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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

プーシキン美術館展

木曜日には人気展へ行け。
昔から私の中にある考えだ。人出の多いプーシキン美術館展へ行くのは木曜がよさそうだと、会社を休んでのお出かけ。

印象派は日本人の大方が好む。無論私もそうだ。
梅原と安井が日本洋画檀の二大巨匠となりえたのは、若い頃のそれぞれの師匠がルノワールとセザンヌだったからではないか、とジャスイするくらいだ。いや、弟子のデキが良いから本家本元への人気も高まったのかもしれない。
松方ゆかりの西洋美術館、児島の眼による大原美術館。
印象派の二大美術館が迎えたお客さんが、これまた印象派に好意を抱く。

世界的に印象派コレクションで有名な美術館からの展覧会が日本で賑やかに開催され、その都度、皆機嫌よく向かう。
バーンズ・コレクション、コートールド・コレクション、オランジュリー美術館展、オルセー美術館展・・・。
そしてこのプーシキン美術館展。
既に東京でも大好評だったのが、大阪に来てくれたので、私も嬉しい。

今回はマティスの『金魚』がなんでも40年ぶりに来るらしく、大阪でのチラシポスターはこれがどーんッとB2大だった。
ルノワール、モネ、マティス、皆が喜ぶ画家たち。

いそいそと私も会場へ進む。

最初に出迎えてくれたのは、ドガのダンサーの一人だ。
きれいなポーズでわたしたちを歓迎してくれているみたい。
それからルノワールの黒い服の娘さんたち。
こちらを向く少女は、ちょっと知り合いに似てたりする。
『こんにちは』
『こんにちは。連日大変でしょう。お疲れ様です』
『ありがとう、がんばります』
そんな勝手な会話をする。そんな親しみがこの絵にはある。

パリが広がっている。
ムーラン・ド・ギャレット、オペラ座の舞踏会、マドレーヌ大通り、サン=ミッシェル大通り。
天気が悪くても人出は多く、みんなパリを闊歩する。雨でも雪でも。


マティスの金魚。ビーカーなのか、鉢と言うには縦長すぎ、シンプルすぎる。この金魚、大和郡山の産地ではないのか。
『右手を上げて前を向き、ぐるっと回って下を向く。そのまましゃがんで・・・』楳図かずおによる金魚掬いのテクニック。それでビーカーに入れられたのかもしれない。

マティスの完成へのプロセスは以前にも見ていて、衝撃を受けていた。
一見して、塗り残し・乱雑・エエ加減、に見える作品ほど、幾多の過程を通り過ぎた後の完成品だと今のわたしにはわかるようになっていた。しかし、そんな理屈や背景など関係ナシに見て、この金魚は可愛い。4匹の赤い金魚はトボケた顔で狭い水の中にいる。
彼らは國芳の金魚のように戯画にはならず、知らん顔でいる。
・・・もしかすると、いつか緋鯉になるかもしれない。

モネの睡蓮。白い睡蓮。太鼓橋の下に咲いている。ジヴェルニーにゆきたくなるのは、こんなときだ。大山崎山荘の地中の宝石箱(安藤忠雄の傑作だとわたしは思うのだが)そこにいるとモネの睡蓮がぐるりと『私』を取り囲んでくれる。静かな安らぎ。
いつでも、どこでも、・・・モネの睡蓮には誘われてしまう。

しかし積み藁には私は関心が湧かない。
ああ紫色の塊やなあ、くらいしか思えないのだ。
ここに人がいたらミレーのお百姓さん、火をつけたら『稲むらの火』、中から抜き刃を上げた男が出たら定九郎。そんな感じ。

庭や木のこと。
シニャックの松の木はピンクと青のモザイクで出来たセーターのように見える。こういうのは商品化すると喜ばれるかもしれない。みかんの木のような絵もあるし、セザンヌの黄土色の道から見たサン=ヴィクトワール。田舎じゃのう。『廃墟のある風景』。信州みたいにも見える。

満月の真下で三人の男が「えいこーら」とばかりに『船曳き』している。こういうのを見るとすぐにアタマにBGMが流れる。
♪えいこーら やれこーら も一つえいこーら・・・
月下で働くおじさんたち。

