美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

没後25年日影丈吉と雑誌宝石の作家たち

「没後25年日影丈吉と雑誌宝石の作家たち」展が町田市民文学館で開催されている。
9月末にミステリー資料館の乱歩展に行った際、招待券をいただき「ぜひ」と勧められた。
ありがたいことである。
イメージ (47)

チラシも半券も共に村上芳正の絵である。それだけでも強くそそられる。
村上芳正の展覧会を弥生美術館で見たときの衝撃と愉楽は大きかった。
耽美そのものの世界がそこにある。

わたしは決して日影丈吉のいい読者ではなかった。
どうしてそうなのかはわからない。
どうも他の作家と間違えて認識していた節がある。
それで結局殆ど読まないまま来ていた。
だが、没後25年の今だからこそ、もう一度やり直せる気がしている。
わたしの場合、例えば中学の時以来確実な距離を置いていた筒井康隆に対し、この二年ばかり深い関心が湧いている。尤もそれは近年の作に限るのだが。
それと同じく、今回の展覧会で日影丈吉への傾斜が始まればいい、と思っている。

文学館での展覧会に於いて、その文芸作品自体を主題とした展覧会というものは案外少ないように思う。特にミステリーの場合、未読の読者のためにもあまり作品紹介は出来ない。
谷崎記念館、鏡花記念館などのように作家個人を顕彰するミュージアムでも、まずは作家の人となりとその生涯、思想、作品の傾向の紹介がされる。
そして作品世界を紹介するのに多く用いられるのは、文章により構築された世界の再現、即ち原文の展示と描かれた世界を絵や三次元で示す、それらの方法だった。
今回は特に幻想ミステリーの作家であるがため、数ある作品のすべてがどのような内容なのか・どのような人が登場するのかすら紹介されなかった。
観客が知ってよいのは作品タイトルと、その作品を飾った表紙絵・口絵・挿絵のみである。
だから重要なのはその絵の展示ということにもなる。

日影丈吉はペンネームである。彼は受洗し「受安」の名を得ている。
41歳のデビュー作「かむなぎうた」を激賞され、職業作家となった。
一方戦前のアテネフランセでフランス語の習得に努め、その語学力でフランス料理の道に進む人々にフランス語教育を施した。生徒には高名なフランス料理人が数多くいる。
当然ながらフランス語の小説も翻訳し、「オペラ座の怪人」や「メグレ警部シリーズ」などを世に送った。

フランス語の翻訳者であり作家である、という人々にはある種の不可思議な魅力がある。
この日影丈吉をはじめ澁澤龍彦、石川淳の魅力というものは一度でも溺れると、そこから抜け出す気にはならなくなる。
生死を分かたず彼らの信徒となり、その作品に冷静に対することは出来なくなる。
その悦びは深い。

日影丈吉の作品を彩った挿絵画家のラインナップが凄い。
遠くからでも深い衝撃波が押し寄せてくる。
建石修志の動物をモティーフにしたモノクロの美しくもどこか禍々しい作品があった。
わたしは中3と高1の間の春休みに、中井英夫の作品から建石を、加堂秀三の作品から村上を同時に見知ったのだ。
その二人の作品がここに同居している。

イメージ (51)

建石の幻想的な作品をみつめる。
日影丈吉の作品から乖離したものでないことは、そのタイトルから推測される。
ただわたしはどういうわけか不思議な錯綜に陥っていて、作品から遠く離れた地でこれらを見ているようだった。

男女とは思わなかった二人の並ぶ絵を間近に見る。
ちょっとした失望がある。青年または少年同士、とわたしは思い込んでいたのだ。
だがそれは蹉跌にはならない。
石に刻んだものが経年により浮かび上がってくる、そんな建石の作品に瑕も見いだせない。

旧い世に生まれた奇書のための挿絵があった。
松野一夫による「黒死館殺人事件」の挿絵である。
これは随分前に弥生美術館で彼の回顧展が開催された時以来の再見となる。
ペンではなく枝か竹かを削ったものにインクをつけて描いたそうだ。
立てない女が助けを求めて叫ぶ絵などがある。
イメージ (50)

澁澤龍彦の編んだアンソロジー「暗黒のメルヘン」がある。
チラシにも選ばれた村上の絵がその本の最初の表紙だった。立風書房版。
のちに文庫化されて河出から出たときにはルソーの絵に変わっていた。
日影の作品からは「猫の泉」が選ばれている。
今この「暗黒のメルヘン」に選ばれた作品のラインナップを見ても、澁澤の眼の高さに鼓動が早まる。
泉鏡花「龍潭譚」、坂口安吾「桜の森の満開の下」、石川淳「山桜」、江戸川乱歩「押絵と旅する男」、夢野久作「瓶詰の地獄」、三島由紀夫「仲間」、椿實「人魚紀聞」…
他に倉橋、島尾、埴谷、澁澤の幻想的な作品が収められている。
わたしはこのアンソロジーでいくつもの作品を知ったのだ。

オウボエを吹く馬、墓碣市民、かむなぎうた
タイトルを羅列するだけで妄想が膨らんでゆき、巨大な憧憬があふれだす。
そしてその妄想と憧れとを支えるのは建石、村上らの絵なのだ。
異様なときめきがある。

イメージ (48)


日影の紹介のほかに「宝石」誌で活躍した人々の紹介がある。
乱歩、横溝、山田風太郎らの戦後作品がここから出現した。
城昌幸も「宝石」からの作家だったのか。わたしは「若さま侍捕物帳」シリーズしか知らない。詩人だったことも今ここで初めて知った。

「宝石」は表紙絵がとても魅力的で、中にはキース・ヴァン・ドンゲンの作品を使ったものもある。前掲の乱歩展でこの辺りの事を紹介している。
戦後すぐのカストリ雑誌の表紙もそうだが、いずれも現在では再現できない不思議な官能性がある。

春陽堂の乱歩文庫の表紙絵は多賀新である。
「パノラマ島奇談」表紙の三面の異形の者を描く「飛来」、「屋根裏の散歩者」表紙の肉なのか脂肪なのかわからぬ大量の厚みをみせる「待つ女」などが紹介されていた。
恐怖と幻想に彩られた官能的な銅版画作品が、春陽堂文庫の乱歩の世界を深い闇の中で耀かせる。

多賀にしろ建石にしろ戦後生まれの作家である。
村上のみ今年93歳になる。
日常の中で褪色するような画家たちではない。
彼らの描いた絢爛たる世界、それを装うことの叶った作家たちは、その名の通り「宝石」から生まれている。

イメージ (49)

角川文庫の横溝正史シリーズは杉本一文の表紙絵である。去年だったか紀伊国屋本店ギャラリーで杉本の作品が出ているのを見て喜んでいたら、そこにいた人が「もう少し早く来たら会えたのに、向こうもファンに会うのは好きなんだ」と言われた。
惜しいことをした。

魅力的な展覧会だった。
今からわたしは日影作品を読もうと思っている。
12/20まで。
追加
2017.8.13


日影丈吉のこしらえもの。
関連記事
スポンサーサイト
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア