美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

国宝 一遍聖絵

遊行寺宝物館に一遍聖絵を見に行った。
ここを皮切りに金沢文庫、神奈川歴博と一遍聖絵を回りたかったが、都合により遊行寺だけの感想を挙げる。

なんでも三館めぐりでコンプリートらしい。
とはいえ巻き替えがあるから完全に見ることはムリだろう。
藤田美術館の玄奘三蔵絵は奈良博で全巻を見たあと、藤田美術館でも画像をスクロールして見ることが叶うようになった。
龍谷ミュージアムも企画展のとき、そのスクロールを使えるようにしていたから、この一遍聖絵も同じように画像をスクロールして見ることが出来るようになればいいと思う。

1巻ー1
まだ12歳の少年である。建長3年春(1251)、九州出立。白梅紅梅が咲いていた。

肥前につく。ボロ家の前に白犬が寝る。
そこから太宰府に戻り浄土教を学ぶ。
13歳、やはり立派な宗教家はよく学ぶ。
その庵の塀の外を狩りの一行が行く。猟犬に白犬。この頃も桜が咲いていた。

1巻ー2
春、出家、剃髪。もう色黒。ヒトのことは言えぬが、一遍は色黒だ。
晴れた日だが、大きな傘をさして歩く。これは高僧や身分のある人のためのでしたかな。

善光寺へ。道々やたら立派な牛がいた。角突き合わせるコッテ牛もいる。
牛に引かれて善光寺。
門前町の中には白犬飼う家もある。
裏の道には琵琶法師の師弟もいた。既にこの時代には職業として平曲語りは成立している。
ある家では犬が飛び出して来た。白犬、斑犬、赤犬。
1271年春、32歳。

1巻ー4
伊予で三年にわたる念仏修行。竹林のある庵にて。

11巻ー1
1289年秋の景色が見える。
阿波から船出。3隻にお坊さんぎっしり。
淡路につきました。二宮参詣し踊り念仏。
なんでも嬉しすぎて踊る、というのが踊り念仏なので、一遍さんはロックなヒトだったのだ。
いやもしかするとパンクなヒトかも、或いはラッパーだったのかもしれない。
遊行って素晴らしいなあ、つくづく。
遊行七恵は感銘を受けるのでした。

12巻ー1
1289年8月17日、死が近づくのを確信する一遍さんは、聖戒に「眼中の赤筋がなくなれば最期」と伝える。
それは毛細血管のことなのかな。リアルな感覚としての発言。

西宮の淡河殿で水ごりをとる坊さんら。
だがついに一遍さんは往生する。
大勢に見守られながらの往生。1989年8月23日、朝。

数年前にみつかった下書き線もハッキリ見えた。

12巻ー3
群集の描写がなかなか細かい。
右端の辺りにいるハレ瞼で両手を擦り合わせる男、曲者風。
女は笑ってるのか泣いてるのかわかりにくい。
兵庫区、そばに海。
結縁衆の七人が海にざんぶ。自ら水に入り後追い自殺を次々に。
パッと見たところ、既に五人は合掌しながら波間の人になり、また、渚を走る者もやがて波に消えるのだろう。
それぞれの表情が見えるが、苦痛はない。

荼毘の煙が立つ。お堂には一遍さんの像がある。

本物はここまで。
あとは模本やコロタイプやデジタルなど。

一遍没後十年頃にリアルに彼を知る人が描いたというから、やはりこの絵巻の一遍さんはよく似てるのだろう。

コロタイプ6巻ー1
片瀬で念仏。
ムシロ掛の病人や貧者らの居並ぶ辺りの描写がハッキリしている。鍋をかけたり、寄ってくるカラスたちを追っ払おうとしたり。
茶犬がいて、琵琶法師の師弟も念仏の声の方へ走る。

昭和のものと平成のものが並ぶ。平成のはかなりのサイズ拡大。

明治の田中親美の模写はさすがに綺麗。

7巻ー1
関寺まで。波が押し寄せている。なにやら水上舞台というかステージがあり、そこで踊り念仏。

模写
1279年、信濃の小田切。
犬のケンカ、牛の数も多く、にぎやか。
その群集に加わろうとムシロ担いだコジキたちがやってきた。近くの者はハナをつまむ。

他には歴代の遊行上人らが感得したものが並ぶ。

二河白道図 善導のかわりに二仏の前にいる一遍。

熊野成道図 権現と一緒にいる一遍。

空也像もある。口からめざしならぬ六阿弥陀が並ぶ。

墨絵の沖縄宮古島平和観音像がある。黒崎義介のサイン。
えっ童画家の?
意外な取り合わせだった。

面白い展覧会だった。
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