カリエールが二枚来ていた。
セピアの世界。懐かしさと薄い恐怖の混じる記憶。魂の抱擁のような母と娘たち。
カリエールの絵画には、何故かいつも彫刻を見たときのような気分が残る。


わたしは恣意に作品を上げているが、実はきちんと分類されて展示されているのだ。
しかしわたしは気ままに、書く。




ゴッホの『刑務所の中庭』。レンガ造りの獄舎が並ぶその中庭で縁を作る囚人たち。青かびが生えたような画面。死の数ヶ月前の作品。
昨夏フィリップスコレクションで見た『アルルの公園の入り口』にも通じる危うさがここにもある。しかし私はそれこそが好きなのだ。
刑務所の中と言えば、花輪和一の怪作がある。平凡な囚人たちの日常を淡々と描き、しかもその静けさが異様におかしかったことを思い出す。崔監督が見事な映画に仕立て上げてもいた。
が、ゴッホのこの作品にはそうしたユーモアもペーソスもない。
かと言って帝政ロシア末期の政治囚の悲惨さでもない。

建築の話になるが、かつての刑務所と病院と修道院と学校とには、ある共通点が見出される。
外部を拒む、ということだ。今はそうでもなくなっているが。
刑務所と修道院の同一視は、立原正秋の小説を思い出させてくれる。
しかしこのゴッホの建物は、同じオランダの映画『さまよえる人々』あのアムステルダムの矯正院を想起させる。それから切り裂きジャックの徘徊するロンドンの裏通りと。

ゴーギャンの『逃亡』これは前々から不思議に思っていたのだが、何故画面の右から左へ向けば『逃亡』になり、左から右へ向かう絵は『侵入』になるのだろうか。右から左へ『侵入』する絵もあるが、左から右へ逃亡する絵は見ていない。
タヒチから逃げる人々の行く先はどこにあるのか。
鳥も逃げてゆく。しかし犬は一体どちらを向いているのか。

今回の展覧会では添え物の犬に私の目が向いた。
『サン=モーリスの古代ローマの橋』
座る婦人の足元に犬がいる。散歩の途中かもしれない。ああしんど、と座ったときにわんこもクンクン鳴きながらそこにいるのかも。向こうには泳ぐ人々がいる。
こうした絵は人々の行動がまちまちだが、どうしていつもどこかに水浴したり泳いだりする一群れがいるのだろうか。
西洋の人間にとって水浴または水遊びとは、どのような意味を持つのか。遠景になぜ描かれるのか。

ローマ帝国の拡大が入浴の習慣をユーラシア一帯に広めたのは確かだろう。
それまでは皆水浴だけだったのだ。
西洋の入浴の歴史をひもといた本があったはずだが、絵画に描かれた理由を調べるのに即しているかどうかはわからない。
近景なら別な理由が読み取れるが。

風呂場で殺される男の絵といえば『マラーの死』だが、わたしはすぐに歌舞伎の『湯殿の長兵衛』を思い出す。
水野に槍で殺される幡随院長兵衛。

話を元に戻す。
ゴーギャンは不気味な版画を残している。ノアノア・シリーズ。黄色い体は謎だ。同じく神話を基にしていても、『彼女の名はヴァイルマティといった』美しい女。
エジプト壁画のようなポーズ。創世神話。背後の石像はその元の話をうつしたものか。
・・・ポリネシアの夢は悪夢に変じたのだろうか。

一方、大都会の片隅。
ボナールやヴュイヤールが好きだ。
都会の片隅で。何をするでもなく、なんとなく楽しくなる。
人物が室内に溶け込む。家具の、インテリアの一つになる。
なんとなくこの絵を壁にかけると、その絵の中にも額絵が増える気がする。そしてその絵の中にも絵が・・・無限の観念。
『ノルマンディーの夏』ボナールの奥さんと語らうお友だち。彼の絵にしては珍しくボブカットの女の人だ。カーディガンがきれい。こんな色のが欲しい。

ピカソの女王イザボーの青いドレスもきれいだった。髪も眉も睫毛も青緑で、きれいだった。色合いだけならアニメキャラのようではないか。
キュビズム。
そういえば、小川の絵があった。セザンヌの『池に架かる橋』。
橋がなければ抽象画だとコメントがついていたが、見ようによってはこれもキュビズムに見える。
菱形に分割・統合された世界。

