美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

地球から去って行ったボウイ

デヴィッド・ボウイの訃報が入ったのは1月11日の午後だった。
亡くなったのは1月10日、NYで家族に見守られながらという報道があった。
時差があるにしても速報だった。
自分の感覚では同日感がある。
そしてボウイはその二日ほど前の1月8日が69歳の誕生日で、新譜の「★」を出したばかりだった。

8日はツイッターでボウイの誕生日を祝い、「いつまでも綺麗」とか「首まで埋められたり(戦メリ)、シワシワになったり(ハンガー)、無理矢理地球人にされる手術を受けさせられたり(地球に落ちてきた男)いろいろしてきたけど、やっぱりいつまでもカッコよくて素敵!」というところで意見が大方一致していた。

だから最初にニュースを知った時は本当に「えっっっ!」と叫んでしまった。
誕生日を迎えたばかりで、新譜を出したばかりで、何故死ぬのか。
最初の速報が出たとき、わたしは高校ラグビーの決勝戦に夢中になっていて、全く気付かなかった。いや、それ以前にその速報はまだ入ってこなかった。
ラグビーの後は高校サッカーの決勝を少しだけ見て、ちょっと用事で出かけようとしたときに、TLを見て叫んだのだ。

多くの人々が衝撃を隠さなかった。信じられない、という言葉が大きく、誰も「お悔やみ申します」という言葉を使わなかった。
わたしも信じられなかった。
だが、疑いようのない事実としてボウイの死という現実がある。
この衝撃は大きい。
わたしはそれから3時間ばかりスマホを持たずに、一切の情報を遮断して外にいた。
事態が好転するはずがないのはわかっていた。
だが、触れたくなかった。

やがて七時のニュースでNHKはボウイの死を告げた。
わたしは自分の持つボウイの紙媒体をスマホで撮影し、それをツイッターに挙げた。
1981年夏に出た「ALLAN」10月号のボウイ特集号である。

まだ中学生だったが、既にわたしはボウイのファンだった。
それでこの雑誌を買い、中身がよかったので以後はこの雑誌の終刊まで定期購読し続けた。
もう35年近く経つのでだいぶ傷んできているが、いい紙だったのか中は元の白色を保っている。
本の表紙にはこうある。
「彼の花よ、散るなかれ」
35年後の今、その言葉を反芻している。
「彼の花よ、散るなかれ」
生そのものを言うのなら彼は散ってしまったのだが、彼の華やかさ・美しさの象徴たる花は散ったとは到底思えない。

最初にデヴィッド・ボウイという存在を知ったのは1978年だと思う。
まだ小学生だったわたしは大和和紀のマンガ「アラミス'78」の作中で主人公たちが「ピーターと狼」のLPを聴こうとするシーンを見て、それで彼の名を知った。
実際にボウイの音楽を聴いたのはその直後で、そのときに苦い記憶があるだけに、決して忘れることのない人になった。

本格的に洋楽を聴きだすようになったのはやはりMTVの放送があったからだ。
二つばかりの番組があり、どちらも民放で一つは開局したばかりのTV大阪での放送だったように思う。
うちの母などはFENを聴いて育ち、プレスリーに衝撃波を喰らった世代だからアメリカ一辺倒で、オジなどはビートルズが神様だからまたわたしたちとは違った。
わたしはグラムロックの全盛期に洋楽を聴いていたのだ。

実に多くの歌を聴き、PVを見た。
三つ下の妹と一緒に見ていたが、妹はどういうわけかブリティッシュ・ロックにはいかず、アメリカの方に奔った。
同じ番組を見ていても違うものだと思ったが、だからかわたしがボウイの素晴らしさを説いても決して受け入れない。

