美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

パウル・クレー だれにもないしょ

「パウル・クレー だれにもないしょ」展に行った。
兵庫県美術館での開催である。

クレーのイメージは「なんか可愛い」だと勝手に思い込んでいたが、案外ひやりとするものがあったりした。

チラシは「赤のフーガ」1921.音をかたちにするとこうなるのか。クレーの音楽的感性を少しばかりのぞく。
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どちらかというと、この絵を見ると色と形のグラデーションを描いたように思えるのだった。
というより、石森章太郎「サイボーグ009」で奥歯を噛んだら加速する、残像が残る、というあれ。

クレーの絵のタイトルはいずれも詩的なイメージで統一されている。
無題などと言うイヤなものはない。…時々あるけど。

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口元がハート形の妙な人物の図、あれは「洋梨礼賛」。おいしそうなお口をしているのだった。
子どもの絵が多いのはイクメンとして子どもに接していたからだそうだ。
表現はリアリズムではないが、子供をとてもよく見た目がそこに生きているのを感じる。
いわさきちひろなどはわが子の成長をみつめて、そこから月数の異なる赤ん坊を描き分けることが出来たという。
クレーは月数の違いなどは描かないが、子供がそこにいることのリアルさを感じさせてくれる。
たとえ鉛筆の一筆書きであろうとも。

展覧会の章ごとのタイトルで、「デモーニッシュな童話劇」というものがあった。
一見愛らしい童画風の作品でありながらそこはかとなく毒もあれば血もあるという作品が集まっていた。

分割された絵の断片がそれぞれ独立作品として展示されてもいる。

「血の涙」は赤いティアドロップが描かれている。
これはどこかピクトグラム的な雰囲気もある。
そして思うのは啓蒙ポスターである。
ほんの少しの涙なのに、大きな悲しみを感じさせられる。

音楽が絵に入り込む。
フェルマータが特に顕著。
イメージ (28)

山にも見える一方、全てを見通す目にも見える。

クレーの記号化されたようにもみえる絵は、しかし重いメッセージをもつこともある。
ボディが手紙型になった子ども。
イメージ (27)
ただ、わたしとしてはこの子どもの絵を見て「…ヒルコ??」と思ったのは確かだ。
諸星大二郎「妖怪ハンター」の「ヒルコ」によく似ている気がする。
なおこの裏の絵は「花と蛇」…団鬼六とは無縁である。

彩色をきちんと施した絵よりも、鉛筆書きのしかも一筆書きのような作品の方が心に残った。
どこかせつない気がする。

今回ここにはないが、「サヨナラ」だったか、テルテル坊主のような絵があったが、あれをみるといつも終戦後の混乱期に流行った妙な歌を思い出すのだ。
それと同じように、ここにある一筆書きの子どもの絵などには、妙にペーソスを感じる。

この展覧会はクレーが愛蔵したもの40点が含まれている。
どれがどれかはわたしはあまり気にせず見ていた。
だがところどころでその変な歌が頭の中で再生される。
そのとき、大抵がクレーの愛蔵の作品だったりする。
勝手にアタマが反応していたらしい。

よくわからないままだが、クレーの絵を見てなんとなく沈んだ気持ちになって、しかしそれでも顔を挙げてみたくなる。
明るい諦念と言ったココロモチが湧きだしているらしかった。
わたしの勝手な感想なので、本気にされても困るけれど。

11/23まで。
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