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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

東宝スタジオ展 映画=創造の現場

世田谷美術館での「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」はたいへん興味深い展覧会である。
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数年ごとに企業と美術についての企画展を開催してきた世田谷美術館。
2013年「暮らしと美術と高島屋」

2007年「福原信三と美術と資生堂」

どちらも素晴らしい展覧会だった。資料も作品も素晴らしく、さらに図録の論文もたいへん充実していた。
今回の「東宝スタジオ展」もまた見事に豊かな内容なのだ。
特に世田谷という地と東宝スタジオとの縁の深さを思うと、やはりこの展覧会はここでなければ、とも思いもした。
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美術館に入るや否やゴジラが暴れるジオラマがあった。壊された町のセットがそこにある。
ここだけは撮影可能なのでわたしもバチバチ撮る。

いざ、赴かん。
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最初の展示室はあの円形の一室である。
ここの展示は常に気合が入っている。都美でいえばあの真ん中、サントリーでいえば階段下、京博では中央室、神奈川歴博では入り口すぐ…
そう、ドーンッッと来るところでの展示。
ここでは1954年という同じ年に世界に送り出された「ゴジラ」と「七人の侍」が特集されていた。

極端を言えば「ゴジラ」「七人の侍」「座頭市」この三本ほど世界で知られた映画はほかにないのではないか。
「座頭市」は大映だが「ゴジラ」「七人の侍」は東宝。今日に至るまで決して忘れられることのない作品である。

VTRが流れる。「ゴジラ」「七人の侍」の名シーンが数分間ずつ交代交代に流れる。
ゴジラの大暴れ、群衆の逃げ惑う姿、最終兵器を完成させた隻眼の芹沢博士の苦悩…
伊福部昭のよく知られたあの「ゴジラ」のテーマではない曲が流れていた。
そして七人の侍の闘う姿、夜盗たち、村人たち、夜の闇と泥とが画面いっぱいに広がり、こちらの手まで汚れそうな映像が続く。

ゴジラを倒す最終兵器オキシジェン・デストロイヤーの現物がそこにある。
映画では芹沢博士がそれをゴジラを倒すのに使用するのを最後まで逡巡したという最終兵器。戦争の悲惨さを知るからこそ(片目を失い、顔に無惨な傷を負うた人であるからこそ)、博士はこの機械を兵器として使うまいとし、使うことを決めた時点で資料全てを焼き払い、更には海底で自身の生命を絶ったのだ。

映画の小道具や資料などを見ていると、これがフィクションだとは到底思えなくなってきた。60年後の今日、既に戦前だという意識があるからそんな気持ちになったのかもしれない。

ゴジラの造形を担当した利光貞三の写真があった。雛形と利光の2ショット。ゴジラはどうも恐竜ぽくもある。ややアタマが大きい。

そして伊福部昭の「ゴジラ」のスコアがあった。
タイトルは赤鉛筆のロシアで「ゴジラ」と書かれている。
わたしには読めないがそれを写した。

管弦楽の深刻な音曲。
<参加>する楽器が増すにつれその深刻さが重層化する。
つい先日ネットで「ゴジラのテーマを国際大会での日本国歌にすれば相手国は怯える」というのがあったが、実際この繰り返されるメロディの恐怖というものは深刻である。
一つのメロディが重複され追走され、否応なく高ぶる状況へ追いやられる。
安穏とした時間はどこにもない。
思い出すだけでも異様な感興に囚われ、ゾクゾクする。

「ゴジラ」ポスターを見る。
現在でもそうだが、首都圏と地方によりそのポスターの様相は変わる。
たとえば有名なところで東映「鬼龍院花子の生涯」では首都圏は夏目雅子が「なめたらいかんぜよ!」と啖呵を切るシーンがポスターに使われていたが、関西では夏目さんが義父の仲代達也に襲われて「お父さん、やめとぅせ」と嘆くシーンが幅を利かせていた。

ここでも地方により違うポスターがあった。
首都圏のはゴジラが口からゴーーーッと吐いていて、その足元に山根博士(志村喬)と尾形(宝田明)にすがる恵美子(河内桃子)、反対側に芹沢博士(平田昭彦)という配置である。
今日でも「ゴジラ」では一番有名なポスターではなかろうか。
200px-Gojira_1954_Japanese_poster.jpg

