美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち

汐留ミュージアムで「ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち」展をみた。
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サイトによると
「フランスの北西に位置するブルターニュ半島の小さな村、ポン=タヴァンはゴーギャンが訪れるよりも前から芸術家達をひきつけ、創作活動を支えた魅力的な土地でした。
1886年、パリを離れたゴーギャンは初めてこの小村に滞在し、壮大な自然と明るい光、そして現地の人々に連綿と受け継がれる古い伝統文化に魅せられ、以降、何度も作品制作のために赴きます。この地でゴーギャンはエミール・ベルナールらと、「印象派」を超える新しい絵画を追求し「総合主義」という現実と人間の想像力を一つの画面のなかに構成するスタイルを見出します。さらに若き画家ポール・セリュジエへのゴーギャンの指導はモーリス・ドニを中心とした「ナビ派」の結成につながりました。」

とのことらしい。
ブルターニュはケルト文化の色彩が残る土地柄だと言うが、衣服にしても中央とはかなり違い、神秘的なたたずまいを百年くらい前までは大いに残していたことだろう。
ポール・ギャリコ「七つの人形の恋物語」でも主人公の少女はブルターニュ人として登場し、それゆえにごく自然に人形芝居の人形たちと魂で結びついたのだった。

第1章 1886年ゴーギャンの最初の滞在
ゴーギャン以外はほぼ知らない画家ばかりなので、予備知識も何もないまま見た。

エミール・ベルナール <棺を覆う布>の連作というのか、二枚並んでいる。
葬式の準備光景の習作 1885 カーテンは開かれていた。人は一人だけ。
葬式の準備光景の習作 1885 カーテンは引かれていた。時間の推移がある。人も増えた。

クロード=エミール・シュフネッケル ブルターニュの岩石の海岸 1886 点描での描写。

ゴーギャン 二人の音楽家 1886-89 民族楽器でセッションする二人。鉛筆でさらりと。右のエミール・ベルナールはバグパイプの一種コルヌ・ミューズを、左のゴーギャンはこの地でのオーボエに当たる(と解説がある)ボンバルドを演奏。
どちらもケルト色の強い楽器。
セッション中だというのもあり、即興的な筆致がとてもカッコよく思える。

素描の佳さを感じるのはこうした動きのあるものを描いた作品だと思う。
重厚な画風の須田国太郎の「能狂言スケッチ」の軽やかさを思い出す。

ゴーギャン マルティニークの小さな眺め 1887 木の向こうに民家がある。この地ではゴーギャンはラヴェルのご近所さんだった。

隣人としてならまだゴーギャンとつきあえるかもしれないが、同居人としてはどうだろう。
いや、そもそもこうしてポン=タヴァンの人々とはうまくやってゆけたのだから、やっぱりゴッホとの同居というのがそもそもムリだったのかもしれない。


第2章 総合主義の創出

ゴーギャン ブルターニュの眺め 1888 細い木々が並ぶ。靴を履く男がいる。
何のこともない日常的な様子なのに、どことなく不穏な感じもある。

ゴーギャン 2人のブルターニュ女性のいる風景 1888 丘なのかな、ちょっと上がるあたり。坂の途中というのか、そこに牛。それと道には黒犬が。女の人たちはそれを見ながら歩いている。

ゴーギャン 玉ねぎと日本の版画のある風景 1889 芽を吹く玉ねぎ。版画は国貞風。ちょっとかっこいい。いやもしかして広重か。
貼り混ぜぽいしなあ。もしかすると二人のコラボかもしれない。

ゴーギャン 2人の子ども 1889 後ろの赤ちゃんの眼がとても怖い。前の女の子は特に何も思わないが、解説によると「意地悪な顔」らしい。えっそうなの?わたしは何も思わなかったわ。
絵とは無限に解釈できるものだなあ。
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ゴーギャン いちじくと女 1894 エッチングのせいでかどこか厳しいというか、いや、はっきり書くか、酷薄そうな女。

