美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

社内旅行への追憶

四年ぶりに社内旅行を復活するという運びになった。今年夏に交代した社長が社内旅行の再開を求めたからだ。
前社長は行きたくない派に圧されて決行を中止したが、そもそもその前の社長が独裁者で、この人のせいでわが社はとんでもない目に遭わされ、社内旅行も日帰りになったりで、それを力に「やめましょう」になったのだった。

わたしは社内旅行は行く派。あまりうちは厭な目に遭うこともないので、出とこうと思うわけですよ。
それで今までの行先を見ていると、いろんな記憶が蘇ってくるくる。いやもうホンマに。

というわけでちょっとばかり追憶に耽ります。
内容が内容なので色も白にしておきます。
・鳥取砂丘と湯村温泉 この時のわたしは真っ赤なショートコートに黒のロングスカートにショートブーツ。同期もけっこう派手派手に出てきたが、これが最初の社員旅行でそんなスタイルになったのだが、雨上りのどろどろ鳥取砂丘ではどうにもならない。
旅館は「夢千代日記」で有名になった湯村温泉の大きな旅館だが、料理は大したことなかった。夢千代像を見たり温泉卵を食べたり。

・10/23あたり 馬籠と下呂温泉 この時は珠光白色のスカートで日本ライン下りをした。なかなか爽快だったな。島崎藤村記念館に行ったのも懐かしい。「夜明け前」の「木曽路は全て山の中である」も実感。下呂温泉では水明館に泊まり、あまりにいいお湯でびっくりした。膚がもう本当に綺麗になった実感があり、バスの中でも天井にある鏡をじーっと見つめ続けていたくらい。ところが大阪に近づくにつれ、綺麗な肌が消えてゆく。温泉の効力が薄れて行ったんだろうねえ…

・10/21.22 会社は瀬戸大橋へ行ったのだが、わたしは友人との先約がありお休み。
個人的に志賀直哉邸に行き、元興寺の宿坊に泊まったりしたが、ユリ根の卵とじとか出たな。会社からのお土産はタコせんべいだった。

・この年どこへ行ったのか今ちょっと思い出せない。ただ、もしかすると中部地方のような気がする。鯉の飴煮が美味しかった記憶がある。それと元善光寺へ行ったのがこの時だと思う。
やたらとうまい喋りの坊さんが元善光寺の話をしたが、これから数年後再び元善光寺に行ったその時も、同じ調子でペラペラしゃべりだしたので、「来るん二回目やでーっ」と合いの手を入れると、一瞬絶句後すかさず「つまりそんなけ仏縁が深いわけですなー」と巧い切り返しが来た。いやー、さすがベシャリ暮らしのプロですわな。

・飛騨高山。高山グリーンホテルという町中から随分と離れたホテルに宿泊したが、この時Kさんという酔っ払いおじさんのゲームに巻き込まれ、殴られた。酔っ払いは本当に困る。
飛騨高山へは春にも行ったところなので、例によって好きなように動く。

このときかな、帰りのバスで「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」をみせてくれたのだが、わたしは初めてインディをみてわくわく大喜びしたが、さあインディが正しい聖杯を採ろうとして迷うところで「はーい、つきましたよ」で放映終わり。
あと7分やんか!!だからクライマックスがわからない。
悔しさのあまり眠れない。借りるのもイヤヤ。7分のために借りるのはイヤヤ。
で、2年後に放送を見るまでずーっっっと待ったのでした。


