美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

伊東深水と永井荷風 『南方風俗スケッチ』と『断腸亭日乗』から見る戦時下の風景

市川市芳澤ガーデンギャラリーと伊勢半紅ミュージアムとで同時期に、伊東深水の素描をを中心とした展覧会が開催されている。
伊東深水は昭和47年に亡くなったが、戦前から亡くなるまで常に第一線で活躍し、昭和を過ごしたご年配の方々には忘れられない画家である。
美人画を第一義の仕事としつつ、戦争中に南方へ行き、現地の詳細な風景・情景・風俗をスケッチしている。
2006年、目黒区美術館でもその仕事が紹介されたが、それ以来の展示だと思う。

先に市川市へ出かけたのでそちらから。

初めて芳澤ガーデンに行ったが、案外わかりやすく、道も思ったより遠くはなかった。
「伊東深水と永井荷風 『南方風俗スケッチ』と『断腸亭日乗』から見る戦時下の風景」
展をみる。
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1943年の4/18から7/24までのサインのあるスケッチと軍事郵便などが並ぶ。日付の特定できないものもあるが、同時期の作品であることは間違いなさそうである。

戦場を描いた作品ではなく、日本の統治下にあった南方の国々・島々を経巡って、その土地土地のヒトビトや風景を捉えている。
鉛筆に色鉛筆の彩色が施されたもの、後にアトリエで水彩を施されたもの、そのままのものなどなど。

4/20バンドンにて
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4/24アニアンキドールにて兵の掌に乗せられる狸の子  これが可愛くてならない。小さな狸の子が掌でじっとしている。
鉛筆はシャッシャッと仔狸の毛並みを描く。

4/25―4/29 吉岡、大宅といった人々の邸宅に滞在し、その庭などをスケッチする。
ピーユという萩の濃い紅色のような花、大宅氏宅の濃い緑など、南方植物の活気ある姿を捉えている。

現地の人々をモデルにもする。
スンダ人の女性を描いたスケッチをみると、朱色の軽い上着にキャミソール、チェックの長いスカートといったスタイルも丁寧に描いている。
他のスンダ人女性も大抵はキャミソールにロングスカートである。

スラバヤ市長の家ではピアノ演奏を聴いたようで、そのスケッチもある。連弾をしているのかもしれない。
また場所も日も特定できないが、二面あるテニスコートで審判らが話している様子をも描く。戦災がここには及ばず、優雅な植民地生活が偲ばれる。

熱帯だけに女性も男性もみんな少しでも涼しく見える服を着用する。
椅子も籐椅子などが少なくないらしい。
そしてなによりも、どこもかしこも緑が繁茂している。

ヤモリ(チチャック)をスケッチしたものがある。14匹くらいを描く。妙に可愛い。
南方では爬虫類もなんとなく愛嬌ものである。

孟加領というのが今のどこに当たるのか調べられない。
マッカサルの当て字なのかもしれない。それがこの地名、今調べてもマカッサル表記もあり、本当のところはわからない。アルファベット表記・発音ではムリな地名なのかもしれない。
そこでは椰子の並木がある。深水はその地を描くのに椰子を描く。

高倉式の農家がある。こういうのをみると南方の暮らしの知恵というものを感じる。
「25円で建築された家」とタイトルのついたスケッチもある。
当時の25円は、昭和15年の内地で米一升が50銭だったことから推測は出来るが、貨幣価値だけでなく外的要因も考慮すべきなので、実際の価格はわたしにはわからない。

南方の高倉式の建築については色々と思うこともある。
深水もおそらく同じような興味を持ってこの建造物を眺めていたことだろう。

水上生活者の風俗も描く。日本というか当時の内地でも水上生活者は少なくなかった。
現代でも南洋では水上生活が多くみられる。

石楠花のような花がある。何の花かはわからない。フローラ(植物相)は温帯の(はずの)日本とはまた異なる。
深水が興味を持って植物をスケッチするのが伝わってくる。

ハナ島 深水はちょっとした一文を絵に書き添え、それがタイトルになることも多い。
ここの一文を写す。(現代仮名遣い)
「さる島という。妖樹鬱蒼として全島を覆い、野猿の大群が木々を飛び回っている。」
妖樹は溶樹(ガジュマル)をいうのか、文字通り深水の眼から見て「妖しい樹」なのかは不明。どちらにしろアヤシイ樹ではある。そのジャングルの枝間を猿たちが自由奔放に飛び交う様子は、確かに奇景であったろう。
横須賀の猿島とは違うが、わたしのアタマの中では「アギーレ」の筏に突然大量発生した猿の群れが浮かんでいる。

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ボルネオにも行く。
ここで深水は民俗学的にも価値のあるスケッチを残している。
6/11 南ボルネオ アンパ村訪問の帰途 此れはダイヤ部落のカトン村の山林にある首塚である  山林の中にトーテムポールのようなものがにょきにょきある様子を描く。それら木彫りの塔(卒塔婆のトーテムポール化したような感じとしか言いようがない)の上には梅瓶らしきものが設置されている。どの塔も同じである。その梅瓶は「与那焼」という代物で、ここに人骨を入れているそうだ。祈る人のためのものなのか・供養のためのものなのか・怨霊封じのためのものなのか・別部族への力の示しなのかは、わからない。

首塚という呼称自体にはどちらかと言えば勝者と敗者の存在を感じさせるが、現実としてどうだったのだろう。首狩りはアジア全域にあったからそんなに特殊なことではない。

6月半ば以降にはジャカルタにいる。
ボゴール植物園という現代も人気の植物園に行っている。
もう少しで開園200年になるようだ。
後に行ったことのある人のサイトなどを見て、わたしも往時をしのんだ。
深水は深く濃い緑を描いていた。
わたしは沖縄の東南植物楽園を思い出した。あれをもっと拡大化した空間だと思うがいい。
一本の木に巻きつく数種の木や植物たち。共棲しているのはわかるが、ある種の不気味さも感じる。

ジャカルタでのスケッチはどちらかといえば人々の居る情景を捉えたものが多い。
多くの人が買い物し、道を走り、人力車のようなものに乗っている。
1960年代の少年ドラマ「ハリマオ」を思い起こさせる人々も少なくない。
わたしは1983年に再放映をみて、「ハリマオ」にハマった。
生島治郎「死ぬときは一人」、伴野朗「ハリマオ」、石森章太郎「快傑ハリマオ」などの創作を始め、ノンフィクションの伝記などもよんだ。
スケッチを見ながらわたしの耳には三橋美智也のノビノビした歌声が再生されている。
♪真っ赤な太陽 燃えている 果てない南の大空に 轟わたる雄叫びは 正しいものに味方する ハリマオ ハリマオ ぼくらのハリマオ

そしてここで深水は現地の踊りを鑑賞し、それをスケッチする。
綺麗な舞踊装束に身を包んだ人々。踊りの出待ちもある。
また現地の侯の令嬢スケッチもあるが、とても美人である。
ジャカルタから離れてからも様々な土地の踊りを鑑賞する深水。
特殊なしきたりを守った舞踊をもみている。
「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」などが題材だと思う。

ジャワでは稲作がおこなわれる。深水は青々と美しい棚田を描く。
また見かけた民家の中での機織りも。
稲作や機織りといった作業を見ると、当時の日本の農村となんら変わりはないのである。
ただしコメは日本のようなしっとり・もっちりでは気候に合わない。

椰子酒屋がある。みんなゴクゴク美味しそうに飲む。たいへん強い酒らしい。少し飲んだら大トラになる、と深水もメモを残す。
アフリカの文学で「ヤシ酒のみ」というのがあったのを思い出す。マジカル・リアリズムの傑作。

