美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

銀座三越で見た小村雪岱の挿絵など

銀座三越のアートギャラリーで小村雪岱の挿絵などが展示即売されていた。
内容は矢田挿雲「忠臣蔵」、吉川英治「遊戯菩薩」、里見弴「闇に開く窓」の挿絵類と、多色刷版画数点などである。
これらのうち挿絵類は2010年に清水三年坂美術館での展覧会に出たものとほぼ同じ内容である。
当時の感想はこちら
今回はどんな絵が出ていたかを記したい。

「忠臣蔵」
・屋根で寝る黒猫 ロングで捉えたショット。これはもう買い手がついていた。
雪岱の黒猫と言えば「山海評判記」の宿の床の間の黒猫の絵がすぐに思い出される。

章タイトル「素行と赤穂」から数点。ソコウとアコウとは掛詞でもシャレでもなく、山鹿素行と赤穂との関係を言うている。
・室内で髭を伸ばした山鹿素行が誰かの話を静かに聴いている。

江戸時代の肖像画でも素行はひげを伸ばした姿で描かれている。これは「現役の武士ではないですよ」という意思表明である。
泰平の世では主君に使える侍はひげを伸ばすことはならないという意識が共有されていた。
つまり水戸黄門に髭があるのは文字通り「御隠居様」だからである。
そうしたコードがあったのも面白い。

・星空を見上げる素行 左半分を墨で黒塗りし、○形の星々を描く。右半分は塀で隔てて、そちらに裃姿の素行を配する。白と黒の美しい対比である。
赤穂の家中に兵学を教えたことで、山鹿流は後には実践的な軍学として重く見られることとなる。

・若き主従 これは主税だろうか。
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忠臣蔵は群像劇であり、人々の様々な思惑が交差し、また一つの巨大な意思が突き進む様子がたいへん興味深い。
現代でも忠臣蔵の人気は高い。
雪岱は白と黒のシンプルな線描と大胆な構成でもって、物語を進める。