・三朝温泉万翠楼 名旅館で楽しみにしてたが改装中。武田五一の面影はなし。すっぽん鍋とか出てたいへん美味しく食べた。
さてこの時に当社は大事件が勃発。このとき、新社長でコードネーム紫(要するに白髪を紫染していた)が、女性社員に気を遣ったのか、趣味なのか知らんが、コンパニオンとヤトナとをお願いした。
阪急バスで行ったが、ガイドがやたら若いのはともかく「わたしはバスガイドではなくてバス・アテンダントです」とかなんとか言うので「ハイハイ」と聞いていたが、前出の酔っ払いKさんが既に車内ですっかりデキあがっていて、これがいきなり「お、おねえちゃん」と立ち上がりヨロヨロ歩き出したところへ「危ないです」の声と共にバス、がくん。Kさんしたたかにあばら骨を打つ。それでも酔っぱらってて痛いのかどうかは不明のままバスバス走る、バスバス早い~で三朝温泉につく。遠いのでどこも見に行かず宿へそのまま。
そして大温泉でKさんは新社長・紫と部長と自分の浴衣や下着を入れ替える。酔っ払いは何をするやらしれんもんです。
宴会。美味しいので喜んでたら、Kさんヤトナのおばさんとダンスしてたのが、なにやらヤトナさんに凭れかかったようで突き飛ばされ、わたしと女の上司Gさんの前に転がってきて「えへへ、Gちゃん~~」と上司の足を掴んだので、Gさん、Kさんを足蹴。次に私のとこへ「えへへ」ときたので肘打ち、最後は同期Nちゃんが突き飛ばして終了。ごろごろと座敷の真中へ転がっていった。

夜中、男性社員はほぼ全員が麻雀していた。一人半分プロみたいな若いのがいて、彼に皆がカッパガレておった模様。しかしKさんは飲むことしか楽しみがないので参加せず寝ていたらしい。
わたしは基本枕が変わると眠れない人なので、夜の夜中もあいてる大浴場へ向かったのが、夜中の二時前。
シースルーエレベーターの前へ行くとわが社の男性社員みんながたむろっているので「これはあれか、麻雀の支払いでもめてるのか」と思ったら、仲良しの先輩テルテルの奴が「お前どこ行くねん」というので「お風呂」と答えたら「早よ入って寝え」という。
それでエレベーターで一階へ降りようと、建物の外部がみえるシースルーエレベーターに乗ると、なーーーんにもない真っ暗な空間に(なんせ田舎やからなあ)、かすかな光の動きと、パーポーパーポーというサイレン音。
気になって早々に風呂を上がり戻った時には誰もいなかった。

翌朝、朝風呂に行くと昨夜の事情がしれた。
例の酔っ払いKさん、夜半みんなが麻雀で楽しくしている横で「うーんうーん」とうなされていて、麻雀狂いの(でも弱っちい)N村さんに「うるさいんじゃ!」とニードロップを受け、声がなくなってしばらくして、飛んでしまった誰かが「あーあ」と寝そべった時、Kさんの呼吸がないのに気づき、大慌て。
ニードロップでコロシたか、と大騒ぎになり、彼らのボスを叩き起こして、紫の新社長には内密のままみんなで救急車の手配をしたそうな。
わたしがシースルーエレベーターで見たのはそれだったのだ。

結局、Kさんはバスでガクンとなったときにあばら骨を骨折していたのだ。
それが酔っぱらってて痛いとかそんな感覚がなくなってて、「えへへ」で女の足元に来たりするから皆から総攻撃を喰わされ、怪我が重くなったらしい。入浴したのもまずかったそうだ。
三朝の温泉で緊急の措置を受けたが、何しろ大阪からは遠い。それで手術は彼の地元の八尾でということになり、バスの一番後部シートにぐるぐる巻きにして乗せた。シートベルトも掛けれるだけ全部掛けてたわ。

お昼は津山グランドホテルかどこかでランチ。ここも美味しかったので、みんなニコニコしてたが、バスの後方からは「う~ん…う~~ん…うう~~…」という唸り声が聴こえるので、そらもぉ気分はみんなくらーくなりましたな。

会社近くの大きな道路にバスが着き解散。Kさんはそれから1カ月入院し手術とリハビリの日々。
・・・まぁこんな酒呑みはやっぱりいかんわね。

・9/12-9/13 その翌年、前年の三朝事件のトラウマが抜けない紫の社長が「旅館の旅行が悪いんだ」と言い出して、いきなり東京ディズニーランド。
おじいさんたちはどうするのかと心配してたら、彼らはお孫さんにお土産買えると大喜び。花火も見れたしヨカッタヨカッタと若者以上に大喜び。
シェラトンホテルに宿泊したが、バイキングだからと同期Nちゃんとわたしは食べに食べておなかの皮が痛くなるほどだった。これは本当に猛省しました。あれ以来、そんな食べたことはない。なんかもうマッシュポテトに蕩けるようなクリームがついてたのがやたらと美味しかったな…
ベッドで転がってたわたしらを呼びに来た人々共に、歩いて夜のディズニーランドへ。

