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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

グンナール・アスプルンド展

グンナール・アスプルンド展を見に行こうとする。

朝一番に東京美術倶楽部で日本美術を堪能した後、新橋6丁目のその場所から汐留を目指した。
日曜日なので走る車も行き交う人の姿も殆どない。

一瞬、自分のいる場所がわからなくなる。
個性のない建物の並んだ街の中、わたしはどこにいるのか。

標識や持っている地図や自分のケータイのGPSをたよれば、足の踏みしめる地がどこかはすぐにわかる。
しかしそれはあくまでも二次元レベルの理解なのだ。
私がどこにいて、どこへ向かうのか、実感として伝わっては来ない。

建造物はランドマークとしての役割も果たす。
この場合私は方位把握が出来ないので、右後方にアーバンホテルの影をみつけ、左前方に電通ビルを見る。ずっと背後には巨大なネジのような森ビルが見える。あれは虎ノ門だろう。
歩く・歩く・歩く。

汐留の一帯はこれで完成と言う状況には入っていない。
巨大建造物群の中の小さなわたし。
建築家は一個の建物を作るだけではなく、その建物を内含する場を作るべき存在であるべきだ。
私の信ずる思想は、しかし現実には実現されず、こうして私を道に迷わせる。

行きつ戻りつを多少続けた後、ようやく復元された新橋停車場をみつける。その隣の松下のミュージアムへ行かねばならない。
ガラス仕立てのビルは強固に聳え立っている。

わたしがまだ建築やインテリアに深い関心を持たなかった頃、世間では北欧のインテリアが流行していたそうだ。
わたしは自分のシュミ以外にはあまりものをみないから、そんなことも知らなかった。

絵画や彫刻なら海外の作家に眼を向けもしたが、いまだに建築に限れば、国内を追うだけで手一杯と言う至らなさなのである。
グンナール・アスプルンド。
チラシを手にし、penkou師から勧められていたにも関らず、私は彼を知ろうとはしなかった。
展覧会で見ればよいだろう、くらいの軽い気持ちでいたのだ。

アスプルンドを示唆する写真たちが入り口の壁に何枚も飾られている。彼の設計した家、その遠景、状況。スカンジナビアの短い夏、ザリガニ料理、アーキペラゴ(群島海=多島海)。
そういえば、この展覧会のポスターは雪の森の中に広がる『森の中の墓地』だった。そしてその写真は先ほど美術倶楽部で見た岡 鹿之助の絵にそっくりなのだった。

アスプルンドについてはこちらに詳しい。
http://www.aalab.com/asplund/index.html

私は普段会場に設置されたパネルは読まないが、アスプルンドを全く知らないので割と真面目に読んだ。

彼の出世(文字通り、世に出たのだ)作はコンペで選ばれた森の中の墓地である。
墓地。スエーデンも近代国家になり、人口増加とその後に悩み始めた時代に入りかかっていた。
土葬から火葬へ。
そのための国家プロジェクト。

まだ人生の鳥羽口に立ったばかりの青年の最初の仕事が墓地設計とは、いささか皮肉が強すぎると思ったが、アスプルンドはみごとにそれを作り上げる。先輩や友人の助言を受け入れながら。
その墓地風景写真、模型、ハウスに実際に使われる扉などがそこに展示されている。
見事なアラベスクを見せる扉。髑髏と蛇をモチーフにしてもいる。
不意にわたしは映画『ドグラマグラ』の1シーンを思い出す。
精神病院の解放病棟の壁に浮かんだ影。
私だけの小さな娯しみ。
蛇は双頭である。それが髑髏を囲む。遠くから見れば髑髏とも蛇とも見えないだろう。
『今日は私 明日はあなた』
墓地の入り口に掲げられた言葉。
その反語もまた生まれている。建てられなかった建物に掲げられるべき言葉。
『今日はあなた 明日は私』
こちらは未完成のままだ。―――未完成なままだ。