しかしここに越後長岡のポスターとその周辺資料があり、それが全く違っていた。
ゴジラがゴーーーーーッなのは同じだか、下方には気を失った恵美子(河内桃子)を抱き上げてゴジラを見上げる隻眼の芹沢博士(平田昭彦)の雄姿があった。
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これが実にかっこよくてシビレた。見ようによっては「オペラ座の怪人」のような構図ではあるが、平田昭彦の美貌が隻眼になり酷い傷を見せていることで、却って凄艶さが増している。
総じて平田昭彦があまりに魅力的なので、わたしなどは何故もっとまじめに「ゴジラ」を見なかったのかと今さらながらに反省した。

長岡東宝のプレスシートがある。イラストで人々やゴジラの絵が載るがそれがまたひどくカッコイイ。そしてそこには東映のお子様時代劇「三日月童子」の宣伝もある。
地方では東宝も東映も松竹もあんまり関係ないのかもしれない。

ロケハン写真、美術デザインなどの資料を見ながら人知れず興奮する。
なんてかっこいいんだろう。
わたしはもともと特撮大好き少女だが、それは主に70年代の特撮なのだった。
「ゴジラ」より「ガメラ」「大魔神」そして「仮面ライダー」「ウルトラセブン」などに惹かれているのだが、今こうしてこの展覧会で初代「ゴジラ」の魅力に触れて、精神の痙攣が始まっている。

映画のシーンごとのイメージを複数のスタッフが描いたピクトリアルスケッチの現物と、それを映像化したものを見た。イメージをこのように形にして映画製作が続けられたのか。
このコマ絵を見続けているだけでもときめく。
250点ほどあったと思うが、海底でゴジラが死んでゆく姿はやはり可哀想で、これは胸が痛くなった。悪いのは全て人間なのである。ゴジラが可哀想すぎた。
(後で調べると原作者の香山滋もこのシーンでは泣いていたそうである)
そしてオキシジェン・デストロイヤーの再利用を避けるために資料を焼却するだけでなく、芹沢博士は自らの生命を絶ち、その死を知った人々から追悼の花輪が海底へ贈られる。

昔の日本映画のラストシーンは良いものが多かったとつくづく嘆息する。
モノクロ時代の日本映画のラストシーンで最高なのは内田吐夢「飢餓海峡」だとわたしは思うが、あれもまた自死で終わっていた。
三國連太郎が贖罪を自己で完結させ、海に飛び込みスクリューで無惨な死を遂げる。そこへ地蔵和讃がかかる。
海での死は深く心に残るものだ。

ところでこのピクトリアルスケッチは撮影され、スタッフに配られたそうな。意識統一のためだろうか。
現在では刊行されているというが、本のタイトルは分からない。今もあるのかもわからない。


次に「七人の侍」。どうもこの映画は見ていると口の中に泥が入り込んでくるようでニガテ。
カバーの「荒野の七人」の方が好きだ。
七人の幟があった。当時のものなのか再作成なのかは知らない。
ロケハンの資料を見ると、白川郷と奥多摩などだとわかる。
ああ、当時でさえもうこうした民家は失われていたのか。
向井潤吉の描いた民家のようなのはもう実際にはないのだ。

東宝ニュースを見るとカストリ雑誌「りべらる」の宣伝があった。
そぉか「りべらる」はまだ生き残ってたのか。なんだか嬉しい。

回廊には東宝の歴史年表があった。
東宝のプロデューサーと言えば藤本真澄を思い出す。
彼のライバルプロデューサー児井英生の自伝「伝・日本映画の黄金時代」でなかなか詳しく書かれていた。
彼自身も東宝で働き、やがて新東宝で「三百六十五夜」をヒットさせている。

時代を戻してPCL時代。室生犀星の「兄いもうと」も映画化されていた。
1936年、木村荘十二監督作品である。ポスターはソ連映画風である。
昨秋ここで見た「ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」展でのソ連映画のポスターを思わせるような構成。
タイポがいかにもである。

そう言えば木村荘十二といえば村上もとか「龍 RON」に名前だけが現れる。
ヒロインの一人・田鶴ていは活動写真の女優で後に満州に渡り、甘粕の下で映画監督として活躍するのだが、彼女の満州での最後の映画「人販子」ラストシーンにカラーフィルムを使用するという設定がある。本来そのカラーフィルムは木村荘十二の作品に使われるはずがまだ完成していないという理由で、ていは半ば強引にカラーの配給を得るのだ。
「龍 RON」で、ていの活動を追うと戦前の日本映画史をなぞることにもなる。
実名は少しずつ変えられているが、明らかにそれとわかる名が使われている。
作中には山中貞雄も名を変えて現れ、印象深い役を演じていた。