翌日はフリータイムなので、わたしは皆と分かれて好き勝手に出かける。他の人ははとバスに乗ったそうな。月曜なのでミュージアムは休み。開いてたのはINAXギャラリー。そこでは「遊牧民の暮らし-ゲルのコスモロジー」展を見た。
あとは神保町に行ったのだが、そこで里見弴全集25万円に爆笑したり、平凡社版「水滸伝」駒田信二訳の3巻本を購入したり。
当時総務で旅行の世話人をしていた奴が本当にバカモノで、一人二人の喫煙者のために全員を新幹線の喫煙車に乗せたことは、いまだに腹が立つ。今も役立たずだが、この頃から全く変わらないので本当に困る。
車内では何かの男性ファッション誌の表紙に、当時モーニングで連載中の「鉄人ガンマ」が出ていたことを覚えている。
残金が240円だったが家まで営業部長が車で送ってくれると言うので、いっそ一文無しになってやれ、と240円分のお菓子を買うて、Nちゃんと二人で食べる。
ムチャクチャなのはこの頃からか。

・10/2-10/3 長崎ハウステンボス ANAで往復。西武系の長崎プリンスホテル宿泊。この数日前に西武ライオンズが優勝した。
清原、かっこよかったなあ。夕食には優勝のお祝いにとシャンパンをいただいた。嬉しかったね、やっぱり。
初日はハウステンボスで遊んだけど、上司の派閥争いに巻き込まれて、堅苦しいお昼を食べることになった。
翌日の長崎市内は完全にフリーで、これはある意味「社内旅行」とはなんぞやとも思わせる内容だったけど、おかげで好きなように遊べたのはいい。
大阪の仇を長崎で、という状況もあり、キモチ的にはまぁよかった。
グラバー園、亀山社中趾、吉宗の茶碗蒸し、市電。
残念なのは料亭・花月に行けなかったこと。あれはやはりまだ単身で行ける歳ではなかったので、今度長崎に行けたら花月で卓袱料理をいただきたいと思っている。
そうそう亀山社中趾では大量に猫が現れ、手持ちの鰹菓子をあげたら追いつかなくなって噛まれたのは怖かったなあ。

・6/6-6/7 沖縄 本当にこれは初めて。空港から出た途端、「めんそーれ沖縄」と出迎えの旅行社の人々がたくさんいたのにもびっくりしたが、全員がわが社の沖縄出身のN村さんそっくりなのには仰天した。
かれは国際通りに実家があるので、結局飛行機で伊丹に帰るまで一度も姿を見せなかった。
ホテルはリザン・シーパーク・谷茶ベイ。
海の色が太平洋と東シナ海とで違った。

バスガイドさんの巧いこと・博識なこと・懸命なことには本当に感心した。地上戦が行われた沖縄だということを改めて実感する。
タクシーもとても安いのに驚いた。初日は団体行動で、パイン園に行ったりしたが、パインも美味しかったな。
それにしても梅雨時なので物凄い湿気に驚いた。
あの湿気は殆ど肺に水がたまるレベル。そしてそれが妙に気持ちいいというかなんというか、あの気だるさというものはヤバいですな。高嶺剛の映画「ウンタマギルー」「ウチナワン・チルダイ」「パラダイス・ビュー」の世界に漂う空気、それが肺に入ってきた気がする。以来、二度とあのような不思議な<聖なる気だるさ>は味わっていない。
翌日わたしは単身東南植物楽園へ行った。沖縄海洋公園には団体で行ったからここへは一人。あまりの心地よさに自分が溶けて空気や水と一緒になってしまいそうだった。
お土産はチンスコウとソーキソバ。

