美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

スサノヲの到来 いのち、いかり、いのり

2015年の展覧会ベストに挙げておきながら感想を挙げられなかった展覧会が二つある。
一は年末に行った愛知県のタイル展で、これは時間の都合で最終日に行き、最初から2016年のアタマに挙げようと決めていたからまだいい。
問題はこちら「スサノヲの到来 いのち、いかり、いのり」展である。
一度確かに書きかけたのだが、とうとう途絶した。
挫折した理由はこちらに覚悟が足りなかった、それだけである。

見るものに「楽しかった」「面白かった」「きれいでよかった」といった和やかな感情や芸術的感動をもたらしてくれる展覧会が好きなのだが、この展覧会はそうではない。
見る側にある種の緊張と覚悟とを強いる展覧会で、軽く見過ごせるものではない内容だった。
そのことについてはこの展覧会が始まった最初の2014年に美連協大賞という大きな賞を受賞していることからも、ある程度の予測はついていたが、まさかここまでとは思わなかった。
そのために結局見終えてから数ヶ月たち、年を越した2016年にいよいよ覚悟を決めて再び「スサノヲの到来」に向き合っている。
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序章 日本神話と縄文の神々

顔面のついた土器がある。破砕されたもので、オオゲツヒメだと説明がある。
蛇文のついたもの、蛇の形を示すものもある。
古代における蛇の神聖性については谷川健一「魔の系譜」に非常に面白い論考がある。
またここで諸星大二郎「暗黒神話」を思い出す人もあるだろう。
蛇は旧約聖書では悪の象徴だが、東洋世界においては決してそうではないのである。

人面と蛇文とを同居させた土偶、そして土器。
むろん意図的に展示されていることはわかっている。
この展覧会の図録には非常に優れた論文が掲載されていることからも、<感想>を書く今となって、そのことが影響を与えてくることもわかっている。
しかしあえて言いたい。
これら縄文の土器・土偶をみたとき、正直にわたしは<古代>を実感した。
縄文だから当然だというのではなく、人と蛇の結びつきについてかつて谷川健一の著作から学んだことを思い出しもしたが、そうした<他者>からの影響を認めつつも、やはり強く<古代である>ことが、胸に迫ってきたのだ。

弥生時代の遺物には感じない、神々の存在の確かさという実感が縄文時代の遺物にはある。
日本神話の神々に直結し、原日本人の魂の根元に関わる縄文土器。
わたしは改めてここに並ぶ様々な土器・土偶をみつめた。
カエル、ヘビ、人面、全てそこには意味が含まれている。
それを言語化したものが神話という形になって、後世に伝わる。


石にも深い意味がある。ここに並ぶ石は棒と臼の形をしているが、これも説明なしに「ああ、そうか」と納得させる力がある。

時代は下がり江戸時代の舞踊芝居で餅つきをモチーフにしたものがあり、男の名が杵造で女がお臼だった。景事であることからもわかるように短く明るいものだが、ここでも意味は等しい。縄文の頃から変わらぬ意識が江戸につながり、現代の我々にも容易に同意させる共通性がある。
その意味では古代から中世、近代、現代でも変わらぬ共通認識を我々は持ち得ていることになる。

不思議な土器の破片がある。どこかで見た記憶もある。
解説によると京都造形芸術大学芸術館所蔵品で、詩人の宗左近の旧蔵品だとある。
北白川をこえた先の大学の一隅にあるミュージアムを思い出す。確かにそこにはどこか不思議な縄文土器が列んでいた。
あのミュージアムに最初に行ったのは大江コレクションの国周を見るためだった。そして甲斐庄楠音の素描を見に行ったこともある。応挙の「七難七福図」の模品もみたことを思い出す。

彼の言葉が引用されている。
「有が無を生んだ」と。
詩人の言葉は直感的なものからきているのか・考え抜かれた先から選ばれたものなのかは、わたしにはわからない。
だがここにある土器の破片は本来はそうでなくとも、なにかしら「叫ぶもの」のように見えた。

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第一章 神話のなかのスサノヲ
ここから本格的に「スサノヲ」を見ることになる。

スサノヲとは日本神話に現れる神である。
わたしの手元にある武田祐吉訳注の古事記には「須佐の男の命」と表記されている。
この神は暴風の神であると武田は記す。
21世紀の現代でも台風は国土に甚大な被害をもたらす。
況や古代社会においてはまさに壊滅状態の有様を顕現させたであろう。

ただ「神」であることから、彼自身は「魔」とは見なされず、悪事をなしても姉の天照の命はその行動を出来る限りかばい、善意から出たが結果として良くなかっただけだと言い繕うとする。
だがとうとう須佐の男の命は一線を越え、それがために世に暗黒をもたらした。
ようよう八百万の神々の苦心の末に太陽の復活は為されたが、今後のこともあり、罪を贖せるためにも須佐の男の命から髭と爪とを切り剥いで追放した。