その山中貞雄の「人情紙風船」の資料が出ていた。
宣伝用のそれや美術の設定などをみる。これらはフィルムセンターでも時折見かける。
戦地からの山中の手紙や、戦病死したことを知らす死亡證書などもあった。
まことに無念の死である。

わたしは京都のスペース・ベンゲット最後の上映会で「人情紙風船」とジャン・ヴィゴ「新学期 操行ゼロ」の二本立てを見た。それぞれこの一度限りしか今のところ見てはいないが、非常に印象深い作品だった。

「人情紙風船」は前進座総出演の映画で、非常に演技のレベルの高い作品である。
「髪結新三」をベースにしてはいるが、そこに仕官のあてのない浪人も絡み、非常に鬱屈したものを漂わせる作品である。
新三を演じた中村翫右衛門のカミソリのような鋭さには息をのむばかりだった。

1937年のこの映画のセットのうち長屋の奥の樽が並ぶところなどは前述のフィルムセンターでも見られるが、白木屋のセットはここで初めて見た。

1938年「鶴八鶴次郎」の資料がある。
新内語りの男女の心の機微を描き、第一回目の直木賞を得た作品である。今日までこの芝居は新派などでたびたび上演され続けている。
映画では山田五十鈴が女芸人の鶴八を演じたが、劇中で彼女が三味線を弾くのを見るのはかなり心地よいものだった。
晩年に至っても山田五十鈴は「必殺仕事人」シリーズなどで三味線を弾き、見事な腕前を披露していた。

1937年「前進座の新撰組」がある。村上元三の脚本に木村荘十二の演出。船に「誠」の旗が見える。するとこれはもう新選組がなくなり、土方が箱館(函館)へ向かうシーンなのかもしれない。

アニメーションもある。「動絵狐狸達引」である。
スタッフを見ると横山隆一、うしおそうじらの名前がある。邦楽が使われていてなかなか楽しい。
なお今回感想を書くに当たり、この作品がyoutubeで挙げられていることを初めて知った。作品名をクリックすると映像が流れだします。

伊原宇三郎の油彩画「トーキー風景」があった。1933年。
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スタジオの熱気を感じる絵。
この時代から無声映画からトーキーへと移りだし、弁士は失業するのだ。
アメリカではそのあたりの事情を「雨に唄えば」で描き、日本では市川崑が「悪魔の手毬歌」で描いている。

絵画はほかにもう一枚。
これは建築用の資料としての画かもしれないが「有楽座」の舞台裏を描いたものが出ていた。洋風の空間を白と緑が分けている。大変素敵な場所だった。

古川ロッパの日記、入江たか子の資料などなど。
ロッパの日記は刊行されている。完全版でなくとも引用した本などがたくさんあり、手に入れやすい。

山田耕筰の「戦国群盗伝」のスコアを見る。「野武士の歌」、歌詞つき。
山田耕筰もいろんな作曲を出掛けていたのだなあ。唱歌に校歌に劇伴に。現代音楽の良さはまさにそこだ。

PCLには瀧口修造も勤務していた。ほんの数ヶ月で退職したそうだがスクリプターとして働いた。特にどうと言うこともなさそうである。
その当時の文芸部には劇作家の三好十郎、伊馬春部らがいて、ほかにもソニーの井深大、村山知義らの名があった。
村山との交流から影響を受けたか、美術監督の久保一雄のシュールレアリスムの研究資料や絵画が並ぶ。

「ハワイ・マレー沖海戦」が出ている。藤田進の横顔がかっこいい。もう一人と咥えたばこの火の先をつけあっている。
わたしはこういうのを見るとときめくので、この1シーンだけでドキドキした。
「俺たちの勲章」のラストシーンを思い出して勝手にニマニマしてしまう。

1948年には東宝争議が起こる。
高山良策の争議スケッチがある。
山下菊二のそれは人々だけでなく風景そのものをも描いている。彼の本来の作品より、この争議スケッチの方が私には好ましかった。50枚くらいあった。
「俺たちに仕事をさせろ」か…