・5/25-5/26 北海道 札幌と小樽。この日は豊平館近くのホテルに宿泊。ジンギスカンとか食べたり北大や県庁に行ったり。みんながすすき野のラーメン屋に行くのに離れて、県庁のラーメン食べたら案外おいしかったと思ったり。
街路樹の根元にこの時期なのにチューリップが満開なのも目を惹いた。
北海道立近代美術館、三岸好太郎記念館、札幌芸術の森美術館に行った。
翌日は小樽美術館、小樽文学館で伊藤整と小林多喜二の資料を見たり。「若き詩人の肖像」ですな。ほかに団体で石原裕次郎記念館に行き、わたしは30前の裕次郎と2ショット撮影。どこかのバーで一緒に楽しくお酒を飲む、という設定。
当時、良いオジサンで、唯一「この人のために働くぞ」と思った上司は50代の裕次郎とデュエットする写真を撮っていた。お互いご機嫌で「来れて良かったのー」と笑っていた。

・6/15あたり 宮古島 小さい島だというのを実感した。宮古ソバはおいしいが、無限に食べ終わらないような気がした。酒飲みのおっちゃんらはやたらと「ハナハナ」してた。
ガイドさんが大阪の都島区出身で宮古島に移住した人で、という話を聞いた。
ドイツ文化村というところがあり、ドイツの絵本とベルリンの壁の一部が展示されていた。
後輩Rと二人で遊んでいたが、とにかくもうウージだらけでびっくり。
ここで気に行って買ったコースターはその後、放埓な猫により消息不明になった。

・小川温泉  富山だというからもしかするとこの時に井波へ行ったのかもしれない。
すごい欄間彫刻を見た。そうそう、このときかな6月に雪の大谷にも行った。一人雪駄履いてきた奴がいて、その足が凍傷になっていた。そもそも雪駄で出てくるなよな。

・和倉  この時もあの総務のバカ田くんのせいで皆とんでもない目に遭うた。人数の関係でそんなに大きくない宴会場を借りたのだが、そこで大迫力の御陣乗太鼓の実演。鼓膜がわんわんと響いて吐き気がして、わたしは飛んで逃げた。
我慢していた同期Nちゃんは倒れてしまった。バカ田のせいでいつもえらい目に遭う。
そのせいで、他の記憶が飛んでしまった。

・6/10-6/11 早太郎温泉  南信州の伊那ICの近くだったか、伝説に名高い「神州信濃の光前寺の霊犬・早太郎」に因んだ温泉である。
わたしの一番好きな犬の話。狒々退治の霊犬早太郎。
光前寺はヒカリゴケの南限地。石垣の隙間にちらちらと光るものがみえた。
駒ヶ根高原美術館で藤原新也と池田満寿夫の展覧会を見た。翌日には水引工芸館にこれは団体で行き、そこで小さなトンボの水引工芸品を購入。今も手元にある。可愛い。
それでこの帰りに元善光寺に寄り、前述の…

・7/6-7/8 台北  この年、節目の年だと言うので台北組と東北組に分かれて旅に出た。
しかも台北をA班B班に分けて「一泊二日」で旅立った。理由は当時の営業部長で「逆に言えば」ばかりの文句たれの「全員の飛行機旅行は万一の時に会社が絶滅する」という言が通ったから。
わたしは前半のA組の台北組。東北組はみんな揃っての東北旅行で、そちらは奥入瀬渓谷と康楽館。そっちもいいなー。
ここでまた「三朝温泉」以来のトラブル発生。

行きはキャセイ・パシフィック。
初日は団体で観光名所に行き、故宮にも行き、少数民族の村にも行き、夜は夜市で楽しく、というええ一日。二日目、夕方にホテルロビー集合で自由にというので、朝五時に有志を集めて、わたしが皆さんを引き連れて台北の近代建築巡り挙行。
朝から歩かせすぎた。当時の新社長は後々まで「えらい目に遭わされた」とわたしに言ったが、まぁええでしょう。蓮が綺麗でしたわ―。
で、さる公園で台北など南国にしかない植物を見ていると、ラジオ体操ならぬ太極拳をしていたおじいさんが話しかけて教えてくれたのだが、そのときおじいさん「お嬢ちゃんたちは関西の人かな」「あ、はいそうです」さすが台北、日本語がうまいなと感心してたら、おじいさんニヤリと「オジサンの日本語うまいだろう、きみたちは訛ってるねww」ヤラレターーー