神話で面白いのは罪とケガレを払うために追い出された須佐の男の命が地上に降りた途端、一切の悪事を行わなくなったことである。それどころか彼は八俣の大蛇を退治し、救い出した乙女を妻にし、ほかにも妻を得て大勢の子の父となって後、住まいとした地(=根の堅州国)を安住の地として統治しているのである。
ここでは最早「暴風の神」の面影は失われている。
さらには末娘・須勢理姫に勝手に婿入りした大穴牟遅命を試した果て、彼が娘を連れて逃げ出したときには大声で言祝ぎ、「大国主の神となれ、こいつめ」と、愛情まで示すのである。
この変容はなにに基づくものなのだろう。
スサノヲとはいったい何者なのか、ということを改めて考えさせられる。

足利学校所蔵の古事記が出ていた。
「速須佐之男命」の表記である。開かれていたのは既に罪により高天原を逐われ、地上を旅するようになった頃の話である。
アシナヅチ・テナヅチの老夫婦からヤマタノオロチの話を聞かされ、人助けをしようとするスサノヲがいた。

ヨルク・シュマイサーの連作版画「古事記」もそこにある。棟方志功を思い起こす肉付きのよい女の姿がある。
スサノヲが眠る間にみごとにその娘を貰い受けて脱出するオオクニヌシがかっこよかった。
スサノヲはこのとき、若い頃の放蕩無頼を忘れ、一個の娘の父となって、娘の亭主になる若い男を言祝ぐのだ。

そしてその志功の傑作「大和し美し」もそこにあった。
これはヤマトタケルの一代記であり、棟方の作品中、特にわたしは偏愛してやまない。

そういえば随分前に邦画でヤマトタケルを主人公にしたアクション物が制作されたが、そこにスサノヲの事績の一つ・ヤマタノオロチ退治まで加えたので、当時神社庁から物言いがついたはずだ。
わたしは原作至上主義なので、そのニュースを聞いたとき、やっぱりやめた方がいいと思った。

様々なスサノヲの図像がある。
表記も「素戔鳴」で狩野派から明治の浮世絵の芳年、洋画に至るまで多くの絵がある。
古沢岩美の洋画もあり、それにも驚いた。
わたしは彼の裸婦のデッサンや交合図しか知らないので、色の付いた絵を見たのはこれが最初になる。
スサノヲの脂とでもいうものがこちらにも伝わってくる連作だった。

出雲大社の神楽に使われる面がいくつかあった。
チラシに使われているスサノヲの古面である。大きな目をむいた、お歯黒の、案外な白面である。
ほかにもヤマタノオロチの面もあり、なかなか恐ろしげであり、かつユーモラス。

予想外なのは生人形師の松本喜三郎のスサノヲ。たいへん嬉しく思った。力強くナマナマしい人形がそこに立つ。

神像としてのスサノヲ像もある。不動明王のような形態をみせている。
大野明山という彫刻家のスサノヲはいかりを内に秘めている。

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第二章 スサノヲの変容

日御碕神社宮司小野家旧蔵の神像群があった。
この地をスサノヲが幽宮(カクリノミヤ)と定めたそうだ。
そこにある木造の神像群を見ていると、大英博物館に所蔵されている「ルイス島のチェス駒」を思い出す。
この神社の由来なども非常に興味深いが、いつかそのあたりのことももっと知りたいと思う。

牛頭天王半カ像 チラシに映る憤怒像。スサノヲと同一神と見なされている。武神の様相のスサノヲだと思えばいいのか。怒る・憤る神。
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三宝荒神、青面金剛、牛頭天王、彼らの中のあらぶる力をスサノヲのそれと同一にみる。
「荒ぶる」で思い出したが、早稲田大学ラグビー部が大学選手権で優勝した時にのみ歌うことが許される部歌がある。そのタイトルは「荒ぶる」である。
これまで何度か聴いてきたが、「紳士が行う最も野蛮なスポーツ」と発祥地・イングランドで定義されたスポーツが極東の大学で根付き、栄誉を受けたときにのみ歌う歌のタイトルが「荒ぶる」だというのは、とても象徴的だと思う。

ツクヨミとスサノヲの同一視、月の変若水(をちみず)の関連から、羽黒鏡が十面ばかり出ていた。

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第三章 うたとスサノヲ
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
地上でヤマタノオロチも退治し、老夫婦に感謝され、その娘のクシナダと婚姻することになったときにスサノヲが歌った歌。
これによりスサノヲを和歌の始祖とみなしたという。
地上から脅威を払い、他者に感謝され、美しい娘に愛されて、スサノヲは非常に気持ちよくなったことだろう。
新しい人生の始まりだとも感じたに違いない。
それが歌になり、迸った。