その年には「三百六十五夜」東京編・大阪編のヒットがある。前述の児井プロデューサーの仕事。
昔の女優はきれいだなあ。

「生きる」プレスシートを見た。イラストは猪熊弦一郎。彼は抽象画よりこうした人物画の方がずっと好きだ。色が派出である。
あのブランコに乗るシーンのポスターも猪熊さん。
なるほどなあ。
わたしがこの映画を知ったのはまだ志村喬が存命の頃で、とても可哀想な気がしたのを覚えている。

黒沢のスタッフに江崎孝坪がいる。彼は日本画家・前田青邨の弟子だという。
その衣装デザインのスケッチを見ると、なるほど青邨の弟子だという感じが強い。「隠し砦の三悪人」「蜘蛛の巣城」など。
あのポスターは魅力的だった。

映画の予告編を上映していた。
「日本沈没」「悪魔の手毬歌」「影武者」などの予告である。
わたしは「復活の日」は見たが「日本沈没」は実は知らない。
今こうして映像を見ていると「日本以外皆沈没」の方がましかなと思った。
映画のことではなくに。
いろいろと懐かしいことを思い出す。

東宝いろはカルタなるものがあった。
「地位は揺るがず 銀幕の女王 原節子」「香川京子は今年のホープ」「あこがれのスターは八千草薫」…いいねえ。

東宝のミュージカル、コメディなども大きなコーナーで展示されていた。
ところがあいにくなことに私はこの分野は昔からニガテでほとんど知らない。
せいぜい森繁・フランキーらの「喜劇駅前」シリーズくらいか。それもタイトルだけで中身は観ていないのだ。
わたしは日本映画のコメディものは東宝のオシャレな軽さのものより、今村昌平の「重喜劇」の方がいい。

柳生悦子のデザインした衣裳スケッチがずらりと並ぶ。いずれもかっこいい。
半世紀前のオシャレなおねえさんたち。
今見てもかっこいい。イメージ (88)

柳生悦子は確か世田谷文学館でも展示があったように思う。
「妖星ゴラス」での作業服のかっこよさは、これはリアルに販売されたらとも思う。本気のデザインはやはりカッコいい。

多くの映画がある中からピックアップされた作品群だけに、中には見たくて仕方なくなったものもある。
村上元三原作の「大坂城物語」である。原作も読みたい。
とても惹かれた。

監督稲垣浩の人物スケッチがある。
三船敏郎、小津安二郎、京マチ子などなど。
さらりといい感じ。

三船敏郎の特集がある。
正直なところわたしはあんまりこの人が好きではないので、それもあって黒沢映画に関心がないのだ。
ただ「羅生門」は好きだ。尤もわたしは森雅之にときめく女なのでちょっとニュアンスが違うか。
成瀬巳喜男監督の森雅之と高峰秀子「浮雲」は常にわたしの中ではベスト10に入っている。

その「浮雲」は1955年だった。中古智の美術デザインノートが出ている。
仏印での素敵な生活から東京でのオンリーさん暮らし、屋久島での最期まで。
ゆき子の家たるオンリーさんの家は復元されてフィルムセンターに時々展示されている。なんとなく可愛いおうちにも見える。

岡本喜八の仕事の紹介がある。
1959年の「独立愚連隊」のシナリオなど。
岡本喜八作品はタイトルからしてもかっこいい。
「ダイナマイトどんどん」「近頃なぜかチャールストン」「カポネ大いに泣く」などなど。面白い映画が多かったなあ。

村上忍のデザイン画をみる。
「鹿鳴館」「細雪」など豪奢なものがあった。あれらはいずれも建造物そのものの美に惹かれた。「細雪」ではアパートの絵もあり、戦前の集合住宅の様子がよく出ていた。

種田陽平の紹介もある。21歳で「上海異人娼館チャイナドール」に参加していたのか。キンスキーのいた映画。
「スワロウ・テイル」「不夜城」「マジックアワー」「思い出のマーニー」などなど。いずれも記憶に残るものばかり。
「マジックアワー」の建物空間の模型もあり、これがとても魅力的でよかった。
こういうのが大好きなのだ。
三谷監督の作品はわたしの笑いのツボとはちょっとズレるので笑えないが、こうした背景とか設定とか小間物がとても好きだ。
感性の違いはあるが、彼の提示するお道具はみんな好きだといってもいい。

非常に面白く見て回った。
二階の常設ではこの展覧会にリンクした「世田谷に住んだ東宝スタジオゆかりの作家たち」展が開催されている。
こちらもとてもよかったので、また稿を別にして感想を挙げたいと思う。
4/19まで。
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