昼からわたしは単独で地下鉄などを乗り継ぎ、台湾国立歴史博物館の常設(特別展は日本でも開催されたメソポタミア文明の大規模な世界巡回展開催)とドールハウスの袖珍博物館に行った。お金使い過ぎて、翌日の帰途分しかなくなった。
集合時間スレスレで飛んで帰ったら、みんなロビーで円陣組んでた。あわてたはずみでカバンの中ぶちまけ。ごめんなさいごめんなさいと謝ってたら、入社以来ずーっと反目し合っている先輩K氏がたいへん優しく「焦らんでええで」と言ってきた。今朝の建築ツアーにも参加してたから、この日は彼もわたしに対し常の「嫌い」が消えてたようだが、それにしても優しすぎる。そして彼の口からとんでもないことを聞かされた。
我らの乗るキャセイ、いきなりスト。飛行機がなくて帰れなくなったそうだ。

延泊することになったが、ここでB班も合流になり、すったもんだが起こる。
しかも更にここで書けないトラブルが起こり、後々まで尾を引くことになる。
まぁしかしA班はもう一泊でわたしは見残しなく台北の近代建築を見れた。
ただし昼食代がないのがわかっていたので、朝食のパンをハイジした。(=そっとお持ち帰りの意味)これと部屋についていたミネラルウォーターだけがお昼。
集団でうろついたA班についていった困った経理女子Aはエステで使い果たしてこちらも文無しで、しかし堂々とお昼にいき「わたしの昼代は誰が払ってくれるの?」とやらかしたそうだ。
これまた今に至るまで悪評の素になってるから、やっぱりわたしはハイジしたパンと水だけで過ごして良かったかもしれない。
台北はまた個人的に出かけたいと常々思っている。

・6/15-6/16 シーガイア  これがまたとんでもないことが最後に待っていた。
こちらも例のいらんこといいの「逆に言えば」部長のせいで二組に分かれたが、二組になったことで憎みあうことになるコワイ偶然が起こるのだ。
この時乗ったのはANAである。

シーガイアのホテルに泊まりプールで遊んだり色々。わたしが見たい建物もレンタカーに乗せてもらって見に行った。県庁と教育会館。この二つだけが宮崎に残る近代洋風建築。
他に高校の時以来久しぶりに鵜戸神宮や青島に行き、機嫌よく遊んだ。
翌日は美術館、民家園、宮崎総合博物館などに行った。民家園ではわたしが飛んで逃げるトコヨノナガナキドリがカップルでお出迎えに来た。
非常に厭なのだが、その仲良さそうな・ヒトナツコソウな様子は、まぁええもんでしたわ。
しかしやっぱりいや。
お昼に同期らと冷汁食べておいしいねとか言うて機嫌よかったのだが、ここでわたしたちA班にまたもや幸運というかなんというか…

当時、ANAがキャンペーンしていた「当たればその機に同乗した全員に一万円プレゼント」、これに当選してしまったのだ。
だーかーらー、B班は当たらずお金はなし。
しかもこの時、大人しい社長は何ら対策を講じなかったのだ。
これはうちの母が空港へ迎えに来てくれたので、社長もついでに乗せたことで確認されている。
「まずいな」というのが話を聞いた母の意見だが、社長はついに沈黙を守り、さっさと帰宅してしまった。ほんと、これはまずかった。
翌日出社したら大もめ。まあ当然やわな。
しかも今回「あたし団体旅行きらい」と公言して欠席した例の経理女子でトラブルメーカーAがまたいらんこと言うので大混乱。
ただ、このときあのバカ田くんが「じゃ、僕があんたらの分のカネ出しますわ!」と出来もしないがなかなか男気を見せることを吠えたので、ちょっとバカタくんの株が上がり、Aがいよいよ感じ悪いな、になったのだが、結局うやむやのうちに収束(したのか?)。
以後、飛行機旅行はご法度になった。

