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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ガウディ×井上雄彦

兵庫県美術館で「ガウディx井上雄彦」展を見た。
この展覧会は二人の名前が冠されている。そのことの意味を想いながら展覧会を味わった。
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井上雄彦は「SLAM DUNK」の頃、本当に熱狂していた。
絵がうまくなってゆく過程をリアルタイムに目撃できたことは、ファンとして誇らしい気持ちにもなる。書道もあるときから習い始めていたということで、だから「バガボンド」の迫力のあるタイトルもかっこいい。
ガウディはある時期まではニガテだったが、2003年の秋に東京都現代美術館で「ガウディ かたちの探求」展を見てからかなり意識が変わった。
ただ、スペインに行っていないので、現物を見ていないわたしが何かを言うのはこれまで控えていた。
また、既に東京で展覧会もあり、ツイッターで情報が入ってきていたが、それを踏まえることなく、何もない状態で見にゆくことがよいだろうと判断した。
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アントニオ・ガウディの作品はスペインに行けば見れるという。
しかしスペインに行かずとも映像や書籍や、もっといえば彼の亜流の・或いは影響を受けた・パロディとしての作品を<見ずにいられない状況>になっている。
現代社会で普通に生活を送っている限り、「嫌いだから見ない」ということはほぼ不可能だというのは、凄いことではないか。
一人の建築家の作品がそこまで世界中の人々に知られているのだ。

だが、その一方でガウディの生涯は彼に何かしら興味がない限り案外知られていないように思う。
そしてこの展覧会で、フィクションなのかノンフィクションなのか、井上雄彦は墨絵による表現でガウディの生涯を・ガウディの意識を追いかけた。

建築物の展覧会は、その現場で現物を確認するか、映像や写真や図面を見るか、作品の模型を見るか、壊されたなら破片(建物の記憶)を見るか、というのが多い。
現物がまだ存在するのなら実見するにはその所在地に行くしかない。
ここにある展示品は資料と模型が主である。
そしてガウディという存在を井上雄彦の描いたもので確認する。

第一章は病弱な子供時代からまだ無名の頃のガウディを特集している。

墨や鉛筆や優しい水彩で描かれた少年の物語がある。
まつぼっくりが存在感を示す。
おばあさんにおぶわれる少年はリウマチを患っている。
おばあさんとの会話が心に残る。

バルセロナの学生時代に描いた図面を見る。
この時代の建築家を目指す青年が描いたのが納得できる作品がある。
国民性の違いなどがあっても、大体この時代の建造物の傾向は似ている。
ほぼ同時代のフランスのエコール・デ・ボザールの課題の資料などを見たことがあるが、やはり古典様式な設計図が中心だった。

古臭いものだと思ってはいけない。基礎というものを持たないと、決して変容もそこからの飛翔も出来ない。
ガウディ青年は真面目に立派な製図をおこしている。


第二章ではグエルとの出会い、栄光の道を歩き出すガウディとその建造物の一端が展示される。
以下はすべて新聞からの画像

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当人サイドだけでなく、他者からの視線により照らし出される人間像をみた。
井上雄彦の精妙な絵は観るものをその世界の住人にする。
観客であるはずのわたしたちもガウディを思う人になる。

グエル公園、カサ・ミラなどの図面を見る。二次元のものから三次元の様相を想像するのは楽しい。

カルベート氏執務室肘掛椅子をみて妙な懐かしさを感じた。…わかった。
・・・「比留古」だ…
 
無機質な生命体が集合して一個の形を成したもの、に見えなくもない建造物。
合体することで有機生命体になったようにも思える。
水木しげる「悪魔くん」に現れる「家獣」とはありようは違うが、どこか似ている気もする。

グエル公園、グエル館の断面図やカサ・ミラの模型などをみていると、実際には行ってないのにその内部にいるかのような錯覚が生まれる。

特にこのカサ・ミラ模型は素晴らしい。
長く見入った。

ただ、このカサ・ミラにはエレベーターはないようで、先般スペインで発覚した50階建て高層ビルにエレベーターの取り付けが忘れられていた、という笑うに笑えない事件を思い出しもした。
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ガウディの生涯のエピソードには描かれていないが、火災があったとき、弟子たちが模型を救出するのに懸命だったといういい話を解説から知った。

カサ・バトリョの資料もいい。みればみるほど惹かれる。
傑作だと思う。
リュイス・ブネット・ガリの仕事を堪能する。
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樫で出来たドアなどもここに展示されている。
欄間もある。日本だけではないのである。

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柱梁構造に至る経緯などを思いながら見ると、装飾だけで構成されたように思っていた誤りを思い知らされる。
ガウディがいなければ存在しなかった曲線をみる。
彼がいたからこそ、たとえばなんばパークスの公園部分やシンガボールの公園などにあの曲線が使われもしたのだ。

一方でその曲線や装飾に妖怪じみたものをも感じる。
岡本太郎、諸星大二郎の先達のような人だと勝手なことを思う。
妖怪城のような趣に、水木しげるの世界観を見たりもする。

さてついにサグラダ・ファミリアに到達した。
ここで再び井上雄彦の絵を見る。

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求道者といった風貌をみせているガウディ。
静かな感動がゆっくりとやってくる。
作品として最もよかったのはガウディの顔9枚組のもの。
いつまでも心に残る。
物語は最後の最後まで素晴らしかった。
井上雄彦のファンでいてよかったと改めて誇りに思う。
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サグラダ・ファミリアは予定より早くに完成するらしい。
2026年の予定。あと11年。
そのころはまだわたしもなんとか元気でいるだろうと予想している。
だがこの予定がやはり無理で後々に引き延ばされたとしても惜しいとは言えない。
もし今から50年くらい後の完成であってもいい。
そのときは生きてようと死んでようと見にゆこうと思った。
生きてるときに見にゆけば、またブログなりSNSなりでその感銘を記すだろうし、死んでから見にゆくなら、誰にも気づかれることなくその空間を堪能できるだろう。
普段、考えたことないことをこうして思ったのだった。
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5/24まで
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