美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」その1

「旅と芸術」
なんといいタイトルだろう。
「旅」にも「芸術」にも心惹かれる人は少なくない。
さらにこのタイトルには続きがある。
「発見・驚異・夢想」
そう、旅するとき「発見」があり「驚異」を見たり「夢想」に耽ることもある。
旅に出ること自体がこれら三つのものを<探す>あるいは<みいだす>ことでもある。
旅の目的が何であれ、そこには必ず何かがあり、何もないなら<ない>ことを知ることもあるだろう。

埼玉近代美術館では巌谷國士監修による「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」展が開催されている。
わたしは後期に出かけた。
北浦和は都心にも近い。首都圏の人には「旅」とは言えない地にある。
だが大阪に住まうわたしには旅先に違いない。
違いないが、近年の自分の足跡を思うと、わたしにとってこの地へ来るのが「旅」と言えるかどうか。
そんなことを思いながら開館と同時に入った。

第1章 「旅への誘い」
ここでは最初に「驚異」が提示される。
イメージ (51)

・驚異の前史
ヘレフォード世界図:マッパ・ロンディ 1300年頃刊(2010年複製版) いきなり巨大な地図が現れた。142x120.
地図というものは正確でなければないほど、不思議な魅力(もしくは魔力)に満ちている。
正しい地図が生まれる時代になってからは、世界から不思議が半分ほど消えてしまったのではないかと思うくらいだ。

元々のは羊皮紙、この複製品が何に描かれたものかは知らない。
そして、マッパ・ムンディとは中世ヨーロッパで製作された世界地図を表す総称だという。
このヘレフォード大聖堂所蔵の地図はその中でも世界最大級サイズ。
地図をみる。
エルサレムが地図の中心にある。キリスト教の世界観に基づく地図だから中心はエルサレムとなる。左上に中国とインドが広がるが随分と小さい。
様々な不思議な生物が描かれている。マンドラゴラの植物まである。
700年前の世界地図には「山海経」から飛び出した奇奇怪怪な存在が素知らぬ顔で幅を利かせていた。
見た目のカッコよさに、この地図をプリントした旅行かばんが欲しいと思ったほどだ。
この地図を貼り付けたカバンと一緒なら、世界のどこへでも出かけられる気がする。

ハルトマン・シェーデル「年代記」1493年刊(2002年複製版) 一名「ニュールンベルク年代記」。こちらの本にも摩訶不思議な生物が描かれている。本当に面白い。
実際のところ中世の西欧ではどの程度これらの生物の実在が信じられていたのだろう。
1493年と言えばコロンブスが航海中か。
イメージ (50)

ヤン・ヨンストン「動物図説:四足獣篇」1649-57刊(2006年複製版) こちらの本はもう開いたページだけ見れば完全に幻獣辞典。ユニコーンにグリフォンの図がずらり。
他のページでは実在の動物もいるが、この幻獣ページはやはり「驚異」。
とはいえ、実在動物でも他国にその実際の姿が知られていなければやはり幻獣となるか。
この本は江戸時代のさまざまな動物画にも元ネタとして使われていたはず。
とはいえ取捨選択が今から思えば東洋的でもある。

アタナシウス・キルヒャー「シナ図説」1667年刊 これもまた不思議な国の不思議な慣習や西洋から見て理解不能な宗教の絵がある。
仏教+道教な感じのカミ様とその信仰者たち。
西洋人から見たこれら風景画がもし実景なら面白いだろうな。
現代のわたしたちは過去の人々の想像・創造した不思議を更に不思議なものとして観ている。
イメージ (49)

アンドレ・テヴェ「東方宇宙誌」1617年刊 これもまたロードス島の巨人像とか描かれているが、「見てきたような嘘をつき」どころではないわな。

これらの不思議な図を見ているだけでもう既にキモチが浮き上がってくる。
タイトル一つにしてもドキドキするようなものばかりで、このコーナーだけでも随分と楽しめる。

最後に一つどうやら想像が大きくなりすぎていない作品が出てきた。
シャルルロド・フェリオル編 版画集「レヴァント諸民族を描く版画百点の解説」1715年刊 四点が選ばれていた。みんなとても目が大きく描かれている。
ベイラムの日の礼服を着た大公 お付きのものたちと馬とが一緒。
インドの男性 ターバンを巻いてポーズをとる。
ペルシャの女性 背後で水煙草をくゆらす人もいる。身にみっちりの衣装を着ける女。
通りを行くアフリカの女性 これは北アフリカのイスラム女性のようで全身を布で覆っている。

