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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

麗しき女性たち 清方の挿絵を中心に

鎌倉の鏑木清方記念美術館の「麗しき女性たち 清方の挿絵を中心に」展もよかった。
これも4/12で終了している。
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明治の「文藝倶楽部」時代の作品を中心に、当時そこで活躍していた他の画家の挿絵・口絵も加えて。協力は松村コレクション。
なお口絵は全て木版画あるいは石版画である。
・清方の肉筆画
寒月 1897 深川の橋を渡る母子。盲目の三味線弾きの母と子供。
暮れゆく沼 1900 横笛を吹く少女。従姉妹のキクさんをモデルにしたもの。どこかせつない。
ほほづき 1901 さみしそう…
これら初期の肉筆画には庶民の哀歓が強く漂っている。

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・清方の文藝倶楽部の口絵
花吹雪 1903 雛妓の佇まいが愛らしい。この年に清方は「風流線」を描いているのだ。

そぞろ歩き 1905 手にハサミを持ち、既に白い花を選んで歩く婦人。足元には花菖蒲かカキツバタかアヤメが咲いている。全体に薄緑で統一されていて、着物も薄緑。鼻緒の朱と帯のやや紫がかった色とがアクセントになる。

緋桃 1909 室内にいる群青着物の娘。ただ「緋桃」がどこにあるのかがわからない。
これはもしかすると誰かの物語のタイトルか何かなのかもしれない。

あさ露 1903 月下でバイオリンを弾く令嬢。白バラが咲く。甘ったるさがいい。

こほろぎ 1906 松村コレクション 机による娘が灯りにとまる虫を見つめる。

新案双六当世二筋道 1907 色刷り付録 男女それぞれの出世街道を双六で示す。
「男は苦学、女は音楽」とか「女子判任官」とかちょっと面白い。そして堕落として男女ともに門付になっている。月琴を弾く女と胡弓を弾く男。この風俗は明治らしい。
月琴は明治までがブームだったのだ。

新年大付録「松の内」鰭崎英朋との合作 1916 この二美人図は特に人気のもので、しばしば見かける。よそでも見ているが、鰭崎との合作はいずれもいいものばかり。合作でなく競作でもいいものが多い。

白魚 1911 蒸籠から板盆にざらー。お箸でとる。女の髪飾りは鼓だった。

雛壇の下 1915 袖を噛みながら小さい蝋燭を持つ女。この後に何があるのか気になる。


・武内桂舟の文藝倶楽部の口絵、全て松村コレクション。
こんなにもたくさん見れるとは思わなかった。たいへん貴重な機会である。「松村コレクション」は素晴らしい。

月下の美人 1896  橋を渡る女の頭には青いヒレがまく。

鳥追い 1908  笠に赤いリボンがついている。

淋しき夕べ 1912  床几で猫と戯れる。リア充ではないけれど決して淋しそうにも見えないがなあ。

西王母  1907  侍女が桃を持って控えている。奥様風な西王母。

・梶田半古の文藝倶楽部の口絵 全て松村コレクション
21年前に奈良そごうで見て以来の作品が多い。たいへんうれしい。
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これは当時のもの。
なにしろ半古は明治の女学生を書かせると右に出るものがなかったくらいの画家なので、必然的にそうした絵が多い。

仙錦亭 1901  つくばいにより髪を直す女。

王夫人 1904  これは物語絵で、袴の女学生が龍の屏風の前で一弦の楽器を持ってたたずむ姿。青磁の壺に白梅がいい。
ほかにおリボンに袴の女学生が機嫌よく自転車を走らせる図を覚えている。

菊のかおり 1905  うっとりと菊花を楽しむ。こうした表情も大げさではなくいい。

羅浮仙 1909  緋色の上着の美人の梅の精。うっとりしたところがいい。ややぽっちゃりしていて餅肌なのが想像できる。

胡蝶 1907  花冠にドレス姿の娘。なにかしら淋しそう。これはもしや山田美妙の小説のか??

うたたね  1906  手から本が落ちている。気持ちよく無防備に眠る娘。

梅 1908  古代の女が立つ。花を喜ぶ。

ほかにも鈴木華邨や池田蕉園の口絵もあった。なかなか今では見られないのでたいへんうれしい。

清方の下絵も珍しいものが出ている。

日高川  これは前回前々回辺りでみたが、清姫が日高川を泳ぐ図。苦悩が激しく眉宇に現れている。
顔を挙げて泳ぐ清姫だが、下半身は既に蛇体となっている。
非業の死を遂げようとももう彼女はどうでもよくなっているのだ。
「物に同じくも既に慮ることなく 化し去るともまた悔いず」という状況である。

玄宗皇帝 初公開。玄宗皇帝と楊貴妃とがワルツを舞うような姿でいる。楊貴妃は少し顎を挙げて皇帝を見ている。
そしてその足元には現代青年がせつなく楊貴妃を打ち眺めているのだ。
どのような物語があるのだろう。タイムスリップものか。
楊貴妃の顎の上がり具合がたいへん魅力的だった。

他に清方では江見水蔭の小説の口絵も多く出ていた。
鏡花の「紅雪録」の口絵もある。
いずれもドラマチックである。
ただ、これらを見ていてワクワクと楽しいのだが、やはりあまりにドラマ性が高い絵は、純粋に絵画としては説明が勝ちすぎてしまう。清方は文芸性の香りを残しつつもタブロー作家になることを選んだ。
そして晩年には再びそこへ戻った。
そのことの意味と意義とを改めて考えたい。

楽しい口絵展だった。
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