美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

高島屋・船舶の室内装飾への取り組み

高島屋史料館「美術とインテリアの出会い 高島屋・装飾事業のあゆみ」展の感想の続きである。
今回は「船舶の室内装飾への取り組み」だけの感想になる。

これまでに船舶の室内装飾の展示を各地で見てきた。主にそれは横浜での展示が多く、さすが港町だと思う。
行けるものならいつか三菱重工長崎造船所(なんと見事な字面だろう!)をお訪ねしたいとも思っているし、機会を得れば川崎造船所の進水式にも参加させてもらいたい。

日本郵船歴史博物館での「洋上のインテリア」展で初めてカラースキーム(船舶の室内装飾画)というものを知った。その時の感想はこちら

この展覧会は今のところ2まで開催されている。
そして横浜みなと博物館でも「豪華客船インテリア画」展を見、三菱みなとみらい技術館でもカラースキームの特集展示を見ている。
他にも村野藤吾や中村順平の展覧会では彼らが設計したインテリアの原画を見ることもあった。


戦前の豪華客船建造は、明治の頃の過当競争の後に国家の威信をかけて行われたもので、日本各地の地名などを船の名にし、当時の技術と文化の粋を集めて各社が素晴らしい作品として世に送った。彼女らはいずれも優美な佇まいで海に浮かんだ。
多くの船には<姉妹>がいて、中には優雅な三姉妹もいた。

高島屋が室内装飾に関わった主な船舶の紹介がある。
日本郵船、大阪商船、関西汽船などの名が挙がっていた。
「暮らしと美術と高島屋」展でもその展示があった。

浅間、龍田、秩父、氷川、日枝、あるぜんちな、梶原、出雲、香取、鹿島…
これらに高島屋の仕事があったそうだ。

豊浦丸1899 古めかしい写真には外観しかないので内装がわからないのが惜しい。
これが高島屋の船舶装飾の始まりだという。
思えば豊浦と言えば厩戸皇子が育った地ではないか。

初加勢(初風)1902 当時皇太子(後の大正天皇)のためのヨットである。献納された。
木島桜谷原画の「富士の巻狩り」図の大きな刺繍タペストリーがあったようだ。

諏訪丸の小児室壁装飾 1914 大きな壁画は「パラダイス」として百花の描かれたもので、その左右に交代交代で二枚の絵が飾られていたそうだ。全部で12枚。長い船旅、子供らを少しでも楽しませようとしていたらしい。洋と和のいい感じのモダンな童画である。
見たままのことを書く。
・羽子板と幼女姉妹
・ヴァイオリンを弾く男児。中華風なスタイルなのが面白いが、もしかするとその当時の「浮かれヴヰオリン」かもしれない。
・馬を曳く爺さんと孫。なんとなくポップである。
・水甕を割るワンピースの少女。
・稚児輪を結う少女が人形遊びをする。
・五月、犬張子と少年。
・花をかざすエプロンの幼女、その手には提灯
・三日月の下、家路へ向かうクマにまたがる金太郎。
・サンタさんが靴下にプレゼント入れるのに忙しそう。
・桃太郎一味が座っている。
・花を撒く三美人。
・民族装束の三人の少女。

秩父丸 一等ベランダ透視図 1930  これはとても印象深いもので、以前にも何度か見ているが軒など「宋風鎌倉様式」というそうな。狛犬に四角い池には睡蓮。
イメージ (64)

その完成写真もある。
イメージ (71)
丸池に変わり、それで階段が左右につけられた。
大体元の案に近いように思う。

秩父丸には和風の座敷も備えられていた。欄間は筬欄間(おさらんま)。彫刻ではなく細い細い材でしゃーっと出来たあれである。

秩父丸の売店は三越が担当している。

氷川丸はアールデコ様式で装飾されているが、ここにある案を見ると、必ずしもそれで統一していたわけでもないようである。1930年

一等社交室透視図 ロココ調で素敵。豪華なのはいい。
エントランス階段立面図 床は斜めの市松文様でおしゃれ。
エントランス階段平面・天井図 モガやモボがいる空間である。

八幡丸 特別室・寝室透視図 鈴木三一 昭和10年代初期 シンプルでいい部屋である。壁かけの水色がいい。
イメージ (72)

この八幡丸は春日丸、新田丸と3姉妹だった。
しかし戦争になると名を変えられ、雲鷹として南シナ海で沈没させられてしまった。

華やかな令嬢・貴婦人として愛された豪華客船の姉妹たちがそれぞれ武張った男名に変えられ、航空母艦などにされてはもうお終いである。
撃沈され、二度と戻ることなく海底に眠っている。
こんな可哀想な話はない。
わたしはいつも戦前の豪華客船の運命を思うたびに涙ぐんでしまう。
日本郵船歴史博物館にある彼女たちの墓碑銘をみると、泣かずにいられない。

話を元に戻す。
橿原丸 
喫茶室透視図 今もあるようなソファセット、暖炉には走る鹿たちの図がかかる。
グランデルーク(特別寝室)作り付けの鏡台がシンプルだがとても大きい。
Privateサロン 10人用の円卓がある。
スイート寝室 意外と和風な空間でのベッドルームである。

出雲丸 貴賓室関連を担当したようだ。案もいくつか出している。
居間透視図 もこもこの青いソファ、青い花瓶にパンジーのような花柄の絨毯。
寝室透視図 柳の絵があり、シダ柄の絨毯。シンプルなベッドの間には電話が設置されている。

この橿原丸と出雲丸も姉妹である。神話の時代を髣髴とさせる名付けである。
しかし彼女たちもまたそれぞれ準鷹・飛鷹などと名と性別を変えられて戦場へ駆り出され、どちらも海底に沈んでいる。

戦後、船舶が再び造られる時代になった。
洞爺丸 1947 え゛っっっ!あの洞爺丸を担当したのか。びっくりした…
「飢餓海峡」を思い出す。

羊蹄丸 一等出入口平面図 ああ、わたしは1985年にこの船で、当時まだ航行していた青森函館の海峡を渡った。
スタンプを押したことも忘れない。そしてアホなわたしは船尾に立って♪はーるばる来たぜ函館―――と歌い、のどをやられたのだった…

ミシガン 1982
クリスタルハーモニー(現・飛鳥Ⅱ)1990
あかつき丸 2014
これら新しい客船はいずれもとても豪華できらきらしていた。

もう二度とこの綺麗な客船たちが、嫌な用途に使われることがないように願うばかりである。

また来年早々に日本郵船歴史博物館、氷川丸、横浜みなと博物館、日本丸、それに三菱みなとみらい技術館に出かけよう。
高島屋史料館、いいものを見せてくれて本当にありがとうございました。
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