美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

浮世絵から写真へ 視覚の文明開化

江戸博「浮世絵から写真へ 視覚の文明開化」展に行った。
去年あたりから開化絵の展覧会などもいいのが増えてきたが、今回はそこに写真も現れた。
上野彦馬の古写真の時代より、わたしは大正の都市散策者たちの写真にときめくのだが、しかし幕末から明治初頭の写真事情の面白さというものは、やっぱり捨てがたい。
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プロローグ
名所と遊楽の屏風が二点出ている。
作者不詳 上野浅草図屏風6曲1双 江戸前期  右隻を見た。浅草寺の桜の頃、隅田川も花見客の往来で賑やかである。鍋で宴会する人もいるから、こんな昔から日本人はやることが変わらないらしい。

菱川派 邸内邸外遊楽図屏風 6曲1双 江戸前期  こちらも右隻。舟遊びもしている。中洲もあり三味線を弾くのもいる。色子を連れたお大尽もおり、句会をする家もある。秋の行楽の頃。

第一章 日本の絵と渡来した写真 二つの世界
浮世絵の方は幕末の人気の絵師のが集まっていた。

北斎 冨嶽三十六景 御厩川岸より両国橋夕陽見 1831~33年  ベロ藍の綺麗さがいい。

英泉 蘭字枠江戸名所 永代橋 天保年間  虫食いがあるが、それが妙に綺麗。

英泉 今容音曲松の葉 富本風 天保年間  こちらもベロの綺麗な。傘をさす女。

英泉 四季美人図 春と秋とを見た。梅の下で文読む娘、川べりで文もつ女。わんころもいる。
この絵は初見。後期には夏冬が出る。

さて上野彦馬、下岡蓮杖、内田九一らの肖像写真や風景写真が現れた。
こういうのが出てくると、さっきまでの幕末浮世絵は「古き良き時代」の産物になってしまうのだよなあ。
尤もさらに時代が進むと、この時代の古写真もまた「古き良き時代」の産物になる。
過去のいいものは時代を経ると更にいいものになる、というシステム。

横山松三郎の写真を見て、ついつい笑ってしまった。
ポーズをキメさせるのが好きなのか、撮られる対象がそういう注文を付ける人なのかは知らんが、ほぼ全部がキメてはりますな。
中には女性南画家の奥原晴湖もいるが酔っぱらっているようである。
この時代にけっこうオモロイ写真が多い横山。

鈴木真一の写真の中には四歳の永井壮吉(後の荷風)もいる。可愛いがな。ところで全然関係ないが、ソーキチという名は知る限り4人いる。
斎藤宗吉(北杜夫)、富本壮吉(演出家)、津田左右吉(歴史学者)それからこの人ね。

明治も真ん中になるとだんだんとけったいな写真も出てくる。
江崎禮二のコラージュはなんかもうスゴイ。なんなんだという面白さがある。
1700人の赤ん坊、赤ん坊の大集合ものとかそぉいうのをコラージュするんよ。
しかも手彩色。これはまさか大真面目でこういうことしてるのか、それとも江戸時代の遊び心がここに復活したのか。
明治にもこういう面白さがあるのだなあ。

正直なことを言うと、明治維新があったことで、一旦日本人の諧謔性が停止してもたと思っている。 
上方はちょっと措くけど、江戸から東京になり、面白いものを排除されたように思っている。それはやっぱり地方から中央へ上がってきて支配層になった政府首班の連中がそもそも諧謔性を有していないからではないかなと思うのだ。
いや、政府首班の辺りはまだしも、その下でひたすらがんばって「日本」を国家として欧米並みにしようと懸命になった連中は、そりゃ面白いはずもないわな。
江戸の諧謔と言うのはやっぱり「愚かと言う徳」がないと存在できないのだと思う。
その意味で明治はあんまり面白くないのだ。

大正でまた面白くなって、戦前まではよかったが、そこから戦争でアウト。
戦後になってゆとりが出てくるまでアウト。そこからはまた面白くなったが、現在は多分この交互の時代の流れでいうとアウトの時代になりつつあるように思うね。

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第二章
明治の浮世絵が並ぶ。
芳藤、芳員、国周、周延、三代広重らの作品。
開化絵、横浜絵がこの時代に多く生まれている。

たまらんのが芳藤「開化旧弊興廃くらべ」。ちょっと拡大する。
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…ああ、負けてるなあ古いものたちは。
これぢゃ付喪神にもなれねへな。

芳幾の俳優写真鏡は妙なリアルさがあって、それがどれもこれも死相が現れてるように見えるのがこわい。

おかしいのが作者不詳で井上茂兵衛が出版した大久保とか岩倉とか三条などの連中の肖像画なんだが銅版の多色刷りはええとしても、その出来がもぉ殆ど横尾忠則。
いやーびっくりするわw

松斎吟光 大日本婦人束髪図解 ヘアカタログと言うべきかな。この人は安達吟光かな。絵が同じだ。

神奈川歴博で大々的な回顧展が開催された五姓田一家の作品もあった。
こんなのもある。
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コンドル夫妻ではないが、わりとコスプレしたがる人らがこの時代も多かったわけですなあ。
ボストン美術館のビゲローなんか三度笠の股旅スタイルしてたものなあ。

小川一眞の百美人シリーズがずらーっ。
本当に百人。スタジオの背景は同じでそこに百人の芸妓が現れて撮影。
凌雲閣百美人。

ところでここは中は売店もあった。エレベーターで上がり、いわゆる「十二階下」の私娼窟が広がるところから公園まで一望。
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この界隈をマンガで描いたのを見たのはたった二つだけ。しかもどちらも上村一夫。
明治半ばが舞台の「修羅雪姫」と大正半ばの「菊坂ホテル」。
前者は主人公の鹿島雪がエレベーターで十二階下を眺め、やがて流れの月琴弾きに身をやつし、私娼窟を牛耳る一家に入り込んで暗殺を行う。
後者は菊坂ホテルの主人の娘がホテル(高級下宿)の住人・谷崎潤一郎に誘われてやはり望遠鏡をのぞくが、そこである男の妾をする女に声をかけられるエピソード。
妾は本妻にここの望遠鏡で覗かれているという。

他のどの実在した塔にもない話がここになら存在しそうである。
東京タワーでもスカイツリーでも通天閣でもマリンタワーでも、そんな話は似合わないし、あったとしても面白くないだろう。

ここで国貞と二代国久の幕末の浮世絵百美人図が現れる。
写真の実在の美人たちに比べると、なにかしらたまらないような退廃美を感じた。
こちらも芸者たちをモデルにしたという形のシリーズで、新橋・柳橋・芳町の芸妓。
決まりきった様式の中で描かれているのに、たまらない官能性がある。

やはり幕末の頽廃した空気がわたしにはたまらなく魅力的なのだ。
それもそのリアルタイムにいたいというのではなく、過ぎた時代としての幕末に執着しているのだった。

シリーズもの、という意味なのか今度は古美術を写した図説などがたんと現れた。
松平定信「集古十種」、抱一「光琳百図」、蜷川式胤「観古図説」、大蔵省の「国華余芳」などなど…
真面目に古美術を学ぶにはやはり蜷川のそれや「国華」をじっくりと観ることから始めるべきかもしれない。


第三章

ここで凄いものを見た。
ガラス絵に写真の切り抜けを貼り付ける手法。ガラス絵自体は油彩と違い一発勝負の代物でミスは許されない。そこにこんなにたくさんの人物写真をよい位置に配置する。
…見た目以上に手の込んだ作品なのだ。
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ガラス絵の技法については小出楢重がその著書にも記している。
青空文庫で公開中

とはいえここでばかり感心するわけにはいかない。
次がまたたまらない。
写真油絵という代物まで出てきた。

小豆澤亮一という人が生み出した技法らしいが、当人がその技法を秘したため、その死後はとうとう幻の技法になってしまった。
なんだかすごいわ。

エピローグ
両国らしくお相撲さんの肖像で終わり。

井上安治 小錦八十吉 多色木版 初代。なかなかハンサム。

佐藤寿々江/彩色 横綱 白鵬 2009 写真に手彩色したもの。あの巨大写真パネルの。
2013年まで佐藤さんの手彩色作品が掲げられていたそうです。
油光してピカーッ

面白い展覧会でした。12/6まで。
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