美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

アルフレッド・シスレー 印象派、空と水辺の風景画家

練馬区立美術館の「アルフレッド・シスレー」展に行った。
副題が「印象派、空と水辺の風景画家」である。
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国内の様々な所蔵先から集めた20点の展示で、「いつかどこかで見たことがある」作品で占められている。
セーヌ川を愛した画家だけに作品は川のほとりを描いたものが多い。

のんびりした風景には正直、ドキドキハラハラはなく、ある種の静かな退屈さがあるが、心が荒れているときにはこうした絵に宥められ、癒されるようにも思う。

青空、白雲、馬車、緑の木々に赤い実。そして川の流れ。
じーっと見ていると自分もついて歩いているような気になる。
細い木々やピンクがかった雲、遠くに見える塔や教会。
しみじみと味わう滋味のようなもの。
一つ一つの作品から受ける印象は実際のところ薄いのだが、全体として優しい雰囲気があり、それがシスレーのいいところなのだろうと思った。

健全な世界だと思う。
それでわたしは却って興味をひかれないのかもしれない。
それでも絵を見ている間、メモを熱心にとっている。
見たままの感想を書いている。

絵のそばにその当時の写真がある。シスレーが描いた場所の実景写真などである。
それを見ながら比較するという楽しみもある。
古写真、ゼラチンシルバープリントのそれらを見るのはわたしの楽しみの一つでもある。わたしは熱心にそちらを見てしまう。

シスレーの晩年の作品に面白いものを見た。
ロワン河畔の荷車 エッチングである。ここには大きな「フレシネ船」がある。
そしてその説明もあるが、現物は40M近い長さのものだという。生活できる船なのだ。
荷車もとても巨大。
ジャン・ヴィゴの遺した三本の映画の一本「アタラント号」、あれはル・アーブルを行き来する艀だというが、わたしはどうしてもあの船がここを通った気がしてならない。
シスレーの死から30数年後に生まれた映画。1990年にようやく修復され公開されたあの映画のイメージとこの絵とがわたしの中では一つになる…

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展覧会ではほかに非常に興味深い展示をみせてくれた。
シスレーが愛したセーヌ川とその支流についての考察なのだが、「河川工学的アプローチ」と副題がつくくらい「工学的」な内容で、これが非常に面白かったのだ。

昔はとんだ暴れ川の荒川で、それが人々の努力によって和やかな川に変えられ、パリ大改造の19世紀後半には「憩いの川」に変わったのだった。
そうでなければあんなにも多くの人に愛される川にはならなかったようである。
シャンソンでも「パリの空の下、セーヌは流れる」というのがある。
セーヌ川の左岸・右岸により知識人のいる空間も…
ああ、なんだかすごいことを知ったような気がする。

ロンドンのテムズ川、江戸の隅田川、大阪の淀川、京都の鴨川、エジプトのナイル川、ローマのテヴェレー川、ドイツのライン川、東欧のドナウ川、ペテルブルクのネヴァ河…
都市には川が常にある。
ここでは増水・氾濫・洪水の違いについて教わった。そして東京の荒川とセーヌの比較に始まり、荒川もまた治水工事によりどのように変容したかを示していた。
元は今の隅田川が「荒川」だったと知ってびっくりした。
「大川」と呼ばれて愛されていたのはいつからなのだ、「荒川の佐吉」は実は隅田川だったのか、梅若丸が捨てられたのは和やかな川のほとりではなかったのか…
などという疑問がぐるぐる回り、とても興味深く展示を読んで回った。

ボルドーとブルゴーニュのワイン樽のサイズの違いまである。容量は等しいのだが、縦横が微妙に違うのも面白い。
水平になる水面、それをいかにして構築するかの努力。
「みんなの川」になるために閘門がつけられ、水量調節することでなだらかな川になる。

つぎにはシスレーの地を訪ねた日本人画家たちの作品が紹介されていた。
中村研一、鈴木良三らの作品はもうずっかり日本人の描く洋画そのままになっている。

最後に井上安治「東京名所」シリーズが出ていた。明治の東京風景を版画で表現する。
ああ、わたしはこちらの方に一番惹かれるよ…
現在、ガスミュージアムでも井上安治の展覧会が開催中。

作品はすべてこちらで見られる。


シスレーにはちょっと申し訳なかったが、正直なキモチでした。
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