そういえばマティスの『ブーローニュの森の小道』を見た途端、デジャ=ヴに襲われた。
と言うより先に思い出した。
六甲山の外国人別荘跡地を探索したときの気分だった。

マルケが出ている。
おじはマルケのファンで、先に見に行ってよかったよかったと言っていた。
『パリの太陽』は初冬の日暮れ時らしく、くすんだピンクベージュに包まれていた。声をあげてはいけないような場所。そんな感じの絵だと思った。



終わり近くになって、ルノワールの裸婦版画があった。
なんだか親愛なる体つきだ。
わたしも彼女に黙って笑いかける。
ロートレックの騎手たちは前にも見た。
どこでかな。リトグラフはたくさん兄弟を作る。

なんとなく山本容子を思い出す。山本容子から彼らを思うのではなく。
ロートレックの女たちの眼差しは物憂いだけでなく、せつなく孤独だ。
こうした女たちはロートレックに親切だったのだろう。そんな気がする。

ヴァラットンの白と黒。
戯画のような・モブシーンのような・スラップスティックのような。
いつも感想が同じになる。
特別好きではないが、ヴァラットンを見ているとワルター・トリヤーの親戚筋のような気がする。
それから丁度百年前のダンサーたち。腕や髪がリアルな少女たち。
ルイ=ルグラン?わたしは知らない。名前だけを見たとき、ルイ・ル・グラン学院(ロベスピエールの入った学校)、中学の近所にあったパン屋さん、ルパンの作者はモーリス・ルブラン、モンキーパンチはルパン三世、とかいった事がタタタタタッと浮かんだ。

そうだ、ルドンの男の巨大な横顔。それを眺める人々の小ささ。
正直、気持ちのよくない絵だ。
先日はハンプティ・ダンプティみたいなのも見たな。ベオグラード美術館展で。
ルドンこそまさに久世光彦の『怖い絵』の代表格かもしれない。

ルドンやムンクは何故あのような絵を描くしかなかったのだろう。
別に楽しい絵を描けとは思わない。
それは他の画家がすればよいことなのだ。
しかし何故こうした絵を曝け出す必要性が彼らにあったのだろう。
その方に興味が惹かれてしまう。

アンリ・ルソー。
密林ではなく都市の公園の絵が来ている。
複葉機と気球と飛行船が同時に浮かび、川に架かる橋はケーブルを分離させる工事用品のように見える。手前にある船は白頭巾をかぶった『快傑ナントカノ介』とでも言うべき風情だ。
対岸の林はそれぞれ様相が全く違う。灯台のある方は紅葉狩りによく、杉らしき林はスズキコージが潜んでいそうだ。しかしなんとなく、岡 鹿之助のような静けさを感じもする。その一方で古賀春江のようでもある。

もう一枚『モンスーリ公園の眺め』人物と建物と植物の大きさの対比が変なので、眼を引かれる。植物の大きさ。うーん、わかった。ナイト・シャマランの映画『ヴィレッジ』だ。
あんな感じだといえば、いいのかもしれない。

そうだ。ピサロの次男の絵は女と孔雀が様式美から離れつつも閉じ込められているようで、なかなか面白かった。金色が『ぎらめく』ようにみえた。
きらめきは他にある。
ブラックの『ラ・ロッシュ=ギュイヨン城』なにやら鉱石で出来たお城のようだ。爪も立たず、滑り落ちてゆく。クリスタルの城。中には百年の眠りについた人々がいるのかもしれない。

そうこうするうち、とうとう出口だ。
大変充実した。75点か。よかったなあ。展示の仕方もよかったと思う。
カタログとは全然違う並び方だが、(多分東京での並べ方がカタログ番号なのだろう)面白かった。本も二千円とは、大変素晴らしい!