あるときFMで一挙に数時間ボウイの特集があり、当時主流のカセットテープで録音し、繰り返し聴き続けた。
そのことについて書きたい。

80年のアルバム「SCARY MONSTERS」の中の1曲目「IT'S NO GAME (PART 1)」はいきなり日本語だったので衝撃を受けた。
これは歌というより語りというか叫びで、決して文章としても滑らかではないのだが、とても印象深い歌詞だった。
「シルエットや影が、革命を見ている もう天国の自由の階段はない
俺現実から閉め出され、何が起こっているか分からない
どこに教訓はあるか人々は指を折られている こんな独裁者に卑しめられるのは哀しい
新聞は書きたてるさ!難民の記録映画 標的を背にした恋人達 道に石を投げれば粉々に砕け、昨日に蓋をすれば恐怖は増す 俺の頭に弾を撃ち込めば、新聞は書きたてる」

この日本語のナレーションのはざまや後にボウイの歌声が聴こえてくるのだが、まさか日本語が入るとは思わなかったので巨大な幻惑の底に突き落とされた。


3曲目「SCARY MONSTERS」のカッコよさにもシビれた。
当時少年サンデーで石渡治が「火の玉ボーイ」を連載していたが、話のタイトルを全て歌から採っていて、主人公が凶暴な力を見せているときのタイトルにこの「SCARY MONSTERS」が使われていたのも忘れない。

4曲目は「ASHES TO ASHES」で、これはもうそのPVの幻想的なカッコよさにドキドキした。

今でも時々歌声と共に映像が脳裏で再生されるから、よっぽど好きだったのだと思う、自分が認識している以上に。
後年、音楽から離れ(耳の都合という状況がある)、美術に向かった最初期に洋画鑑賞修業の場として選んだ先にブリヂストン美術館があった。
そこでピカソの美しい「腕を組んですわるサルタンバンク」を見た。これは新古典主義時代の代表作のひとつで、ピカソの作品の中でも特に美しい青年の絵である。
このサルタンバンクは化粧はしていないしシンプルな衣装で座るのだが、どうしたわけかわたしにはPV「ASHES TO ASHES」でのボウイの美しさを絵画化したらこうなる、というような観念がある。
おそらく、多くの画家の描く「美しい青年」=ボウイという数式がわたしの中で固定化していたのだと思う。

わたしの中での現実を生きた美しい男性とは、ボウイ、金子國義、ピーター・オトゥール、東千代之介、若い頃の草刈正雄、アラン・ドロン、沢田研二に尽きる。
描かれた美青年・美少年は無限にいても現実にいた美しい男性は数少ない。

話を戻す。
映画「クリスチーネF」のサントラが流れた。
映画にボウイが出ていた。本人役である。これは薬物中毒の少女のドキュメント映画だった。ただし、わたしは見ていない。
映画には「HEROS」「V2 SCHNEIDER」「LOOK BACK IN ANGER」などが使われていた。
中でも「V2 SCHNEIDER」は薬物中毒のときに使われたのではないかと思っている。

これは幻想的な曲想がそう思わせるからだというのもあるし、もう一つ誠にボウイには申し訳ないのだが、81年にラジオドラマ「コインロッカーベイビーズ」を聴いたわたしの中で、あのドラマに使われたローリングストーンズの「We Love You」が脳裏にあったためにか、そんな予想をたてている。
いつか映画を観よう観ようと思いながらとうとうこんなに遠い所に来てしまった。
今さら薬物中毒の少女の映画を見る根性はない。

テープは伸びるものだ。
間延びしたり雑音の入ったボウイの声は聴きたくなかったので、ある時期からそのテープは聴かなくなった。
だが、あの時の幸福感は今も体のどこか、たぶん細胞質の中に潜んでいて、ときおり表面へ浮上することがある。


やがて83年、この年はまさにデヴィッド・ボウイの年になった。
わたしは高校生となり、映画と洋楽とマンガで活きていた。
大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の封切りがあり、友人らと複数回見に行った。
というより正直に書くが12回見に行った。
これは今のところ同年の「ジェダイの復讐」、後年の「陰陽師2」、阪本順治監督の「新・仁義なき戦い」と並ぶ記録となった。
(それに続くのが「さらば、わが愛 覇王別姫」)

