FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

錦絵に見る茶の湯 後期

茶道資料館で開催していた「錦絵に見る茶の湯」展の後期が終わった。
今年になってから明治の浮世絵のよいのをたくさん見せてもらったが、とりあえず前半までの掉尾として、この展覧会の後期展がある。
前期の感想はこちら

初夏茶製之図 周延 1879 明治らしく赤が多用されている。働く女たちを眺める官女たち。この時代から「高貴の婦人」たちが蚕の糸取をみたり茶製をみたり、と日本の産業の現場を見学するようになり、それらが絵画化されるようになった。

旧幕時代までは茶の湯は男の楽しみだった。それが明治になってから子女の嗜みになる。
旧幕時代に茶の湯を学んでいたのは大奥の婦女と高位の遊女らだった。

新吉原角町 中万字屋楼上浜村座敷の場 国周 1866 幕末の作。茶の湯をする遊女を描く。茶杓をぬぐう所。高位の遊女は様々な教養を身につけねばならない。
背筋をぴんとした太夫の佇まいが美しい。

周延の人気連作「千代田の大奥」1895年 から二点が出ていた。
「茶の湯」と「茶の湯廻り花」と。
高位の武家の婦女と太夫とは同じ教養を得ている。

世泰平豊双六 国周 1879以降 高貴な人々の双六もの。中で笑ったのは上がりの前の「手踊り」。女たちがみんな揃いの着物を着て踊っているが、その着物の柄がどう見てもアメリカ国旗で☆までついている。ははははは。
どうしても着物でアメリカ国旗とかみると、米倉斉加年の絵本などを思い出すねえ。

女礼式之図 安達吟行 1887 今年になってからこの安達吟行を知り、すっかりファンになった。この人の絵をちょっとアップで見てみよう。

イメージ (48)

イメージ (47)

イメージ (49)


イメージ (63)


イメージ (62)

イメージ (61)

着物がとても綺麗な彩色と文様を見せている。
この先も明治の浮世絵を見る機会が増えてゆきそうだから、こうして安達吟行の他の作品にも遭えると思う。

「女礼式」という言葉は明治の流行というか新語・造語らしい。
三代目国貞、周延らもそのタイトルを使っている。
もしくは「貴婦人礼式」などと。

先に挙げた絵のうち、束髪で紫陽花柄の着物を着る人は安達のではなく、周延の絵。
やはり「女礼式」茶の湯。1901年。すっかり茶の湯は女たちの楽しい場になっている。
客は三人と稚児輪の幼女が一人。午前中の茶の湯だそうだ。

美人遊梅園の図 周延 1891 座敷で茶の湯。そう言えば昔の茶店はどんな茶を出していたのか、よく知らないな。麦湯・桜湯はともかく、渋茶とかほうじ茶とか…なんだろう。
実はわたし、体質的に緑茶も抹茶も珈琲も合わないので、なるべく飲まないようにしているのですよ…淋しいけれど。

小堀遠州流茶事席入りの図 上 三代目国輝 1891 雪の日で、路地を平べったい路地笠でで防ぎながら小走りする女客二人。

婦人風俗尽 煎茶会 月耕 1892 おお、煎茶会も女たちの手に落ちたか(!)。
旧幕時代に山本梅逸、中林竹洞、青木木米らが京で煎茶大好きユニットを作っていたが、女たちも機嫌よく煎茶を楽しむ。いいねえ。

三十六佳撰茶の湯 宝永頃婦人 年方 1893 秋。後ろに張り出す髱(たぼ)が大きい。路地笠を取り、茶室へ。
イメージ (60)
当世風俗通 茶の湯 宮川春汀 1899 この絵師は新時代の風俗を描くだけでなく、一種の啓蒙運動もしていた。茶の湯そのものを楽しむ図

小学女礼式図解 安達吟行 1882 これも茶の湯。明治30年代後半まで活躍していた
らしき安達吟行。ちょっと調べたらプーシキン美術館がヒットした…

教育倭女礼式画帖 完 1898 これは14シーンある。会席に始まり、簾取ったり花を活けたりということも終えてのシーン。

婦女教育礼儀双六 梅堂小国政 1898 短冊、琴、茶の湯、雛飾り、客アシライなどなど。
色んなことを教えるものですなあ。

宇治茶摘絵巻 海北友泉 江戸中期 小さめの人物らがよく描けている。懸命に立ち働く人々の姿。

茶の湯絵巻幷詞書 幕末 こちらは完全に男の茶の湯。雨の日の様子、待合、ユキツバキも綺麗、半東の少年がよく働く図。

今後も明治の浮世絵の展覧会が隆盛になることを願っている。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア