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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

三原順復活祭 三月 アンジー特集と初期作品

三原順復活祭、三月の特集を見た。
今月はアンジーを中心に初期作品の原画展示などである。

アンジーの顔を改めてじっ とみつめる。
とても綺麗な顔をしている。
子供のころから可愛い顔をしていたが、少し大きくなったときの顔は本当に綺麗である。
そしてわたしは唐突に気づく。
今に至るまでわたしの中で「綺麗な顔」の基準モデルは、アンジーの顔だということを。

アンジーの服装の趣味はとても派手で、リアルタイムの頃いつも「・・・こういう服もあるんだなあ」と感心していた。
読者にそう思わせるだけに丁寧な描き込みがなされていたが、服だけでなくやはり三原順の作品のすべては、細密で丁寧でリアルな描写で構築されている。
初期作品の原画を見ていると後年のリアリズムとはまた違うものの、やはり丁寧な(というより執拗なという方が正しいのかもしれない)描き込みがなされている。
たとえば、フリル一つにしてもその跳ね方の大小により質感の違いを実感させる。子供のフリル、大人のフリル、布質の違いも明らかにする。

原画を紹介する。
「陽気なオバケ」なつかしい・・・見開きの、オバケとの関わりがいかに楽しいことかを綴るシーンが出ていた。
わたしもここを読みながら、次々に喜びが湧き出してくるのを感じていた。
あれから何十年も経ったが、このシーンのように喜びを連打してくる描写にはなかなかお目にかからない。

76年夏の増刊号「オロロンふたりワルのり」 幼いカップルがフラメンコを踊っている。これは赤座ひではる「チリリンふたり乗り」のパロディで三原順唯一の日本ものらしい。
わたしは知らなかった。赤座ひではるは「はみだしっ娘」を描いたようで、こういう交換パロディは昔は割によく見かけた。
赤座ひではるは「マッチ箱のようなお城」がギャグマンガで、こちらの「チリリン」はまじめな中学生のおつきあいで、確か最後は横浜と東京に分かれてしまうのだが、電車賃の計算などをして、会える限りは会いたい、と言っていた。
そう、とてもまじめな少年(とはいえ他の少女に誘惑されてもいたが)とまじめな少女の恋物語なので、「オロロンふたりワルのり」というのは巧いパロディだと思うのだ。

絵本がある。チャールズ・キーピング「まどのむこう」。
自分の見ているものが実際の中身・状況とは別物だった、という物語をここから引き出していたようだ。
幸せそうに見えた行動が実は悲しむ様子だったということ。
それに気づいて傷つく心。アンジーはそうして自責する。

「ルーとソロモン」にレコードがあるとは知らなかった。A面が「愛のソネット」B面が゛お前の瞳は海だ」歌っているのは・・・え??「ミス花子」ですか!
びっくりした!!!あのミス花子ですか。そっちに驚いたわ・・・


「祈りの鐘が響くとも」冒頭のカラーページ。赤と茶色の2色だったのか。
この話を小学生だったわたしは理解できず、再読していてもわからないままだった。
しかし先般再読すると、本当には理解はせずとも納得できていることに気付いた。
その意味では三原順の初期短編は今こそ読み返すべきなのだと思う。
あの頃は引用された原本を読む、ということすら思いつかない子供だったのだ。
読んだのは「夜と霧」くらいだった。

「山の上に吹く風は」カラー原画がある。アンジーの水色の髪、木の洞にいるかのような状態の中でも水色。淋しい色だった。
その号の雑誌背表紙はピンク色に彩られた髪のアンジーが描かれている。

「赤い風船」がある。これは当時も気づいていたが元は「幸せの黄色いリボン」、日本映画では「幸せの黄色いハンカチ」あの仲間なのだった。
読んだ当時、不条理さというものがまかり通ることに憤ったものだった。
あの感動的な再会シーンが展示されていた。
疎外された同士の魂の復活、という見方をしてもいい。

