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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「旅・観光・町の記憶」というキーワードの展覧会・江戸時代篇

近代篇に続いて江戸時代篇。
ここでは2つの展覧会を採り上げてます。

「淀川舟游 若冲・応挙・蕪村も愛した」  くらしの今昔館
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くらしの今昔館で淀川を愉しんだ昔の絵を見てきた。
多少の展示替えもあるが、まぁ9割は変わらない。
今は後期になっている。

大川納涼図 西山完瑛 幕末-明治  綺麗どころが3人もいる。今の大阪と違い、まだこの頃は川べりに出たら涼しかったのだろうなあ。

浪花十二景 西山完瑛  その時代の人気スポットを描く。堂島とか蛸の松などか。
こうして見れば、大坂も色々見るところがあったのだなあ。
生活者なのであんまり考えていなかった。

淀川は京都と大阪を結ぶ大事な川で、大阪市では淀川区、東淀川区、西淀川区といった地名も活きている。
わたしは大阪は大阪でも「大大阪にほとりして」の隣市の住人で、しかも川は淀川もさることながら兵庫との境を行く猪名川とも縁が深い地に住まうので、案外淀川の事を知らない。
宝塚線に住まうので、淀川は阪急電車に乗りながら渡るものだという意識があり、上流ではスポーツも出来るほど川辺が立派だそうだが、そちらに行かないので実感がない。

淀といえば今なら京阪の淀が思い出される。城があるのかどうかも知らないままだが、競馬場があるのは知っている。ただ、下車しないからわからないままだ。
近代日本画では宇田荻邨が淀の水車をテーマにした作品を数多く描いている。

淀橋本観桜図 江戸中期  京街道をゆく。男山、橋本の桜の満開の様子。淀の水車も描かれている。
男山は今も石清水八幡宮の地として多くの参拝客がある。
橋本はかつては遊郭が立ち並んだが、今はもう昔の話。

澱川山崎図 武部白鳳  明治中―昭和初  山崎は忠臣蔵五段目の山崎街道とか天下分け目の戦いとかもっと昔は一寸法師の伝承が残っていたりもする。あと楠公の話もある。
電車で言えば阪急、JR側。淀川を挟んだ橋本・枚方は京阪電車。
山崎も歴史の古いところで、桜も綺麗で、水も良質。サントリー「大山崎」はここ。

藻苅舟図 森一鳳 幕末―明治  この人は藻を刈る絵を描くのが得意な絵師で、しかも名前は「いっぽう」。つまり「もをかるいっぽう」=儲かる一方、というわけで大人気。
大坂の商売人は喜んで買いあさった。
浪花の絵師の絵が京や江戸のように人気が出ないのは、一つにはこうした状況がある。
つまり「中央」や画壇なんか関係なしに、機嫌よく絵を描き、欲しいと言う人にどんどこ売り倒したので、美術館に入ったりすることが少なかったのだ。
それで今になって世に出てきたものが素晴らしいので、無念な気にもなる。

春風馬堤曲「夜半楽」 与謝蕪村 1777  蕪村は淀川の毛馬村の出身。そのことを想う。

淀川両岸図 庭山耕園ほか 1940  戦前から江戸時代の淀川をしのぶ。枚方、守口、天満橋。御座船がいっぱい行き交う。

淀川堤図 江戸初期  汚れてはいるがいい絵。元気そうな人々、床を張り出して商売する女郎屋。

乗輿舟 若冲 1767  伏見から山崎・八幡を越えて鳥飼までの分が出ていた。
正直、こういうのを見ると淀川を静かに下ってみたいと思うのだ。版画の技法がどうのとか作者が、とかそんなこと関係なしに。
なにしろこの絵巻には源八の渡しだけでなく平太の渡しなどもあったりする。昭和30年代まで生活の足だった渡しである。
静かな憧れを呼び覚ます絵巻。

岡田半江、十時梅厓らの涼しそうな絵が並ぶ。
淀川も昔は納涼できていたのだ…

浪花百景図がある。本物とパネルと。
これらは大阪市立図書館蔵のもの。わたしは他に頴川美術館のを見ている。
そうそう、クリスタ長堀に陶板の浪花百景があるので、今度はそれを撮影に行こうかと思う。あれとなんばウォークのシカゴ美術館の名画60枚の陶板と。
大阪には昔から優秀なタイル会社があるからこうなったのかな、と勝手に思っている。

よと川の図 江戸後期  坐摩神社―御霊神社―栴檀の木橋―桜宮―江口―…カラフル!
来迎寺や佐太村もある。そう、白太夫の住まう佐太村。三つ子兄弟の実家の佐太村。

浪花の賑わひ 暁鐘成・松川半山 1861  おお、船渡御で餅投げもしてたのか!!