死生観の違いというものがある。
それは洋の東西というだけではない。
同じヨーロッパ・キリスト教圏の人間であろうとも、北欧には北欧の感性がある。
墓地などはその点、各国・各地・各民族の違いを見ることが出来て興味深い。
火葬場は日本の場合、大方は忌避すべきもののように見える。
アスプルンドはその火葬場に美しい模様を施す。モザイクの宇宙。
キリスト教が布教される以前の北欧神話を想起させるような、豊かな世界。

東京へ来る機内ではシベリウスらの楽曲が響いていた。
フィンランディア、カレワラ、レミンカイネン。
風邪と結膜炎とで苦しいわたしは難聴気味になり、耳の中の海は乱され、鳥の羽ばたきが始まっていた。その中で聴く北欧の透き通る音楽。それがこのアスプルンド展で再現されている。
現実の音楽なのか、羽ばたきの続くわたしの耳の、あるいは脳の幻聴なのかはわからない。

しかしそうした状況に入り込むほど、アスプルンドの建築した建物は静謐さに満ちていた。
チラシでは『癒しの空間』とある。わたしはそれをあまり信じなかった。
癒されると言うことは、その外に出れば再び傷つくことでもある。
そのくせここにとどまることも許されない。
が、それでもわたしはここにいる。
ここにいて、アスプルンドの残した建造物の写真を、映像を、模型を愉しんでいる。総体を、ディテールをあじわいながら。

図書館がある。
外観より中の設計に惹かれた。こんな図書館にいつまでもいたい。
強い欲求が湧いてきた。
本と本が円を描いている。棚は横並びに円を作る。右から回れば左につくのは夕方だろうか。左から回れば右につくのは明け方かもしれない。それでもいいと思った。
すばらしい空間。ボルヘスの図書館、司馬遼太郎の本棚、アスプルンドの図書館。

カール・ヨハン学校。青少年の活動にふさわしい場所。
裁判所の増築も先人への敬意を忘れずに行なわれる。
そこの飾り窓は青海波ではないか。

やがて今度はアスプルンドが日本文化に敬愛を寄せていたことが提示され始める。

それらの資料をみているとアスプルンドの『静けさ』がこちらにも伝わってくる。彼の『夏の家』の暖炉、椅子、テーブル。家具もまた彼の美意識と思想を体現する。

彼は生涯に亙って墓地を作り続けた。
森の中に埋没するような構造の墓地を。

ここには彼の墓碑銘が残されていた。
それをみたとき、何故この展覧会でこのような静謐な心持になれたのかわかったように思う。

その言葉は、会場の中でみつけだしてほしい。
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コメント
北方の建築家は、その厳しい自然と真摯に向き合うため創るものが実直です。緯度でみると地中海と変わらぬ北海道も、札幌でマイナス10℃位までは普通に下がります。そんな自然の中から創造された建築の素晴らしさをいつまでも忘れないでほしいと願っています。
2006/02/20(月) 22:05 | URL | xwing #lW1SJDGw[ 編集]
『スコーグスシュルコゴーデン』
この墓地を建設したのがグンナール・アスプルンド。
およそ25年の歳月をかけ、建築家がふみこむことのなかった「生と死」の領域に挑み、見事表現した。「人は死んだら森へ帰る・・・」
2月初め“世界遺産”で放送されたものですよね。ビデオ“お気に入り2”で視ました。
日本とは少し“森”と“土”の違いがあるような気がします。
2006/02/20(月) 23:50 | URL | 酒徒善人 #-[ 編集]
xwingさん

確かに寒冷地の建築にはまず『実直』さが欠けてはならぬものだと思います。質実剛健。
揺るぎのない信頼をその土台に埋め込み、アンカーボルトで固定してさえ、疑う。
そこからの構築は百年二百年の歳月にも耐えうるものでないとダメだろうと強く思いました。
針葉樹林の強さ。
それを思い出しました。
2006/02/21(火) 09:53 | URL | 遊行 #-[ 編集]
酒徒さん。