「ラストショー」の空中ブランコで失敗して落ちてゆくシーンが展示されていた。
現実の速度は速いがティムの中ではゆっくりと時間が過ぎる。印象的なシーン。
この作品は次の展開がよく、そしてラストがほろ苦いものだった。
もうこうした作品はどこからも生まれない。
初めて読んだ時も思ったことだが、視覚的にも、また物語の展開でも、とても映像的な作品だと思う。

アンジーのイラストがある。どこかの女の子をデートに誘ったが失敗したらしい。
ベンチに座るアンジーが薄紫色のお姫様のようなスタイルなのも目を惹くが、その隣にはスイカを刳り抜いてジャック・オ・ランタンのようにした中にアライグマが入っているのが面白い。これでどうやらあの女の子は怒って去っていったらしい。アライグマの大きな目が可愛い。

「君の好きな帰り道」懐かしい表紙絵。ある種のせつなさが常に蘇ってくる。

「音楽教室」の表紙絵。アンジーのたいへん綺麗な顔がある。ヴァイオリンを弾くアンジー。これは今思い出しても笑えるというか笑うに笑えないというか、そう、音痴の者には冷や汗な話だった。オチがとてもいい。
珍しくグレアムとサーニンの二人組になったのも面白かった。
アンジーが機嫌よく歌うシーンでの三人の表情がとてもいい。
その当時から今に至るまで、この時サーニンが歌った歌が何だったのか気になりながらも調べていない。間違いなく実在の歌なのだろうが、わたしはその意味では三原順の音楽世界から遠く離れている。

「ロングアゴー」が現れた。
単行本表紙絵の、少年ジャックとロナルドのアップである。ロナルドの背景は抹茶色のグラデーション、ジャックの背景はヴァ―ミリオンレッドのグラデーション。
原画だからこそわかる色調の静かな変化。

予告カットもある。
あの巻き毛の同級生の少年がチラッと片目を向けている。こういうところにもその人間の個性が表れている。
本や人形やキノコが可愛い。

ロナルドのカットがある。大人になったロナルドが背景に溶け込んでいて、少年ロナルドが立つのだが、顔の見えない人々の間にいる。ワイン色のスーツの人が隣にいて、これは綺麗な色だと思った。
少年ロナルドはなかなか愛らしいのである。

解説を読んで大きくうなずくことがあった。
連載というてもずーーーっと連載し続ける作品ではなく、一つのエピソードが終わるとしばらくの間休眠する。その間のドキドキはもう口では言えないくらいである。
つまり常に「大丈夫かな」と心配させられ続けたのである。
だからここにあるように「『もうなにも』から『クリスマスローズ咲く頃』まで4~5か月あり」ハラハラ・・・…・・・させられましたなあ。
わたしは二月のグレアム特集の時にも記したように、はみだしっ子との本格的な付き合いは「そして門の鍵」の後編からだった。だから「山の上に吹く風は」の衝撃は非常に大きく、彼らが出現する「奴らが消えた夜」「裏切者」の頃の日々の辛さというものは、本当に大きかった。
小学生の身でこんなに心配させられるのは今から思ってもやはりただ事ではない。
つらい、つらい、つらい日々だった。
だから「もうなにも」でもしかしてこれで終わってしまうのか、と異常に心配になったし、またわたしなどは「バイバイ行進曲」でもハラハラしていたくらいなのだ。

とはいえ「つれて行って」の途中から「ああ、終わりつつあるのか」とはっきりとわかり始めていて、どんな終わり方をしたとしても受け入れるしかない、と覚悟を決めさせられていたようにも思う。
決めさせられた、というのはやはり作品の行間からにじむ作者の意図、それを読み取っていたからだということだ。
読者が嫌だと思っても決して覆ることのない強い意志、それを感じていた。
そして外的圧力や厭世観からの終了ではなく、三原順「はみだしっ子」はやはりこれ以上の先はなく、ここまでだと定められているのだ、と思った。


