チェンバレンも戸田家の人々を気遣い続けていた。

チェンバレンは顔が広く、ラフカディオ・ハーンに出雲や熊本での仕事を紹介した。

ラフカディオ・ハーンは出雲では「ヘルン」さんとなり、やがて「小泉八雲」となって「神々の首都」出雲を愛したが寒さに負けて、セツさんとその両親らを連れて温かなはずの熊本に引っ越している。
その熊本の家は今回見学に行ったので、また後ほど紹介する。

知日家、親日家の人々が写真パネルで紹介されている。
このチェンバレン、アーネスト・サトウ、ハーンだけでなく同時代のモース、コンドルをはじめ、モラエス、戦後のライシャワー、ドナルド・キーンさんまでの系譜。
わたしはここにもう一人加わるべきだと思っている。
歌舞伎の恩人パワーズさんである。彼のおかげで歌舞伎は敗戦後も生きながらえたのである。マッカーサーの副官だったパワーズさんの尽力で「忠臣蔵」も「義経千本桜」も上演できるようになったのだ。

思えば日本を、日本の文化を愛した外国人は本当に数多い。現代では日本美術コレクターのプライスさんもそうだ。バルテュスも日本の美を深く愛した。
わたしたちは彼らの愛した日本の美・日本の文化をもう一度きちんと学び、愛さなくてはならない。

前述のモラエスは『恋の浮島』の作者であり、新田次郎の絶筆『孤愁 サウダーデ』に描かれた。近年になり新田の息子で数学者の藤原正彦さんが書き継いで完結したが、連載当時わたしは「徳島にも小泉八雲のような人がいたのだなあ」と思ったものだ。

さて親日家であり日本に居場所を見つけたのはラフカディオ・ハーン。
彼は士族の娘小泉セツと一緒になり、松江を振り出しに熊本、東京と移り、やがて日本人・小泉八雲として亡くなった。

先般熊本の小泉家を訪ねた。今は記念館としてその家が活きている。
少しばかり撮影したものを挙げる。



松江の家もそうだが、小ぢんまりして暮らしやすそうな家である。

庭と廊下。素晴らしい和の美。


ハーンの机。小柄で目がわるいから、机との距離感が近い。


鶴の釘隠。


欄間もいい感じ。


可愛い燈籠。フクロウの燈籠。


ちりめん本。この発刊に八雲が関わった。


日本を愛した外国人たちに思いを馳せ、自分もまた日本の美をいよいよ愛したいと思う。
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