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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

鏡花本とその周辺

先々週に録画していた新日曜美術館の『鏡花本』を見る。
しばしば記すことだが、わたしは鏡花宗の信者である。
そこから現在の趣味の基盤が生まれているようにも思うほどだ。

今回英朋の『風流線』河童の多見次の絵にスポットライトが当てられている。
わたしは鏡花の作品ではこの長編『風流線』が一番好きなのである。
多見次または多見治のこの絵は、何年か前の弥生美術館での展覧会でもポスターになり、私の手元にある。

岩波の『風流線』は愛玩本となり、しつこくしつこく読み返している。

ところで、この小説で、というより本の編集で一つ不思議がある。
それは、小題『邂逅』回五十二のラスト近く、168ページのシーンについてである。アナーキーなテロリスト集団を率いて村岡不二太が旧友の技師水上規矩夫と再会する。
二人はそれぞれの恋でトラウマを抱えているが、再会の折に不二太は水上に許しを乞うようにして、
『村岡は君の、と・・・も・・・だ・・・ち・・・だ (中略)此の朋友を何うするか』
と泣くようにして訊ねる。
すると岩波版では、即、水上は傍らに向けて
『此の方たちの寝床は何うです』
・・・なんら葛藤もなく話がつながれている。

ところが筑摩版の明治文学全集に納められているところでは、村岡の台詞の後に、水上が彼をぶちのめすシーンがある。
それを甘んじて受ける村岡と、その場で泣き出す村岡の恋人・龍子がいて、そこで初めて水上が先のせりふを言うのだ。

数行のことだが、何故この文が消えているのだろうか。
小説は既に百年を経過している。今更『いつ』この文章が脱落したのかもわからない。
不思議でならない。
わたしはこのシーンがあるほうが好きだ。
しかしもしかすると鏡花本人が削ったのかも、と思うこともある。
『信友の寝床は何うです』という台詞が筑摩には入っているのだから。

しかし筑摩版も続編のほうは入れていないので、味わうときは両方を手元に寄せなければならない。それはそれで楽しいのだが。


先にも書いたが、わたしは幼児期に『琵琶傳』の美しい装丁をみて鏡花に関心を持ち、村松定孝の著作から進んで行ったのだが、ここに忘れてはならぬ方がある。
辻村ジュサブローである。
現名を寿三郎と記しておられるが、ここではあえてジュサブローと記したい。
『新八犬伝』『真田十勇士』の人形の数々、同時期の新聞連載小説の挿絵『まどう』、それらはわたしの魂に刻印を打った。
とにかくジュサブローの作品写真集を手に入れるためにどれほどの努力をしたかは、ハナシにできないほどだ。
また不思議な縁と言うものも、度々感じた。

何かしら、予感がする。私を呼ぶ気配がある。
歩き出すと、そこに『新八犬伝』上巻、中巻がある。行きつけの古本屋で不意に振り向くと、先ほどまでなかった『真田十勇士』の写真集がある。
静かな狂熱がわたしの身内を駆け巡る。
歓喜には熱狂が伴うものだ。それがなければ、わたしは愛せない。

わたしは実は本に対して激しい執着がある。
手に入らねば本に対して申し訳ないが、コピーするくらいだ。絶版ものに限って私の好むものがある。普遍化しないものにばかり愛を抱いてどうするか。
貴重本を全て撮影したときは眩暈がした。
だがどうしても、欲しいのだ。この欲望だけは抑制が効かない。抑制する意義さえ持たない。
つまりそうしたわたしのややパラノイア的な資質が、これらの蒐集を可能にしたのかもしれない。

話がずれた。
最愛のジュサブロー作品に触れるうち、彼が熱烈な鏡花宗の信者だと知った。
わたしは坊主憎けりゃ袈裟まで憎むが、愛するとその周辺にまで眼を向けなければ気がすまない。
ああ、鏡花。
わたしは延々とその美の世界に溺れた。
そこから周辺に愛を見出しながら。

清方の絵は『築地明石町』のような清楚で上品な美人画をよしとする向きもあろうが、わたしは『妖魚』『刺青の女』『ためさるる日』『二の口村』、卓上芸術では『少年』『朝顔日記』などにこそ、愛を感じる。雑誌『苦楽』表紙絵・口絵・絵物語などに。
そして清方の師の師たる月岡芳年、その師の一勇斎國芳にも深い視線が通いだす。
当然弟子たちにも眼が行く。
清方の系譜についてはいずれ別項を設けて延々と綴りたいと思う。

TVでは鏡花本の装丁に関わる三人の画家として、英朋、清方、雪岱を特集していた。
清方の本といえば、それはまことに美麗で、文章の美しさ・妖しさに劣らぬように心を込めた素晴らしい造りになっている。
橋口五葉の装丁も素敵だし、岡田三郎助の『草迷宮』の口絵も懐かしい、うつくしいものだが、ここではやはりTVに倣い、英朋、清方、雪岱に話を集めたい。

