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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

二つの清親展と広重と

小林清親が人気である。
今現在都内で三つの展覧会が開催されている。
藝大美術館「ダブルインパクト」でも清親作品は多く出ていたし、太田記念美術館では「広重と清親」、練馬区美術館はズバリ「清親展」である。
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いずれもたいへんよかった。

わたしが清親展を観た最初はたぶん、今はなきdo!family美術館での「清親と明治の浮世絵師」展だったと思う。
それから花小金井の向こうのがすミュージアムでの展覧会などなど。
清親とその弟子の井上安治はわたしにとって遠い絵師ではなかった。
杉浦日向子「YASUJI東京」もまた忘れてはいけない一冊である。

YASUJI東京 (ちくま文庫)YASUJI東京 (ちくま文庫)
(2000/03)
杉浦 日向子



さて「広重と清親」展と「清親」展とはかなりかぶるので感想を一つにまとめたい。
題して「二つの清親展と広重と」

サントリーの「若冲と蕪村」展ほどではないにしろ練馬区美術館の「清親」展も展示替えが少なくはない。太田の方も前後期がらりと変わる。
自分が見れたものを書くしかない。

清親の作画時期は明治初期から大正初期である。
生まれは弘化四年というから明治になった時には数えで二十歳頃かと思う。
彼は幕臣なので政変に巻き込まれてご維新後は静岡に移住した。
その縁でか練馬区美術館の展覧会は静岡市美術館の巡回展である。

清親の師匠は3人いる。日本画を暁斎に・是真に漆絵を・写真を蓮杖に教わったそうである。
ただ、練馬の大回顧展の最後に現れる優れた水彩画(それも西洋風の)を誰から教わったかはわからないのだった。
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清親は明治の東京を描いた。
江戸から明治に変わったその時代、江戸はほんの数十年前の、地続きの過去ではあるが、明らかに旧い夢の地になった。
だから清親の描いた絵はすべて「東京風景」なのである。
ざんぎり、牛鍋、石畳、人力車、蝙蝠傘、街灯、蒸気機関車、近代建築…
これらはすべて明治の世に生まれたものばかり。
清親はそれを愛情込めて描き続けた。

個々の作品について細かいことを書くより、大ざっぱではあるが記していきたいと思う。

江戸から東京へ変わっていった風景の内、やはりいちばん目立つのは建物だと思う。
「日本人は紙と木で出来た家に住む」と言われたその日本人が、レンガ造りの洋館で働いたり住むようになったりし、丘蒸気が走り、ぬかるんだらとんでもないことになる道が舗装されて馬車が走るようになった。
また、提灯か燈籠だけが外の灯りだったのがガス灯の普及があり、夜道が明るくなった。
清親の「光線画」はその灯り=明りを描いているのだ。

新大橋はまだ初代広重の頃と変わらず木橋で、その下で停留する船も江戸のままの舟である。
広重は大雨の新大橋を走る江戸の人を描き、清親は橋を左手に河岸を歩く女の後姿を描いた。19年後の様子である。
今だったら「ああ、こっちにブルガリアヨーグルトの看板が見えるな」などと思うところだが、まだ明治初期のこの界隈は江戸時代の建物で構成されている。

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両国雪中 俥(人力車)も傘も雪で白くなっている。電線や街灯もまた。
面白いことに明治になって感じが増えた。新しい漢字は造語である。
「鞄」と「俥」はどちらも明治の新時代で日本語の中から生まれた漢字。
現代では「俥」はもう廃れてしまったが、「鞄」はやはり活きている。
清親の絵には俥とそれを引く人力車夫とが活躍する。
広重の時代は駕籠と駕籠かきである。
駕籠は二人でないと働けないが、俥は一人で曳ける。
朦朧車夫などと呼ばれるわるものが出たりもし、また苦学生が学費稼ぎに車夫になる話もある。
東京銀座街日報社イメージ (16)
練馬の後期展示のこの作品は江戸の名残がごくわずかな構成となっている。
街路樹はハナミズキだろうか。この木花はアメリカからもたらされたもの。

