美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

SHUNGA 春画展 後期

春画展の後期展示を見に行った。
前期は初日に行って、かなりの感銘を覚えた。
なにしろ春画を大々的に見せてくれる展示というのは今回が初らしい。
以前に立命館アートリサーチセンターで真面目に春本・春画の展示を見たが、あれ以来の専門的な展示で、お客さんも予想をはるかに超える大盛況。
なにしろ「三カ月で8万人」予想が「二カ月で14万人」なのである。
普段から展覧会に行き慣れている人だけでなく、展覧会そのものと無縁な人もよく来ていた。
そしてみなさん、とてもまじめにご覧になっている。

前期同様、自分の好みを優先した感想を挙げる。

プロローグで少しずつ距離が近くなるのを示す、というのはとてもいいことだと思う。

春信 綿摘女 このさらに前段階を「春信一番」で見ている。ここではもう随分と距離が近づいていて、体温が互いに伝わるくらいになっている。

英泉の梅が枝と屏風の前を見た。期待が膨らむプロローグである。

1.肉筆の名品
小柴垣草紙、稚児之草紙、袋法師絵詞があった。
いずれも以前から少しばかり親しんでいる。

稚児の草子 萩の咲くころである。既に行為の最中で、稚児のやや大きめの腿がはっきりと露わになっている。
そして萩を間に於いて、また稚児は何かもの思いにふけりながら秋の庭をみつめている。
ここでの稚児はむしろアグレッシブな感じがある。誘われて、好ましい相手とならOKな彼なのである。

袋法師絵詞 これは随分前の芸術新潮の特集があり、それで見知っていた。とうとう現物を見たことになる。
袋に収まった法師がひたすら女たちの欲望に奉仕する、包袋の法師の奉仕。
女たちは全員がにんまりしながらまたがるが、そこだけに集中する。ある種の自慰に近いような行為ではある。そしてそれで法師を飼う。
それにしてもいつでも応じられるとは、この法師…凄い人である。

予定と実際の展示期間と異なるものもあり、延長されたのか、巻き替えものなどで今期もでているものもあった。

長谷川等仙 花園春画絵巻 おお、口内炎だと困ることをしている。女が嬉しそうにしているのがはっきりと。

狩野派の春画絵巻もかなり面白い粉本主義だからお手本があるのか、すごい体位の絵などがある。あ、ここまで描くかというのもある。
そうしたことに感心する。

西川祐信 春宵秘戯図巻 風流な様子でありながら、こちらも「あ、ここまで描くか」なものがあり、そういうことにも何かしら感銘を受ける。

月岡雪鼎 競艶図 二つ枕の貴人が<視ている>のを見る観客。二重構造で、こうしたのが存外面白い。
男の表情もいい。なるほどなあと感心する。
<視る>ことを目的とした貴人がそこにいることで、視られる男の方が艶やかに見えてくる。

国貞 金瓶梅 とはいえ、日本に置き換えてはあるものの、描かれたシーンがどの場面に当たるのかは不明だという。
わたしは国貞の芝居絵や物語の挿絵口絵が非常に好きで、物語の背景がわからなくともわくわくする。だからここにある絵を見て、やはりときめいている。
赤い腰巻一つの女が軽く柱につながれている。その前で男が女の腰巻をめくっている。
とはいえ女は別に嫌がらない。こうなるとこの男は西門慶で、女は藩金蓮あたりか。なにかまたとんでもないことをやらかして、こうしてつながれたのかもしれないが、それはそれで二人には楽しい状況になっているらしい。現に女の表情にはある種の毒があり、それと知りつつ、男もその毒を飲みたがっているのだ。
どちらも共に楽しく堕ちてゆくなり昇ってゆくなりすればいい。

春英 春画幽霊図 女版と男版とがある。女の幽霊の方はそこはかとなき哀れさがある。
「浅茅が宿」の昔から、女の幽霊との情交はどこかしら悲しい。
ところが男の幽霊の方は、言うたらなんやけど、「死んだ者のくせに生意気な」という腹立ちが湧いてくる。
ここでは早桶を割砕いて幽霊、乱戦に参加しようとするところ。こらこら。
男の幽霊の代表は「小幡小平次」と「破戒僧・清玄」の二人だが、どちらも女のために命を落としている。そしてどちらも出来ないのだが、この幽霊はやる気満々なのだった。

狩野山楽・英一蝶補作 鶺鴒巻  こちらはまた尼さん同士の千鳥を眺める坊さん、という構図で、たいへん面白いではないか。当人同士だけでなく、また別な視点が入ることで行為がいよいよもつれる、というのはたいへん面白い。
「四つ目の千鳥」というのを教えてくれたのは石森章太郎(当時)の「さんだらぼっち」だった。
金子國義も「千鳥」という呼称を自作にも使っていたなあ。
「四つ目に丁度いいのを」とか、天璋院さまのところにお仕えしていた女たちの間には「観音信仰」が、とかいう下世話な話を思いだした。