英朋は清方とコラボレートしてもいる。また、当時人気の『生さぬ仲』の口絵なども残しているが、相撲の取り組みを描き続けたことにも功績がある絵師だ。(『己が罪』もこの人だったか?)
何年か前の弥生美術館で彼の回顧展を見たが、その相撲の取り組みには実に感心した。
TVのない時代にはこうした写生図が一番よくわかるものだ。
こうしたライブ感溢れる絵は、須田国太郎の能狂言デッサンを措いて他にはない。
清方はその後本絵に移行し、雪岱も挿絵と舞台装置の二本柱で活躍したが、英朋はそうした意味では純粋な挿絵画家であった。
その辺の事情は本になって出ているので、ご一読をお勧めしたい。

清方と鏡花の友情は生涯続き、鏡花の死後、清方は『遺族代表』として皇居にあがる。
(しかも、その生涯でただ一度のフロックコートを着用している)
『苦楽』などで名作の絵物語化の企画があったときも、清方は『高野聖』を描いている。
そして『註文帳』をいくつかの情景に分けて描いてもいる。
先年、雪ノ下の清方記念館で『註文帳』原画を見たが、物語が言葉を使わずに伝わるように思えた。すばらしい作品だった。
また話はそれるが、大御所わたなべまさこが『註文帳』をコミック化していたのを読んでいる。十年近い前だから彼女が七十歳を越えたくらいの作品だが、すばらしいと思った。
現代で鏡花の世界を絵画化できるのはこの人と波津彬子だけではなかろうか。
艶麗にして繊細。そしてそれは清方の卓上芸術にも通じるものだと思う。

そういえばわたしは清方の師匠・水野年方による『黒百合』の口絵も好きだ。滝太郎青年が馬から下り、小手をかざす絵など、忘れがたい。

小村雪岱。
この人の絵を最初見たとき、関心が湧かなかったのは、わたしがまだそこまで到っていなかったからだと、今にして思う。
しかしあるとき、劇的に変化した。それは鏡花本の装丁『日本橋』と邦枝完二『お傳地獄』の挿絵をみたからだった。
ここでは鏡花本の話を進めるべきなのだが、やはり邦枝完二のための挿絵にどうしても言及したい。
『おせん』『お傳地獄』は二人の傑作中の傑作だと言うのは間違いない。
白と黒の妖艶な絵には、今でも息が止まりそうになる。
しかしこちらも複製や本ですら手に入れることが難しい状況にあった。

ある秋の日、国立劇場で『桜姫東文章』を雀右衛門で上演するのを楽しみに、赤坂に出た。
少し時間があったので、さるホテル内にある美術館に向かったが、ホテルから三宅坂へ出るまでに随分手間取った。案内が不親切でぐるぐるたらいまわしにされたのだ。
わたしがまだ二十歳少しだったからか、悪い応対に眩暈がした。
ようやく売店近くまでたどり着いたとき、ふと外人客が困っているのが目に付いた。
あ、この人もここの対応に困らされているのか。
そう思ったわたしは多少の義侠心?を出して、May I help you?と話しかけた。出口に行くなら一緒に迷いましょう、くらいの気持ちで。
聞けば、日本的な絵葉書が欲しいのだが何が良いのかわからないと言うのだった。
広重、歌麿、北斎は既に買い集めていると言う。困ったな。ここにそんなもの、ないぞ。美術館に行けばいいのだが、と言おうとしてわたしの目の端に凄いものが飛び込んできた。
雪岱の絵葉書である。
それも『お傳地獄』の彩色葉書。
お傳が刺青を入れる絵がそこにあったのだ。

もう不平も不満も腹立ちも一挙に消えて、買いましたね。外人さんにもお勧めした。
三種類全てを買ったときには勝った気分になっていた。ははは。
ああ、嬉しかった。

これを皮切りにどんどん雪岱の絵葉書や本が手に入るようになったのだから、不思議なものだ。今はなきリッカー美術館の画集、神奈川近代文学館の鏡花展カタログ、埼玉県立近代美術館の画集、雑誌『サライ』の特集などなど。
それから雪岱の随筆集。

やっと鏡花の話にたどりついた。
雪岱の随筆集には色々とわたしも思い入れがあるが、それを語りだすとやはり止まらなくなる。
わたしの偏愛文庫棚でその『日本橋檜物町』は静かに暮らしている。

鏡花の装丁は雪岱の一生の喜びになった。
彼は鏡花宗の集い『九九九会』のメンバーになり、毎月の飲み会を楽しんでいた。
彼の随筆だけでなく、水上滝太郎の『貝殻追放』や里見の随筆からも、その会の楽しさはよく伝わってくる。