TVは見ていないのでなんともいえませんが、そうした番組に取り上げられることはとてもよいと思います。
日本には最早『森』も『土』も遠いもののような気がします。
北欧の感性は北海道の人でしかわからないのかもしれない。
しかしそれでもわたしたちは関ろうとする。
理解できようと出来まいと。

南欧と北欧の墓地の観念の違いも凄いと思います。ありようが全く違う。
かつての鳥辺山と沖縄くらいの差がありますね。
バナキュラーに踏み込むしかないのだろうか・・・・・・
2006/02/21(火) 10:08 | URL | 遊行 #-[ 編集]
とうとう観てくださいましたね。アスプルンド展を!
アスプルンドの建築を観ていると(といっても誘われたにもかかわらず行きそこなったので写真でしか観てないのですが・・・痛恨)風土や長い時間を掛けて培ってきた気質・伝統の力はとても大きいと思いますが、アスプルンドという建築家が飛び抜けて素晴らしいのではないかと思います。
モダンムーブメントの中で、その時代の動きを自然に受け止めながら真摯に建築を見つめつくした。材料や技術を見極めながらやはり北欧の自然の中に建築を屹立させた。時間を掛けて。上手くいえないのですが好きです。なんか情けないコメントですね!
2006/02/21(火) 20:26 | URL | penkou #-[ 編集]
アスプルンドは北欧の中でも特異な建築家だったのでしょうか。そこらへんがよくわからないのです。

建造物は何のためにあるのか。
人間の要求があるからこそ存在するのだ。

しかしアスプルンドの建築は調和していますよね。
北欧の風景の中に自然と納まりをみせている・・・
そのことを思うと、彼が何故古い日本の建築様式に惹かれたのかもわかるような気がします。

写真の中で、万博風景があり、どうみてもイサム・ノグチがデザインした和紙の照明が見えたのですが、1930年代に、それはもうグローバル化してたのでしょうか。
2006/02/21(火) 21:04 | URL | 遊行 #-[ 編集]
今日は。
 見てきました、アスプルンド展。ということでトラックバックさせていただきましたー。
2006/03/21(火) 13:11 | URL | xwing #lW1SJDGw[ 編集]
アスプルンド本当に良かったですよね。
あの静謐な世界・・・(墓地だから静か、なんてナシですよ)ちょつと色々考えさせられました。

ところで江戸博では土浦亀城とバウハウス展がありました。こちらもよかったです。
2006/03/21(火) 23:25 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
こんにちは。
サーバー夜はかなり不安定でご迷惑おかけしてます。
TBありがとうございました。

死に対する考えはそれこそ千差万別ですね。
日本国内であっても違います。

色んな意味で刺激的な展覧会でした。
建築展は絵画展とは違った感動があります。
2006/03/27(月) 12:34 | URL | Tak #JalddpaA[ 編集]
建築は多角的な視線で見ることが出来るからなのでしょうね。

あのポスターは本当に素敵でした。
汐留はときどき本当に良い展覧会がありますね。
2006/03/27(月) 20:30 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
図書館
遊行さんこんばんは。
アスプルンド、全く未知の建築家だったのですが、
ともかく美しい絵画を見るように引き込まれました。
図書館、素晴らしいですよね。
右から、左から、どちらか見るか迷いそうです…。

>アスプルンドの『静けさ』

そうですねえ。
静謐という言葉がピッタリの作品でした。
シベリウスのシンフォニーなら、
番号の早い作品が似合いそうですね。(無理矢理ですが…。)
2006/04/20(木) 21:21 | URL | はろるど #-[ 編集]
シベリウス
シベリウスは名前を見ただけでも心持ちが静かになる音楽家だと思います。
彼の交響曲は響きが交わされる・響きが交わる、といったものではなく、一つの音へ収斂されてゆく、そんな気がします。(無論指揮者や奏者にもよるのでしょうが)
アスプルンド展を見ていると、気管が清浄されたような気がしました。
2006/04/20(木) 22:07 | URL | 遊行 #-[ 編集]
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