ボウイにときめきすぎて苦しい時間を過ごし、しかし何度も見ずにはいられなかった。

この「戦メリ」については書き始めると無限になるのでやめる。
要するにわたしは中毒していたのだ。
それを今もわるく思うことはない。

ボウイは同じ年にアルバム「Let's Dance」をリリースしたが、わたしはこの中の「CHINA GIRL」に特に熱狂した。

そして「CAT PEOPLE」にも強く惹かれていた。
こちらは映画のテーマソングで前年のロードショーだったように思う。
はじまり方がまた荘厳で、それから徐々に恐怖に似た粟立ちが全身に走り出すような音楽だった。
またこの時の半ばくらいのボウイの声の出し方にも強く惹かれていた。
大きく口を開けているのを感じていたからだと思う。

ボウイの歯並びはあまり好ましくないが、しかし彼が大きく口を開けて歌う顔は非常に魅力的だった。
官能的というより、むしろ健全な強さを感じ、そこにひどく溺れた。


「音楽専科」という雑誌に「8ビートギャグ」というマンガがあった。
これは同じデヴィッドではあるが「JAPAN」のボーカル・デヴィッド・シルヴィアンを中心にしたブリティッシュロックの人々を3等身キャラにして描いた、今でいうフジョシ向けの作品だった。
わたしなども非常に好きで、いつも楽しみにしていた。
その中で「戦メリ」後のネタがなかなか面白く、今も忘れないのがある。
要するにデビ・シルの「でびちゃん」は教授がボウイにキスされてたので面白くない。
自分もそのことを意識した行動をとる。そこへボウイが来て教授は板挟みと言う話だった。
あともう少し続くがこの話は措いておいて、この80年代はやはり洋楽が日本で大いに愛されていた時代だったと思う。
そしてその中心にボウイがいた。

ボウイはパントマイムを身に着けていた。
だから「戦メリ」でもそうしたシーンがある。
役者としても非常に魅力的だった。
「地球へ落ちてきた男」では宇宙人を演じていたが、可哀想に拷問に近い扱いを受け、地球人にされてしまうが、そのあたりのボウイの可哀想さはちょっと類がない。

「ジャスト・ア・ジゴロ」でもボウイは可哀想だった。尤もそれを言うなら「戦メリ」でもボウイは可哀想なのだが。
わたしはこのポスターのボウイもとても好きだ。


ボウイは80年の暮れには舞台でノーメークに近い状況で「エレファントマン」も演じていたそうだ。
その写真は前掲の「ALLAN」誌にも掲載されている。
だからこの後の映画出演やPVなどでも素晴らしい演技を見せていた。


ほかにも色々と書きたいことがあるが、ここで措く。
この20年ばかり耳の都合がわるくなり、わたしは音楽から距離を置いて生きてきたのだ。
だが、ボウイの話題が入ると嬉しくなるのは変わらなかった。
それだけに1月8日にボウイが誕生日とあわせて新譜をリリースしたのがとても嬉しかった。
昔ながらのボウイファンの人々と「ああ、いつまでも素敵なボウイ」とドキドキしていたのだ。
わたしはあまりに若い頃のボウイより、30代以降のボウイの方が好きで、スーツをきちんと着こなしたダンディなボウイにときめいていた。
エリザベス・テーラーが「世界で最も美しい男」とボウイを讃えたことを知った時も、とても嬉しく思った。
一時代、「世界でいちばんの美女」と謳われた女優からそのような言葉が出て、彼女がボウイのファンだということがこちらの胸を熱くさせたのだ。
そしてそのたびにボウイの歌声が自分の中で自動再生された。

死んだなんて嘘みたい。
今も自分の頭の中でボウイの歌う姿が浮かんでいる。
親切なボウイの笑顔がそこにある。

ボウイは地球から去って行ったのだ。
死んだというより、こちらの方が頷ける。
この二十年ばかりは普通の地球人の中に身を潜め、時折光を放ちながら表に出ていたが、とうとう地球に飽きたかして、違う星へ去って行ってしまったらしい。

ありがとう、ボウイ。
あなたのいた時代にわたしも地球にいられたことを感謝している。
あなたの歌声を聴き、あなたの演技を見たことも幸せだった。
またいつか時間の輪の上のどこかで会える日を楽しみにしています。

さよなら、ボウイ。

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