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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

柳宗悦と民芸

最終日近くに京都文化博物館に民芸展を見に行った。
かなり以前に倉敷で棟方志功を知り、それに衝撃を受けて以来民芸に関心がある。
ただし現在の私は技巧に技巧を重ねた作品が好きなので、今回わくわく感は持たずに来ている。しかし多忙を縫ってやって来る以上は、期待するものもあり、やはり楽しみがあるわけだ。

並ぶ作品一つ一つを『何がイイかにがイイ』と言うことに意義がないのは、これが〈民芸〉だからかもしれない。無名の職人、無名の工房から産まれた民具の数々には《用の美》が具わり、それを総じて『民芸っていいな』と感じるなら、そこにはやはり『感動』の感想がある。
私は先ほど棟方板画のことを書いたが、柳本人への興味が湧いたのは別なきっかけからである。

子供の頃から何故か泉鏡花のファンである。これは祖父旧蔵の『琵琶傳』の装丁の華麗さが意識に残るからだろう。また小学二年生の誕生日に鏡花研究者として著名な村松定孝の本を貰い、そこで『白鷺』を知ったから、考えれば随分古いハナシだ。
とはいえ、本当に読み出したのはそこから更に十年近い後のことだ。

高校生くらいから鏡花宗の信者になり、大学くらいから本を集めだした。同時に周辺に目が行き始め、画家では清方、雪岱、三郎助、五葉、作家では里見、水上滝太郎、久保田万太郎らに関心が高まる。
中でも里見にハマり、彼の足跡を追うて鎌倉に行き、買えるだけの小説と随筆を買った。結局それだ。
白樺派の繋がりから柳にも意識が向いたのだ。


柳の理想は駒場の日本民藝館に結実した。
しかし当初それに賛同した作家たちは、独自の作家性を打ち立てるようになった。それを柳は晩年、職人と作家との違いとして言葉に残しているが、何が何でも無名性の優位を言われると、わたしのような一般のファンもやはり困るところだ。
その意味でわたしなどは民藝そのものから少し距離をおきたいのだ。

しかし、良いものはどんなものであっても良い。ダメはダメだ。
ところがダメなものでも『下手もの』となると、これが価値を上げるところが面白い。
ゲテモノという言葉は大正頃に流行ったのだろうか。
しばしば引用するが、八世三津五郎と武智の対談の中で、面白い一節があった。
奈良にさる能楽師がいた。
踊りの神様と謳われた七世三津五郎は倅の目を信じない。
「そんなのゲテモノだよ」
しかし連れられて見に行き、『うわーーーっ』となる。
どんな芸なのかわたしにはわからないが、凄い話だと思うのだ。

民藝に戻る。
わたしは骨董品を見るのは好きだが、到底買う気にはなれない。
買うのは今出来の大量生産品だ。
什器にしろ着物にしろ文具にしろ、古寂びたものにはそれこそ「ツクモ神」がついていそうで、恐ろしい。
更には元の持ち主の執意がついていそうだ。
だからこのように展覧されているのを眺めるだけで満足する。

色々なモノが会場に並ぶ。
わたしは高麗青磁が好きだ。ドラマの韓流には無関心だが、骨董品のそれは朝鮮モノに多く愛を抱く。
民画の虎の可愛らしさ、小鳥やうさぎ、それから螺鈿。箪笥も可愛い。
刺繍の見事さ。実にすばらしい。

京都には高麗美術館というすばらしい美術館がある。
そこにはこれらの見事な作品が展示されている。
この展覧会でそれらに関心を持った方はそちらに行かれることをお勧めする。

色々と豊かな気持ちになった展覧会だった。


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