ふと思ったが、西洋人からみたアジア、アフリカ、南米はマジカル・リアリズムの舞台になりうるが、欧州大陸はそのような余地を持たない地ということになるのか。

バリ島に行く深水。
裸族らしき人々がいる。白米はある、とメモ書き。タラチネが多い。
日本語で笑える地名もある。ここには挙げない。

線路というか馬車・牛車・大八車などの轍がずーーーーッと続く道のその両脇の小さな物売りの店。家と木々と。
ベトナムに行った時もこんなのを見た。

インドネシア(当時はジャワ)の人々はサロンを着用するが、ここでもオジサンのサロン姿があった。
これを見て思い出したのがフォーサイス「ジャッカルの日」。インドシナ戦線に長らく従軍した男がパリに戻ってもサロンを着用する、というくだりがあったのだ。

右7/24 バリ ムグイタニ部落にて
左5/2 武官邸 スンダ美人
イメージ (79)

最後に軍事郵便の原画があった。もう紙質はたいへん悪くなっている。
「南方風俗スケッチ」である。これらは目黒のY氏コレクションでも見ている。

とても興味深い展示だった。

続いて荷風の展示がある。
わたしは真面目に荷風を読んだことがない。読むなと親に言われていたのもある。
だからこの「断腸亭日乗」を読んだこともなく、今回パネル展示で紹介されたその内容を読んだのが初めて。予想以上に面白かった。
荷風と言えば花柳小説「あぢさい」は読んでいたが、他は読まなかった。そもそもヒトサマの日記を読む、という行為が嫌いなのである。
古典もそうだが、人に読ませるためのものならまだしも、読ませるのに書いたわけでもないのを読むのが嫌いなのだ。
とはいえ、結局のところ「断腸亭日乗」は面白く、逆に戦時中の暮らしの中での荷風の思いなどを読むと、今こそこれを多くの人が読むべきでは、と思いもするのだった。

荷風は180cmという当時の人の中では長身で、靴も27cm、帽子は56cm。これだとフランスでもアメリカでもどこでも幅を利かせて歩くだろう。
深水が南方でスケッチをしている頃の内地では言問橋の鉄が供出され、、歌舞伎の「累が淵」が上演禁止になっている。そのこと一つにしても荷風は日記の中で軍を強く批判する。
公には口にしないが相当な批判・非難である。
一人暮らしのケッタイな頑固者の書く日記は厳しい。
彼の愛用品、蔵書などが並ぶ。
富本憲吉の湯飲み、谷崎からの書簡を額装したもの、ゾラの「ナナ」、鴎外「渋江抽斎」などなど。
一人暮らしだからお裁縫も自分でしなくてはならない。たまにおみくじも買う。買い物籠に下駄という定番もある。

昭和18年でもまだ洋画を見ることが出来たことをしる。
4/17 松竹座で「モスコーの一夜」フランス語版を見て感慨にふけり、5/6「白鳥の死」でもまたフランス語を聴いてかつての日々を想っている。

しかし食事はどんどんダメになってゆく。いつも行く芝口の金兵衛の閉店の話などはせつない。
そしてびっくりしたのが一升瓶にコメを入れて突く、あれは玄米を精米するためなのは知っていたが、糠を洗顔に使いたいための用途もあったのだ。
そんなの考えもしなかった!洗顔石鹸がなくなり、洗濯石鹸しかないので、この米糠で洗顔をする…そうだったのか…
実に意外なことを知った。当時は常識だったのだろうか。

面白かったのは5月某日にある彫刻家が具材がなくなり、黒蝋石でなにやら像を拵え、それをわざわざ恭しく陸軍に献納したそうだ。とんだ有難迷惑だが、陸軍としては拒絶できない。陸軍はそれをペンキで白塗りしたらしい。
献納という形でのイヤガラセなのか、愛国心からの行為なのかは知らないが、話としてはとても面白い。

あとは戦前の竹喬の風景画、荒木十畝の鴨、米芾風の竹洞の山水画や光雲の観音像、六兵衛の茶碗などがあった。

かなり興味深い展覧会だった。
そしてこれと表参道の伊勢半紅ミュージアムとを併せてご覧になることを強くお勧めする。
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