雪岱は舞台芸術にも大きな仕事を残している。
今も人気演目の『一本刀土俵入』の装置が彼の仕事だ。我孫子屋の店構えなど、オオそこからまた話が飛びそうになる。初演時の酌婦に出た八世三津五郎の襟巻きの話などだ・・・
江戸と大坂の民家の作りの違い(春琴抄の舞台を作るにあたって)を見る話など。

鏡花は生前も徹底的に彼を愛する人々の支持のみを受けて生きていたようだ。
普遍にならずともよいではないか、一部の熱烈な信者さえあれば、とわたしなどは常々思うのだ。そうして鏡花を取り巻く人々はその高い芸術性を以って自らも輝いているのだ。
たとえ死後百年二百年経とうとも、鏡花芸術は生き続けるだろう。
それを確信して、わたしもまた今日も好きなものばかりを眺めて生きるのだ。
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コメント
遊行七恵さん、はじめまして
とても読みごたえのある記事をTBしていただきありがとうございました。鏡花好きなので嬉しかったです。
『風流線』のテキストの異同について、興味深く読ませていただきました。誰が言っていたのかわかりませんが、岩波版全集のテキストには問題点があるという話を聞いたことがあります。筑摩版は何を底本にしているのか、気になります。
僕も「夢幻の美“鏡花本の世界”~泉鏡花と三人の画家」についての記事を書いたので、それもTBさせていただこうとしたのですが、何故か上手くいきませんでした。(苦笑)
リンクを張っていただきありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
2006/02/12(日) 14:19 | URL | lapis #-[ 編集]
こんにちは lapisさん。

実はわたしの方もTBがうまくゆかなかったのです。
昨日初めてお邪魔して、ドキドキいたしました。
わたしの憧れの世界が広がってる~~~と夜中に一人で騒いでしまいました。

画像も多くて、わかりやすい説明もあり、わたしのような主観onlyの者には本当に新鮮な空間でした。
これからも度々遊びに行かせてもらいます。
2006/02/12(日) 16:01 | URL | 遊行 #-[ 編集]
遊行七恵さま、
また来ました。あべまつです。
TVで、「鏡花本」見てました。
二人の芸術家の共存があんなにしあわせな形になれたのは、奇跡。そんなこともあるのだなぁと、芸術家達の信頼関係の厚さにジェラシーさえも。

ジュサブローの花魁道中とか、たばこと塩美術館で、大昔小道具達の展覧会があったのを、思い出しました。

武井武雄の名前も見つけました、ほ~~!!
高丘親王の芝居を名古屋で、見ています。
渋沢氏が亡くなって、まだ間もない頃だったと思います。懐かし~~です。
見所満載のブログ。じっくり楽しませて頂きます★
2006/02/13(月) 17:07 | URL | あべまつ #-[ 編集]
確か私の知っている人でやはり鏡花を追っている人がいたなぁ・・・と。 で、みつけました。むろぴいさんです。彼のブログのカテゴリーの一つが泉鏡花でした→http://muropy.way-nifty.com/blog/cat4257440/index.html
2006/02/13(月) 20:14 | URL | 山桜 #-[ 編集]
あべまつさま

ありがとうございます。
わたし、なんでもありですね。
大正時代の自由な?時代がすきなのです。
武井にしろ鏡花にしろ清方にしろ夢野にしろ、大正時代に凄いのを生み出してますよね。
それを考えただけでもわくわくします。
活動が昭和の石川淳も、大正時代に青年だったからこそ、ああいう世界を生み出せたのだと思います。

2006/02/13(月) 21:27 | URL | 遊行 #-[ 編集]
v-405おおお、山桜さんありがとうございます。

早速遊びに行ってきます。

わたしは怠け者で、あんまり自分から泳ぎに出ないのです。外から声をかけられて、初めて出かけるという情けなさ。
ところが、出かけた先にv-405があれば、たちまち入り浸りになると言う・・・←ばか。

目を外界に向けろ、遊行。
2006/02/13(月) 21:32 | URL | 遊行 #-[ 編集]
こんばんは! はじめまして。

本日は、私のブログにお越し頂き、ありがとうございました。↑山桜さんが紹介してくれていたのですね。

鏡花に関する熱い記事を拝見して、私も鏡花探訪シリーズをちゃんとやらなきゃと思っておりました(^^)

今後も遊びに来させて頂きます!
2006/02/14(火) 23:42 | URL | むろぴい #-[ 編集]
こんにちは むろぴい 様

鏡花ゆかりの地を巡る紀行をなさっておいでなのが、うらやましい限りです。

わたしはブッキッシュな人間ですので、資料集めは本から、思考は偏ったのーみそから、ですので実証性がないのです。
金沢や麹町には行きましたが。
→電車で行ける近場にしか行かないのが悪いのですが。

またいそいそと遊びに行かせてもらいます。
2006/02/15(水) 10:36 | URL | 遊行 #-[ 編集]
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