江戸との対比は太田が見せていた。
広重の江戸百と富士三十六景などのうちからピックアップされた風景と、同じ地を描いた清親の風景が並ぶ。
ほんの20~30年の流れだけでこんなにも変わるのかと改めて驚く。
一方で「ここは変わらない」と安堵もする。
しかしこの安堵と言うのも変な話である。
平成の世と明治の世とでは全く違うのだ。
ここにも大きな断絶がある。

川口鍋釜製造図 溶鉱炉が燃えている。完全な機械制御ではないので、よくよく見れば踏鞴を踏んでいる。踏鞴の製法は古代から続いていたのだったか。新しい時代でもこうして技法は廃れない。

旧幕時代「日本」という観念を持つものは少なかったと思う。将軍家の御威光は全国津々浦々にまで行き渡っていたが、それぞれ住まう場所が「自国」であり、隣の領地で祭があってもこちらは無縁なのだ。
「日本」になって、一つ向きを同じように見るようになった。
万国博覧会ブームの時代、国内でも「内国勧業博覧会」が開催されたが、これは開催地だけの話ではなく、日本国民が何らかの形で参加するイベントであった。
第二回の上野公園の絵が出ている。
失われた東博の旧本館もあり、前庭には猩々たちのいる可愛い噴水がある。
この噴水をモチーフにした版画は、清親の他にも誰かが描いていたように思う。

梅若神社の雨の絵は非常に魅力的な作品で、これは明治以降の木版画の中でも特に魅力的な一作だとも思う。
線描を用いずに雨を表現した作品。

猫と提灯 これはもう本当に可愛くで大好きなのだが、提灯の中に鼠がいて、その尻尾を抑える猫のすばしこさ。
かっこいい。
この作品の順序摺り過程が展示されていた。鉢割れのゾロやんのにゃーが白ネコになってたりする。面白い。

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練馬では戯画なども多く出ていた。
明治の新聞が主な舞台でそれらの絵を載せる。
観ていて笑ってしまうものが多い。

こちらはカエルに仮託した戯画。
かいろ遊千艸の働きイメージ (11)
「かいろ」というのがカエルのことだと知ったのは今。
昔から宮沢賢治「カイロ団長」の「カイロ」の意味がずっと分からなかったのだ。
そうか、と納得した。

意外なくらい清親の肉筆画がいい。
四季幽霊図 福岡市博物館所蔵のこれは以前に幽霊画の展覧会で見て気に入ったもの。幽霊とはいうものの女学生のような娘が四季折々にあわせて笛を吹いたり蚊帳の中にいたりと、一種の美人画めいてもいる。

歴史画もある。
太閤の醍醐の花見、三国志をモチーフにしたものなど。
信長・秀吉・家康の絵もある。釣りをする信長、魚を焼く秀吉、食べる家康である。
ほかに仁徳天皇の絵もよかった。

清親の水彩スケッチの良さを堪能する。
光線画には感じなかった「抒情性」がここにある。
ちょっとした風景写生や静物画などもあるが、いずれも静かな情緒が活きる。
意外なことだと思った。

情緒といえば広重のそれに溺れるところがあった。
太田では一階で二人の対比をした後、二階ではそれぞれの長所を楽しませてくれた。
広重の東海道、木曾街道、江戸名所、何もかもが纏綿たる情緒に満ち満ちていた。
イメージ (26)
それこそ「人々が『愚か』という徳を持っていた」時代なのである。

今となっては幕末も明治初頭もどちらもはるかに遠い。昭和ですら遠い。
「明治は遠くなりにけり」とはもう言えない。
20世紀ですら遠のいた。

だが、今こうして二つの美術館で明治の清親を楽しませてもらい、また江戸の広重にも会えた。
嬉しい時代でもある。

展覧会は来月も続き、大きく展示替えをする。また見に行きたいと思っている。
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