「もうなにも」予告カット アンジーの半顔。背景は焦げ茶でアンジーの緑の目が綺麗。

「山の上に吹く風は」の雑誌掲載時の台詞のついた原画がある。シドニーがアンジーと会えたシーンである。
へたりこむアンジーの台詞は「つれて行って」だった。
これは雑誌掲載時のもので単行本では「あんたの好きにしなよ」に変わっている。
このことは今まで気づいていなかった。
「あんたの好きにしなよ」は覚えていても「つれて行って」は覚えていない。
歳月の長さもさることながら、読んだ当時まだ十歳だったことが、このことを意識させなかったのかもしれない。
とはいえ、単行本収録された話の中での対話が雑誌掲載時と違うのをいくつか見覚えているから、ここはやはり軽くスルーしてしまったのか。
尤もこの「山の上に吹く風は」は全編通じて非常につらい作品で、最も読み返したくない話でもある。

しかし、と今のわたしは考える。
今ならまた読み返せるかもしれない、と。
あの頃のつらさを35年後の今ならもしかすると。
今なら?今なら他人事のように感じられるからとでもいうのか、今ならたかがフィクションだとでもいうのか。
わたしは自問し自責する。
再読することで、あの重い事件を軽く読んでしまうことが怖くてならないのだった。


LPジャケットがある。83年のもの。ああ、覚えている。買わなかったが。
わたしはどの作品でも、基本的に原作至上主義なのでイメージアルバムもニガテなのだ。
それどころか解説文を読むこともいやなときがある。
きちんと原作を読んでいるのかどうか疑わしい人がたまにいるので、信頼できる解説文を書く人のしか読まないのだ。
少し後にこのジャケットの原画が出てくる。

ジャックとロナルドがいる。
ロナルドの見る夢。青いオバケたち。シルクハットのワニが軽く帽子を持ち上げて挨拶し、ブタがラッパを吹いたり太鼓を叩いたり、ネズミが社交ダンスをしたり。

「ロングアゴー」が描かれたことで「SONS」も生まれたのではないか、と発表当時のわたしは考えていた。
そしてそれは今も変わらない。

前述の「山の上で吹く風は」の中の台詞改変「つれて行って」から「あんたの好きにしなよ」について、ラストエピソードのタイトルを「つれて行って」にするための伏線があったからではないかという解説があった。
なるほど、と思った。

「つれて行って」のクライマックスシーンの一つ、アンジーがグレアムにあの銃を向けて「おまえが帰らないならオレがおまえを殺してやる こいつで!」「なにをバカな」グレアムがはっ となって答える。
このページが出ていて息をのんだ。
グレアムの両目が描かれているシーンでもある。
今回初めて知ったが、このページ、本来最終回にする予定だったそうだ。
そしてこのときのアンジーの表情、その原画の修正のありようにゾクゾクした。
三原順、渾身の描写だったのだ。

初期短編「遙かなる祈り」の両親の離婚を知った少年の表情、あれも三原順は五時間かけて描いたという。

改めて三原順の画力の高さ、そして描写することの誠実さに感銘を受けた。

アンジーがピアノ曲をリクエストするシーンがある。
"You are my Sunshine"である。
わたしはこの時にこの歌を知り、後にエレクトーンで弾けるようになったが、せつなさが胸に広がっていつもつらくなる。失恋の歌である。戻らない歌なのである。
どんなに大事に想っていても届かないのだ。


付録の紙バッグ。モグラたたきで三人がサーニンにヤラレるあれ、前回の時に自分の持っているのを画像にあげたが、あれは80年8号の付録だったか。
そのあたりの年月はもう思い出せない。

77年19号の「奴らが消えた夜」予告カット、とあるが「裏切者」ではとも思うのがある。
左にサーニンとエルバージェ、右にアンジーの横顔。アンジーの髪はもう長くなり始めている。
そしてこの右部分のアンジーの横顔が雑誌掲載時、カットされていたそうだ。

