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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ふしぎの国へようこそ―西洋古地図のなかの日本―

堺市博物館で面白い展覧会を見た。
「ふしぎの国へようこそ―西洋古地図のなかの日本―」
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サイトによると「ヨーロッパの人々にとって、東の彼方にある日本は、不思議の国でした。ベニス生まれで13・14世紀に活躍した冒険家マルコポーロは、黄金の国ジパングとして日本をヨーロッパに紹介し、その富のすばらしさは、多くの人々の心を捉えました。
 当館は、東西交流の結果誕生した多くの西洋地図を所蔵しています。その中でも最も堺らしさをヨーロッパ人が表現した作品を中心に総数30点を展示し、西洋が東洋を、そして西洋が堺をどのように見ていたかを考えます。
 はじめて堺が登場する地図として著名なテイセラ/オルテリウスの1595年製の「日本島図」や1669年にオランダで出版された『モンタヌス日本誌』の「堺市図」について当館学芸員の最新の研究成果をご紹介します。
 また、当時の日本の人々が、当時の西洋・世界をどのように見ていたのかを知ることができる資料を展示いたします。」
というのが展示の狙いらしい。

実際のところ、現代でさえも他国は本当に日本が理解できているかは不明だし、日本も他国を理解しているかどうかは定かではない。

さてそこで「ジパング 黄金の国」ですね。
古代は別として、航海術が発達した中世ではなまじ出かけられそうな先に日本が設定されたため、誰も行ってもいないのに妄想逞しく、いい噂ばかりが立つばかり。伝達ゲームが必ず変な方向へ向かうのと同様に、欧州から見た日本は却ってわけのわからないワンダーランドになってしまった。
それを広めたのがこの「モンタヌス日本誌」なのは間違いなさそうである。

テイセラ/オルテリウスの1595年製の「日本島図」はモンタヌスのそれより100年近く前のだけど、こちらはまだ「地図」だからそんなに変なこともない。地図は世界の中の日本を描くから名所図ではないわけです。
モンタヌスのは名所図。地図ではなく、うわさに聞いたあちこちを妄想逞しく、「ここはどこやねん」とツッコミどころ満載の怪しい場所に仕立て上げたのだった。

「モンタヌス日本誌」は当時の西洋での大ベストセラー・大ロングセラーだったとか。
1669年にアムステルダムで刊行され5版を重ね、翌年にはドイツ語・英語版も出版され、1680年にはフランスでも2版を重ねたそうな。
出版者はヤコブ・メウロス、銅版画家はヨハネス・フィングボーンズ。フェルメールと大体同時代の人。

思えば、限られた情報しか与えられない中で夢を膨らませればこうなる、という見本のようなものがここに並んでいるのだった。

モンタヌス日本誌 1669年 オランダの初版本で手彩色が施されている。
羊皮の背表紙。素敵だ。456ページ。6枚ほどが並んでいた。
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一目見て「ふーん、昔の堺はこうだったのか」とはさすがに言わない。
「ここ、どこやねん」というのが本当の第一声。
やたら怪しい場所である。

内裏図 拝む人々は何を拝んでいるのだろう。大体この内裏というのもどういった意味で捉えられているのか。
とはいうものの、わたしなども実はモンタヌスの妄想と似たり寄ったりなのだ。
当時の内裏など知らないので、もしかするとこんな状況かも知れない、とふと思いもするのだ。

方広寺大仏図 真ん中にどーんとナゾの女神像。賑やかな堂内には獅子、猿、牛の像がある。天井はゴシック風。そしてそれぞれの像を拝む人々。
あの半裸婦女神像、どことなく怖いのだが。

誰も同意できない喩になるかもしれないが(多分、知ってる人がいないからという意味で)、これを見ていると、どおくまん「暴力大将」の河内矯正院にあった母神像を思い出す。母神像というても優しい像などではなく、非常に恐ろしい像なのである。
それを母と見做し魂の根源とする凶悪無慙な化け物のような男がいて、彼の恐るべき美意識が無惨極まりない破壊をもたらすのだった。

また香山滋の秘境小説シリーズの一篇「怪異馬霊教」も決してこれらと遠い位置にあるものではないようにも思われる。

大坂図 海上に浮かぶ小さなお城などなど。しかしこれも多少納得できるので、それが逆におかしくもある。つまり大阪は今でこそ埋め立ててつながった土地になっているが、地名に「島」が多いことからもわかるように、また「浪花八百八橋」とも言われたように、場所によっては小間切れ状態だったのだ。
かつて「東洋のベニス」とも言われたことを思い合わせると微妙に納得もゆく。
聖徳太子の拵えた「仏教最初」の四天王寺、その西門は極楽浄土に向いていると言うが、そこも水辺だったのだ。