・古代への憧憬
イタリーが集められている。
イタリアと表記するよりイタリーにした方がこの場合とても浪漫的。
「君よ知るや南の国」
それより数百年前の風景を想いながら画家は作品を生んでいるようだった。

ピラネージの各地風景が現れる。
トレヴィの泉 1751 横からの眺め。日差しの明るいある日の風景。
古代のマルスの競技場 1756 オベリスクがずらりと並ぶ。壮観。そして手前には色んな彫像が放置。中には両面を持つヤヌス神像、獅子像などなど。

ジュゼッペ・ニンチのアルビューメンプリント(いわゆる鶏卵紙)による風景写真もある。
こちらでも同じ場所を捉えている。
実際に自分の行ったところなので現実の風景を知ってはいるが、その現実の風景よりもこうした版画や写真の方が本当の風景(!)のように思えるのが面白い。

古代のフレスコ画もある。
たくさん並ぶよりも選ばれた少ない数のフレスコ画がここにあることで、その絵への憧れが大きくなる。

・ロマン派の旅情
そこに既に旅への想いがある。

カナレット ヴェネツィア、サンマルコ広場 1732 東京富士美術館 向こうで見たときは何も思いもしなかったのだが、ここにあることで存在の意味が変わる。
本当のタイトルは忘れたがRクレイダーマン「ベニスの旅」の曲が頭の中に流れ出す。
イメージ (48)

ウィリアム・ジェームズ ヴェネツィア、スキアヴォーニ埠頭 18世紀 東京富士美術館 リアルな風景画なのだが、そのリアルな筆致が逆にシュールな存在に見える力を持っている。現実から乖離した不思議な風景にしか思えなかった。

ターナーの版画がいくつか並ぶ。これまでターナーの風景に対し、あまりそそられることもなかったが、ここで見ているとこの地へ旅に出たいような心持になってきた。
これは絵そのものの魅力を「旅情をそそる」方へ向けたことで、わたしのようなターナーに関心のない者でも「ああ、いいなあ」と思うようにされたのだ。
並べ方・コンセプト一つで本当に違う結果が出る。

ヴィクトル・ユゴー 城 1853 インクで描いたもやもやした旧い美しさを見せている。
非常に額がいいのも目に残る。ギャルリー宮脇の所蔵だからか。ああ、この額でこの絵というのはすばらしい。
ユゴーは政治的な立場からフランス本土を離れガーンジー島に亡命したが、この絵はその前のジャージー島の頃か。
ユゴーも子供の頃から随分旅をした人だが、その娘アデルもまた「旅」を続ける人だった。わたしは彼の次女アデルを描いたトリュフォーの映画「アデルの恋の物語」を常に想い続けている。映画の中でアデルは凄まじい旅をする。恋の狂気に絡め取られた彼女は移動距離も場所も時間も何も考慮しない。
ピンソン中尉を追いかけてついにはアフリカにまで渡ってしまい、そこでとうとう完全な狂気の人となる。
彼女は自分が旅をしている自覚を持たなかったろう。だが、彼女の軌跡は激しく、凄まじい旅の果ては精神病院での数十年にわたる生活だった。
しかし彼女は心の中で常に何かに追われ続け、そして追い続け、旅を続けている。

ドレ 城の夕暮れ 山寺後藤美術館 油彩である。縦長の画面で夕暮れが描かれている。絵の奥に城があり、手前の林に赤衣の人が立つ。
一歩踏み出せば自分もこの林の中に入り込めそうな気がする。
しかしこの中に入ってどこへ行くのかはわからないままなのだが。

ここで映像を見た。
ドレの挿絵のついたサミュエル・テイラー・コールリッジ「老水夫の歌」1875年刊。
そのドレの絵を中川陽介という人が、自在にロングにしたりアップにしたり斜めにしたりと画像を動かして一種のアニメーションにし、映像作品に作り上げた。
振動を感じるような音声までついている。
とてもいい。この技法は昔の大島渚による白土三平「忍者武芸帳」を思わせる。
物語自体も面白く、挿絵もとても良いのだが、恣意的な選択がよく、われわれ観客は中川陽介という人の目を通したドレの絵物語を楽しめるのだった。

長くなりすぎるので一旦ここで終わる。続く。
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