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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

private、private わたしをひらくコレクション

リニューアルした埼玉近代美術館の記念展「private、private わたしをひらくコレクション」展に出かけた。
既にお手洗いなどは大変良くなっている。

この美術館は駅からも近いし、よい展示が多いのでいつもお客さんがにこにこと見ている。
わたしが最初に行ったのは93年の10月で、次が2002年。
その時にようやく目当ての小茂田青樹「春の夜」月下暗梅キジネコ補鳩目撃ミミズクの図を見たのだった。
同時に「本田宗一郎と井深大 ホンダとSONY」もしていた。
それ以降はしばしば出かけるようになったが、93年から2002年の10年のブランクって大きいね。びっくりしたわ。

さて作品を観る。
少しばかり真面目に書こう。

プロローグ ここはとじていた
中川陽介 ここはとじていた 10分間の映像 2015  工事の様子を延々と映していた。作品としてみるより、ドキュメントとして、工事の様子を<みる>という眼でみた方が面白いかもしれない。
作者の本当の意図はわからない。わからないから自分が見たものだけを思うしかない。

駒井哲郎 三部作なのだろうか、1949年から1951年、一年一作ずつ続いている。
夢の始まり
夢の推移
夢の終わり
銅版画の幻想的な作品は、それだけで詩を奏でているようだ。
夢を形にするために駒井はレモンの形に似た枠を使う。
その内側に様々な情景が・事物が・物体が収められる。
外側には何もない。
一年後には夢が膨らんだか、形が変わり、二つのふくらみを持つようになる。
まるでレモンのシャム双生児のようである。
そして最後はその形が失われている。眼球システム、とわたしはメモを取っている。どのような意味かはそれを見たときのわたしに訊かなくてはわからない。
ただ、駒井の三年にわたる三作品でわたしたちも夢を見ていたことを知る。

Private passion 越境者の軌跡 瑛九と須田剋太
イメージ (8)

しばしば忘れることだが、須田剋太は埼玉の出身だった。彼が何を思って関西に移住したのかは本当にはわからない。
奈良の元興寺を中心にしたサロンの人になり、やがて司馬さんの「街道をゆく」ツレになり、忘れがたい風景・風物・人物を描き続けた。
司馬さんより10歳も年長ながら黒々したボブカットと、幼児的な性格が司馬さんの「お兄ちゃん心」を刺激したか、旅の間、須田剋太の世話を司馬さんは喜んで焼いていたという。
司馬さん自身、本当は器用ではない人だというだけに、このエピソードはいつ聞いても心が温かくなる。

大久保喜一 熊中正門風景 この人は須田剋太の中学の時の先生で、剋太が絵を描くことを強力に推し、世間からかばったそうだ。
熊谷中学のその正門を素直な筆致で描いている。

剋太の絵は変遷し続けた。最初期の絵は不思議なデッサンの風景画、それから抽象画、力強い書、やがて線は荒々しいが具象に帰り、そこに色紙を細かく切り刻んだものをふりかける装飾を始めた。
この長い晩年の作風がいちばん好ましい。
その時期に「街道をゆく」挿絵がある。

埼玉のここには若い頃の作品と抽象作品ばかりがある。
わたしは正直なところ、彼の20年代の作品には関心がない。

築地本願寺 うらわ美術館でニュースの表紙を飾ってもいる。夕暮れの築地の風情がよく出ている。伊東忠太の設計した魅力的な建造物が、少しばかり崩れそうになって描かれている。

三月堂 力強くていい絵。真正面から堂々と。
こうした絵を見ると無性に奈良に行きたくなる。

基本的に瑛九はあまり関心がない。
知っているのは画像を挙げている「花」くらいだ。
これは宮崎に行った時にたくさん見ている。
明るく可愛いと思う。

十三子姉 1929年、18歳の時の作品。モダンな美人でシンプルでシャープ。
時代性を感じつつも、このカッコよさはやはりまだ18歳の眼が活きているからだとも思う。

兄妹
友達
1944年の二つの作品はどちらもとてもフレンドリーさがある。実際に知るものたちの親しさが現れている。こうした絵はいい。

Private collection 蒐集家の眼差し 大熊家のコレクション
以前、寄贈されたときに色々と見せてもらったことが懐かしい。
大熊家は「東一」アズマイチ味噌を造る家。

野口小蘋の絵がある。丁度今、山種美術館にも彼女の絵が出ているところなので、とてもタイムリーな感じがした。

鈴木華邨、寺崎廣業、中村不折の山水図をみる。
彼らのこうした絵はきっと大熊家のリクエストによるものだとも思う。
個人的には華邨の挿絵、廣業の明治の娘、不折の物語絵が見たいところだ。

このコレクションにはたいへん横山大観の作品が多い。
戦前の大観の価値の高さと言うこともさることながら、実は大熊家では自分ところの味噌のヘビーユーザー、お得意様が大観だったという事情がある。
大観はどんなときでもこのアズマイチ味噌を切らしたことがないだろう。
戦時中も大酒のみの大観のために広島の酔心は常に樽を贈り続けていたという。

白梅 よく肥えた鶯が白梅の蕾をみる。大観の本当にいいのはこうした小品だと思う。

海辺巌 二匹の海鵜がいる。それだけではあるが、それだけで十分な作品。

橋本関雪の中国を舞台にした絵が出ている。やはり田舎の旧家は漢文の素養を持つような絵が好きなのだと思う。

さて、そうした座敷で御客に見せる絵以外の、趣味なのですねと言う絵も出ている。

大林千萬樹 編笠茶屋 鳥追いのそれのような形のもの。落としざしの刀。
男とも女ともつかぬ人物。妙に色っぽい。

堂本印象 鳥言長者草 清朝の両把頭美女。艶めかしい。こうした絵はほんと、大好き。
イメージ (7)

現代アートがあった。
堀越陽子 とりとめなく、あてどないオルフェウスの胸像  衝立に鏡がはめ込まれている。その鏡の中に小さな鏡が入っている。コクトーの「オルフェ」を思わせる道具たち。とてもかっこいい。

Private to private あなたのこだま
現代アート。

山本容子の回顧展の時に見た、小さな静物画をより集めたものが三点。ああ、とても惹かれる。

熊谷守一の可愛い芥子や百日草もある。
どちらもここで回顧展を見たときにいいなあと思ったものだった。

Private vision 美術家の作法 アナダー・ヴイジョン・サイタマ

野村仁 太陽7月 二枚の写真のプリント違い。かなりカッコいい。

塩崎由美子 シリーズ「恢復」より 緑の木をなにかしている。ああ、これもいい。

現代アートの意味はよくわからないが、写真と銅版画の良さは分かる気がする。
いいものを見た。
イメージ (6)

5/24まで。

常設の方はといえばいくつか初めてみたものがあった。
ヤン・トーロップ 生命の守護神 モノクロの解説カードをもらった。壁画の下絵。左の母子はオランダを、右の母子はインドネシアを象徴している。同じ色の同じ布をそれぞれの女性が身に着けているが、裁ち方・縫い方・意匠が異なることで、全くの別物になっているのもかっこいい。
イメージ (9)

ドニ シャグマユリの聖母子 いつもの家族をモデルにした聖母子。丸々とした母子の幸せそうな様子がいい。
イメージ (10)

塗師祥一郎という地元を描く画家の作品がずらりと並んでいた。
1963-2015の半世紀以上にわたる埼玉ところどころの風景画である。
浦和や川越くらいしか知らないが、この風景を見ていると「いいなあ」と思い、行ってみたいとも思う。
牧歌的な風景画だった。

こちらにも大熊家コレクション。
四季を描いた日本画がたくさん。

富田渓仙 糺の森 ああ、松に鷺がいるだけなのに、なんだかあの下鴨神社の向こうへ行きたい。

川村曼舟 芦ノ湖 空と水面に富士。素敵だ。

猪飼嘯谷 養老の瀧 見上げるほどの大滝、その水流。そうか、こんな滝なのか、と改めて想う。

田中案山子 雪旦 雀まみれの木。びっくりする。

やはりこちらも面白い。
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