英一蝶 懐春図 こういうタイトルを見るとどうもドムホ…を思い出しもする。ええと、話を元に戻し、なかなかここでも男の表情がいい感じだった。
結局そういう辺りに筆禍騒ぎを起こす要因が潜んでいるのかもしれない。

狩野典信 春画巻 巻き替えで、今回どきっとしたのは、格子越しに貴女となさる医生のような男。ハンサムなだけでなく、ある種の冷やかさというか冷静さがいい。逆上することもなく、しかし無限に出来そうな…

2.版画の傑作

菱川師宣 床の置物 おお、こちらも女同士の秘かなお楽しみ。四つ目屋さんから購入したのが大活躍中。

奥村政信 染色のやま閨の雛形 女・色子・男…ああ、こういうのもいいな。思えば夫婦で色子を買えば、仲良く出来るわけですね。

春信の真似ゑもんが出ていた。
豆男の見聞を広める旅というか色道修業ですなあ。今回は爺さん婆さんの家。
まだやろうという気力もあるのは、なにか艶本でそんなのを読んだ気がする。
爺さんのはびらんびらんになり、横では猫が元気にしている。
ああ、わたしのよんだ本では農家の二人だからまたちょっと違うか。
しかし豆男はこの爺さん婆さんにも感銘を受けてやね、自分もがんばろうという気になるわけなのかな。

猫ご同席と言うのは案外多いな。
国芳なんかは最初から猫がおるという前提で絵を見た方がいいくらいだが、他の絵師も猫を観客と言うか添え物にしている。
まあ室内での行為だからなあ。
これが青▲▲なら犬が…失敬。

春章 会本拝開夜婦子取 猫があくびしてますな。タイトルいいなあ。えほん・はいかい・よぶこどり。

北斎 富久寿楚宇 フクジュソウか。人妻と昔風に言うならアイナメなさっておるのですが、そのセリフがまたもう…ここには書けませんな。
塩分はどこから来るのかしら…

それにしても自分が今回いいなと思ったものがほぼ全部ミカエル・フォーニッツ・コレクションのものだというのは面白い。

開おはん長右衛門おちよ半兵衛曽女分美婦人 二つのカプそれぞれが… これをみて思い出すのが春本で二人が桂川で心中しようかというところへ地元の悪少年らがぞろぞろ。長右衛門の前でおはんを…ところがおはんはここでおっちゃんの長右衛門より「若くて悪くて凄いこいつら」(シバレンの小説のタイトルやん)の方に大いに惹かれるという。

絵本開談夜之殿 国貞 この怪談ものは好きで、初日に見た分は食いちぎる幽霊という縦柄三枚続きだったが、今回は狐の化けたのとなさる男。狐がまたもう後始末の動きのリアルなこと…

豊国 絵本開中鏡 状況としては情交のあと。男がせつないような表情のまま女のお尻を抱き寄せている。
周り中くしゃくしゃの紙だらけ。女が泣いている。
なんというか果てにまで来てしまい、もう明日も何もない、心中の相談が出来たような二人。
本当の所はわからないのだが、もう終わりだ…という声が聞こえてきそうで、心に残る。
必殺シリーズの一作「必殺からくり人」のED曲「夢ん中」(阿久悠作詞・小林旭歌)が蘇ってくる。
そしてこういう絵を他に描けるのは上村一夫だけだとも思うのだった。

実際のところ、にこにこしながらなさるカプをみるより、こういう果ての果てに至ってしまい、もう終わるしかない、死ぬしかないような男と女の絵の方がずっと好きだ。
明日のない情景を見ていたい。

国安 大和妖狐伝 3世三津五郎、お伝、5世菊之丞の男色交じりの三角関係を描いているらしい。絵は川へジャンプする女。ちょっと読んでみたい。

そういえば随分前だが大阪歴博で上方浮世絵展が開催され、その終わりころにある種の二次創作が出ていた。
つまり役者ファンの心理に沿うた絵があったのだ。
当時人気役者の立役と女形との情交の絵。
これはなるほど実際には見れないが、こうしたものが見たいというファン心理にぴったりだと思ったものだ。
あの展覧会唯一の春画だった。

3. 豆版
初日に見た「武士の帰宅」はなにやらたまらなく切ないものだったが、今回はそうしたものはここにはなく、どちらかというと明るいものばかりだった。
役者絵、暦つき戯画、空摺のきれいなもの…
 
最後に細川さんに代々伝わる春画をみる。
国貞 艶紫娯拾餘帖 「田舎源氏」の世界である。今回は妙にカッコいい絵しか出ていなかった。
ガンドウに照らし出される闇の中の闘争である。
イメージ (38)

最後にこういうかっこいいもので〆られると、嬉しさが倍増するのだった。

実に有意義な展覧会だった。
非常に好ましい絵も多く見たし、そこから自分が本当に好きなものがどういったものかもはっきり知ったように思う。
またいつかこうした機会に恵まれれば、と思う。

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