美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

村野藤吾の住宅デザイン展

村野藤吾の住宅デザイン展をみる。
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村野の戦前の住宅デザインの仕事を集めていた。
実際に建てられたもの・アンビルト・今はもうないものも多く、とても興味深かった。

図面と写真と、そこから学生たちが作り上げた模型とで戦前の村野の住宅スタイルを見る。

大丸神戸支店店員寄宿舎(1931年) 学校のような様相を呈していた。これはこれでいいと思うが、ただこれは独身者向けだと思いたい。

同舎監住宅(1931年) こちらはスレート屋根で可愛らしい顔を見せている。アムステルダム派風か、なるほどどこかメルヘンチックである。

下村邸計画案(1932年) スパニッシュである。そういえば同じ下村さんでも中道軒はヴォーリズの仕事で、チューダー風である。どちらもとてもいい。

大阪パンション(1932年) 先に模型を見たときドイツか日本の郵政省かという感じがした。時代的な背景があるのかもしれない。真上から見ると階段状である。
玉出にあったということで、その後調べると「パンション」とは「アパートとホテルを兼業したスタイルで、 大阪の南の縁辺部に立地した関係からか演芸人や独身起業家、 知識階級の人たちにとても人気があって、 それらの人たちが好んで利用したという話です」と岡絵理子さんの講演にある。
詳しくはこちらへ。
勉強になりました。

中山悦治邸(1934年) 他にその親族の中山半邸(1940年)、中林仁一郎邸などもあった。悦治邸は芦屋に現存している。写真を見るうちに思い出したが随分前の展覧会で概要を見ていた。ここの三階にオランダの商船のラウンジを入れることになり、村野はしぶったそうだ。気持ちはわかるが施主の望みもわかる。
 
武智邸(1934年) 素晴らしい和風建築である。何棟もが接触し合い、一見建て増しに次ぐ建て増しの構造にも見えるような模型だが、空間の遣い方の贅沢さがこんな形にしたのだと知る。
大阪の財閥の、とあったがこれはもしやあの武智財閥の家か。武智鐡二の実家なのか。とすると、ここには「断弦会」の…
妄想がいくらでも湧いて出てくる。

追記:目黒区美術館での展覧会でこの邸宅が新婚の武智鐡二のために建てられたものだと紹介されていた。
彼の両親も同居したそうだ。


清流亭計画案(1937年) 高名な建築家とはいえ全てが実現するわけではないのだ。…素敵な感じだけど。

親栄会住宅(1939年頃) 天王寺に九戸あったのか。目新しい感じはしないがしっかりした家に見えた。

川崎航空機工業岐阜工場社宅(1939年) 長屋である。しかも相当使い込まれているので元の価値がわからない…

中橋邸(1940年) 天王寺の悲田院に90年代まであったそうな。庭には池もあり、暮らすのが心地よさそうな邸宅だった。

村野藤吾自邸(1940年) 元は河内の民家を引っ張ってきたものらしいが、数十年にわたって手を入れ続けたのですっかり元の形は失われたとか。
前川國男自邸もそうだけど、実験場でもあるのだなあ。

中林邸(1941年) かつて京都駅前にあったスーパー「丸物」の社長邸。和風。ところどころに優しい和のモチーフがある。階段の横の目隠しには梅柄の透かし、丸い飾り窓には飛燕のモチーフがそこかしこに…可愛い。

湯浅邸計画案(1943年) これも実現してたのが残ってたらさぞや。

たいへん興味深い展覧会だった。
6/6まで。
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