77年別冊アンジー特集号 扉原画 裏町でたばこを吸うアンジー。ややオレンジ色の上着は襟までボタンが連続する。深緑のズボンとあわせている。靴は焦げ茶にキャメルのツートンカラー。手前にいるアンジーの方が暗く、奥の方が明るい。そちらは水色の煉瓦。

76年の「夢をごらん」ラスト近くの印象深いシーンが出ていた。サーニンが雀を見つけてみんなに指し示す。雀は赤い実をくわえている。それを見てアンジーがごくごく素直に「あはっ可愛い」と思う。そして「可愛い」と思った・思えた自分に衝撃を受け、泣き出す。
読んだ当時も現在こうして原画を見ても胸に深く来る。
せつない、ただただせつない。

わたしはこのシーンが今でもせつなく、これ以来小鳥と赤い実といえば童謡の「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」を歌いながらも心の中ではこのシーンが思い浮かぶ、という状況が続いている。

レコードジャケットの原画をみる。
左奥ではジャックがたばこを持ちながらパムをみる。ジャックは深緑のスーツ。大理石の壁。照明灯りはツイン。
パムは深紅色のイブニングドレスでシルクハットのマックスと踊っている。この夫婦の間にはイスがあり、そこにはロナルドが座っている。
まんなかでは左にフーちゃんがフルーツを添えた飲み物の盆を持って立つ。段々フリルのドレスで黄土色。靴は黒で足首はっきりみえる。ジレも黒。
そのフーちゃんの足下というか床に座るグレアムはリコーダーを演奏中。それを口を開けて聴くのはクークー。その隣のイスにはサーニンがくつろいで座ってブドウを食べようとしている。
右端にはアンジーがヴァイオリンを弾いている。ベレーには鳥の羽がついている。
和やかな情景である。

そういえばアンジ―のことで一つ。
いつの号の花とゆめでか、彼らの情報特集があったとき、アンジ―の足の麻痺を交通事故だと記したのがあり、それは嘘だ、かれは小児まひで、それも自分でリハビリして今日に至っているのだぞ、と子供心に憤慨したことがある。
が、同時に交通事故だと書くほうが編集部は楽なのか、とも疑った。
そして次号で、やはりそのことに対しての抗議が大きく、訂正した記事が掲載されていたことを覚えている。
あれはどうしてだったのだろう・・・
やはりわたしの勘ぐった通りのことなのか。

77年別冊秋号の付録はアンジーのポスター。背景は青色で飾り棚に三原順の肖像画、本やペンや人形など。
アンジーは群青色のフリルシャツにピンクのベストとハイウエストのズボン。

78年別冊夏号「ラストショー」原画 馬に飛び乗るティム。

78年「クリスマスローズ咲く頃」グレーに白の交差線が飛び交う背景、雪のようなイメージ。グレアムは緑の上着にオレンジのへちま襟、セーターは茶色で首は富士山型。鳥打ち帽に焦げ茶のズボン。

79年2号カレンダー アンジーが明るい黄緑色の中にいる。帽子も同色でたばこをくわえるアンジーはこちらを見ている。
イメージ (27)

79年15号ラブリーカード 青い花の中、ロングで描かれた白スーツのアンジーが給仕する。


閉館2分前に出た。
「もう終わりです」などという声を聴きたくなかったからだ。図書室の閉室という問題ではなく、「はみだしっ子」はもう終わりです、と言われたような気がするかもしれない、と思ったのである。
わたしは逃げた。

誰もいない明大の敷地内でわたしは叫び出しそうになった。四人の名を叫びたかった。
こんなにも深く愛していることをわたしは今更ながらに自覚する。せつない、せつない、せつない。
わたしはしかし叫び出すことはなかった。
ただただ早くお茶の水に向かう。
わたしはもうここで東京から帰るのだった。

来月はサーニンの特集になる。

画像はわたしの持つコレクションから。
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