「遊戯菩薩」
話がよく見えないので後日原作を読んだ。いかにも吉川らしい話で面白かった。
長くなるが、まとめてみる。

元は僧侶だが、お莱という女に誑かされ破戒し、出奔した和平という美男がいる。
彼を生き仏に見立て、それで商売をしようとする人々の思惑がある。
女はめそめそ泣く気弱な和平に見切りをつけて江戸で暮らすが、こちらはこちらで「梟」とあだ名のつく悪い男の恐喝を受けている。(和平殺しという勘違いがある)
女が和平を捨てたきっかけは藤沢の遊行寺でいい男の侍を見出したからだが、その侍が和平で商売をしようとしている。侍はそもそも婀娜すぎるこの女は好みではなく、内気すぎるような女が好みだと和平にはっきり言う。
和平は女への未練は一応捨てて、その敵だと思った男の言うままに身過ぎ世過ぎをする。
しかし元来が意思惰弱な単なる美男の破戒僧なので、いざという時にはあまり役に立たない。だが見栄えがいいので生き仏に仕立て上げてペテンを企む一味。
その生き仏・和平に雨乞いをさせるが、これがうまくゆくはずもなく、信者たちから和平はボコられる。そして命からがらとんずらするのだが、品川を越えたあたりで大雨が降る。
幸い仲間内の一人にツテがあり、そこのいい宿屋に入り込んで一味は寛ぐ。
ところでこの宿にはお莱も来ており、廊下でばったりと侍―小泉百介に出遭い、早速女の方から打ち込むが、小泉は笑うばかりで相手にしない。
女は「金箱」の男・鴻池の手代の八右衛門と平賀源内とでこの宿に来ていた。
一方、あの大雨のおかげで「智識様」こと和平の株が跳ね上がり、この宿に彼がいることを知った近在住の百姓がこぞって押し寄せてきて、生き仏さまを拝む拝む。
事態は一変し、一味はとりあえず招かれた村へ出向いた後、やがて立つ鳥跡を濁さずで旅立つが、もうすっかり「智識様」とご一行は後光が差している。
女の方は色々悔しい日々が続いているが、「智識様」ご一行はあれから江戸入りし、和平は今では総髪の美貌の救世観音の再来として日々を送っている。
花火の日に女は自分にまといつく「梟」を川に突き落とし、知らん顔で家に帰る。金箱が来たがそちらは源内のもとへ行き、入れ替わりに梟が帰ってくるという忌々しさ。
そうこうするうち女の家で働く婆やも中野にある智識様のもとへ拝みに行こうという気になる。婆やとばったり会った小泉は女の恋文を受けて、仲間の勧めもあり、女を信徒に引き込もうと出かける。
女の方は旦那と亭主の板挟みの修羅場で取り上せたが、その小泉のもとへ逃げてゆく。
鴻池の手代・八右衛門は主家から命じられて、源内が挙げる「鴻池家銅山御用處」看板を外すよう本人に通達する。
ところがそこへ小泉が来て、八右衛門は世のために金を出せと責められる。
三すくみ状態になったが一旦小休止したところで八右衛門が小泉を出し抜いて鴻池の持ち船で上方へ逃げ帰り、小泉らの手に大金は入らなくなる。
そうこうするうちに一味は信徒たちに「智識様が遷化される」というビラを配る。
無論智識様の和平に断わりはなく、言い聞かせようにも泣くばかりである。
とうとう巧いこと騙して遷化させることにし、とりあえず断食行をさせ、その様子を信徒に拝ませると、また忽ちのうちにそれが金になる。周囲には見世物小屋もたち、屋台も出て、とんだお祭り騒ぎとなる。
ところで遷化させられる智識様の和平はどんどん本当に信仰心が湧いてきて、今度は自分が救世観音の生まれ変わりであると信じ始めてきた。
そこへ小泉が夜伽にとお莱をつれて行ったが、女の方はかつて見捨てた男が本当に生き仏になったように思い、二人で逃げよう・生き延びようと誘う。しかし和平はもうそんな気はなく、信じてくれている信徒たちの前から逃げるようなことはせず、本当に遷化しようという強い気持ちを持っていた。
そして当日。女が泣きながら手を合わせて伏し拝むのにも頷いてやりながら、清々しい様子で智識様が群衆の前に現れ、様々な予言を挙げた後、自ら入定の場へ向かう。
ペテンの仲間が驚くが、智識様はもう自ら椎の木の首くくりの輪に首を突っ込み、「おさらば!」と縊死してしまう。それを見守るお莱もまた匕首で胸をついてしまい、群衆は凄まじい熱狂興奮状態になり、生き仏の金襴の袈裟や数珠などを我勝ちに奪い合い、髪を切り、という狂騒を起こす。
万両を得た一味は駄馬に金を乗せて裏口から逃げ出すが、そこへ捕吏が殺到する。
表では狂騒がいよいよ激しくなる。阿鼻叫喚の様相を呈している。
表と裏の狂騒をよそに智識様とお莱の死骸が折り重なっている。智識様は笑いながら死んでいた。

娯楽小説としてかなり面白かった。
雪岱の絵は群衆の盲信と猛進、悪巧みの一味の会合、抜け目のない商人、逃げ出した梟男や源内をイキイキと描く。
総髪の智識様が最初にみんなにとっちめられる場などは、腿までめくれていて、意外な肉感があった。
「昭和の春信」と言われても雪岱の描く女や美男は、案外むっちりとしたナマナマしいような肉を持っている。
ここには出ないが、雪岱ゑがくお傳などもはだけた胸を見ると、ぐっとはりだした肉のつよさを感じさせる。
冒頭の遊行寺本堂で旅人らがそれぞれ雑魚寝するところなども、いい。一人だけ起きている小泉の後姿などは「突っかけ侍」の小南敬介が駕籠に声をかけるところとよく似ている。
というよりそのパターンに属している。
総髪の和平も「山海評判記」の紙芝居屋を思い出させもするが、これもキャラ分類すればなるほどと思う。
女を冷たく見るその小さい目の鋭さもいい。

「闇に開く窓」
現代ものである。里見弴と組むのは常にその当時の現代もの小説である。
朝日新聞に連載。
・大きな目の耳隠しの婦人がいる。
・カネモチそうな二人の洋装の婦人が眼鏡越しに何かをみている。
・着物を着た女がどこかの家へ入ってゆくのを、ついてきた男がとめたそうにしている。

里見弴は大好きなのだが、まだまだ読み終えていないのを実感する。
雪岱の挿絵や装丁が活きたままのものを手に入れたい、と常々思っている。

他に仏画も少し出ていた。下村観山のもとで修行していた頃の古画模写などか。
見せてもらって嬉しく思った。
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