・城崎  西村屋の招月亭に泊まり、外湯めぐり。ところが近年のこの西村屋の料理のレベルダウンの噂は本当で、全くダメでした。なにしろわたしらが帰った数日後に、食中毒が起こり二日くらい営業停止喰らってた。
そしてこの頃から後輩RとYの反目が激しくなり、Rがついに「二度と社内旅行に行かない」宣言をして、組合から説得しても聞かなくなった。常に「具合が悪くなりますから」で通すようになったのだ。困った二人。
わたしと同期Nとは助け合い仲良くし合っているので、この二人の後輩で同期同士の反目はたいへん困ったのだが、そのまま今に至っている。
今度の旅行、Rどうするのだ。

・6/26 淡路島  新社長になる。この人は物凄い大酒のみで、本当にとんでもなく飲む人だった。近年の旅行はトラブル続きだし、若いものも嫌がってるし、でついに一日だけの遠足にしようということになり、大塚国際美術館と淡路島のうお丸でおいしいタイを食べようとなった。
ところが蟒蛇社長のせいで、大塚の予定が三時間の予定が二時間に縮小された。で、バス内でおっさんのカラオケ大会。わたしが今度は大爆発。
当時の総務部長に八つ当たりをし、活造りのタイに部長を噛ませて流血の大参事。
まぁ尤もまさかほんまに部長も指をタイに突っ込むとは思わなかったのでもみんなもびっくり。難儀な人間の揃う会社じゃのう。うお丸は美味しかったわ。
ただ、帰りのバスでまたトラブル。困った人間ばかりがいるとこうなるという見本。

・道後温泉については小さい感想を挙げている。この年は一泊した。

このツアー、三朝事件の立役者・Kさんがまたもややらかす。
当時トシの半分の若い女に入れ込んでいて、その女が独立して店をやりたいというので給料を注ぎ込むだけでなく、あちこちから借金もして、会社に督促状まで来たし、電話もバンバンかかってきてたそうだ。本当に困る。
で、バスが走る間もやたら「止めてくれ」。なんやというと女に電話。そんなんやったら欠席すればいいのに、タダ酒が飲みたいので出席している。
帰りも酔っぱらいながら「速く走れ、どこにも寄らずに早く」と言い倒すので、ついに「出て行け!」となるが、さすがに本当に追い出すわけにはいかず、気分の悪いツアーになったもんです。
この年にKさんは退職し、独立した女の店の「マスター」になったそうだが、生死すら知れなくなってしまった。

・伊勢  二見が浦とか内宮とかおかげ横丁とか…この年就任した新しい総務部長がスイーツ魔神で、行く先々でお菓子屋さんにバスを向かわせるのには参った。
当時の感想はこちら

・翌年は新社長が来て、この年は旅行もなしになった。

・京都 日帰りでがんこ二条店で舞妓さん呼んでわいわい。

・香住 この時は一泊し、大乗寺に行けたのは嬉しかった。その時の感想はこちら

翌年から間人温泉で蟹ツアーを三年連続。同じ宿屋ばかりで同じところにしか行かないので飽きる。自分の楽しみにしか金を使わない社長にいい加減腹を立てるが、男性社員は去勢されたようになっていて本当に役立たず。女性社員だけが社長にガンガン物申す。
一年目の感想はこちら。あとは書く必要もない。

そして新社長就任後三年間旅行なし。前任者の多大な放蕩で億単位のカネがとろけ、マジで財務状況が悪化し、本当に困った。
ただし、この当時の社長は個人的に下のものに奢りたい、という人で女性社員らは様々なプレゼントをいただいた。
ありがとうございました。

そして今年、新社長が来て、4月に久しぶりに社内旅行をすることになった。
わたしは嬉しいのだが、やっぱり若手の奴らはげんなりしている。社長はその原因を総務にあると決めつけて、「参加しない人が多いのは総務が悪い!」と着任数カ月で総務と全面対立。
わたしのいる課はある意味「独立愚連隊」みたいなものなので、こちらにはニコニコしているそうだ。
来春どうなることやら、と思いつつも案外わたしは社内旅行が大好きなので楽しみにしているのだった。
長いこと一つの会社にいると、色々とろくでもないことやおもろいこと・面白くないことが積もるものです。ふふふ。
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