美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

大仏次郎の愛した舞台 バレエも、歌舞伎も

大仏次郎記念館の「大仏次郎の愛した舞台 バレエも、歌舞伎も」展は意外な内容で、びっくりした。
いや、これは語弊がある。
この展覧会で意外なことを知ってびっくりした、というのが正しい。
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大仏次郎が歌舞伎と深い関わりがあることは知られている。
11世団十郎が襲名前の海老蔵時代には多くの歌舞伎の新作を彼のために書いた。
中でも「若き日の信長」などは特に人気で、今もよく舞台にかかるし、「江戸の夕映え」「たぬき」なども人気の演目である。
しかし、歌舞伎以外のところではどうか。
「鞍馬天狗」はアラカンに始まり多くの役者が演じ続けているが、これは別に大仏が演出したわけではない。
だからというわけではないが、大仏次郎と実演といえば歌舞伎しかアタマになかった。

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今回、大仏次郎本人が舞台に立った、という情報を知ったが、それはまあ若気の至りと言うか、別に驚いたりはしなかった。
この白塗りを見ても「ああ、大正の青年だなあ」という微笑ましさを感じるばかりだ。
同年の同じ舞台には後に妻となるトリ子さんも吾妻光という名で舞台を務めている。
彼女はダンサーとして活躍もしていて、結局それで彼の親族から結婚を反対もされたのだが、猫を立会人にして結婚し、二人は終生仲良く猫と共に生きた。

わたしがびっくりしたのは展覧会のタイトル「バレエも、歌舞伎も」のそのバレエである。
大仏次郎はバレエ・リュスに熱狂していたのだ。
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これはもう本当に驚いた。
大仏次郎がバレエ・リュスに熱狂したのは1920年頃だからもう既にニジンスキーのいない時代ではあるが、彼はその当時の日本で集められるだけの資料を集め倒していた。
・ニジンスキー「薔薇の精」写真
・レオン・バクスト「シェヘラザード」の「スルタンの女」絵
・アレクサンドル・ブノワ「ペトルーシュカ」「眠りの森の美女」絵
・「エッフェル塔の花嫁」背景画
などなど…
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ああ、その気持ちはとてもよくわかる。
もう実際に見ることのできない舞台への憧れほど強いものはない。

大仏collectionのバレエ・リュス資料にときめいて、個々に長く佇んだ。
なお、このブログで取り上げたバレエ・リュス関連の大きな展覧会の感想はこちら。
「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」
「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン展」

やがて大仏次郎は憧れのバレエ・リュス最後の大物ダンサーの来日に接することが出来た。1953年の話である。
三十年以上の歳月を経て、こうして夢はかなえられた。

バレエ・リュスの最盛期を目の当たりに出来た日本人もいる。
初代猿翁・二代目猿之助である。
彼はダルクローズの勉強もし、その腕の動きを舞踊劇「黒塚」にも取り入れている。
三代目猿之助、当代猿之助の才気煥発な気風はこの人に始まっているのだ。

さて一方大仏次郎は日舞の花柳寿美とも深い縁を結んだ。
里見弴の紹介により、彼女の「曙会」のために台本「花火」を提供したのだ。
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リーチに木村荘八もかかわっていたそうだ。
1933年の話。

その少し前、1929年にスペインからラ・アルヘンチーナが来日した。
大仏次郎は彼女に対面し、サインをもらっている。
一方、その舞台に感動を受けたのが大野一雄だった。
彼は後年「ラ・アルヘンチーナ頌 わたしのお母さん」という舞踏を世に送り出している。その大野の写真もあり、新しい舞踊・舞踏への脈動がこれらの展示からひしひしと伝わってくる。

展示にはないが、わたしは伊藤道郎や石井漠らを思い出していた。
それから村山知義。
ノイエ・タンツの魅力、「狂つた一頁」の映像美、アンナ・パプロヴァの衝撃などなど…どこかのデパートの上で三人の少女がモダン・ダンスの実演をする映像を見たが、あれはどこでだったろう…

大仏次郎のコレクションはまだまだ続く。
テレジーナ・サカロフ夫妻の来日(1932)にも接していて、その写真もある。

やがて大仏次郎は冒頭で挙げたように新作歌舞伎の作者となる。
9年近くにわたり当時の海老蔵と蜜月を過ごす。
古老の話をわたしは思い出す。
「魔界の道真」での海老蔵の叫びは鬱屈する彼の魂の開放でもあったことだとか、「若き日の信長」の苛立ちも海老蔵その人の苛立ちを露わにしたものだとか、そんな話である。
だがこの二人の関係は「大佛炎上」を海老蔵が拒否したことで終わる。
以後の二人は接触を持たない。
まことに痛烈な無念さを覚える話である。
なお「若き日の信長」の脚本の口絵には安田靫彦の絵が使われている。

大仏次郎は上方舞の武原はんを後援する。
1950年.はんの「山姥」があるその扇子の絵は奥村土牛。金に青楓。
それから「保名」の扇は山川秀峰。これがとてもモダン。露が草に載る様子をシャラッと描いている。

大仏作品の舞台化の紹介がある。
千田是也演出の「三姉妹」1968年。八世幸四郎、初代又五郎、二世鴈治郎、孝夫らに三姉妹は雀右衛門、門之助、精四郎。

役者では先年亡くなった中村芝翫との関係が家族ぐるみの付き合いだった。
これは芝翫の奥さんのインタビューでも読んでいる。
また、歌右衛門から贈られた金色の猫の置物が可愛い。いたずら好きそうな猫である。

いい企画展だった。まだ思い出すだけでドキドキする。

次に常設。猫との日々である。
大仏のエッセーの紹介がある。障子が破れている。8個も穴がある。猫はどこからでも自由に行き来する。さすがにたまりかねて奥さんに言うと、奥さんは澄まして「どうせ破られるか」と答える。
ふふふ、わかるなあ。

雑誌「モダン日本」1935.1月号。作家や画家の奥さんの紹介グラビア。
モガな奥さんのトリ子さんがシャムネコ・アバレを抱っこする。
他には子母澤寛一家と二匹の犬、岩田専太郎の正妻、吉川英治の前妻、加藤武雄の前妻、小村雪岱の奥さんの丸髷姿など。表紙は専太郎のモガだった。
掲載小説は菊池寛「恋愛とパチンコ」、子母澤寛「地獄囃子」、加藤武雄「幻の花苑」。
読み物はベーブ・ルースと牧逸馬、ソ連大使と岡本一平 といったあたりである。

「新青年」もある。松野一夫の表紙絵がかっこいい。赤いシルクハットにエリマキトカゲのような襟をつけたモガ。

2014年にまた刊行された「猫のいる日々」の紹介もある。
「白猫」1946年 挿絵は猪熊弦一郎。

「新青年」に連載した「仮面舞踏会」がちょっとばかり中身が出ていたので読んだら、たいへんヤバいではないか。これはファザー・ファッカーの話なのか。セクハラもいいところで、ヒロインの苦悩がヒシヒシと伝わる。

1948年「水の階段」の挿絵は宮本三郎。水彩画風の女の顔がかっこいい。洋画の時とは違う顔である。

ああ、どちらもとてもよかった。11/8まで.
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