全く似ていないならよいが、少しだけどこか少しだけ似通っているからよけいに変なのだ。

大坂城図 物凄いお堀である。もう出版された頃には外堀も内堀も埋立済みなので、こんな状態だったら徳川なんかに負けない気がする。がんばれ真田丸。

長崎図 出島が描かれているのだが、この出島、海ではなく空に浮かんでいる。どう見てもそうなのだ。天空の城ラピュタどころの騒ぎではない。怪しい、怪しすぎる。
一番ここが外国に開かれているので聞き取りも出来たろうが(資料持ち出しはそりゃ無理でしょうが)、何故かおかしい場所になっている。

ここからは別な人々の怪しいニッポンを見る。

都・堺・長崎図 シャトラン フランスの地図製作者シャトランの銅版画だが、モンタヌスの影響を受けていて、やはり不思議な風景を描く。ここではミヤコではなくメアコなのもご愛嬌。

日本図 ボルドーネ 1528年 モンタヌスよりだいぶ前の人の地図。ジャガイモ型のような日本本土図。四国に似た列島。

新世界図 ミュンスター 1550年 これはもう怪しすぎ。笑うに笑えないくらい。ルネサンスの三大発明に確か羅針盤とか活版とかあったような気がするけど、これはもうルネサンスもへったくれもないのでした。

中国図 ルドヴィコ・ジョルジォ 1584年 ほんまに怪しすぎる。いくら中国でもそれはないで、というくらいの怪しさである。

日本図 テイセラ/オルテリウス 1595年 こちらは行基式日本地図なのでなんとなく正しい。琵琶湖の位置が変だがまぁ大体は。蝦夷はないが。
ここは地名がなかなかはっきりしていた。
Xima志摩、Hicchu備中、Tamba丹波、Awa阿波とAva安房。
Hizu伊豆、Cay甲斐などなど。
なおべランの1752年の地図も行基式地図をもとにしていて、こちらは琵琶湖が割と正しい。
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日本六十余州之図 レランド 1715年 家紋入り。伊賀、大和、河内、尾張などと書かれている。鎖国してはいても情報は出ているわけだからね。
そうそう、六十余州というと弁天小僧の芝居の中で日本駄右衛門が名乗りを上げるときに「六十余州に隠れもねえ賊徒の」と言うてます。

バタヴィア城郭都市および市街図 1681年 銅版手彩色図 たいへんきっちりと描かれている。こういうのを見ると非常にそそられる。舟もリアル。

ある時代のある都市に出かけたくて仕方なくなることがある。
たとえば17世紀バタヴィア、20世紀初頭の浦塩(ウラジオストックである)、同時代のパリ、1920年代のベルリン、上海、東京、大大阪、パリ。
イメージから生まれる憧れがそんな思いを育てるのだった。

アムステルダム都市図 パーカー 1720年 いかにも港湾都市。世界中から船が来る。世界中へ出てゆく船。

球形世界図 プランシウス 1594年 これは綺麗。象に乗る女、働くゾウの群れ、ワニに乗る女、飛ぶ孔雀、可愛いゾウさんなどが描かれている。
燻製作りの人々、アルマジロに乗る住民、サイに乗るのもいたな。
左上に欧州、右上にアジア、右下にアフリカ、左下にペルアナという謎の表記。Pervana …ペルー人くらいの意味になるみたいね。

ゴア都市図 リンスホーテン 1595年 ポ領のインドの都市。インドは大方大英帝国が押さえてたが、ポルトガルもいくつか植民地にしていたのか。

異国人物図 35か国の国の男女図と簡単な紹介が書かれている。
イスパニア…国皆邪宗国也。四季有国也トイフ。イタリア…都ヲ羅馬トニヤ言フ。ゼルマニア…寒国ニテ大国也。人物オランダニ相類ス。
オランダ…大寒国ニテ日本九州程ノ山国也。国ヲ七道二分ケ七人ノ国主一家ニシテ不争是ヲ名付ケテ エンパイアと号ス。
ほかにもボロニア、イングリアなど。

日本図・世界図屏風 これは日本人の手による地名書き。韃靼、大明、天竺、さまるちゃん(サマルカンドか?)、アフリカあたりまで。

摂津国名所港津図屏風 右には四天王寺、堺、尼崎など。これは江戸時代の日本のもの。

最後に吉田初三郎の堺の鳥瞰図。
この企画展とは別物だけど、堺市博物館所蔵で常設にある。
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堺市博物館はいろんな地図を持っている。
楽しく見て歩いて、不思議な国を散歩した気分になった。
3/15まで。
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