「和歌」あるいは「歌」に関する展示が多い。
八雲琴とその付属品、その開発者の紹介。

出口王仁三郎の紹介があるのには、正直仰天した。
まさか、と思った。
大学の頃、大本教、天理教、金光教の教義などを記したものを読んだり、それぞれの歴史や事件について学んだが、まさか展覧会で出口王仁三郎に触れたものをみるとは思いもしなかった。

出口といえば中国に出た際、女装していたということを思い出す。これにもきちんと理由がある。そのこととこの「スサノヲの到来」について思いを馳せれば、女装もやはり必然だったと改めて納得もする。
中国での布教活動の折りには植芝盛平がいたことも思い出す。

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第四章 マレビトたちの祈りとうた
この章から先の展開の凄さにはおののいた。
先の王仁三郎の展示あたりからわたしの中で混乱が始まっている。

熊野那智参詣曼陀羅 國學院所蔵の分である。
補陀楽都海船と船がきちんと旅立てるかの監視船?、滝行する修行者を支えるセイタカ・コンガラ二人の童子、多くの社などが描かれている。

熊野牛玉宝印版木、起誓文、武道血判起誓文、天川弁才天曼陀羅図版木、出羽三山牛玉宝印版木、火防神、八坂、牛頭天王…
木版で世に広まった様々なお札たち。
そして「飛白書」という独特の書体で書かれた様々な神号のお札。
目眩がしてきた。

韓国の廃れた大道芸の花文字を思い出させる飛白書体、竜を身に潜めて書かれたもの、中国の「キ」をご神体にした神社の像、木喰、円空の木仏、どこまでもスサノヲの眷族。

そして西行、上田秋成、芭蕉…
ああ、わたしは松田修の著作の中にさまよっている気がしてきたよ。

第五章 平田篤胤の異界探求
出口王仁三郎に驚いていてはいけなかった。
この章は完全に平田篤胤の世界、幽冥界の様相を呈していた。

天狗小僧・寅吉の紹介がある。
谷川健一「魔の系譜」で知ったのは高校の頃だった。
それ以来の立派な資料をここで見る。

「仙境異聞」に書かれていることを寅吉がどこまで本当に話したのか疑う人もいたそうだが、わたしなどはもうこの膨大な資料を見るうちに、それがフィクションだろうがノンフィクションだろうがどうでもよくなってきた。
要するに凄い。この一言に尽きるように思う。
細かいことを深く知るには、自分も天狗の里に行かねばならないのである。

生まれ変わりを記した「勝五郎再生記聞」も出ている。
怖いのはどちらも佐倉の国立歴史民俗博物館の所蔵だということだ。
向後はそこに行くたびに、これらの書物や資料が自分のいる空間のどこかに蔵されている、ということを考え続けてしまうだろう。

二種の「稲生物怪録絵巻」があった。
これは現代にいたるまで繰り返し紹介され続けている。
水木しげるも諸星大二郎も自作マンガに取り入れているし、絵本にもなっている。
稲垣足穂もこのことについて面白い見方を示している。
しかしそれはここでは記さない。

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第六章 スサノヲを生きた人々 清らかないかり
ここでも田中正造、南方熊楠、折口信夫らを主軸においている。
美術館での企画展示とは思えぬ凄まじいラインナップである。

田中正造といえば映画「襤褸の旗」がある。三國連太郎が激しい熱量を放出していた。
また安彦良和は「王道の狗」で彼を描いている。
安彦良和は明治以降の歴史マンガにおいて、トロッキー、建国大学、植芝盛平、勝海舟、内田良平、張作霖ら、他の誰も描いたことのない人々や団体を取り上げている。
安彦史観の中で活躍する人々をみて、わたしたちは血を熱くする。

田中正造の活躍を紹介した展示を見ながら彼がいかに強く生きていたかが伝わってくる。案外分かりやすい書もある。
しかしそれでわたしがきちんと理解できたかどうかは甚だ怪しいのだが。

熊楠の展示では、彼の写本や読むに読めない書簡、達者な戯画が出ていた。
「オレガトコノ猫ノ夕メシノ卵ヲヌスンデニゲヤガッタ」
笑えるなあ。

とはいえここではエコロジー、夢の記述、履歴書などの異常に長大な書簡に圧倒される。

緻密な菌類彩色図譜にも圧倒される。
これで思い出したが、わたしが熊楠を知ったのは大学の時に手に入れた角川版の夢野久作「犬神博士」の松田修の解説からだった。松田修によると犬神博士、超人髯野博士、その姿に熊楠の姿を見るという話だった。
わたしは角川版「犬神博士」で夢野、松田修、熊楠の三人を知り、以後の人生に新たな喜びを加えたのだ。