マティスの間、セザンヌの間の写真を見ていると、日本と展示法が違うので何やら興味深く感じる。
日本では、たとえ絵を飾ってなくとも大谷光瑞の建てた二楽荘くらいしか比較できないように思う。ニ楽荘の写真を見たからこその感想かもしれないが。
失われた建物、失われた楽園、失われた身分。
『桜の園』を思い出させてくれる経緯。


最後に。
モロゾフもシチューキンも帝政ロシア末期のカネモチとして良いことをしてくれたが、私有財産の没収はやはり気の毒ではある。
でもおかげでこうしてみることが出来たのだから・・・
とりあえず、ありがとう。

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コメント
今、自分のブログにモネ・睡蓮のことを書きました。
昨夜、『探偵ナイト・スクープ』を見た後、遊行さんのブログを拝見してモネ・睡蓮のことを思いながら寝ました。何か幸せな気分で週末を送れそうです。感謝しています。
2006/02/18(土) 11:36 | URL | 酒徒善人 #-[ 編集]
プーシキン美術展、東京での殺人的混雑振りにとうとうギブアップしてしまったので、
こちらで遊行さんのレポを読みながら、脳内鑑賞できて嬉しかったです。

シニャックなどの点描風セーターというと、ミッソーニのものが近いかな…
でも恐ろしく高価で手が出ない(;;)

文字の横書き文化圏では時の流れが左→右なので、進入→、←逃亡と
なるのではないでしょうか? 縦書き文化圏では、その逆ですよね。
絵本も見開きの左右が文字の書き方で決まっているので、
中の絵がその法則と違っていると、進んでいるのか戻っているのか
混乱してしまうことがありますね。
2006/02/18(土) 17:08 | URL | 山桜 #-[ 編集]
素晴らしいエッセイをありがとうございます。
楽しく拝見させていただきました。

国立国際にてご覧になられたのですね。
今私が行ってみたい美術館の一つです。

>昨夏フィリップスコレクションで見た『アルルの公園の入り口』にも通じる危うさがここにもある。しかし私はそれこそが好き

あの危うさはまさにゴッホならではですよね。
彼の「危うい」作品を私は正視出来ないのですが、
その凄みは感じられました。

>カリエールが二枚来ていた。
セピアの世界。懐かしさと薄い恐怖の混じる記憶

あのカリエールは美しかったですよね。
今度上野でロダンとカリエール展が予定されていますが、
一度まとめて見てみたい画家だったもので楽しみです。
2006/02/19(日) 00:23 | URL | はろるど #-[ 編集]
酒徒さま

モネの睡蓮はわたしにとっての浄土かもしれません。でもそこから一足出ると、元の都会の喧騒。
わたしはそんな場所にいるからこそ、モネの睡蓮を愛しているのかもしれません。
2006/02/19(日) 07:59 | URL | 遊行 #-[ 編集]
山桜さま

あっ!!
という感じでした。そうですよね、そうか。
納得しました。文化の違いか・・・
いい説ですよね、すごく。
今こうして日本人も横書き文化圏の人になりつつあるけれど、基本が縦なので感性が違うわけですね。

異時同時図なども上から始まり、右から左へ移り行きますが、昔の日本の横書き文字は、←ですものね。ハナヤはヤナハだし。

面白かったです。
2006/02/19(日) 08:06 | URL | 遊行 #-[ 編集]
はろるどさま

ゴッホが療養中に描いた作品の多くは、群集というか、人々の姿が多いですね。
こちらを見ている人が居ても、彼らには個性はない。
あれを見ていると、痛々しさを覚えます。
耳きり自画像より、そちらの方に切なさを感じます。

ロダンとカリエールは楽しみにしています。
ロダンは'89.11でしたか、西洋美術館で大きな展覧会がありましたね。
わたしはそのとき初めて東京の美術館を一人でぐるぐる回り続けたのです。

カリエールは大原で最初に見ました。
後日upしますが、バークコレクションの若冲のでしたか、月の絵、あれがカリエールの色合いに見えました。
2006/02/19(日) 08:14 | URL | 遊行 #-[ 編集]
“モネの睡蓮はわたしにとっての浄土である。”あの夜、漣に揺られる(揺り籠の中に戻ったかの)ように心地よく眠れたのはわたしにとってもそうなのかも知れません。いやそうだと思います。よく似ていますが蓮の華より睡蓮がすきです。コメントありがとうございました。
2006/02/19(日) 14:47 | URL | 酒徒善人 #-[ 編集]
こんばんは。
TBありがとうございました。

いやーーはろるどさんも
仰っていますが、素晴らしい文ですね。
これきちんとプリントアウトしてから
じっくり読みます。v-233

風呂場で殺される男の絵といえば『マラーの死』だが、わたしはすぐに歌舞伎の『湯殿の長兵衛』を思い出す。
水野に槍で殺される幡随院長兵衛。

ハマりました!これ。

大阪展が始まる前日まで近くのホテルにいました。
一日延泊してやっぱり観てから帰ればよかったな~
2006/02/19(日) 22:19 | URL | Tak #8iCOsRG2[ 編集]
Takさま

こんばんは、うぉっという感じです。ハズカシ~
わたしはほんとに考証も何もなしで、妄想だけで書いてますので、笑われるようなのばかりです。

しかしこれは本当に良い展覧会でした。
なかなかこのレベルの洋画展に当たらなかったので、嬉しかったです。
2006/02/19(日) 23:31 | URL | 遊行 #-[ 編集]
こんばんは。はじめまして。
大変興味深く読み惚れてしまいました。

個人的には
「大和郡山産の金魚」がツボ!でした!

この展覧会、どきどきするくらい楽しくて
興奮しながらリピートしたんです。
印象派の絵ってやっぱり私も大好き!です。
今秋には神戸にオルセーがやってくるらしいので、
今から待ち遠しいです。

そして今回カリエールを初めて意識しました。
上野でのカリエールとロダン展、関西に巡回しないのが残念です。。。

長々と乱文にて失礼致しました。
またちょくちょく遊びに来させて下さい☆
2006/03/03(金) 23:01 | URL | はな #-[ 編集]
はじめまして はな様

よい展覧会でしたよね、見応え十分ですし、そのくせ疲れるほどにはない。
こういうのがいいですよね。

大和郡山の金魚は地場産業のネタなのでウケて頂くと嬉しいです。

神戸にオルセー来るのですか。
'99に博物館で開催されてましたね。今度は県美でしょうか。

カリエールは大原で見て以来気にかけているのですが、本格的な展覧会はなかったような気がします。

わたしは文字ばかりでビジュアルなしですので、見づらいと思いますが、またお気軽においでください。

明日は京都で人形や茶道具や日本画を見てきます。
2006/03/03(金) 23:34 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
こんばんは。

オルセーは博物館だったように思います。
お正月に日経の記事で見たのですが、
それ以降記事を見かけないので、
友人たちに「うたぐりの目」で見られてます。。

大原にカリエール、ありましたか・・・!!
子供の頃エル・グレコに惹かれて以来
受胎告知ばっかり観てます。
今月、大原に行くのでしっかりカリエールに
挨拶してきます☆

昨日、わたしも京都におりました。
伊勢丹のポーラ美術館展です。
高島屋にも寄ればよかった・・・(涙)
2006/03/06(月) 00:07 | URL | はな #-[ 編集]
はなさん

わたしは来月大原に行こうと思っています。
何年もいってないのですが、最近やたらと目に付くので、これは大原に招ばれてるんだと思うわけです。
行くぞー、と思いました。

ポーラは9日に行きます。またTBさせてもらいますね
2006/03/06(月) 10:35 | URL | 遊行 #-[ 編集]
もう一度「プーシキン美術館展」を観ているようでした。そして私の感性では受け止められなかった作品も、もう一度足を止めて(あの時買った本をもう一度広げて)すくい上げさせて頂きました。
そのひとりが、カリエールでした。「なんだか暗い絵だな」と、通り過ぎていたのですが、遊行七恵さまの解説と本の解説を読み直して、「そういう観方があったのだ」みたいに。。。ありがとうございました。
2006/06/16(金) 11:05 | URL | red_pepper #-[ 編集]
こんにちは
わたしはいつも書きこみすぎるのです。
ネタバレとでもいうのでしょうか。
本を買えばよかったのですが、買い損ねたことが今でも痛いところです。
実物をみつめたあと時間をおいて本を眺める。
そのとき新しい発見がある。

red_pepper さんの二度目の楽しみにご一緒できたような気持ちです♪
2006/06/16(金) 13:16 | URL | 遊行 #-[ 編集]
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