エミール・ベルナール 愛の森 1888-1893 変な木のある森。

エミール・ベルナール 磔刑 1895 うわー、なんか怖いどー、特に足下の婆さんが怖い。

エミール・ベルナール 会話(ステンドグラスのエスキス、サン=ブリアック) 1887 宗教画とはまた違うステグラの人物画。その町にふさわしい絵柄なのだと思う。

エミール・ベルナール リンゴの採り入れ 1889 妙にニタッ。なんかこの顔つき、「小さな恋のメロディ」のジャック・ワイルドを思い出させてくれる。

このエミール・ベルナールはほかにもいい絵がいろいろあり、ここで知ることができてよかった。

ポール・セリュジエ 呪文あるいは物語 聖なる森 1891 赤茶けた細い木の林立する中、三人の女がいる。岩に火をつけている。ブルターニュの神秘性を描いたように思う。

シャルル・フィリジエ ル・プールデュの風景 1892 熊谷守一のような色彩分割。それで風景画なのでシュールな世界になっている。

シャルル・フィリジエ 聖ヨハネ 1892 腰布一枚の裸体。しかもその布がずれ落ちそうなのがとても気になる。

第3章 ル・プールデュでの滞在とグループの拡大

ジョルジュ・ラコンブ ヴォロール、灰色の波或いはカマレの断崖 1892 スゴい構図やな。岩・岩・波、奥に海!
なんだかすごいな。1892年というより1930年代のアメリカ絵画みたい。

ジョルジュ・ラコンブ 赤い土の森 1891 木木木木木。葉なし。・・・としか言いようがないがな。

モジャン・バラン ブルターニュ人の頭部 1891-92 横顔、目が死んでいる。これはやはりケルト人的特性をみるべきかな、側頭部とか。
この画家は後に絵をやめて錫などを使う工芸作家としてデンマークでアールヌーヴォーを広げたそうな。

アルマン・セガン 横たわるブルターニュの女性或いはプリマヴェラ 1895 象徴派風であり、絵柄はココシュカ風。

ロドリック・オコナー 月明かりの公園 不透明な色彩だが澄んだような夜。黄色い半月がでている。もあぁとした灯り。ピンクのドレスの人が一人。逢い引きにゆくのだろうか。

ロドリック・オコナー 二人の女性の横顔のある風景 ベックリン「死の島」の人のような、修道士のような様相の前かがみの二人の女が佇む。不気味な雰囲気に惹かれる。

セザンヌ風の絵もいくつかあった。

第4章 ブルターニュでの最後の滞在、そして最後の仲間たち

ゴーギャン タヒチの風景 1893 これなどもセザンヌ風な塗り方で、大きな葉っぱや草を食む馬などが描かれている。

ドニ マロンと紫陽花 1920 立ち位置と花の分割がはっきり。子供は手押し車で遊ぶ。

ドニ ヒヤシンスの中のオルフェのためのエスキス 装飾パネル。うっすらと人々が描かれている。
思えばヒヤシンスといい、オルフェといい、フジョシ好みの存在ではないか。
依頼人はフジョシ心を持った人かもしれない。

ドニ ル・フォゴエのパルドン祭 1930 敬虔な人々が屋内で像に口づけるために行列する。
ドニ自身も敬虔なクリスチャンだったそうだから、シンパシーをこめて描いているのかもしれない。

ドニ ブレストの港 1932 大きな船が手前にあり、薄紫の海には点々と。夕暮れが濃い。対岸の建物は総じて小さい。

キューノ・アミエ 森 何か花粉が飛びまくっていそうな絵である。

シャルル・ラコスト 花盛りのマロニエ、パリ 1900 何か不気味。もこもことした固まりが逆三角形を形成する。緑の中に△、白の中にも△。そしてシルエットの町。

ポール=エリー・ランソン 鴨 1884-85 壁紙にいいと思う。

エミール・ジュールダン 屋根裏の風景 1911 ネズミ大集合。ガンバの冒険ではないんだしさ・・・

リュシアン・セーヴァジョン ドゥアルヌネのリス海岸 陸・青い海・手前松並木。三本の黒松のシルエット。これは浮世絵に影響を受けてるのかな。

と、こんな感じで例によって気になった作品についてだけの感想。
意義とかいろんなことはわたしではないところで。
いい絵を見ました。
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