次いで折口信夫が現れた。
思えばこの章に取り上げられた人々はみんな大学の時に自分が<選んだ>本などで知ったのだ。

ここでは折口=釈迢空の歌について言及されている。
「神の怒りを我がいかりとして保ちたいと折口は欲した。
しかしこれはたいへん危険なことである。まかり間違えば身を破り狂気に陥るからだ。彼はそのためにも歌を詠んだ。歌はいかりによる創造なのである」
そのように定義されていた。

つい先頃久しぶりに加藤守雄「わが師 折口信夫」を再読したばかりだが、そこでも折口のいかり・いきどおりについて克明に記されていた。
加藤の後に折口の側仕えをした岡野弘彦の回想録「折口信夫の晩年」にもいかり・いきどおる折口の姿が活写されている。

そして折口による「平田篤胤賛」屏風があった。
ここにも記されているとおり、篤胤の幽冥界と折口の学問とは確かに地続きだと思う。
篤胤の学問を近代に蘇らせた功績を想う。

第七章 スサノヲの予感
わたしはあくまでも観客である。
展示されたものを見て、そこに何らかの感情を抱き、それを記すことをしている。
だからここに書いているものはすべてわたしの感想に過ぎず、正しい見方・間違った感想と他者に見なされても、それについてなんら言葉を持たない。

非常に不可思議な絵画を集めた章である。
上手下手とかそんなことでくくれない。きもちのわるさを感じる絵も少なくない。

久しぶりに牧島如鳩の絵を見た。
五百年後に公開せよと言われた絵が数年前に、三鷹で世の人の目に触れた。
あのときの感想はこちら
ハリストス正教、仏教の習合した不可思議な絵画世界が広がっていた。

カトリック、プロテスタントには子供の頃からある程度のなじみがあるが、地元に正教会がなかったせいか、とても遠い。イコンを間近に見たのも二十歳を超えてからだった。それもロシアやギリシャの正教会のそれはあくまでも遠いが、日本人画家の描いたイコンには、言葉を失うほどのある種の恐怖に似たきもちわるさと共に、他人に言えないような背徳的な魅力とを同時に感じていた。

如鳩の絵を見るといつも奇妙な楽曲がわたしの頭の中に流れてくる。
わたしは音痴なのでそれを正しく再現できない。
どの絵にも必ず奇妙な音楽がついてくる。
邦楽の弦楽器で西洋音階を正しく演奏するようないびつさ。西洋の打楽器で日本古来の音階を再現しようとする努力、そんな音声が耳に響く。

久しぶりに彼の絵を見ていると、やはり名状できない奇妙な音曲がわたしの中で鳴り響いていた。

藤山ハンという作家をこの展覧会で初めて知った。
現代の人である。1941年に生まれ、1970年代の連作ものの絵がここに列ぶ。
「黄泉の花嫁」奇怪な美しさとおぞましさの同居した油絵である。

また恵藤求、古西律、黒須信雄らの作品も初めて目の当たりにした。
常のわたしならおぞけに震えて早々に立ち去るような作風である。
しかしそれをわたしは目を開けてまじまじとみつめていた。見つめてなにかしら想うところが浮かぶはずが、言葉にならなかった。
ただ、逃げたいのに逃げられないことを感じていた。

若林奮の旧蔵品をみる。
おいぬ様・おねこ様のお札などがある。
そしてそれに触発されたような犬らしきシルエットのどうぶつが向かいあうドローイングがあった。
わたしは作品の背景・作者の心情を省みることも推理することもせず、単純に「ああ、わんこ」かわいいなあと思うのだった。

佐々木誠という木彫作家の作品は日本神話をモチーフにしていた。非常に静謐なものを感じさせられた。
頭部の像が置かれていると、その首は首だけで存在するように感じられた。切り落とされた首というのでも、見えない位置に肉体が続くのでもなく、純粋に首だけの存在なのだと思った。
そしてそれは永遠に目を閉じている。
開かせることはしてはならない。

赤木仁の作品をこんなにたくさん見たのは初めてだった。
彼は亡くなった金子國義の弟子で、金子の画集で見たことがあるが、わたしは他で見ないままだった。

「積良」というシリーズである。もう一つの日本神話といっていいモノガタリにより生まれでた作品である。
いつまで続くのか・どこへ向かうのかはわからない。

最後の最後まで頭の中をかき混ぜられたような気がした。
その手は誰の手か。学芸員の手であり、またスサノヲの手ではないか。

わたしは諸星大二郎の「暗黒神話」を偏愛している。
あの本にもスサノヲは重大な役目を負うて出現する。
物語の最後に衝撃的な種明かしがある。
だがそこでも本当にはわからない。

スサノヲとは何者か、この展覧会を見終えて数ヶ月たった今も、わかったようでわからないままだ。
だが、2016年の始まりにこの展覧会のごく個人的な・偏った感想を挙げることができたのはよかったと思っている。
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