浪花及澱川沿岸名勝図巻 大岡春卜 1745  あら、大和川界隈からか。珍しい。
安立、住吉大社、勝間、長町裏…(あんりゅう、すみよっさん、コツマ、ながまちうら)
ほんまに古いところばかりやね。

勝間はコツマ南瓜の産地で、小さくてカイラシ(可愛らしい)ナンキン(かぼちゃ)で、ちびでムネもあるべっぴんさんをコツマナンキンと大昔は呼んだりもしたようだ。
今東光原作の小説を映画にして、瑳峨三智子が主演した。
うちの会社に八尾出身で小柄で元気の良い娘がいた頃、会社のじいさんたちは彼女を「コツマナンキン」と呼んで可愛がっていた。いかにも河内者らしい元気な人だったが、気の毒に早世してしまった。今もコツマナンキンと聞くと彼女を思い出す。

淀川名所図巻 懐徳堂一門 江戸中期  リアルな地名の入ったもので、これは実用性もあると思う。ガラスケースを覗きこんでは「あー、ここここ」と声を出す人も少なくなかった。

菅楯彦えがく江戸時代の「浪花天神橋」はええ氏の子とその日暮らしの一家との対比が描かれているが、どちらも気さんじな顔をしているのが特徴。
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淀川を舟下りしたくなる展覧会だった。


「広重の旅 浮世絵・近江・街道」  大津歴史博物館
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広重の「東海道五十三次」を中心とした展覧会である。
広重は実際に東海道を旅しており、想像ではなく実景をスケッチし、それから豊かな市場を添えて宿場町を描いた。
一種ではなく何種ものシリーズがある。
1シリーズに1シーンでは描きつくせなかったろうから、多くの版で異なる宿場風景がある。
いずれも少しずつ違う工夫が凝らされていたり、中には絶品なものもあれば、パターンは変わらないものもある。

大津歴博では滋賀県内の宿場を描いた作品を中心に展示していた。
東海道双六では日本橋を振り出しに京が上がりだが、その上がりの手前「大津」を本拠にする以上は、コレクションにも力が入っている。

元々琵琶湖のほとりである。近江八景図も名品を集めるのに怠りはない。大正の新版画運動で生み出された伊東深水の近江八景図も所蔵しているが、あれも本当によかった。

三井寺に隣接するこのミュージアムはその意味では近世までの作品に良いものが多いのも納得できる。

わたしが子供の頃、永谷園のお茶漬け海苔に広重の五十三次カードが入っていた。
それをある程度集めて会社に送ると、箱入りの丁寧なカードが全種揃って贈られるというシステムがあった。
わが家にはそれがあった。さらには広重の画集があり、父からは一九の「膝栗毛」を福田清人が子供向けに書き改めた読み物も貰った。
わたしが後年、江戸ものにすんなりと入り込めるようになったのは、いわば「庭訓」であったと言ってもいい。

今回の展覧会、「代表作【保永堂板】をはじめ、普段、あまり展示されない五十三次シリーズを近江を中心に展示」とミュージアムは謳っている。
なるほどそれは楽しみ。
というわけで中に入ると、いろんな楽しい工夫がされている。

行った時間が遅かったので残念なことに深く味わえなかったが、それでもこれだけの作品を楽しませてもらえたのはありがたい。

滋賀県内の東海道の宿場と言えば土山宿から大津までの5つ。
土山、水口、石部、草津、大津。
それぞれ数種の絵があるから、多方向的な眼で宿場の様子を見る。

友人で本当に自分の足で五十三次を行く人がいるが、わたしはムリだな。
京から大津までなら参加してもいい。
京津線の沿線を思うと楽しそうだから。
だが、ほかはどうもムリ。あと歩けそうなのは日本橋から品川か。
あそこは正月の箱根駅伝のキモチになるからなあ。

滋賀県は交通の要所で、東海道だけでなく中山道、木曾街道への道もある。
木曽海道六拾九次之内 大津  こちらは画面奥に琵琶湖がのぞいている。
繁盛する店の並びと、旅姿の女たちと。三井寺への参拝の人もいるだろうし、三井寺力餅もよく売れて…あ、ここの餅は明治創業か。
旧いのは草津の姥が餅。400年の歴史がある。

五十三次名所図会 五十四 大津  こちらはロングもロング、望遠で捉えた風景。桜が咲いて花見の最中か。湖面には白帆、対岸には三上山。

五十三次張交 京・大津・草津  これは面白いもので、大津絵の鬼の念仏も仲間入りしている。

客引きの女たちのたくましさ、滑稽な旅人達、宿場に住まうどうぶつたち。
膝栗毛のエピソードが蘇ってくるかのようだ。
毒のない諧謔。ほのぼのとした風景。
それにしても湖面の青、雪の白、空の灰色…魅力の多い風景が多い。
広重好きな人にはわくわく、知らなくても明るい心持で大いに楽しめる。

8/30まで。
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